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kojitakenの日記

2017-02-14 北朝鮮、金正男を毒殺か

北朝鮮、金正男を毒殺か

金正恩の異母兄、金正男北朝鮮に毒殺された模様。

北朝鮮の金正男氏 マレーシアで殺害か=暗殺の可能性も-Chosun online 朝鮮日報

記事入力 : 2017/02/14 20:57

北朝鮮金正男氏 マレーシアで殺害か=暗殺の可能性も

ソウル聯合ニュース】故金正日キム・ジョンイル総書記の長男、正男(ジョンナム)氏が13日午前、マレーシアで殺害されたもようだ。韓国政府消息筋は14日、伝えた。正男氏は金正恩キム・ジョンウン朝鮮労働党委員長の腹違いの兄に当たる。

 一時、正日氏の後継者として有力視されていた正男氏は2001年に偽造パスポートで日本に入国しようとして摘発され、その後は後継者争いから外れ、マカオ中国などで生活していた。

 正男氏は2001年5月に息子と2人の女性を同行し、偽造パスポート成田空港から日本に入国しようとしたが、逮捕され追放された。

 金正恩政権が発足してからは北朝鮮世襲体制を強く批判しており、正恩氏が自身の偶像化の障害となる兄を暗殺した可能性があるとの指摘も出ている。

 韓国外交部は正男氏の殺害について、「確認することはできない」とコメントした。

聯合ニュース

いやあ、すごい国だね、やっぱり。これが独裁者の狂気か。

2017-02-13 上野千鶴子の「平等に貧しくなろう」(中日・東京新聞)に激怒した

上野千鶴子の「平等に貧しくなろう」(中日新聞・東京新聞)に激怒した

なんだかんだ言って結局は富裕層の人間の言いそうなことだと思った。

東京新聞:この国のかたち 3人の論者に聞く:考える広場(TOKYO Web) より

 きょうは、建国記念の日二十世紀終盤、司馬遼太郎は著書『この国のかたち』で「日本、そして日本人とは何か」を問い続けた。二十一世紀の今、三人の論者に歌い、語ってもらった。

 <建国記念の日> 古事記日本書紀で初代天皇とされる神武天皇即位日は紀元前660年1月1日(旧暦)とあり、これを1873(明治6)年に新暦に換算し2月11日が「紀元節」と定められた。第2次大戦後の1948(昭和23)年に占領軍意向で廃止されたが、66(昭和41)年に「建国記念の日」として国民の祝日になった。

1966年に祝日として制定され、翌1967年2月11日が最初の「建国記念の日」の祝日になった。それから今年でまる50年になる。中日新聞東京新聞はわざわざその来歴を明記しながら、別にその(安倍晋三らが大好きであろう)復古主義批判するわけでもなく、「三人の論者に歌い、語ってもらった」という。なんて能天気な新聞なんだろうかと呆れるが、そんなのに出てくる論者も論者だ。3人目のデービッド・アトキンソンという人は、長谷川幸洋孫崎享と同じ「山本七平賞」受賞者だからまだわかるけれども、言葉の中身についていえばその後金尊師もといアトキンソン氏より「マルクス主義フェミニズム」論で知られる上野千鶴子の方がよほど腹立たしいのだから処置なしである。

◆平等に貧しくなろう 社会学者東京大名誉教授 上野千鶴子さん

 日本は今、転機だと思います。最大の要因は人口構造の変化です。安倍(晋三)さんは人口一億人規模の維持、希望出生率一・八の実現を言いますが、社会学的にみるとあらゆるエビデンス(証拠)がそれは不可能と告げています。

 人口を維持する方法は二つあります。一つは自然増で、もう一つは社会増。自然増はもう見込めません。泣いてもわめいても子どもは増えません。人口を維持するには社会増しかない、つまり移民の受け入れです。

 日本はこの先どうするのか。移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。どちらかを選ぶ分岐点に立たされています。

 移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。

客観的には、日本は労働開国にかじを切ろうとしたさなかに世界的な排外主義の波にぶつかってしまった。大量の移民の受け入れなど不可能です。

 主観的な観測としては、移民は日本にとってツケが大き過ぎる。トランプ米大統領は「アメリカ・ファースト」と言いましたが、日本は「ニッポン・オンリー」の国。単一民族神話が信じられてきた。日本人は多文化共生に耐えられないでしょう。

 だとしたら、日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。一億人維持とか、国内総生産(GDP)六百兆円とかの妄想は捨てて、現実に向き合う。ただ、上り坂より下り坂は難しい。どう犠牲者を出さずに軟着陸するか。日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。

 日本の希望はNPOなどの「協」セクターにあると思っています。NPOはさまざまな分野で問題解決事業モデルをつくってきました。私は「制度を動かすのは人」が持論ですが、人材が育ってきています。

 「国のかたち」を問う憲法改正論議についても、私はあまり心配していない。国会前のデモを通じて立憲主義の理解が広がりました。日本の市民社会はそれだけの厚みを持ってきています。

 (聞き手・大森雅弥)

 <うえの・ちづこ> 1948年、富山県生まれ。認定NPO法人「ウィメンズ アクション ネットワーク」理事長。『ケアの社会学』『おひとりさまの老後』など著書多数。近著は『時局発言!』(WAVE出版)。

東京新聞 2017年2月11日=中日新聞にも同じ記事を掲載)

ここでは移民政策の是非については論じない。ひたすら「平等に貧しくなろう」のスローガン批判に徹する。何よりこのフレーズが腹立たしいからだ。

スローガン? そうだ。

上野千鶴子がこういう発言をして、中日新聞東京新聞)が「平等に貧しくなろう」という見出しを掲げた時、それはスローガンとなる。私が直ちに連想するのは「欲しがりません、勝つまでは」というやつだ。いくら上野

国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。

と、そこだけを切り取ればまともなこと「も」言っていても、そんな部分は捨象され、スローガンが独り歩きする。

この手の論が出る度に書くことだが、パイが小さくなる時に「平等に貧しく」なることなどあり得ない。富裕層の人間は社会的・政治的な力が強いので、自分の取り分を守ろうとしゃかりきになる。そのしわ寄せは必ずや貧しい者に行く。それが人間心理の法則だ。

