「Feed されたコンテンツにタギングフィールドを与え、コミュニティに最適化する」ってなんだよオイw(含む悪意)

担当者はプレスリリース打つならもうちょい日本語を見直せと。

Feed されたコンテンツにタギングフィールドを与え、コミュニティに最適化する

安いマーケ屋の新語好きを揶揄するネタのような日本語だ。素だとしたら危険。意味わからん。こないだ買ったボイスレコーダ貸してあげようかな。

  • タギングフィールドってなんだ
  • それがあれば、コミュニティに最適化されるのか
  • そもそもどこから出現したコミュニティだ、最適化ってなんだ

ツッコミどこありすぎ。

「タグ」とか「Web2.0」とかって唱えてりゃ儲かるならいいですね(棒読み

おれんとこのボスもひところ「タグタグ」いっててなんでもタグつけりゃオッケみたいな感じの頃があって、ものすごく違和感あった。だれが労力払って誰にメリットあんだよそれ、みたいな。

情報のコンシューマー側にとって情報へのラベル貼りにきちんとメリットがある「参加のアーキテクチャ」を設計できていて、実際に参加者がついて価値が生み出されていればそりゃ「Web2.0」と形容できるものにもなるかもしれないけど、なんか適当な後付の理由で「タグだからすばらしいんです」とかいったところで、それは単なる「複数キーワード」でしかないと思うんだが。キーワードマッチなんて太古の昔からあっただろう。とりあえず参加者がついてから自賛しろと。

とかって他人に突っ込むときは大抵自戒のネタだな。おれも気をつけにゃ。つうかなんでこの手の「言葉が先行して内実伴わない系のネタ」に過剰反応するんだろうおれは。同族嫌悪かな。嫌だな。

ニュースを引用し、クリップすることはファッションとしてそれを身に装うことと等価

あんま詳しくないのでアレだけど、学生のころにこんなお話を勉強した*1のを覚えている。

(モノの)稀少性の支配する経済においては、消費は欲求の充足以外のなにものでもない。ところが現代の日本のように、生産が増大し、基本的な欲求や必要を十分満たしてしまってモノがありあまる段階になると、消費のあり方は一変する。

(消費社会においてモノは)他者との関係における「意味」つまり「社会的意味」において消費されている。消費は、消費対象の表示する意味の消費――たとえば「自分らしさ」「リッチな気分」「ハイセンスな生活」――に転換している。それは経済合理的な行動というより、すぐれて文化的な行動である

では、「情報の消費」はどうか。

こんなふうに言い換えてみてもあまり違和感はないですね。

(情報の)稀少性の支配する経済においては、情報の消費は欲求の充足以外のなにものでもない。ところが現代の日本のように、情報の生産が増大し、基本的な欲求や必要を十分満たしてしまって情報がありあまる段階になると、消費のあり方は一変する。

Web2.0世界において情報は)他のブロガーとの関係における「意味」つまり「社会的意味」において消費されている。消費は、消費対象の表示する意味の消費――たとえば「自分らしさ」「リッチな気分」「ハイセンスな生活」――に転換している。それは経済合理的な行動というより、すぐれて文化的な行動である

たとえば、ソーシャルブックマーク

すでに「私はこんなニュースをクリップしたよ」とか「わたしはこんなニュースには『これはひどい』タグつけちゃうよ」とかいう自己表現としても成立している。

ファッション、社会的ステータス、モノへのこだわり、ライフスタイル等々と同じような「誰かと自分とを区別するための自己表現」のひとつとして、既に「気の利いたニュースをクリップできる」とか「気の利いたブログをかける」とかいう基準をもってる人も多そうだ。「アルファ〜」という、「基準を満たす人」という意味の単語もあることだし。

情報ジャンキーやGeekにとっては、ニュースをクリップすることが、ブログをかくことが、最新のファッションを身に装うことと等価。

って言ってみると結構すでに当たり前な感じだな。

でも、情報消費の形態として、ブログやブックマークなどの「第三者からも見える」情報消費スタイルが普及しなかったら、ここまでファッション的な感じにはならなかった気もするし。やっぱWeb世界の変容と共に出現しかけの価値観ではあるんだろう。

*1:僕は社会学専攻ではないので独書しただけです。引用元のサイトの野村氏の講義は、一度だけ東洋大に潜り込んで受けたことがあるけれど。おもしろかった。