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kojitakenの日記

2015-10-30 早大、小保方晴子の博士号を取り消しへ

2015年日本シリーズ、ヤクルトがソフトバンクに完敗

2015年日本シリーズでは、圧倒的な力の差を見せつけられた。下馬評通り、ソフトバンクヤクルトを4勝1敗で下し、2年連続日本一になった。

ソフトバンクは、昨年の阪神とのシリーズも4勝1敗だったが、4勝のうち3勝は接戦だった。しかし今年は、4勝のすべてが圧勝だった。ヤクルトは第4戦の後半に2点差まで追い上げ、山田哲人畠山和洋の一発が出れば同点という場面は作ったものの、それが精いっぱいだった。解説者は、2点リードされているけれど実質的には五分だ、などと言っていたが、私は何が五分なものかと思ったし、その通りの結果になった。

おそらくこのシリーズは、1995年にヤクルトと対戦して1勝4敗と完敗したオリックスブルーウェーブに「小林の14球」が残ったように、1勝4敗で敗退したヤクルトに「山田哲人の3連発」が残ったことで記憶されることだろう。「小林の14球」について、日刊スポーツの記事を引いておく。

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球史に残る「小林・オマリーの14球」

 プロ3年目、24歳の若者が、球史に残る熱投を見せた。「小林・オマリーの14球」と語り継がれる伝説の名勝負。舞台は、1995年(平7)10月25日、神宮球場で行われた日本シリーズ第4戦だった。ヤクルトに3連敗し土俵際に追い込まれたオリックスは、この試合も1点のリードを許していた。だが、土壇場の9回に小川が起死回生の同点ソロ。延長戦に持ち込むと、仰木監督は第5戦に先発予定だった小林を10回からマウンドに送った。

 延長11回裏、1死から四球安打で一、二塁。打者はこのシリーズ好調の4番オマリー。これがドラマの幕開けだ。オリックス絶体絶命の大ピンチに、指揮官は小林に言った。「速い球で攻めろ、強気で行け」。この言葉に、若武者は開き直った。

 時計はすでに午後10時を回っており、鳴り物応援はできない。双方の声援だけが神宮の杜(もり)にこだまする。それが独特の緊張感を生む。そんな異様な雰囲気さえ、小林は「全然僕の耳には入りませんでした」と言った。それだけ集中していた。

 オマリーは3球続けて見逃し、1ボール2ストライクと追い込んだ。だが、本当の勝負はここから。小林は徹底的にストレートで押す。142キロ、143キロ…オマリーはそれをことごとくファウルにする。そして7球目。内角の140キロストレートを、オマリーのバットがとらえた。右翼ポール際への大飛球。入ればサヨナラ弾…だが、ポールからわずか1メートル、打球は切れた。スタンドには歓声とため息が交錯した。同点弾を放った小川は、遊撃の守備位置で「たとえ打球がイレギュラーしても、顔で止めてやる」と小林の力投に応えようと燃えていた。ナインの思いは、だれもが同じだった。

開き直りとこだわり続けたストレート

 小林は変わらずに攻めの投球を続けた。13球目にスライダーを投げたほかは、ほぼストレート1本。12球目にも大ファウルがあったが、それでも押す。そして運命の14球目。137キロのストレートを内角低めに投げ込むと、オマリーは根負けしたように空振り。バットをたたきつける姿を横目に、小林、そして捕手中島がガッツポーズで互いをたたえた。

 続く古田も中飛に抑え、ピンチを脱すると、直後の延長12回、D・Jが決勝ソロ本塁打。「(2人の)すごい勝負を見て、とにかく勝ちたいと思ったんだ」とD・J。12回裏も小林が締め、4時間38分の激闘に終止符を打った。

 小林は「気持ちだけでしょ。開き直りってこういうのを言うんでしょうね。神戸に帰りたい、それだけでした」と興奮冷めやらぬ表情で話した。この年の1月17日、未曽有の大地震が地元・神戸を襲った。傷ついた人々を勇気づけるため「がんばろうKOBE」と、ユニホームの袖にしるして臨んだ大舞台。手に汗握る勝負に勝利し、地元はおおいに沸いた。

 このシリーズは全試合ナイターで行われ、第4戦の視聴率は、関東で35・2%、関西では36・3%という高い数値を記録。第5戦に敗れ、神戸に帰ることなくシリーズは敗退したが、小林は敢闘賞を受賞。この激闘が、翌96年、巨人を倒しての日本一へとつながっていく。【高垣誠】

