高架下の高円寺ストリート

 ミュージシャンを目指すものの町、高円寺です。 古着屋なんかも多いです。 土曜日、人が多いな。 駅北口に隣接するビルが出来てロータリーも整備されました。 赤羽にあるのも、同じホテルMETSじゃないかな。

 ここは北口ロータリーより、阿佐ヶ谷方面の高架下です。 高野青果や純情商店街を背に進みます。 Macやケンタは、19年以上はありますね。 私、予備校が高円寺だったんです。

 高架下に入り、高野青果を背にPAL通りを見る。 変わらんけど、少し綺麗になったんじゃないかな。 いりいろと。 北口側、ストリート付近を歩き、南口ストリート(高架下)沿いへ。 PAL通りは此処からだと、緩やかな下りでアーケードの天井が延々と見通せるな。


 高架下側の店舗と、その向かいの店舗から、お客がはみ出てます。 先週、阿波踊りが終ったのにも関わらず、元気ですね。 なんで焼き鳥系のお店にも関わらず、こんなに。 まだ夏の土曜日ってかんじでしょうか。 中ジョッキ&サワーで、席は暗くないかなって程度の明るさだ。 店舗に外壁に沿うように、客席が貼り付いているよな席もある。 道路に出ないで済むようなゆとりのあるお店もある。

 ストリート横断口の角から、広がってます。 向かいのお店並びに、私が浪人中、行き着けた飯屋が、もう無いです。 寂しい。 狭いお店に安くて美味しいもの食べさせてくれて、学生や若い客を回転させて切り盛りしてたのを覚えてます。 貯金ができたので他に店を移したお店もありました。

 今は、この時間帯に大量集客をするエリアに変わっていました。 今、時点で付近のお店に着席しているお客はに60人位は居そうですね。 高架下内まで付近とすると、100人以上かなぁ。 涼しげで、煙が少し暖かくて良いです。 思い出の場所が消えてもも馴染めます。 「大将」は高円寺には3〜4店舗あります。 いわゆる屋台形式ではないのです。 屋台は1980年代後半位に衛生上、問題があると全国的に規制されたんですよね。 確か。 だから、店舗内の屋台村なんて形式の店も出来た時期があった。 博多なんかの名物エリアもありますから、完全に消えては無いですけど。 さいたま市の近所でも消えてはいないです。 路上も汚れるし、厳しくなったはず。 

 進み、駅から離れると。

 ありました。 ぼろぼろのピンクの提灯のお店。 団欒です。 ここも狭いです。 うすーいテナント席とカウンターと厨房のストライプのプラン(間取) カレーはここでした。 普通も大盛りも500円で丸い平らな大皿に盛られたカレーを月に数回、食べに来てました。 個人的にはとても美味しかったですし。 看板に女性もどうぞってありますね。 うーん。


 ????? あれ。 カレーとカツカレー。 100円? このご時勢、そこまで下げた。 本当かな、これ。 流石にお店のオヤジさんに聞いて確認できねーな。 なんだか、涙出てきそうな感じだから、もう行こう。 高円寺には1年ぶり位だから、懐かしいというほどでもないけど、しみじみ考えて思い起こすと、そうでもないな。


 ストリート内に戻ります。 進むと駅方面。 昔はこんな看板、無かったはずだ。 やはり、綺麗になったんだな。

 沖縄系のお店のパステルな明るさと、奥のお店のコンクリートブロックのシックな感じが良いですね。 覗きこむと、結構広そうだ。


 このオリジナルな緑の看板がいいですね。 サイン。 避難看板のパロディーってところでしょうか。 「酒屋に急げ」、「酒屋に逃げ込め」と言う感じで面白いです。 2階のホルモン勝もなかなかですが。 固い印象が、一般的に染み付いているこの緑の四角看板は、考えさせられますね。 目を引くな。 既に出来上がった社会の規律に対して引っ掛けたアイディアですね。 でも、ちょいと今日は客の入りがイマイチかな。 駅から少し遠いからな。


