教えないマニュアル、教えない教科書

学生の頃は、何か新しいことを始めると、自分でマニュアルをゼロから書き始める習慣があった。そのマニュアルは学ぶことによってだんだん精度を増すけど、別に誰に見せるわけでもなかった。いわばこれは教えないマニュアル。マニュアルって実は教えることよりも学ぶことに役立つような気がする。

健康的なスタンスみたいなもの

パリコレみたいに、天上界の人みたいなものにも「きゃーうらやましい!キレイ!」とあこがれ、それよりもやや身近な東京ガールズコレクションとかも「かわいい!」と言ってあこがれ、とはいえ「私たちはエビちゃんじゃない、でもそれなりに生きてくんだ(どっかの女性誌の特集であったような)」みたいなスタンスでいるっていうのは、なんだかとても頼もしいし、健康的に見えてくる。

便秘である

ナチュラルボーン便秘である。苦しいと思わないくらいもうナチュラルに便秘なのである。自分では意識しないけど、大きいほうをする頻度がかなり低い。代謝が良すぎるのか。ところで、メモは思考の便秘を防ぐ。書き留めることで忘れることができる。だがメモも便秘になる。そういうときはブログに書く(いまメモが超便秘)。ところで、アタマも便秘になる。もちろんToDoリストに書き込んだりするんだろうけど、行動することで便秘が解消される。脳の便秘はやめよう。代謝をよくしよう。便秘のたとえを使わないで考えると、体で考えるということになる。行動とは、体で考えることである。結論を出すということは、いっしょ。うむ。なにかと例えすぎだ。