上野千鶴子は間違いなく富裕層に属する人間であろう。そういう人間が、社の新自由主義記者が引き起こした不祥事に揺れる新聞社の「建国記念の日」のための特集に不用意なコメントをして、新聞社は「平等に貧しくなろう」を見出しに掲げる。

そんなことを言うならまず上野千鶴子が自らの資産の大半を寄付なりして貧しくなり(「まず隗より始めよ」というやつだ)、周囲の富裕層の人間にも同じことを薦めてそれを行わせ、そのあとで言うべきだろう。上野の言葉はまず富裕層に向かって発するべき言葉だ。そんなこともせずに大所高所からお説教を垂れる。ふざけるな。猛烈に腹が立つ。

これぞ上野千鶴子クォリティ、これぞ中日新聞東京新聞クォリティというべきであろう。

2017-02-12 長谷川幸洋と小池百合子

長谷川幸洋と小池百合子

これはすっきりして胸にストンと落ちる指摘だ。非常によく納得できる。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170211/1486773421#c1486862456

id:mtcedar 2017/02/12 10:20

高橋洋一長谷川幸洋田中秀臣に上念司といった“りふれは”の面子って、金融政策には積極的だけど一方で財政政策は否定的・況や社会政策をやという具合で、実のところ財政タカ派”・“金融右派”ともニュークラシカルな側面が強いとこで共通しているんですよね。リテラ長谷川幸洋を取り上げた記事にもその点で自分は違和感を感じ、処世術的に機会主義の様に見えてもニュークラシカルの市場原理主義を奉じているところでは一貫している(それは中日新聞東京新聞の“社論”だったりする)んじゃないかと自分には思えます。

青字ボールドにした部分は、常日頃というか深夜目が覚めて朝生高橋洋一金融政策が以下に効くかを力説していたおよそ10年前(当時は長谷川幸洋田中秀臣、上念司らの名前は知りませんでしたが)から思っていたことです。それは先日、リフレ派が新自由主義者であるとは限らないが、新自由主義的なリフレ派(「りふれは」)ならいる、長谷川幸洋はその一人だ、と書いた通りです。

今回、「すっきりして胸にストンと落ちる指摘だ。非常によく納得できる」と思ったのは、赤字ボールドにした部分、特にその後半でした。

私が東京新聞に疑問を持つようになったのは、同紙が日本未来の党応援を社論としたことがきっかけです。これには同党が事実上小沢一郎政党であったという属人的な理由があることは否定しませんが、それ以上に、当時小沢一郎が口癖のように「私の考えは橋下市長と同じだ」と言っていたことに一切触れずに東京新聞日本未来の党応援したことに強くひっかかったのでした。つまり、東京新聞脱原発派のためなら新自由主義政党(党首の考えが橋下徹と同じであるなら、当然そのように断定せざるを得ません)を応援するということだな。そう思って同紙に対して強い不信感を持ったのでした。

そして、「処世術的に機会主義の様に見えてもニュークラシカルの市場原理主義を奉じているところでは一貫している」という指摘で直ちに思い出されたのが、小池百合子に関する『広島瀬戸内新聞ニュース』の指摘でした。東京都知事選より前の昨年7月6日の記事です。

「劣化ウランより硬い新自由主義」の小池百合子さんを「信念がない」といったら失礼だろう : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)2016年7月6日)

小池百合子さんについて、「信念がない」という批判は多い。

しかし、わたしが見るところ、小池さんは鉄よりも硬い劣化ウランのような信念をお持ちです。

彼女はがちがちのポストモダンに流行した改革右派新自由主義者です。

自民党経済政策では右から批判する一方、腐敗防止には熱心なタイプです。

細川さん、小沢さん小泉さん師匠を変えたのも、「そのときそのときで、もっとも信念に近い政党師匠を選んだ」だけのことです。

小池さんがぶれたのではなく、むしろ他の政党や大物政治家が結構スタンスを変えている傾向があります。小沢さんも、2003年の民主党入党以降は横路グループと連携し、社民主義護憲寄りにスタンスを変えて現在に至っています。

一方で、2001年に自民党総裁になった小泉さん新自由主義を打ち出した。こうしたことを背景に、小池さんが小泉自民党へ行ったことは不思議ではないのです。


最近では安倍さんが率いる自民党新自由主義と言うよりは国家社会主義になってきたので、違和感を覚えたのではないか?


それで、都知事になって、1990年代頃にはやった新自由主義的な改革を都政でガンガンやろうということだと思いますよ。

小池さんは信念がない、と言う批判の仕方をすると、相手を見くびることになります。彼女は確固たる新自由主義である。


そういう相手に対して、野党側は、「古い自民党」の安倍(傀儡候補)でもない、「新自由主義ゴリゴリ」の小池でもない、第三の道をしっかり示していくことです。

そうだ。長谷川幸洋小池百合子も「新自由主義ゴリゴリ」の部分では共通している。それどころか極右という点でも共通している。違うのは、「リフレ派(りふれは)」であるかどうかだけじゃないか。小池百合子高橋洋一なり長谷川幸洋なりの教えを受けて「リフレ派(りふれは)」になれば、彼らは何から何まで同じの「なかまたち」になる。そう思いました。

長谷川幸洋をもうしばらくの間(3月いっぱい?)は「論説副主幹」として飼い続けるであろう東京新聞は、昨年秋だったかの「こちら特報部」に、小池百合子への期待全開・批判皆無の記事を載せたことをこの日記にいただいたコメントで知りました。

今のところ確認できている長谷川幸洋東京新聞紙上に署名入りで書いた最後の記事(下記)は象徴的だと思います。

東京新聞:正念場を迎える小池改革:私説・論説室から(TOKYO Web)

【私説・論説室から】

正念場を迎える小池改革

2017年1月16日

 夏の都議選小池百合子都知事はどう戦うのか。知事は独自候補の擁立に向けて準備を進める一方、民進党は連携のラブコールを送っている。私はずばり言って「民進と手を組めば、小池改革は失速」とみる。

 その理由は民進が都政改革に熱心とは思えないからだ。改革とは何か。都政でも国政でも同じだが「行政の無駄遣いや非効率を改める」ことだ。具体的には、都が抱える多くの関連団体の整理統合・縮小と、それに伴う都職員天下り縮減である。

