障害者のいる社会−『累犯障害者』

素晴らしい書評は以下↓
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/50982039.html
http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/302931.html
http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/bookreview/12/

著者のインタビューは以下↓
http://sok-sok.seesaa.net/article/31934260.html


高校生の時、私は障害者福祉施設でボランティア活動をしていた。なぜにそんな事をしていたのかというと、以下の記事↓
http://fund.jugem.jp/?eid=1273
で紹介されている本の著者と同じような動機が少なからずあったと思う。(もちろん全部ではないが。なんにでも首を突っ込むのは私の悪い癖だ。)


前回の記事の表現を使えば、普段接していないからこそ、想像だけでレッテルがどんどん膨らんでいく。
そこの施設の人が、「本当はそこらじゅうに存在している一般的な病気なのに、福祉の名のもとに施設に押し込められていて、一般的では無くなっている。本当は当たり前のように社会の中で生活できればいいのだけれど。」と言っていた。

想像力っていうのは確かに「力」だけあって、変な方向に使えば変な方向へ助長する。
本書には障害者が当たり前のように社会の中で生活できれば防げたような事件もあった。今の社会が行う福祉は、護ることと、隔離することがゴッチャになってやしないか。

私は今、わけのわからん病気に悩まされているが、本当に人生いつ隔離される側になるかわからない。「助け合う社会」っていうのは偽善か偽善じゃないかではなく、皆が持っている不確実性を担保しあう社会かどうかであり、それは社会が持つ本当の価値なんだと思う。

累犯障害者

累犯障害者