kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「やっぱ」は長州人・安倍晋太郎の口癖だった

憲法記念日(5/3)の朝日社説、一部で危惧されていた朝日の社論転換には至らなかったが*1、問題含みの社説ではあった。それは、昨年は書かなかった「きまぐれな日々」のGW版(憲法記念日版)に書くことにしたい。

本論に入って、タイトルの記事にした事実は下記の本で知った。



本の118頁から引用する。

 そして、終戦。晋太郎は滋賀の海軍航空隊から帰郷し、東大に進学した。終戦間際、海軍兵学校出身の旧友が「生きて帰ったら何になるか」と質すと、当時すでに航空隊で成績抜群であった晋太郎が一言、「俺はヤッパ、政治をやる、政治家になる」と答えたという。

「ヤッパ」は晋太郎の口癖だった。軍部と対立しながら戦争遂行に異を唱える寛*2の姿にあるべき政治家像を見たにちがいない。彼の政治家の原点はここにあった。

松田賢弥『絶頂の一族 - プリンス・安倍晋三と六人の「ファミリー」』(講談社,2015)118頁)


このくだりを読んで思い出したのは、4月1日に書いた 「居丈高な大阪のオッサン」って? - kojitakenの日記 にいただいたコメントだった。

上記の記事で私は、故やしきたかじんの歌の題名に関連して、

JR大阪駅の発車ベルが《やっぱ好きやねん》になっているそうだが、この歌を売り出す時から指摘されていたのは、「大阪では『やっぱ』とは言わない」ことだ。「やっぱ」とはどう考えても関東方言であろう。私も子ども時代に「やっぱ」などと言ったことは一度もない。そんな「似非大阪弁」の歌をJR大阪駅の発車ベルに使うのは論外だと私も思う。

と書いた。前にも紹介したけれども、これについて下記のコメントをいただいた。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150401/1427900164#c1428050080

id:axfxzo 2015/04/03 17:34
やっぱって、関西ではなかったのか?
西の、とある山口県の蒲鉾屋さんのCMに
『やっぱ、フジミツやの』というのが昭和時代にあった。私は言語関係にも詳しくないが、山口県でも岩国と下関や宇部では、岩国側が『ほんま』などと、あからさまに関西弁が混ざっていた記憶から、たかじんの歌には何ら疑問は抱かなかった。(後略)


また、同じ方から同じ件に関して、3日後(4月4日)の記事 「やっぱ大阪弁」? それとも神奈川方言? - kojitakenの日記 にも下記のコメントをいただいている。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20150404/1428112931#c1428137738

axfxzo 2015/04/04 17:55
言葉というのは、案外、これはここだ!
と断言できないものではないだろうか?
『やっぱし』は山口県西部の方言でもあると断言したいところだが(笑)、なんと神奈川でも言うとは知らなかった。


「やっぱし」となるとどうだかわからないが、少なくとも「やっぱ」については、山口県西部でも使われる言葉だったとはいえそうだ。

3日前(4月30日)に書いた記事 「絶対行きたくない地域」といえば - kojitakenの日記 に、1986年の早春に山口の吉田松陰記念館に行った時、山口県出身の歴代の総理大臣(伊藤博文だの岸信介だの佐藤栄作だのといった不快な面々)に加えて、「ニューリーダー」とは言われていたものの総理大臣にもなっていない安倍晋太郎の蝋人形があって、どうも私の安倍晋太郎嫌いはそこから始まるのではないかと書いたが、当時の私が「やっぱ」が安倍晋太郎の口癖であったと知ったなら、「やっぱ」という言葉がますます嫌いになったにちがいない。

しかし、今では晩年の安倍晋太郎が、妻の安倍洋子(岸信介の娘。形相が岸信介にそっくりらしい)や倅の安倍晋三に冷たくされていた件や、松田賢弥の上記著書などで描かれる安倍晋太郎の生い立ちを知っているので、晋太郎に対してはある程度の同情を覚えてしまう。

一方、安倍晋三に対してはますます激しい怒りを感じるのである。

ところで、松田賢弥の『絶頂の一族』はかなり物足りない本だ。

著者の記事は昔から週刊誌を立ち読みなどして知っていた。上記の、安倍洋子と安倍晋三が晩年の安倍晋太郎に冷たく遇した話は、著者が『週刊現代』に書いた記事によって知った。著者はまた、第1次安倍内閣が発足した2006年にも「安倍晋三を『空虚なプリンス』の血脈」と題した連載記事も書いた。しかし、それらは一部しか今回の本には反映されておらず、安倍晋三批判としてはかなり物足りない内容にとどまっている。それは、最近の『週刊現代』がライバルの『週刊ポスト』に安倍晋三に批判的な読者を奪われてか、さっぱり精彩を欠いていることと関係するように思われる。

たとえば本書巻末の「主要参考文献」には、著者自身が書いた下記週刊誌記事も挙げられている。


私はそれらの記事を読んで、安倍晋三とは単に極右のタカ派政治家であるばかりではなく、冷酷非情な人間なんだなと思ったものだ。一部の「リベラル」の論者の中にも、安倍晋三は本当は良い人だ、などと書く者もいるが、何を大甘のことを言うんだと私はいつも不満に思っている。しかし、今回の松田賢弥の著書では、その激烈な安倍晋三批判のトーンがかなり落ちているような印象を受けた。

私は、もっともっと激烈な安倍晋三批判の文章が読みたいのである。

*1:私は朝日が社論を転換するとは思っていなかったので予想通りだった。

*2:安倍晋太郎の父にして、安倍晋三の敬愛しない(?)父方の祖父である安倍寛(あべ・かん)=引用者註