 たとえば、東京になぜ地下鉄が二つもあるのか。利用者からみれば、東京メトロ都営地下鉄が一本化し組織がスリムになって、料金が下がり便利になれば言うことはない。

 だが、都職員を含めた労働組合の支持を受ける民進党天下り縮減の改革を進められるか、おおいに疑問がある。組織が整理統合されれば、ポストが減ってしまうからだ。

 いま小池知事が手掛けている仕事も改革というより、実態は「改善」に近い。都の交通局が都政改革本部に提出した資料をみても「お客さまの声をホームページに掲載する」とか「デジタル案内板を見やすくする」など、お手軽な改善案ばかりである。

 役人任せでは大胆な制度改革はできない。民進と手を組むようなら、なおさらだろう。都議選でどれだけ自前の政治勢力を確保できるか。正念場を迎える。(長谷川幸洋

言い訳がましく「私説」などと逃げ道を作ってはありますが、これぞ「新自由主義者の、新自由主義者による、新自由主義者のための論説」といえるでしょう。

なるほど、だから昔から長谷川幸洋に対する「リベラル左派」の批判が弱かったのか。小池百合子にすり寄る「リベラル左派」(最近は左翼政党の一部までもが)が後を絶たないのと同じ理屈だったんだな、と納得した次第です。

2017-02-11 2017年1月に読んだ本・日高六郎編『1960年5月19日』(岩波新書)

おいこら安倍昭恵と三宅洋平、何か言えよ。「学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か」(朝日)

安倍昭恵アメリカに逃亡中だが、安倍昭恵と親しい三宅洋平に誰かコメント取ってくれないか。

学校法人に大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か:朝日新聞デジタル

学校法人大阪の国有地売却 価格非公表、近隣の1割か

吉村治彦、飯島健太

2017年2月9日05時03分

 財務省近畿財務局学校法人に払い下げた大阪府豊中市内の国有地をめぐり、財務局が売却額などを非公表にしていることが分かった。朝日新聞が調査したところ、売却額は同じ規模の近隣国有地の10分の1だった。国有地の売却は透明性の観点から「原則公表」とされており、地元市議は8日、非公表とした財務局の決定の取り消しを求めて大阪地裁に提訴した。

 売却されたのは、豊中市野田町の約8770平方メートルの国有地。近畿財務局が2013年6〜9月に売却先を公募し、昨年6月に大阪市内で幼稚園を営む学校法人「森友学園」に売った。契約方法は、公益目的で購入を希望する自治体学校法人社会福祉法人などを優先する「公共随意契約」がとられた。

 この契約について、地元の豊中市議が昨年9月に情報公開請求したところ、財務局は売却額などを非公表とした。朝日新聞も同年12月に公開請求したが、今年1月に同じく非公表とされた。国有地の売却結果は透明性と公正性を図る観点から、1999年の旧大蔵省理財局長通達で原則として公表するとされている。だが、財務局取材に「学園側から非公表を強く申し入れられた。公表によって学校運営に悪影響が出るおそれがある」と説明した。

 朝日新聞登記簿などを調べると、森友学園側に契約違反があった場合、国が「1億3400万円」で買い戻す特約がついていた。公益財団法人不動産流通推進センターによると、買い戻し特約の代金は売却額と同じ額におおむねなるという。森友学園の籠池泰典理事長も売却額が買い戻し特約と同額と認めた。

 一方、財務局が森友学園に売った土地の東側にも、国有地(9492平方メートル)があった。財務局が10年に公共随契で豊中市に売ったが、価格は約14億2300万円。森友学園への売却額の約10倍とみられる。ここは公園として整備された。

■「日本初、神道の小学校」開校の予定

 森友学園が買った土地には、今春に同学園が運営する小学校が開校する予定。籠池理事長は憲法改正を求めている日本会議大阪役員で、ホームページによると、同校は「日本初で唯一の神道の小学校」とし、教育理念に「日本人としての礼節を尊び、愛国心と誇りを育てる」と掲げている。同校の名誉校長は安倍晋三首相の妻・昭恵氏。

 籠池氏は取材に「(非公表を)強く求めていない。はっきりではないが、具体的な売却額は財務局が出したと記憶している」と説明している。昭恵氏には安倍事務所を通じて文書で質問状を送ったが、回答は届いていない。(吉村治彦、飯島健太)

朝日新聞デジタルより)

これってあの「教育勅語を暗唱させる」とかいうあれのことだろ。「これはひどい」のタグを1万個つけても足りないよ、このひどい癒着は。

安倍昭恵、こそこそと逃げ回っていないで何か言え。三宅洋平も。

長谷川幸洋とリフレ派

忘れてしまわないうちにこれを上げておこう。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170205/1486257200#c1486485032

id:urinarazuke 2017/02/08 01:30

小熊英二といえば、共編著『平成史』の総説で、長谷川幸洋のTPP賛成論を皮肉たっぷりに揶揄していたのが思い出される。

今現物が手元にないので、あくまでうろ覚えだが、

“長谷川氏は「TPPが消費者の利益になることは明らかなのだから、無条件で賛成に決まっている」と言うが、彼の頭には「生産者もまた消費者である」という概念は全くないらしい”

といった論旨であったと思う。


かくのごとく、小熊氏が長谷川氏に賛同しているというのも、あくまで「脱原発」という一論点に限っての「一点共闘」であって、決して長谷川氏の全論調・全人格に付和雷同している訳ではないことは自明であろう。

ブログ主はこの態度に不満のようだが、筆者は、「一点共闘」「是々非々」「右も左もない」で何ら構わないと思う。

無論、仮に小熊氏が、「脱原発で共闘するために、長谷川氏の他の右翼的言説に見て見ぬふりをしている」のであれば非難されて当然だろうが、そうでないことは上記の例でも明らか。


ちなみに、この悪しき反面教師の代表例が、リフレ派。

数少ない「まともなリフレ派」であるはずの稲葉振一郎氏や松尾匡氏は、大事な「お仲間」であるからとばかりに、「りふれは」(©hamachan)の連中(畑中禿臣とか、下司念とか…誰のことかは想像にお任せします^^;;)の差別主義レイシズム丸出しの聞くに堪えない汚言を窘めようともしない。

