kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「野党共闘」は本当に「良いこと」なのか?

泡沫争いを演じる?「生活の党」と「次世代の党」のしょぼ過ぎる話題 - kojitakenの日記(2014年11月27日)のコメント欄

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20141127/1417045326#c1417056253

id:spirit7878 2014/11/27 11:44 泡沫政党は共産や社民もそうなんですがね。
一選挙区に1人しか当選しない小選挙区中心だとどうしてもそうなっちゃうのでしょうか。

いずれにしても野党が勝つには野党同士の協調が求められている感じでしょう。それこそ『同党異伐』の才が求められているというべきか(敵を少なく、ですかね)


どうやら記事がお気に召さなかったようだが、このコメントにしても、先日更新が途切れてしまったさる「リベラル」系ブログにしても、非共産党支持の野党及び反自民系人士の間で、「野党共闘」が無批判で「良いこと」と思われている風潮があるようだ。しかし、それは大いにおかしいと思う。まず、「『野党共闘』はノー文句で『善』」という、自らの根拠のない思い込みを疑え、と言いたい。

各政党は、自らの政党の勢力拡大が至上命令だが、あまりに我を張りすぎて、前回の民主党日本未来の党のように、刺客をぶつけ合ったりしては逆効果になる。だから一定の野党間協力ないし「共闘」がそれなりに求められるのは当然だ。

みんなの党の解党で、前職4,5人が民主党に行ったり、生活の党から、同党在籍のままでは議席獲得は極めて苦しいが、民主党に移れば比例復活の可能性もある2人の前職が民主党に移ったりしたのは、合理的な例といえるだろう。民主党ばかり増えるのは、選挙制度小選挙区制だからである。特に生活の党の支持者は、小沢一郎の過去の行いを直視すべきだろう。あまりけなしてばかりも何なので少しばかりほめておくと、鈴木克昌小宮山泰子民主党に移籍させた一方、玉城デニーを生活の党に残した小沢一郎は、これらの候補に関しては、現状において最善の選択をしたといえる。

一方、民主党と維新の党との選挙協力は、害多く益なしである。

なぜなら、維新の党は前回衆院選において、週刊誌が「三桁議席獲得可能」などと煽り立てたほどの追い風に乗って、バブル的な議席を獲得したからである。そのバブルも弾け、分裂した一方の維新の党は政党支持率1%そこそこ、次世代の党に至っては政党支持率がコンマ1%行くかどうかの惨状を呈している。民主党(や生活の党)は、彼らの議席など最初から「今回はない」ものと見なして、よほどの強豪候補が立っている選挙区を除いて、積極的に競合候補を立てるべきであった。

ところが、彼らは維新の党の候補者が立つところでは候補を立てなかったり、生活の党のように(岡本英子らの)公認を取り消したりする始末である。バッカじゃなかろか(ルンバ♪)と思う。前回衆院選と比較して、得票力が格段に落ちた維新の党の候補の多くは落選するに決まっているが、そこに共産党以外の野党候補がいなければ、議席自民党のものになるだけなのである。特に前回の強烈な追い風に乗ってさえ小選挙区で当選できなかった維新の党の候補が立っているところでも民主党(や生活の党)が候補者を立てていないとするなら、自殺行為と言っても過言ではない。もっとも、それ以前に候補者の頭数が揃わなくて候補者を立てられないという事情もあるのだろうけれど。

それにしても、岡本英子などあれほど狂信的熱心な「小沢信者」なのに、一度決めた党の公認を取り消すなど、あまりにむごい仕打ちとしか言いようがない。「小沢信者」大嫌いの私でさえ同情してしまう。

こうして考えると、維新の党や次世代の党、それに消滅したみんなの党や、未来の党でなくなってしまった分の目減りは避けられないであろう生活の党など、小政党や泡沫政党、あるいはその残党は、比例でも小選挙区でも議席を大きく減らし、その一部は民主党共産党議席を増やすにしても、そのくらいでは到底追いつかず、結局自公、特に自民党議席が大きく増える結果に終わる可能性が、今のところもっとも高いように思われる。

本当は、海江田万里が慣れない「剛腕」を発揮して、維新の党を分裂させるくらいの荒技でも使わなければならないところだったが、海江田にそんなことができるはずはないと思っていたし、現にその通りになりつつある。まあ海江田は、最初は次世代の党まで選挙協力の対象に含めていたほどの*1大甘の人間だから、多くを期待する方が無理だろう。