1996年のオリックスのように、2016年ヤクルトも、と言いたいところだが、話はそう簡単ではない。現に、以前からささやかれていた通り、畠山がFA行使を示唆している。権利だから行使するのは個人の自由だが、畠山ではソフトバンクではレギュラーも怪しいだろうからソフトバンク入りはないにしても、読売だの阪神だの、星野仙一がフロント入りしている楽天だのに行かれては頭に来るのである(実際、楽天が興味を示していると報じられている)。

それに何より、1995年のオリックスと比較しても負け方が悪すぎた。特に先発投手の球数が異様に多く、ソフトバンク打線に手を焼いていることがありありだった。石川(2試合)と小川が先発した3試合はそれでも3回まではゼロに抑えたが4回に失点した。杉浦は2回から失点した。館山は初回から失点した。おかげでヤクルトの守備(ソフトバンクの攻撃)の時間ばかりが長く、勝てそうな気が全然しなかった。第3戦も、山田の2発にもかかわらず逆転されて負けムードが漂う中、山田に2発を浴びた中田賢一(元中日の中田はソフトバンクの先発投手陣の中で一番打ちやすそうな投手であり、事実昨年の交流戦ヤクルトは中田から2回までに10点を奪ってKOしていたが、今シリーズではその中田に黒星をつけることさえできなかった)を下ろして千賀滉大を注ぎ込んだ敵将・工藤公康の勝負手を、山田が逆転2ランで粉砕したのだった。あの山田の3発目には本当にしびれた。今シリーズのヤクルトにとって最高の見せ場だったといえる。忘れられないシーンだ。

それでも完敗は完敗である。ヤクルトはシリーズには負けたが、「トリプルスリー対決」では山田が柳田に勝ったといえるのか? それすら疑問だと思う。なぜなら柳田悠岐は多くの四球を選び、ソフトバンクの勝利に貢献したからだ。一方の山田哲人は第3戦の3連発以外はさっぱりだった。

ヤクルト投手陣については、第4戦終了後に書かれた下記の論評が的を射ていると思う。以下引用する。

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四球の意味が違ったSBとヤクルト。なぜ攝津、館山の投球に差が出た?

Number Web 10月29日(木)17時1分配信

 崖っぷちに追いこまれたヤクルト。苦戦の原因は、やはり自慢の打線が不発に終わっていることだが、もう一つ、挙げるとすれば先発陣が予想以上に早い回で崩れていることにもある。

 第1戦の石川雅規が4回、2戦目の小川泰弘も4回3分の2、第3戦の杉浦稔大が4回3分の1で、第4戦の館山昌平は3回で5点を失ってマウンドを去った。

 日本シリーズに出場してくるチームには、必ずエースと呼べる投手がいるはずだ。そういう頼りになる柱の投手がいて、その投手力原動力となって長いペナントレースを勝ち抜いてきていることが多い。だから、シリーズに出てきたチームで開幕から4戦続けて先発投手がいずれも5回も持たずに降板したケースは、1956年西鉄、'82年の中日とわずかに2チームしかない。今年のヤクルトが、長いシリーズ史上3チーム目の不名誉記録を達成したチームということになるわけだ。

ブルペンが充実していると、逆算が大事になる。

 「館山がゲームを作れなかったのが原因ですね。それに尽きる」

 試合後のヤクルト真中満監督は報道陣に囲まれると、こう第一声を発した。

 昨日も書いたが、このシリーズは逆算のシリーズである。

 ヤクルトソフトバンクもお互いに豊富な中継ぎ、リリーフ陣を持ち、その戦力が機能している。だからこそ序盤のリード、先取点というのが大事なカギとなるのだ。競り合っての終盤勝負ではなく、先発投手がどこまで序盤を持ちこたえて打線が早くから援護できるかが、今年のシリーズの一番のポイントなのである。

 だが、この日の館山はベテランらしからぬピッチングであっさりとソフトバンクに先制点を許し、主導権を渡してしまった。

 館山の最大の持ち味は、状況によって大胆さと繊細さを出し入れできる狡猾さにあると思う。

 初回、先頭打者の福田秀平にいきなり四球を許した。その瞬間に、以前に館山が語っていたこんな話を思い出した。

 「序盤は先に点をやりたくないので、フォアボールを出しても甘い球を投げないように気をつけている」

四球の後に粘れるか、という分岐点。

 普通なら一番、気をつけるはずの四球を、むしろ自分の逃げ場としながら1球の失投も許さないぐらいの繊細さで相手打者に対していくということだ。1つの四球を許しても、絶対にムダな一発は与えない。いわゆるムダな四球でなければ、そういう意思の込もった四球ならば、走者を出しても何とも思わない。