こういう態度は、ボロクソに叩かれて然るべきであろう。


閑話休題論語の「君子和而不同、小人同而不和」の句が思い浮かぶ。

本来、きちんとトレーニングを受けた人文・社会科学者であれば、「人の言説と人格を厳密に区別する」ことは当然の態度であるはずなのだが、現実には、小熊氏ほどこの「君子」的態度を完璧に使いこなせている学者も本当に珍しいと思う。

私はもともと文系ではなく理系の人間で、かつ学問の道には進まなかったのですが、大学院修士課程のみ)時代に教えを受けた研究室の助手の例を思い出しても、「人の言説と人格を厳密に区別する」ことなんか全然できていませんでしたね。学者なんて言ったってその程度か、と内心馬鹿にしていました。

小熊英二の名前を上げたのは、もともとこの人の脱原発の本を読んで違和感があったことと、この人や前任の朝日論壇時評を担当していた高橋源一郎らがあまり好きではない(高橋源一郎については単に「好きではない」にとどまらず「大嫌い」に近い)ことと、しばらく前に目にした『世に倦む日日』(このブログ賛同できない部分の方が賛同できる部分より多いですが)の下記の一節が頭にあったためです。

戦後日本の中間層システムを憎悪する小熊英二 - 朝日新聞の説教三連発 : 世に倦む日日2017年1月18日)より

前年比で5分の1の動員規模となった「安倍政権NO」の渋谷デモ。そのデモ行進の映像に小熊英二が出ていた。偶然に撮られたというより、自分の姿を故意に見せていたという雰囲気で、隊列の先頭に近い位置で歩道寄りの左端を歩いていた。カメラを意識した視線だった。2012年の官邸前デモのときもそうで、わざと目立つように国会記者会館の前庭に入り込み、連れてきた子どもを抱き上げて遊ぶところを、窮屈な歩道で立ちんぼしているデモ参加者に見せつけていた。こちらに親密さを誇示するように、金平茂紀長谷川幸洋と話し込んでいた絵を思い出す。狭い歩道上には広瀬隆も一人で立っていたけれど、なぜか小熊英二は、一般市民が立ち入りできない国会記者会館敷地にいつもいた。

さらに言えば、東電原発事故の頃(2011年)からずっと長谷川幸洋古賀茂明といった新自由主義派の面々を嫌っていた私は、周囲の「脱原発派」たちが長谷川や古賀の言い分に耳を傾けていることに当時から腹を立てていて、それを根に持っていたことが挙げられます(だから、自民党政権に復帰した後になってもまだ長谷川幸洋を「味方」だと思い込んでいた間抜けな「小沢信者」をあげつらったりするわけです)。

でも、小熊英二長谷川幸洋をきっちり批判しているなら、それはそれで大いに評価すべきことでしょう。そういう評価があることを念頭に置いて今後小熊氏の文章に接していきたいと思います。

リフレ派については、そもそもリフレ派を含む経済学者たちの世界は、他のどんな学問と比較しても「人の言説と人格を厳密に区別する」ことのできない人たちの世界だ、という固定観念が私にはあります。彼らには下手に近づけない敷居の高さをいつも感じています。というのも、思い出したくもありませんが2010年にこっぴどい目に遭ったことがありまして、以後警戒してあまり近づかないようにしている次第です。

いくら正しいことを言って、最近ではそれがリテラにまで取り上げられるようになっても、高橋洋一や長谷川幸洋妄言や妄動をろくに批判できないようでは人々に説得力を与えることができず、それが日本からポデモスバーニー・サンダースジェレミー・コービンが出てこない一因になっている。そういう見方もできるかもしれません。この私の書き方も「腰が引けている」と言われてしまうかもしれませんが。

死者の死因や負傷者の状態に関するデマを流すネットの闇と、被害者の命より自己保身やメンツを優先する警察権力の闇

少女アイドルの急死は痛ましいが、その死因に関するデマがネットで広がった件にはまたかと思わされた。

この件で思い出したのは、昨年ストーカーの襲撃を受けて瀕死の重傷を負った冨田真由さんについて、「植物状態になった」云々(でんでんではない)のデマが流布したことだ。あの件も本当にひどかった。許せないと思った。

その冨田さんに関する記事を記録しておく。

冨田真由さんの訴えを、なかったことにしたい警察

 2016年5月21日、ストーカー男に20箇所以上を刺される、というひどい事件に遭遇した、女優でシンガーソングライター冨田真由さん。

 現在は退院して、病院に通いながら治療を続けているとのこと。

 その冨田真由さんが、NHKに手記をよせた。

 一時、心肺停止状態になったこの女性が、いちばんに訴えたのは警察にたいする不信感だった。

 

 武蔵野署はよほど忙しいところと見えて、

今思うと、相談した際に、女性の警察官がほとんどメモを取らずに話を聞いていたことや、男性の警察官が「他の事件が忙しい」と言い何度も部屋を出入りしていたことから、私の相談を軽い気持ちで聞いていたのだと思います。私が言ったことをどのように受け取ったのか、相談した担当者に直接話を聞かせてほしいと何度もお願いしてきましたが、組織として対応していますと、一切取り合ってもらえませんでした。

(「小金井市女子大学生刺傷で手記 – NHK 首都圏 NEWS WEB」)

 wikipedia では、この事件における警察の不手際が、何点かあげられている。

Aに相談を受けたにも関わらず緊迫性は高くないと判断し、ストーカー案件を取り扱う「人身安全関連事案総合対策本部」に報告しなかったこと。

Bが他の女性に対し嫌がらせ行為をした際被疑者登録を失念し、警察署同士の情報共有がうまくできなかったこと。

小金井市女子大生ストーカー刺傷事件 – Wikipedia

 Aというのは冨田さん。

 Bは現行犯逮捕された、岩埼友宏という京都の28歳の男である。

 岩埼容疑者は、別の女性にもSNS上で嫌がらせを繰り返しており、2013年には芸能活動をおこなう10代女性のブログに脅迫的な書きこみをしていたことで、警視庁に呼び出されていた(岩埼容疑者は出頭しなかった)。