まあこんなことになった諸悪の根源は「小選挙区制」である。私は民主党圧勝が確実視されていた頃にも(もちろんそれ以前からだが)ずっと小選挙区制を批判し、比例代表制中心の選挙制度への転換を求めてきたが、非共産党支持系の野党支持及び反自民系の人士からはほとんど賛同が得られなかった。惰性で物事が続くのは、何も官僚だけの特徴ではなく、それどころか官僚なんかよりも世間一般の方がずっと、惰性の弊害が顕著だと私は考えている*2。しかし、さしもの彼らも、少なくとも一部の人たちは、今回の選挙結果に接して、現行の選挙制度への疑念を高めることになるだろう。

思えば20年あまり前の社会党議員もボンクラばかりだった。彼らは、最初主張していた小選挙区比例代表併用制を、「政治改革」推進者たちの働きかけを受けていとも簡単に放棄し、小選挙区比例代表並立制に乗り換えてしまった。この両者は、名前はよく似ているが中身は全く異なる。併用制は事実上の比例代表制であるのに対し、並立制では比例代表制小選挙区制のおまけだ。これほどまでにも劇的かつ罪深い掌返しはなかった。しかも、そのツケを払わされたのは自分たちだったのだ。当時の社会党の政治家で、戦犯として記憶に残っているのは山花貞夫だが、もっとも責任が重かったのは誰だったのだろうか。並立制が決まってから比例代表の比率を減らすのに利用されてしまった故土井たか子は、その点に責任があるだけで、政治改革の局面においては大した役割を果たしていない(第一、土井氏はその頃には衆議院議長に転出していた)。

あとは巨大化した自民党が分裂でもして、少しの得票率の差で勝者と敗者の議席差が極端に開く小選挙区制を見直す機運になるとか、そういった「瓢箪から駒」の事態でも起きなければ、この最悪の選挙制度はこのまま続くのだろうか。もっと小選挙区制批判の世論が高まれば良いのだけれど。

おまけ。

https://twitter.com/huyubeer/status/537897226052186112

八葉
@huyubeer

泡沫争いを演じる?「生活の党」と「次世代の党」のしょぼ過ぎる話題 - kojitakenの日記 (id:kojitaken) http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20141127/1417045326 … お気楽共産党シンパの戯言ブログ、だらけきり、ふんぞり返って野党にいちゃもんつけるだけ。今の共産党そのものだ

1:14 - 2014年11月27日


「小沢信者」か、はたまた石原慎太郎平沼赳夫をひいきするネトウヨか。「野党」なんて言っているところを見ると前者だろう。
おめでたいねえ、まだ「野党」のつもりでいるよ(笑)。しかも、石原慎太郎平沼赳夫まで「野党仲間」扱いときた(爆)

*1:さすがに途中で民主党は次世代の党とは選挙区調整をやらないことに方向転換したようだが。

*2:その意味で、政治家の腕力は作った既成事実の質と量で測られる。安倍晋三の腕力は小沢一郎に決して引けを取らない。

国弘正雄氏死去

去る11月25日死去した国弘正雄氏について。

國弘正雄 - Living, Loving, Thinking, Again(2014年11月27日)より、国弘氏が1969年のアポロ11号による月面着陸のテレビ中継を通訳した件について、

アポロ11号による月面着陸」を信じていない人、例えば副島隆彦だの布引洋だのにとっては〈敵側の人〉だったわけだ(笑)。


布引洋とは懐かしい名前(笑)。

さて、国弘氏といえば「政治改革」による衆議院選挙制度改変直前の1989年参院選で当選した社会党参院議員だったが、のち離党した。その選挙制度に対する姿勢は尊敬に値するものだった。Wikipediaからの引用になってしまうが、

1989年、当時の土井たか子委員長の要請に応え、第15回参議院議員通常選挙日本社会党から比例区候補者として立候補し当選。PKO法案に反対。社会党を離党し、田英夫らの新党護憲リベラルに参加。小選挙区比例代表並立制導入に反対の姿勢を明確にした。新進党が結党されると、「反新進・反小沢一郎」を掲げ、田らとともに村山内閣への協力を表明。1995年、平和:市民より参院選比例区から出馬したが落選し政界を引退した。


選挙制度に対する姿勢は、これが正解だろう。新進党とは、新生党公明党の一部、民社党日本新党自由改革連合などが野合してできた政党で、政策は当時の自民党河野洋平総裁)よりも「右」だったから、私も自民党より新進党の方がもっと嫌いだった。だから、1994年の政争では海部俊樹を御輿に担いだ新進党が負けて、「自社さ政権」ができた時には、小沢一郎が仕切る政権よりはマシだろうとこれを歓迎したものだ。しかし、結局自社さ政権は失敗し、自民党小沢一郎自由党)を取り込んでできた自自政権、自自公政権において、舵を大きく「右」に切ることになった。

故人のご冥福をお祈りする。