去る11月25日死去した国弘正雄氏について。
國弘正雄 - Living, Loving, Thinking, Again(2014年11月27日)より、国弘氏が1969年のアポロ11号による月面着陸のテレビ中継を通訳した件について、
布引洋とは懐かしい名前(笑)。
さて、国弘氏といえば「政治改革」による衆議院の選挙制度改変直前の1989年参院選で当選した社会党参院議員だったが、のち離党した。その選挙制度に対する姿勢は尊敬に値するものだった。Wikipediaからの引用になってしまうが、
1989年、当時の土井たか子委員長の要請に応え、第15回参議院議員通常選挙に日本社会党から比例区候補者として立候補し当選。PKO法案に反対。社会党を離党し、田英夫らの新党護憲リベラルに参加。小選挙区比例代表並立制導入に反対の姿勢を明確にした。新進党が結党されると、「反新進・反小沢一郎」を掲げ、田らとともに村山内閣への協力を表明。1995年、平和:市民より参院選に比例区から出馬したが落選し政界を引退した。
選挙制度に対する姿勢は、これが正解だろう。新進党とは、新生党、公明党の一部、民社党、日本新党、自由改革連合などが野合してできた政党で、政策は当時の自民党(河野洋平総裁)よりも「右」だったから、私も自民党より新進党の方がもっと嫌いだった。だから、1994年の政争では海部俊樹を御輿に担いだ新進党が負けて、「自社さ政権」ができた時には、小沢一郎が仕切る政権よりはマシだろうとこれを歓迎したものだ。しかし、結局自社さ政権は失敗し、自民党は小沢一郎(自由党)を取り込んでできた自自政権、自自公政権において、舵を大きく「右」に切ることになった。
故人のご冥福をお祈りする。