 また、滋賀県の女性も岩埼容疑者の件で警察に相談している。


 警察は冨田さんの訴えを真面目に受けとっておらず、ストーカー男の情報も共有できていなかった。

被疑者登録を失念」というのは、なんらかの情報データベースに岩埼容疑者のことを登録してなかった、ということだろうか。

 なんとなく、机に積みっ放しの書類の山を想像してしまう。

武蔵野警察署はAの相談後、Bがトラブルを起こす可能性を考慮しAの携帯電話番号を110番緊急通報登録システムに登録。しかしAの自宅を事前に登録していたため、Aによる110番通報後位置情報確認を怠り自宅に警察官を派遣したこと。

小金井市女子大生ストーカー刺傷事件 – Wikipedia

 冨田さんは事件に遭遇してすぐさま110番に助けを求めた。

「おっしゃ、まかせとけ。緊急通報位置通知あっからな」

 と警察が向かったのが、事件現場ではなく冨田さんの自宅だった。警察が事件現場へたどりつけたのは、目撃者の通報があったからである。

 警察も激務で大変なんだろう。しかしこれは、ひどいじゃないか、と思ってしまう。

 ちなみに119番へは、岩埼容疑者が電話している。「かわいそう」と思ったらしい。それはそれで怖い。


 またストーカー規制法の不備も指摘されている。

 これまでは電子メールでの迷惑行為を規制するだけであり、SNSは事実上野放しだった。

 SNSでの名誉毀損とかも取り締ろう、という動きはすでにあったらしいが、間に合わなかった。

 SNSを規制対象とした改正案は2016年12月6日に衆議院で可決、成立している。


 このほどさように、反省すべき点はいくつもあった。

 法律に足らない部分があり、それを直した。

 警察に不手際があったのは明かだ。

 なのに、警察が冨田さんに対してとった態度には、がっかりさせられてしまう。

事件後、私が相談に行ったときのことについては、平成28年11月28日と12月2日の2回にわたって、警察から事情聴取を受けました。警察からの聴取の際、挨拶が終わった後の最初の言葉が「本当に殺されるかもしれないと言ったんですか」でした。その後も、私が「殺されるかもしれないという言葉を言っていないのではないか」と何度も聞かれました。でも、「殺されるかもしれない」という言葉を、私は絶対に伝えました。

母も、警察に何度も訴えてくれました。これだけは間違いありません。

小金井市女子大生ストーカー刺傷事件 – Wikipedia

 責任逃れだ。

「あんたも悪いところあったんじゃない?」といわんばかりだ。20箇所刺された女性にそれをいうのだ。

 冨田さんの悔しさは想像するにあまりある。

 

 これと同じ警察の生態を、われわれは清水潔著「桶川ストーカー殺人 遺言」という本でつぶさに読むことができる。

 あの当時はストーカー規制法そのものがなかった。1999 年の事件だ。あれからずいぶん時間がたち、法律もできたし、時代にあわせて改正され、進化している。

 しかし、警察のこの態度はリピート再生みたいに、そっくりそのまま17年前なのである。

 おそらくこのまま、変わらないだろう。瀕死の女性、殺された女性、被害者の家族を前にしても、警察は組織を守ることを選びつづけ、リピート再生を繰り返すだろう。

清水潔氏の本は、先日「文庫X」としても知られる『殺人犯はそこにいる』を読んだが、その中に桶川ストーカー殺人事件への言及があり、冨田さんの事件とそっくりじゃないかと驚いたのだった。

桶川ストーカー殺人 遺言』は、現在並行して読んでいる2冊の本(うち1冊は松本清張)の次に読む予定にしている。さらにそのあと、同じ清水氏の書いた南京事件南京大虐殺)についての本を読む予定だ。

タクシーで受験生を送ったJR北海道の対応は正しい。自己責任厨は豆腐の角に頭ぶつけて氏ね

感想は一言。タイトルの通りだ。

タクシーで受験生送ったJR北海道が炎上 地元民も賛否│NEWSポストセブン

タクシーで受験生送ったJR北海道炎上 地元民も賛否

2017.02.10 16:00

 センター試験が行われた翌日、新聞に「センター試験、タクシーで受験生送る」という見出しで、こんな記事が載った。要約するとこうだ。

 1月14日朝、JR函館線旭川札幌行き特急スーパーカムイ10号が車両の不具合で運休し、JR北海道滝川駅からこの特急大学入試センター試験に向かう予定だった受験生7人を、タクシーで岩見沢市の試験会場に送った。 JR北海道によると、旭川市旭川運転所で14日午前7時35分頃、信号機のトラブルが発生。

 特急に乗る予定の受験生がいないか各駅の構内アナウンスで呼び掛け、滝川駅で7人が申し出た。 同社は後続列車では間に合わないと判断。タクシーを手配し、午前8時25分頃から順次、試験会場に送った。いずれも試験開始時間に間に合ったとみられるという。列車の料金は払い戻さず、タクシー代はJR北海道が負担した。

 JR北海道の「神対応」はどうして実現したのか。滝川駅関係者はこう説明する。

センター試験に限らず、公立高校や私立高校の受験日は把握し、何かあった時には対応できるよう、日頃から話し合っています。当日は朝5時から待機して、線路の除雪を徹底的に行うなど受験生がスムーズに移動できるように尽力するんです。この時は、復旧に40分ほどかかるとわかったので、受験生がいるかをアナウンスで確認し、タクシー輸送を決めました。めったにないことですが…」

◆美談から一転 大ブーイングのワケ

 これまでも、受験会場に向かう途中で乗り間違いに気がついた親子のために新幹線が臨時停車した話や、吹雪で電車が止まり、300kmの道のりをヒッチハイクして合格を勝ち取った親子の話など、人生に一度ゆえのお受験仰天話はたくさんある。

