kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「維新」と「御一新」 - 民主・維新の合流政党名について

80年 - Living, Loving, Thinking, Again(2016年2月25日)より

平成の御世に「維新」を喚いていた某政党が解党するらしいね。大阪の方ではまだあるのか。


2.26事件の犯人だった青年将校どもが「昭和維新」を名乗って凶行を起こしてから80年。その後も「維新」を名乗る勢力には一定の傾向があった。大前研一の「平成維新の会」、橋下徹松井一郎の「大阪維新の会」、橋下と石原慎太郎が野合して作った「日本維新の会」、それから石原系と再分裂してできた「維新の党」、さらにそこか橋下系が分かれてできた国政政党「おおさか維新の会」などなど。そのすべてに共通するのが「改革」を合言葉とする強い新自由主義的性格であり、強弱は政治勢力によって様々だが右翼的な性格も兼ね備える。解党が決まった「維新の党」は、右翼色こそ石原系や橋下系ほど強くないものの、しばき主義の新自由主義的性格にかけては橋下系に一歩も引けをとらない。

さらに言えることは、大前研一を除いて、それより後にできた「維新」政党は、そのすべてに橋下徹という共通項がある。橋下系が抜けた後の維新は違うぞ、と言う人もいるかもしれないが、党首の松野頼久が発した橋下に未練たらたらの言葉に呆れ返った人間はすくなくあるまい。もちろん私のその一人だ。

現「維新の党」は、「維新」の党名を今年5月までに返上することで大阪側と合意した。このことは昨年12月に書いた。

それをしつこく覚えている私が不思議でならなかったのは、維新の党の連中が民主党との合流に当たって、党名の変更をしきりに求めていることだった。なぜって、橋下の人気をあてにして泥舟(民主党)から逃げ出した連中が集まった政党から橋下が抜けた後、「維新」の党名を橋下一派に返上することが決まっているのに、彼らはいったいどういう政党名を求めているのか、私にはさっぱり見当がつかなかったからだ。

とはいえ、民主と維新の合流に何も期待しない私の関心は高くなかったから、まあいいか、と何も書かずにいたのだが、下記ブログ記事を読んでもの申さずにはいられなくなった。

民主と維新が合流へ~現代表の主導権キープを望む&新党名に一新民主は? : 日本がアブナイ!(2016年2月25日)より

(前略)
もし党名を変更するなら、とりあえず「一新民主党」にすることを提案したい。
(中略)
民主党じゃベタ過ぎるし。立憲民主党は、個人的には嫌いじゃないけど、ちょっと堅い感じがしません?(~_~;)

 でもって、党名を変えたい人は、民主党側も維新側も「イメージを一新したい」と主張してるし。それに「維新」と「一新」は音が似てるので、「維新民主党」・・・「いっしん民主党」・・・「一新民主党」って感じで、どうかな〜と考えたのだけど。「一心太助」っぽい響きがあるし。チョット発想が安易過ぎるかしらん?(@@)
(後略)


いや、そのネーミングは最悪だ。私が「一新民主党」の名前から連想するのは「一心太助」なんかじゃない。明治維新を東京の庶民が指して言った「御一新」という言葉だ。

失礼ながら、ブログ主は明治時代の小説にあまり馴染みがないと見受けられる。明治時代の東京の庶民は、明治維新のことを「御一新」と呼んでいた。「御一新」は当時の小説の頻出語だ。ちょっとググっただけでも、島崎藤村『夜明け前』に出てくる*1また、夏目漱石の『それから』には、「御維新」の漢字に「ごゐっしん」とのルビが振られている*2。大正時代に下っても、芥川龍之介の『雛』に「御一新」の用法がある*3

つまり、明治や大正の庶民にとっては「一新」=「維新」だったのだ。これがなぜ問題かといえば、「維新」の名称を大阪(橋下)に返上しながら「一新」を名乗ることは大阪(橋下)との信義にもとることになるからだ。しかも「一新」が「民主」よりも前に来るのだから、大喜びするのは現「維新の党」の議員だけであって、現民主党の議員にとっても「おおさか維新の会」の議員にとっても不快に違いない名称だと言えるのではないか。

しかも、「一新」と言えば小沢一郎グループの看板名でもある(一新会日本一新の会など)。これも小沢一郎明治維新を意識していることの反映ではないかと私は疑っているのだが、こちらの方は、岡田克也が「他の野党」の新党への合流を呼びかけていることからクリアされる可能性がある。

