http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1492.html#comment21106
最近、広原盛明さんのところで、民主集中制原則の共産党と小選挙区制下の自民党の政党文化が似て来たという議論が出ているんだけど、沖縄の政治動向などをみると「地方の顔」を議会に送り出すということもやはり否定出来ない課題なんだなと痛感しますよ。そして、多党制的統一戦線による政治の変革というのも避けて通れないだろうな、と。
その点から考えると、比例代表制であっても、名簿順位の決定をめぐって幹部専制を招く可能性を排除出来ない拘束名簿方式の比例代表には危惧を抱かざるを得ませんね。政党政治が「原則」であっても、候補者個人が埋没してしまう選挙制度や地方の声が活きない比例制度では政党ごとの全体主義(=幹部専制)は防げないでしょうからね。
一口に比例代表制と括ってみても、細部は案外難しい。
そして、そこからは、インターナショナリズムへの疑念も現れて来る。そう、インターナショナリズムではなく、インターリージョナリズムがより正しいのではないか?という疑念です。
統一市場の形成要求を動機としたマルクスの国民国家成立論も、レーニン的な帝国主義=国家独占資本主義の支配が過去のものになりつつあるポストインダストリアル資本主義の到来で、見直さなければならないかもしれません。民族自決至上主義でもインターナショナリズムでもない、インターリージョナリズムの正当性の問題として。
また、そういう展望を掲げた方が、カタルーニャやスコットランド、香港・台湾などで近年生まれている、エゴイスティックで自地域利益中心的な独立志向も防げるのかもしれません。
ま、「愛国心」なんていう大言壮語で自慰に耽っている連中も、しょせんその情緒的正体は郷土愛でしかないんでしょうからね。
2017.11.09 11:48 バッジ@ネオ・トロツキスト
「広原盛明のつれづれ日記」のコメント欄は、先週の週末だったかにみつけて興味深く読んでいました。「立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか」と題された3件のエントリですね。
- 「神さま、仏さま、前原・小池さま」のお陰で自民が圧勝した、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(1)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その88) - 広原盛明のつれづれ日記(2017年10月23日)
- 若者に支持されない政党には未来がない、体質改善できない政党は生物学的法則で淘汰される、立憲民主を軸とした新野党共闘は成立するか(3)、改憲派「3分の2」時代を迎えて(その90) - 広原盛明のつれづれ日記(2017年11月4日)
余談を最初に書いておくと、出し抜けにこの日記へのコメントに言及された方がいて、一瞬ぎくっとしてしまいましたが。
http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20171029/1509273970#c1509501265
⚪kojitaken氏のブログに要旨次のようなコメントが寄せられていた。
⚪日本共産党には派閥も無ければ、党内民主主義も無い。小池の党より酷い。九州である地方議員が除名されたが、その除名はおかしいと言った議員も除名された。地方紙はそれを伝えたが、全国的には知られていない。こんな党に心酔して投票する老人がいるから恐ろしい。
それはともかく、「民主集中制原則の共産党と小選挙区制下の自民党の政党文化が似て来た」というのは、それもそうかなあと。安倍晋三と野坂参三の類似点なども、名前の最後が「三」である以外にもいろいろあるんじゃないかなあ、などと余計なことも思いました。コメントをいくつか拾うととこんなところでしょうか。
http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20171104/1509743206#c1510105854
hkawai69 2017/11/08 10:50
⚪自民党は「始めに政治家ありき。」だと言える。それに対して共産党は「始めに政党ありき。」である。そこから両党の「文化」の違いが生まれる。「文化」だから「異文化」に馴染めない人がいるのは理解できる。所が面白い事に近年この両党の「文化」の違いは無くなりつつある。
⚪それは自民党が共産党に近付きつつあるからである。勿論その目指す方向は正反対である。では、何故そのような事が起こっているのかと言えば、原因は「政党本位の選挙」である。
⚪勿論今でも「人」は大事な要素だが、政党の公認を得ないと当選は難しい。逆に政党の公認があればどんな候補でも当選する。また、比例代表制だと名簿上位に位置付けられれば誰でも当選する。
⚪こういう選挙制度の下では、党執行部、党幹部の権力は絶大なものになる。そして与党議員は全員首相の子分になってしまう。これは党の「文化」とは関係なく起こる問題である。(後略)
http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20171104#c1510120700
バッジ@ネオ・トロツキスト 2017/11/08 14:58
(前略)
>近年この両党の「文化」の違いは無くなりつつある。⚪それは自民党が共産党に近付きつつあるからである。・・・・・・何故そのような事が起こっているのかと言えば、原因は「政党本位の選挙」である。・・・・・・これは党の「文化」とは関係なく起こる問題である。
「政党本位」というより、候補者人事における幹部独裁と言った方がより正確ではないでしょうか?
自民党も共産党も候補者の最終決定権は同じように党幹部(=総裁や委員長)が握っています。だから、「これは党の『文化』とは関係なく起こる問題である。」ではなく、自民と共産が政党的文化で同化した、ということだと思います。人事件の中央集権化です。
http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20171104#c1510120700
さ水垂れ 2017/11/08 17:49
(前略)
自民党と共産党が似てきているとあった。
どちらも、結党から長い。戦後に再建されたのだから、日本共産党も自民党と期間はそんなに違わない。党の官僚制が固まってきているのではないか。それに加えて、たまに例外があるにしても、自民党については、国・自治体の官僚制も支えていることも忘れられない。(後略)
で、ここからが本題になるはずだったんですが、時間が来てしまいました。
比例代表制であっても、名簿順位の決定をめぐって幹部専制を招く可能性を排除出来ない拘束名簿方式の比例代表には危惧を抱かざるを得ませんね。
とのご指摘は私もごもっともだと思います。現に、希望の党の近畿や九州などの比例ブロックで小池百合子が派手にやらかしましたし。
で、もともとは2005年の郵政総選挙に自民党公認で初当選し、その後みんなの党に移り、さらに同党の解党後は民主党に移り、2014年衆院選に落選から3年、希望の党の公認を「嫌々ながら」申請したものの、なんと同じ希望の党内から刺客を送られそうになったのに怒って立憲民主党に移ったために運が向いてきて衆議院議員に返り咲いた山内康一という衆院議員が、かつてみんなの党の「一人一票比例代表制」を唱えていたことを思い出してちょっと調べものをしていたところ、時間が来てしまった次第。
続きの本論の部分は明朝にでも書きます。