 今年も心温まるいい話が聞けてなにより──。誰もがそう思っているだろうと思いきや、インターネットの掲示板やツイッターではまさかの炎上が起きていた。

「そもそも、交通機関の遅れで遅刻するような人は自己責任だからその時点で不合格」

「受験生だけ特別扱いはおかしい。飛行機が8時間遅れた時だって、タクシー代は出なかったのに…」

 交通機関振替輸送について、鉄道ジャーナリストの梅原淳さんが解説する。

「JRの規定では、切符を買った区間を別の方法で送り届ける義務があるとなっています。通常は他の鉄道やバスで輸送しますが、今回は他の手段がなかったので、タクシーを使ったのでしょう。さらに、特急列車の乗客は優先して輸送されると規約にあることや、原因がJR側に責任があったことも一因です。かなりイレギュラーな対応といえます。東京メトロなどは、タクシー輸送は実施しない規定をもうけています」

 他の交通機関は、どうだろうか。梅原さんが続ける。

「例えば、飛行機の場合は空港から空港への輸送義務しかないため、到着が大幅に遅れたとしても、目的地の空港に着けば、義務を果たしたとみなされるため、基本的には空港から先の交通費は出ません。仮に深夜空港に到着し、目的地までの交通機関が動いていない時間になったとしても、原則としてタクシー代は出ませんし、宿泊の場合も代金は個々人で負担することになっています」

非難する前に、北海道特有の交通事情を知ってほしい」。そう訴えるのは、北海道大学で地方の活性化や地方経済や交通について研究している小磯修二教授だ。

「雪の深いところで、冬場の交通は非常に大きな問題です。先進国かつ人口100万人以上の都市で、こんなに雪が降る場所はないです」

 北海道においては鉄道はもちろん、飛行機の欠航も頻繁に起きるし、ひとたび雪が降れば、バスの時刻表はあてにならない。

東京だと地下鉄私鉄なんか他の路線がたくさんあるから電車での振替輸送が可能だろうけど、こっちはJRしかないから、それが運休したら、頼れる交通手段はバスかタクシーしか選択肢がない。東京の人はタクシーなんてぜいたくって思うかもしれないけど、選べるものがそれしかないんだからしょうがない」(滝川市のタクシー運転手)

 さらに「タクシーはぜいたくだ」と、外で復旧を待ったり、雪の中を歩くのは危険だ。

「吹雪の強かった日、100m先のわが家にたどり着けなくて亡くなった友人がいました。また、今回の遅延となった『信号機トラブル』も大本の原因のほとんどは、路線のセンサーがついている部分に雪が挟まってしまうことだと聞きます」(北海道出身者)

 実際、記者が取材した日もタクシーに乗った昼間は晴れていたものの、夕方から少しずつ雪が降り出し、夜には1分外に立っているだけで髪が雪で真っ白になってしまうほどの悪天候に。視界がぼやけ、10m歩くのもつらい。

 しかし、地元民に「今日はお天気悪いですね」と言うと「こんなの降っていないのと同じ」と鼻で笑われた。

 天気のよかった昼間でさえ、積もった雪の中から足場になりそうなところを探し、「ブラックアイスバーン」に気をつけながら歩くため、かなり時間がかかった。慣れた様子で、すたすた歩く高校生に、なんとかついて行こうと頑張るが、歩くスピードが追いつかず、「これだから東京の人は…」と苦笑された。

「天気予報をこまめに見たり、電車が遅れるならば早めに家を出たり車を使ったり…そんなふうに知恵をしぼって日々生きているのが、北海道の現状なんです」(前出・小磯さん)

週刊ポストセブンより)

実は私自身もJRがストップしてタクシーで輸送してもらったことがある。それも単なる遊びで。

今を去ること10年前の2007年4月、当時住んでいた高松から兵庫県北部余部鉄橋を見に行くべく青春18きっぷで出かけた。予讃線瀬戸大橋線山陽本線播但線山陰本線を乗り継いで行き、帰りは山陰本線鳥取まで出たあと因美線津山線経由で岡山に戻り、瀬戸大橋線に乗り換える予定だった。

ところが、午前中から昼にかけての晴天が一変し、因美線に乗っている頃から雨が降り出した。次第に雷を伴って雨脚が強くなった。そして、岡山駅まであと数駅というところまで来た時に津山線の信号機が落雷の直撃を受けて、津山線がストップしてしまったのだった。

何しろ青春18きっぷを使った鈍行列車の長旅だったから、津山線が止まった時にはもう夜もかなり遅くなっていた。下手したら瀬戸大橋線の終電に間に合わないかもしれないと思ったが、タクシーで岡山駅まで運んでもらい、ことなきを得たのだった。

私の場合は、梅原淳氏の言う

「JRの規定では、切符を買った区間を別の方法で送り届ける義務があるとなっています。通常は他の鉄道やバスで輸送しますが、今回は他の手段がなかったので、タクシーを使ったのでしょう。」

というケースにずばり当てはまっていた。さすがは鉄道ジャーナリストだ。さすがはJR(というより元国鉄。その昔、スワローズの親会社だった)だ。

今回のケースは、こんな規定のあるJRを使った受験生が偉かったのであって、

「そもそも、交通機関の遅れで遅刻するような人は自己責任だからその時点で不合格」

「受験生だけ特別扱いはおかしい。飛行機が8時間遅れた時だって、タクシー代は出なかったのに…」

などとブーたれる馬鹿どもの方がおかしい。後者については何も「受験生だけ特別扱い」などではなく、観光客だって同じ恩恵にあずかれる。前者の自己責任厨に至っては論外であり、自己責任厨らしく豆腐の角に頭をぶつけて氏ぬべきであろう。

2017年2月第1週に読んだ松本清張『天才画の女』

2月最初(今年5タイトル目、2013年以降43タイトル目)の松本清張本は『天才画の女』(新潮文庫)。2月6日読了。


天才画の女 (新潮文庫)

天才画の女 (新潮文庫)


こんなまだるっこしいトリックは今なら必要ないってとこかな。異色作ではあるが。なおタイトルからは清張得意の「悪女もの」を思わせるが、本作では「天才画の女」そのものには魅力はない。つまらない本ではないけれど、あまりハラハラドキドキはしない。1980年竹下景子主演でドラマ化されたことがあるらしい。アマゾンカスタマーレビューに小谷野敦が書いた酷評のレビュー経由で知った。

