ココロ社 ♪ほのぼの四次元ブログ♪ このページをアンテナに追加 RSSフィード Twitter

2011-12-31

[]年越しそばを食べる習慣が日本をダメにしている 年越しそばを食べる習慣が日本をダメにしているを含むブックマーク

年越しそばは本当にひどい習慣で、そばだけでなく、日本の食文化って何やねん、とさえ思うこともあります。年越しそばについて考えていると、腹立ちのあまり、坊主憎けりゃ……ではないけれど、どんな天ぷらを見ても、大阪のうどん屋Nの天ぷらうどんのエビ天(たしかにエビの尻尾が天ぷらから顔を出しているのだが、尾だけで身はついておらず、匠の技で衣を盛り上げて揚げ、あたかも身が入っているかのように錯覚させる)のように見えるし、どんな寿司を目にしてもネタが小さくてシャリが多めに見えてしまうし、そもそも仏陀の骨といえども、食べ物を骨に喩えるセンスって衛生的にどうなん?―などと、気のロングなわたしですら、小言の一つも言いたくなってしまいます。


「ねえ、なんで大晦日にはそばを食べるの?」と、白目が真っ白で頭のなかも真っ白なタブラ・ラサであるところのちびっ子に聞かれて、あなたはこう答えたに違いありません。「細く長く生きられますように、という願いを込めて蕎麦を食べるのよ」と。最後の方は聞こえました。長く生きられるように、ですね。長生き、大いに結構です。春先に残念な事件があって、まあ昔から予想されつつも放置されていた件なので、「騙された」などとは言いませんが、長生きが難しいご時世になってきましたから、いっそう強く願わないと長生きはできないでしょうし、年末にそれを願うのは素晴らしいことだと思います。わたしには、その前の部分がよく聞こえなかった。いや、正確に言うなら、きっと聞こえていたのだろうけれど、あなたが信じられないようなことを言うから、「いっそのこと聞いていなかったことにしてしまえ」と思ってしまったのです。わたしにはこう聞こえました。「細く」と。「細く生きる」とは、ちょっと具体性に欠け、このまま話をすすめてしまうと、単にわたしが頭のおかしな人間であるかのような扱いを受けるかもしれませんので、実例をあげて、「太く生きる」ことと比べてみます。

「太く生きる」(futoku ikiru

・そこそこお金を持っていながら「人生の豊かさってお金じゃないよね」と余裕のツイート

・シャワーの赤いところをひねるとすぐお湯が出る

・道端にたけのこの里が落ちていたら迷わず拾って食べる

・好きなものを素直に「好き」と言える


「細く生きる」(hosoku ikiru

・あんまりお金がないが「世の中ゼニやで!」と、関西人でもないのにえげつない話をするときだけ関西弁でツイート

・シャワーの赤いところをひねっても、すぐお湯が出ないので、やけをおこして全開にした瞬間にお湯が出てアチチ……

・道端にたけのこの里が落ちていたら、自分も食べない代わりに他人にも食べさせたくないので原型がなくなるまで踏みつぶす

・好きなものを「嫌いじゃない」「悪くないね」と言ってしまう


「人生には勝ちも負けも存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね」という観点からすると、人生を太さで比較するのはナンセンスと言わざるをえません。しかし、仮に人生というものを太さという物差しではかってみて、太い方がいいか細い方がいいか聞かれたら、せっかくですし太い方を選びますよね。自分から細い方を志願するなんて負け犬根性も甚だしい。平家物語を「滅びの美」とか言って賞賛するセンスと大差ありません。

つまり、世間的に「負け」とされる人生を自らwantするのはどういった了見か。しかもそれが国民的習慣になっているなんて絶句してしまいますが、絶句したままだと、それはそれで寂しくなってブログを書いたりしてしまうほどです。わざわざ年の終わりに「不幸かつ長生きしたい」と願いながらモゾモゾとそばを食べるなんてド変態に他なりません。日本全体で「細く長く」を、毎年、年の終わりに祈念しておきながら、中国に抜かれてびっくり、なんて、どこのコントかと。なお、「細く長く」自体は難しくて、細く生きる人はだいたい短いものですから、泣き面にハチとしか言いようがないです。