民維合流:岡田代表「2党が軸に、他の野党も参加を」 - 毎日新聞

民維合流
岡田代表「2党が軸に、他の野党も参加を」

毎日新聞 2016年2月24日 21時49分(最終更新 2月24日 21時56分)

結集呼びかけ 無所属議員らが念頭

 民主党は24日、臨時の常任幹事会を開き、維新の党との合流を承認した。両党はまた、3月の合流時に他の野党にも結集を呼びかける方針を固めた。民主党岡田克也代表は東京都内の講演で「2党が軸になり、政策が一致する他の野党も加わってもらい、巨大与党に対抗したい」と述べ、幅広い野党結集を目指す考えを強調した。

 両党が他の野党にも結集を呼びかけるのは、夏の参院選に向けて「自民1強」を崩すためだ。生活の党や社民党、野党系の無所属議員らが念頭にある。また与党の「維新議員の多くは民主離党組の出戻り」との批判に対抗する狙いもあり、維新の参院議員5人も同日、幅広い野党結集に向けた環境整備を求める意見書を発表した。

 一方、両党は参院選後に新党の代表選を実施する方針を決めた。参院選前に実施すれば、党内対立や混乱を招きかねないと判断した。それまでは岡田氏が暫定的に党首を務める。

 岡田氏は常任幹事会で、「新党結成時に党員を募集するため、代表選は参院選後になる。参院選で結果を出すのが私の責任だ」と述べ、参院選の勝利に全力を挙げる考えを示した。維新の党の松野頼久代表も党会合で「新しい党員を集める作業には一定の時間がかかる。参院選後、できる限り速やかに代表選を行う」と理解を求めた。

 ただ、両党が同日開いた会合では、合流方針への不満や、早期の代表選の実施要求が相次いだ。民主党では党名変更などに慎重論が強く、寺田学衆院議員はこれを不満として広報委員長の辞表を提出。今後調整が難航する可能性がある。

 維新の党は26日にも合流を了承する手続きを終える見通しで、両党は同日中にも党首会談を開いて正式合意する。【松本晃】


既に小沢一郎は2014年の衆院選前に鈴木克昌小宮山泰子の両議員を民主党に移籍させ、議席獲得をもぎとっている。小沢自身(や山本太郎)が新党に加わるかはともかく、生活の党からも新党に合流する議員が現れても不思議はない。また、現党首(吉田忠智)が参院選の落選濃厚と噂される社民党の動向も注目される。

私自身は、同じブログの下記コメントの意見に同感なのだが。

http://mewrun7.exblog.jp/23651467/

Commented by 東松 at 2016-02-26 16:42 x
泡沫政党との合併のために、過去20年歩んできた歴史をかなぐり捨てて党名変更など、労多い割りに効果は怪しく、短期的には馬鹿げた話だと思いますが、中長期的に見ると、自民党の受け皿としての新・民主党(?)が、いよいよタカ派新自由主義的な色彩を帯びた「改革政党」になるだろうという意味で、日本の政治に結構大きなインパクトをもたらすものになるかもしれません。要するに民主党が選んだのは、小泉・橋下路線ということなのでしょう。今後は民主党の中でも、そうした人の存在感が大きくなるでしょうから。選挙区レベルでは、この路線を共産党が事実上支援することになるというのも大きいです。多くの選挙区で、TPP、消費税・緊縮財政、辺野古移転、自衛隊の海外派兵、憲法改正…などに反対の人が投票する候補が、事実上いなくなるということになります。


新党の綱領作成に携わるのは、なんと民主党解体を声高に主張し続けていた細野豪志だという。新党の前途は「お先真っ暗」だとしか私には思われない。

なお、新党の名称は、僭称になるとは思うが、前記のブログ主が否定的な「立憲民主党」が良いと思う。なぜなら政権回復後の自民党では「立憲主義とは耳慣れない言葉だ」という言説がまかり通り、それに対して野党各党は立憲主義をタテにとって昨年の安保法案に反対してきたからだ。筋を通すなら新党名は「立憲民主党」くらいしか思い浮かばない。民主党の出した安保法の対案(長島昭久が中心になってまとめたらしい)が駆けつけ警護を認めているなど、現時点で既に維新の党のみならず民主党自体が「反立憲主義」的な政党である疑いが濃厚だが。前にも書いた通り看板に「立憲」を掲げればひょうたんから駒で政党の性質が変わるかもしれない。いや、「自由民主党」の実態をみれば非現実的な願望なのかもしれないが。