この本は本筋の興味よりは、美術に造詣の深い清張が美術評論家や美術記者の生態を戯画化しているところに面白さがあるかもしれない。これは評論家や新聞記者に対する清張の意趣返しでもあるだろう。私が思い出したのは、2012年に亡くなった著名な音楽評論家にして美術にも造詣が深かった吉田秀和が物故した某画家をこき下ろした文章だ。この日記で昨年取り上げた(下記)。

小説家は他のジャンルの評論家を叩き、音楽評論家は他のジャンルの芸術家を叩く(たまたまジャンルは同じ美術だった)。そのあたりの人間心理にも興味深いものがある。

2017年1月に読んだ本・日高六郎編『1960年5月19日』(岩波新書)

最近は本の話といえば松本清張清水潔の本についてしか書いていないのだが、もちろん他の本も読んでいて(とはいえ今年はこれまで読んだ10冊のうち5冊が松本清張だが)、1960年に書かれた下記の本を読んだときには考えさせられてしまった。本は安保法案が審議されていた2015年に「アンコール復刊」されていたのが2016年末にまだ三省堂書店に目立つ形で置かれていたのを買って2017年に入ってからようやく読んだ。


1960年5月19日 (岩波新書 青版 395)

1960年5月19日 (岩波新書 青版 395)


私がつけている読書記録によると、この本を読み始めたのは1月18日、読み終えたのは1月29日だった。日高六郎は昔、確か80年代か90年代に、古い岩波新書(タイトルは忘れた)を1冊読んだだけで、その頃は今でもさして詳しくない政治思想について今よりももっと無知だったので、「古い進歩的文化人」という印象しか持たなかったのだが、今回『1960年5月19日』を読んで再評価した。ネット検索した限り、先月11日に満100歳を迎えた日高氏は今も健在。この本において日高氏は「編者」であり、他に藤田省三鶴見俊輔鶴見良行、荒瀬豊、石田雄が執筆している。鶴見俊輔氏は一昨年に93歳で亡くなったばかり。俊輔氏の従弟の鶴見良行氏は1994年に68歳で、藤田省三氏は2003年に75歳でそれぞれ亡くなっているが、1923年生まれの石田雄(たけし)氏と1930年生まれの荒瀬豊氏は健在のようだ。

本を読んでもっとも強く感じたのは、1960年2017年の今の連続性と、57年前の課題は今なお解決されていないことだ。一方で、現在や1960年1945年以前とはとてつもない段差があり、その間には越えがたい深い谷(それはもちろん先の戦争と敗戦という結果によって作られた谷だ)がある。戦後と戦前との間の谷に橋を架けて、いま生きている人間が戦前の世界に行けるようにすることに、安倍晋三は人生を賭けているんだろうなと思う。もちろん私はそんな安倍の野望を阻止せんとする側の人間だ。その一方で、人間心理は昔も今も変わらないから、安倍の野望が成就すれば、それは日本に生きる人間にとって悪夢が現実になる日だ。もっとも、極右小池百合子民進党支持者や括弧付きの「リベラル」(または都会保守)のみならず、元衆院選東京11区共産党公認候補にして現共産党東京都議までもがすり寄るありさまだから、大多数の人間は戦前の社会に回帰しても適応してしまうのかもしれないが。

他に気づいたことは、2015年SEALDsはもしかしたら、「声なき声の会」をモデルにしてリベラル左派側の人間がプロモートした集団だったのではないかということだ。本には「声なき声の会」に属する「普通の学生」のコメントが掲載されていた。「声なき声の会」には自発性があったかもしれないが、SEALDsには人為性の匂いが強く、彼らの肝煎りによる「野党共闘」は、極右新自由主義者小池百合子民進党のみならず共産党までもがすり寄る(回収される)惨状を招いただけに終わりかねない状況だ。

昔の平和運動は戦争末期の空襲広島長崎被爆という被害面ばかりが意識されて中国朝鮮半島にとどまらないアジアの人々への加害責任があまり意識されていなかったという固定観念を私は持っており、実際本書でも原爆被害への言及があるが、さすがに本書の編者たちのレベルになると加害責任もしっかり意識されていた。

細かい話だが、昔の新聞で「ハガチー」と表記されていたホワイトハウス報道官は、本書ではハガティと表記されている。ハガチーなんて夏目漱石の『吾輩は猫である』に出てくる「サヴェジチー」(番茶をなんというかと聞かれた苦沙弥先生が「サヴェジチー(savage tea。蛮茶の意)」と答えて笑われるエピソードがある)みたいだ。昔の新聞の固有名詞表記はこんなのが多く、カーチス・ルメー(孫崎享のいう「自主独立派の政治家」(笑)・佐藤栄作に勲章を贈られた戦争中の米軍の鬼畜=実質的には極悪な戦争犯罪人)は今ならカーティス・ルメイだろうし、ガンジーもガンディーだろう。

しかし固有名詞の表記には進歩があっても、人間のものの考え方にはいっこうに進歩がない。57年前の課題を今なお解決し得ていないばかりか、このところ後退が目にあまるほどひどい。このざまでは、戦前と戦後の間に生じていた深い亀裂を越える橋を築くという安倍晋三の途方もない野望が達成されてしまうのではないか。そう考えると、それでなくとも鬱々とした気分がさらに暗くなったのだった。

以上、感想の断片だけ書いて本の内容については全然書かなかったので(読み終えてから2週間も経っているのに、本を目の前に置くことさえせずに書いているせいだ)、内容についても書かれている記事(ネット検索でみつけた)を2件挙げておく。

2017-02-10 イラク戦争当時の小泉純一郎を思い出させる防衛相・稲田朋美の珍答弁

「東京新聞の馬脚が現れた」ことだけは長谷川幸洋に完全同意する(笑)

長谷川幸洋が駄文を書き連ねている。その大部分に私は同意できないが、同意できる箇所が2箇所だけあった。そこだけ引用する。

東京新聞の論説主幹と私が話し合ったこと(長谷川 幸洋) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)2017年2月10日)より

私はとっくに定年退職した身であり、かつ副主幹在任7年目になっていたからだ。嘱託にすぎない私が長期にわたって副主幹を務めていること自体が異例だった。

長谷川幸洋自身が認める通りだ。同じ人間が定年をとっくに過ぎているのに「論説副主幹」を7年も務める特別待遇など、「死ぬまで主筆」のナベツネ渡邉恒雄)が君臨する読売以外の他紙では絶対に考えられない。長谷川の主張は、まぎれもなく東京新聞中日新聞の社論の一部をなしていた。