 そういう大胆さが、このベテラン投手の持ち味のはずだった。

 この試合でも福田に続き、1死から一発のある柳田悠岐にも四球を与えて一、二塁となった。いつもなら実はここまでも、最悪のケースとしての想定内だったかもしれない。

 ただ一つ、この日の館山がいつもと違ったとすれば、四球の後の投球内容だった。いつもは走者を背負っても、そこで切り替えて今度は大胆に次の打者を打ち取るのが館山流のはずだが、この試合ではあまりにあっさりと4番の李大浩に先制打を許してしまった。

 1ボール1ストライクからの145キロのストレートが、シュート回転して真ん中に入っていった。強烈な打球が遊撃手今浪隆博グラブを弾いて先制打となった。

 「フォアボールが多すぎた……。フォアボールの後に粘れなかったのがすべてですね」

 館山自身がこう語るように、3回も先頭の福田の安打から2四球で満塁として再び李に3点二塁打を浴びている。これまた真っ直ぐがシュート回転して甘く入った。意思を失った、打たれるべくして打たれたボールだった。

歩かせるにしても、次への布石にするしたたかさ。

 一方で同じように初回に四球を出しながらも、その後をきちっと断つことで自分のリズムを作り、試合を作ったのが、ソフトバンクの先発を任されたベテランの攝津正だった。

 1回2死から打席は山田哲人。おそらく攝津も四球を逃げ場として、失投を避けながら山田に立ち向かったはずだ。

 全6球のうち真っ直ぐは1球で、3球がカーブで2球がシンカー。結果的にこの打席で攝津は山田を歩かせることになるが、これも計算の中だったはずだ。しかもこの四球を利用しながら山田にカーブの残像を植えつけて、その後の打席を封じていった。このことはスポーツ紙等で多くの評論家が詳しく論じている部分である。

畠山も、カーブを刷りこまれていた。

 ただここで、館山と攝津の明暗を分けたのは、攝津が四球のあとの畠山和洋をきっちり抑え込んでいることである。

 攝津と細川亨バッテリーは、畠山の全4球は初球のシンカー以外は全部ストレートで力勝負をしている。ネクストバッターズサークルで山田の配球を見ている畠山の頭にも、もちろんカーブの意識は植え込まれている。それを利用して今度は真っ直ぐで押し切り、後続をしっかりと断つことができている。

 山田への四球は、決してムダではなかったということである。

第5戦、ベテラン石川は先制点を防げるか。

 大きな試合になればなるほど、投手安打を怖がり四球を許し、四球を怖がり一発を浴びる危険をはらむ。ただ、館山や攝津のようなベテラン投手は、そういう心理を逆手に取りながら大胆に歩かせ、細心に内懐を攻める幅がある。

 だからこそ大試合に強いと言われるはずで、その真骨頂を見せたのが攝津だった。そしてこの日の館山には、その大胆で繊細な心を支える肝心の制球力がなかったということだろう。

 王手のかかった第5戦。ソフトバンクスタンリッジヤクルトは第1戦から中4日となる石川の先発が予想される。

 後がなくなったヤクルトは、このベテラン左腕がいかに大胆さと繊細さを織り込んだピッチングで先に点をやらないか。シリーズの行方は、まずその立ち上がりにかかるような気がする。

(「プロ野球亭日乗」鷲田康 = 文)

シリーズ第4戦はもちろん、レギュラーシーズンでも館山は与四球が多かった。故障前の全盛時からはほど遠い投球だった。館山がたまに「攻めに行く」と、たとえばマジック「1」で迎えた神宮球場での対広島戦で畠山のソロ本塁打で先制点をもらった直後の投球がそうだったが、途端に打ち込まれてしまう。館山自身、普段から「ほめられた投球ではない」と言っていたが、嫌な打者には四球を出しながら打ち取りやすい打者を抑えていくのが今年の彼の投球術だった。そして投球が頼りない分を、自ら3ランホームランを打ってカバーしたりもした(8月末の阪神戦甲子園)。だがソフトバンク李大浩が打ち取りやすい打者であろうはずもなく、案の定全く通用しなかった。昨年の日本シリーズでも李大浩阪神能見篤史からホームランを打つなど活躍したが、第2戦と第5戦で先制2ランを打った今年の活躍は、明らかに去年以上だった。そして今年のヤクルト投手陣は、明らかに昨年の阪神投手陣よりも劣った。

今年の日本シリーズは、第5戦のヤクルト先発・石川が、序盤3イニングは好投しながら(3回は三者連続三振だった)、4回表に李大浩に先制2ランを打たれた時点で決着がついた。

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