kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

現天皇を「非常に厳しい状況下に置」いた「重い殯(もがり)」とは

天皇のビデオメッセージについては、正直言ってあまり書きたくはなく、書こうかどうか少し迷ったが、やはり書いた方が良いと思い、記事を公開することにする。

今回の天皇のメッセージで印象に残ったのは下記のくだりだ。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

この中で、特に「重い殯」という言葉が耳を引いた。そこでネット検索して、下記の記事を見つけた。

http://query700.hatenablog.com/entry/160808_mogari(2016年8月8日)より

殯(もがり)の驚きのしきたり

この殯(もがり)、wikipediaで調べるとすぐにでてきます。
ネットってすごい。でも読むと驚きます。

殯(もがり)とは、日本の古代に行われていた葬儀儀礼で、死者を本葬するまでのかなり長い期間、棺に遺体を仮安置し、別れを惜しみ、死者の霊魂を畏れ、かつ慰め、死者の復活を願いつつも遺体の腐敗・白骨化などの物理的変化を確認することにより、死者の最終的な「死」を確認すること。

  出典:殯 - Wikipedia


読むとわかりますが、亡くなった後、遺体をかなり長い間、置いておく。
安置と言えば言葉はよいですが、これを読む限り遺体が腐敗して白骨化するまで、埋葬せずに置いておく、というわけです。

・・・なんでまた??

要は、死を悼み、別れを惜しみ、復活を祈念する期間。
で、遺体がもうどうしようもない状態になってはじめて、本埋葬をする。

この間の期間をどうやら殯(もがり)というらしい。

これは確かに厳しいし、残された遺族にとっては、現代の感覚で言えば酷いことこの上無し、という感じがしますよね。


また、殯に長い期間をかけるの理由としては、上とは別の説明の仕方もあるようです。

昔は亡くなった人が怨霊になることをたいへん恐れていた。
それで、そうならないように霊魂を慰めつつ、復活しないことを完全に確認する、という意味合いもあったらしい・・・。

同じ長い期間をかけていても、一方では復活を願い、もう一方では復活しないことを確認する、という具合に正反対。
実際には死を恐れる心の裏表という感じで、双方の意味合いが複雑に絡んでいたのかも知れません。

単刀直入に書くと、現天皇は、1989年に自身が体験したこんな儀式が嫌で嫌でたまらなかったということだ。さらに言えば、自分が死んだあとの死体がそんな目に遭わされるのも嫌だ、さっさと葬ってくれという気持ちもあるだろう。

以下少し追記しておく。

この記事で引用したブログ記事に書かれた殯の記述に関して、『きまぐれな日々』へのコメント*1で教えていただいたところによると、作家の中沢けい氏が「殯は決して白骨になるのを見守る儀式ではありません」「遺体の防腐処理がされる」等の指摘をしているとのことだが、死体が腐乱して猛烈な悪臭を発するのを何もしないで放置するとは信じ難いとは私も思っていた。ただ、遺体の防腐処理云々はともかく、天皇自身が「重い殯」と、誰が聞いてもネガティブな意味合いを込めているとしか思えないであろう強い表現をしていることが、ここでの論点だ。


もちろん、(昭和)天皇の死に先立つ「自粛騒動」についても、自分が死ぬ時にはそんなことをやってくれるな、という思いが強いに違いない。

要するに、天皇は1988年から1990年にかけて体験した父の死と自らの即位の前後の日々を苦々しく思いつつ、80歳を過ぎても天皇を辞められないなんて真っ平御免だと思っている、といったところが本音なのではないか。

このビデオメッセージが発表される数日前、右翼月刊誌が一斉に発売されたのでちらっと眺めてみたが、右翼の論客は一様に天皇生前退位に否定的だった。

つまり、上記の儀式類なども含めて、下々の手の届かない存在としての天皇(制)、それは今回のビデオメッセージで明らかになったように、象徴天皇制の現在もその性格があると言わざるを得ないのだが、それをさらに強化し、明治憲法時代のような「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の時代に戻したいという意図を彼らは持っている。もちろん、神聖不可侵の天皇の名のもとに自分たちが好き勝手をしたいがための彼らの野望である。天皇生前退位の意向はそんな彼らにとって迷惑以外のなにものでもなかったということだ。

天皇制が差別の根源になっている等の問題は確かにあるが、そうは言っても現に天皇制は存在し、生身の人間が天皇を務めている。死ぬまで退位できず、自らの死の前後には思い出したくもないような儀式や国民の「自粛」が繰り返される。そんなのは嫌だ、止めてほしいという生身の人間の訴えとして、白状するが多少心を動かされたのだった。

極右メディアである産経は、早速こんな世論調査を発表しやがった。

【産経・FNN世論調査】天皇陛下の生前退位「制度改正急ぐべき」70・7% 「必要なら憲法改正してもよい」84・7% - 産経ニュース

2016.8.8 12:15更新
【産経・FNN世論調査
天皇陛下生前退位「制度改正急ぐべき」70・7% 「必要なら憲法改正してもよい」84・7%

 6、7両日に実施した産経新聞社とFNN(フジニュースネットワーク)の合同世論調査で、天皇陛下天皇の位を生前に皇太子さまに譲る「生前退位」について、政府がどう対応すべきか尋ねたところ、「生前退位が可能となるように制度改正を急ぐべきだ」と答えた人が70・7%に達し、「慎重に対応すべきだ」の27・0%を大きく上回った。

 また、「生前退位」が可能となるように「憲法を改正してもよい」と思う人は84・7%に達した。「思わない」と答えた人は11・0%にとどまった。

生前退位をするためには憲法改正が必要」などと言っているのは右翼だけだ。何より、産経とFNNのこの世論調査は、天皇に対する嫌がらせとしか私には思えなかった。もちろん、悪質な「天皇の政治利用」でもあることはいうまでもない。右翼とは、かくも下劣な存在なのである。

私は、長期的には天皇制はなくした方が良いと思うが、そうはいってもそれが国民の総意となる日が近いとは思われない一方で、生身の人間が天皇を務めている以上、天皇の人権も考慮し、天皇の定年制を(たとえば80歳)を皇室典範で定めてはどうかと思う。80歳では高齢に過ぎるというなら、次の天皇からは75歳あるいは70歳くらいで退位するようにしても良いかもしれない。

退位の年齢を定めてしまえば、天皇の恣意によって退位の時期を決められてしまう弊害もなくせると思うのである。