左派リベラルの立場を懸命に守りつつ、私とは正面から戦いたくない。ある親しい読者は私に「東京新聞の馬脚が現れた」と語った。その通りと思う。

この結論を述べる前の長谷川の文章には全く同意できないが、この結論にだけは強く同意する。

イラク戦争当時の小泉純一郎を思い出させる防衛相・稲田朋美の「珍答弁」

稲田朋美といえば直ちに思い出されるのが、故加藤紘一の実家が放火されたときにこれを笑いものにした件(2006年)と映画『靖国 YASUKUNI』を検閲しようとした件(2008年)、それに天木直人に稲田が絶賛された件(2010年)だ。

そんな「天木直人が絶賛した」防衛大臣稲田朋美が、国会で意味不明の珍答弁を連発し、このところ「共謀罪」について国会で質問されてまともな答弁ができない金田勝年ともども野党の集中放火を浴びていることは周知の通り。このところトランプ、小池百合子長谷川幸洋長谷川豊などなど、あまりにも叩くべき人間が多すぎてなかなか稲田や金田、それに本家本元である安倍晋三への批判が書けずにいるのだが、そういえば昨年夏に長谷川豊批判する記事を二、三本書いたら長谷川豊になんかかまけてないで安倍晋三批判する記事を書けとキャンキャン噛みついてきたあのうるさい某コメンテーターは今どうしているだろうか(某所でもほとんど見掛けないような気がするのだが)と思う今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか、などと「きっこ」風に書いてみたのも、「きっこ」がかつて小泉内閣の環境大臣時代の小池百合子をこき下ろす文章を書いていたのを昨日ネット検索で引っかけたからだ。その「きっこ」も「小沢信者」に堕落して久しいが。

稲田朋美の珍答弁については、イラク戦争当時に小泉純一郎が発した恥ずべき答弁を思い出して腹を立てていたのだが、それについて『広島瀬戸内新聞ニュース』が書いているので以下引用する。

小泉純一郎の「自衛隊がいる地域が非戦闘地域」もひどかった : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)

小泉純一郎総理(当時)が、2004年、イラク派兵の時「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域」などと答弁しました。


唖然としたのを覚えています。


しかし、その小泉さんが翌2005年のいわゆる郵政選挙で擁立した稲田朋美さんが、さらに十数年後、防衛大臣となり、「師匠」を上回る詭辯を弄するようになりました。


南スーダンでおきたことは、「法的には戦闘ではない」。

だから、PKOの五原則には違反しないのだと。


あまりにも人を食った答弁である。師匠師匠なら弟子も弟子ですね。


思えば、あのとき、きちんと、国民が小泉総理の首を取るべきだった。

それどころか、2005年の郵政選挙小泉さんを圧勝させてしまった。

そんなことだから、「弟子」の稲田防衛相らが国民を舐めくさるのも当たり前かもしれませんね。

小泉といえば、大量破壊兵器に関する答弁もひどかった。ネット検索をかけると『しんぶん赤旗』の記事が出てきた。このところ、東京都議・徳留道信が小池百合子を絶賛した新年の挨拶の件や千代田区議選の結果を喜ぶ小池晃Twitterの件などで業腹の私としては別のソースの方が良いのだが、面倒臭いので赤旗から引用する。

小泉首相「しどろもどろ」/大量破壊兵器問題 志位委員長の追及に注目/メディアが珍答弁一斉報道

 「小泉首相迷言連発」(日刊スポーツ)、「根拠ただされしどろもどろ」(北海道新聞)、「首相の発言は糾弾されてしかるべきだ」(フジテレビ系番組「とくダネ!」)――。十一日の党首討論で、日本共産党志位和夫委員長がとりあげた小泉純一郎首相の「イラク大量破壊兵器保有」の断言問題で、追及された首相は「フセイン大統領もいまだに見つかっていないから、イラクフセインがいなかったと言えますか」とごまかしました。その“珍答弁”ぶりを新聞・テレビがいっせいにとりあげています。

 「イラク問題で珍答弁」「議場はヤジで騒然」の見出しで、志位氏と首相のやりとりを紹介したのが西日本新聞(十二日付)。「首相の論理は『フセインも見つかっていない』が『いた』。だから『大量破壊兵器も見つかっていない』が『あった』」と“珍答弁”の意味を解説するほど。

 志位氏の追及で、「保有の具体的な根拠を示そうにも示せないのではないか、という憶測を強める結果となった」(高知新聞、同)、「しどろもどろの答弁は大量破壊兵器保有を米英支持の理由に掲げた首相の苦しい立場を浮き彫りにしたと言えそうだ」(北海道新聞、同)という見方をしています。

 テレビ各局も首相と志位氏とのやりとりを詳しく紹介しました。十一日放送のTBS系番組「筑紫哲也ニュース23」で筑紫キャスターは「フセイン大統領はみんな見ている。しかし大量破壊兵器はだれも見ていない。(大量破壊兵器が)あるかないかをフセイン大統領と一緒にするのは、そうとう子どもじみた議論だ」とコメント。

 十二日放送のフジテレビ系番組「とくダネ!」で、司会者が「小泉さんのあの答弁は糾弾されてしかるべきだと思うんですけれど」とゲストコメンテーターに向けると、「問題外ですね。まったくの詭弁(きべん)で論理のすりかえ」「こういうことを平気でいって閣僚がゲラゲラ笑っている。こういう弛緩(しかん)した国会でいいのか」としかっていました。

(2003年6月13日付『しんぶん赤旗』より)

小泉は未だにイラク戦争を支持した自らの誤りを認めていない。

そんな小泉を許したばかりか2005年の郵政総選挙日本国民は小泉を歓呼で迎えた。この時の「刺客」が稲田朋美であり、小池百合子であった事実を忘れてはならない。もっとも、2005年の郵政総選挙の異様な空気に危機感を抱いてブログを立ち上げた某都会保守氏は、現在小池百合子応援に余念がないようだが。