こうなってくると、「じゃあ年越しに食べるのはラーメン二郎か」と思う人も多いと思いますが、あれもある意味においては年越しそばと同じくらい負け犬根性満載の食べ物です。何も考えずに「たまに食べたくなるよねー」と思って賞味するのであれば勝ちも負けもありませんし、わたしも何も考えずに3ヶ月に1回くらいは行っていますが、一部の二郎マニアの精神性には問題があります。とくに秘密などありはしないのに、あたかも敷居が高いシステムがあるかのようにでっちあげているからで、「高級な食べ物より、この脂ぎったラーメンにこそ真実があるのだ」という思想の背景にあるのは負け犬根性以外のなにものでもないからです。


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以上の話をポジティブにまとめると、充実した人生を願う場合、「濃く長く生きたい」という願いをこめて、年越しは種も仕掛けもない天下一品がおすすめですが、そもそも食べ物に願いをこめるのはナンセンスですし、そんなことをする暇があったら鍋でもつつきながらこの一年を冷静に振りかえって、反省すべきところは反省し、来年どうしたら同じ轍を踏まないですむかについて、家族で議論する方がよっぽど有意義だと思われます。

2011-08-25

[]一般受けしない話を多くの人に読んでもらうにはどうすればいいか 一般受けしない話を多くの人に読んでもらうにはどうすればいいかを含むブックマーク

先日上梓した、「がまんできない人のための 真の忍耐力養成ドリル」ですが、おかげさまで、増刷されることとなりました!一時期Amazonでは在庫切れでしたが、現在は復活しております。

がまんできない人のための 真の忍耐力養成ドリル

がまんできない人のための 真の忍耐力養成ドリル

あおい書店さんでは、池尻大橋店町田店で「ココロ社フェア」をしていただいています。町田店では堂々、週間売り上げ1位を獲得しました!

渋谷近辺に行かれることの多い方には池尻大橋店がおすすめです。新刊の「がまんできない人のための 真の忍耐力養成ドリル」をお買い上げの方には、蔵言つきのブロマイドがついてきます。


―などという宣伝だけだと「ふーん」と思われそうなので、今回は、わたしが過去に出した本や書いた記事を紹介しつつ、「一般受けしない内容を一般受けするものにするにはどうすればいいか」について考えていることを書きたいと思うので、参考にしていただけるとありがたいです。

ココロ社を昔から読んでくださっている人は、「なんでココロ社はビジネスにまったく興味がなさそうなのにビジネス書を5冊も書いているのだろう」と不思議に思われるかもしれません。なるほど、ココロ社の過去記事、「「パンツの色何色?」の件数の変遷」「輝け 寿司たち!」などを見ると、ビジネスからほど遠い感じで、本を書いているココロ社とは別人のように思われるかもしれませんが、ある日、「ちょっとメジャーになってみようかしら」と思って、試行錯誤した結果、下記の結論に達したのです。




(1)無理やりでいいから、ビジネス記事、お役立ち記事っぽくしておく

本屋ではビジネス書が、ネットではビジネス記事がよく読まれているので、ビジネスについて書く気がないにしても、ビジネス記事を装うようにすれば読んでもらえます。あまりにもビジネスに遠い内容の場合は、暮らしのお役立ち記事などでも手堅いです。

たとえばアホなことを言いたいと思ったら、題材として「小学生に女の子にカンチョーってしてて超怒られてる奴がいたよね」みたいな話より、「企画書もすんなり!最強エレガントな根回しテクニック5選」を選んだ方が読者がつきます。

「単にアホなことを言って笑わせたい」というのがモチーフの人は、題材には仕事を選んで、その中でアホなことを言う方針がいいと思います。

超★ライフハック聖典  〜 迷えるアダルトのための最終☆自己啓発バイブル

超★ライフハック聖典 〜 迷えるアダルトのための最終☆自己啓発バイブル

『超★ライフハック聖典』は、いちおうライフハックの本になっていますが、意味不明の妄言を随所にはさんでおり、「ビジネス書を装ってここまで無茶苦茶できるんだ……」という限界にチャレンジしております。読むと「自分だって生きてていいよね」という妙な希望が湧いてくる奇書やで……そんなに売れなかったけど、このブログが好きだという人はこの本が最もおすすめです。



(2)正論より、賛否が分かれるくらいの按配で

「的を得ている」(日本語にうるさい方のために:「的を射ている」が正しいことは知っていますが、あえて使っています)と思われる記事は、まっとうな内容だけにほかの人、特に有名人が言っているため、素人が正論を書いても読者はつきにくいもので、有名でない人が書くのであれば、「賛否両論あるが、それなりに読ませる」という記事が最も読まれる可能性が高いです。なぜなら、twitterでもはてなブックマークでも、賛成・反対にかかわらず、コメントがつくとそのコメントから読者がくる仕掛けになっているからです。