 近年、整備されたんだろうな。 
 
 駅寄りへ更に進むと古本屋なども見られます。 この店なんかは、20年前と変わらんな。 


 四文屋、混んでるな。 向かいには餃子サービスのお店。

 この魚系のお店なんかは、以前は無かった。 アーケード内、匂いが付くから、衛生上など避けていたんだろうが、近年は意識が上がってきたんだろうな。

 駅に近いです。 ストリートビル入り口ですが、地下1階は閉鎖。 こういう細かい所で変化が出てますね。 空きテナント、隙間空間となってしまった。

 ビルに入りました。 革製品などの修理や、インドネシア雑貨も。



 レコードです。 中古。 CDではないです。 ここも変わりませんね。 北口の中通商店街の先にも、珍屋(めずらしや)などが、あってロック、JAZZ、ブルースなどのレコードなどを取り扱った店があり、刺青で気合の入った兄ちゃんも現存してます。 私が20代手前の頃は、ハードロックの他にパンクがあったので、タトゥーは少なかったと思います。 少ししてから、TATOOシールが流行ったんじゃないかなぁ。 確か、そう思います。


 アジア、インドネシアカンボジアなど。 竹細工や麻の衣類を売ってます。 アジアブームが来る前から、こういう雑貨がありましたね。 傘(帽子)とかもありますね。 時間?時代?が止まるなぁ。
 
 純情商店街です。


 事務機器屋の白熊君が、迎えてくれました。 グリーズリーや月の輪では無いと思います。 多分、白熊です。



 イタリアンのお店を見つけました。 平面的には丸い?R状?多面体のガラス壁のエントランス。 カップルが夕飯に入りました。 デートだろな。 古着買いかライブか、目的は不明だ。 カップルで歩く事に、意味がある。 ガラスになんか、いろいろ書いてあります。 カップルじゃなくて、兄と妹の仲良し兄弟だったら、どうしよう。

 18時を過ぎた頃です。

 道が混んでて、撮影角度が悪いですが。 お肉屋に何を求めて。

 はたまた、ドーナツ屋です。 どんな名物メニューが。 両店舗共に行列が出来てます。 手造りハンバーグとか、高円寺スペシャルドーナツだろうか。 行列です。 少しの待ち時間はOKとの事です。ある種、隙間ではないな。 直交する中通商店街もそうですが、ラーメン屋なんかも、すごく増えた感じです。 手前60〜70m程度までで奥まで飲み屋なんかも無かったと思うんですが。 また増えたとい言うか、増殖した感じ、ビルのB1階なんかに小さなライブホールとか出来てると、若い人間が集まる。 そうすると、古着屋とか美容院とか、テナント工事に金を掛けない店が増える。 商店通りが、徐々に伸びていった感じです。 



 きっと、この先(将来的に)もゆーっくりと伸びたり、お店の密度を増したりと変化を見せるんだろうな。 まぁ。 テナントの入れ替えは常でしょうが。 公共で町が出来ていくというより、財布の中は普通か貧乏な音楽好きの若者世代が、勝手かつ、徐々に通りを活かしているのかもしれませんね。

 長い、中通商店街を戻ります。 江古田市場ほど大きくない、大一市場なんかもあるのですが、その辺は端折りって。 駅ロータリー方面に戻り、また、懐かしいエリアへ。 


 肉の相州屋とお惣菜の倉持。 1m前後の細い抜け道で営業してます。 浪人中、お昼にお惣菜を買いに来ました。 ご飯も売ってくれました。 おっちゃん、ありがとう。 ここ、雨の日はテントが出てるんですが、微妙に濡れるんですよね。

 その先を進むと、高野青果です。 混んでるなぁ。 いつも、ロータリーに野菜のダンボール出てるんだよね。 帰りのお買い物の人が立ち寄る。 お会計は行列だね。 惣菜屋と肉屋が見通せないかな。 入らないと駄目だ。 見えることは見えるんだけど。


 あー。 歩道まで、混雑してるよ。 昔から、ここ混むから通るの嫌いなんですね。 今でも、覚えているのは、金髪つんつん頭の兄ちゃんが、ここの八百屋で声を上げて働いていたんですよね。 お店の店主も人を、見た目では決めない人なんだろうなって思っていました。 20年近く前の話ですけどねぇ。



 まだ、中通商店街や南口パル通り周辺など、書き足りませんが。 長々と書きまくってしまった。 反省します。

撮影日090905:P3A 吉田