たとえば、つい先日書いた記事「口にすると仕事もできなくなり、モテなくなる悪魔の言葉」は、当然ながら、「その言葉は別に言ってもいいじゃん」みたいな批判が出るかと予想していたのですが、根拠が示せれば問題ないと思って、あまりマイルドにはしませんでした。

賛否両論が出そうなのは、タイトルからわかる感じの方がよいです。「どれどれ、反論しがいのある記事だ」と思ってもらえれば御の字。当然ながら、単なる「釣り」だと読者ががっかりしてしまうので、それなりに説得力のある記事づくりは必要ではありますが。

プラス思考をやめれば人生はうまくいく マイナス思考法講座

プラス思考をやめれば人生はうまくいく マイナス思考法講座

この『プラス思考をやめれば人生うまくいく マイナス思考法講座』は、タイトルからして、一般的に「マイナス思考=悪」というのを逆手にとっていますが、これくらいキャラクターが立っていると売れるみたいですね。冷静に考えてみると、ふつうの会社の平社員がビジネス書を書いてそこそこ売れているという状況がクレイジー。



(3)役立ちそうな雰囲気づくりを欠かさない

よく「本は表紙を見ただけではわからない」と言いますが(なんかエアロスミスの歌にそういう意味の歌詞があった気がする)、表紙にラフレシアの花がはみ出しそうな勢いで載っていたら中身がAKB48(の飼い犬たち)のヌード写真集であったとしても、誰も手に取らないでしょう。

本も、ネットの記事も、第一印象が大事で「役立ちそう」と思えるような構成が重要です。この記事も一応番号めいたものをつけております。一見とっつきにくいものを忍耐強く読み進める方はめったにいないので、内容と同じくらい、構成やタイトルに時間をかけるべきです。

クビにならないビジネスメール 〈特選〉世渡り上手フレーズ100

クビにならないビジネスメール 〈特選〉世渡り上手フレーズ100

「クビにならないビジネスメール 〈特選〉世渡り上手フレーズ100」は、タイトルから推察できるとおり、すぐ使えるフレーズ集という構成をとっていて、買ってすぐ役立つようになっています。解説が厭味ったらしくて楽しいという長所もあるので、メールが嫌いな人におすすめです。


―などと書いてきましたが、ネットで人気の記事や、売れている本を見て「なんでこんな記事が…」とか「なんでこんな本が…」と思うのであれば、「これくらいの記事なら書いてやろう」と思って書いてアクセスを稼いで本を出してみる方がポジティブでええ感じかと思うので、今回の記事を参考にしてチャレンジしてみるとよいかもしれません。




【参考】ココロ社フェアの様子

あおい書店の町田店さんのココロ社フェアは、エレベーターを降りたとたんに、お化け屋敷を思わせる夏らしい写真が!

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▲町田店ではこんな感じで過去の著作も置いてあるので、お近くに行かれたときにはぜひお立ち寄りください。池尻大橋店では過去の本はありませんが、新刊のブロマイドはもちろん進呈します。両店舗とも8月末日までなのでお急ぎくださいませ。

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そうそう、町田といえば、リーズナブルな馬の店「柿島屋」があるので、お帰りに立ち寄ってみるのもいいと思います。100年続いている老舗なんですが、この手の老舗っぽくない価格設定が大変魅力的。

桜鍋が1100円〜ですし、終わった後にはそばを入れて楽しめて最高なのです。一人で飲んでる爺が多いのですが、ほどよく雑然としたムードで落ち着けます。

柿島屋

食べログ柿島屋

2011-08-10

[]忍耐力を鍛える方法 忍耐力を鍛える方法を含むブックマーク

こんにちは。8月12日に『がまんできない人のための 真の忍耐力養成ドリル』を出します。いままで鍛えることが難しいとされていた「忍耐力」にスポットをあて、その養成を狙った本なのですが、本の告知だけだと記事としてのお得感がゼロなので、このたび開発した、忍耐力を鍛える方法の概要をお知らせします。電波受信精度が良好な方は参考にしてみてください。



(1)「忍耐」を避けて通ることこそが、時間の無駄であり下手なやり方です

なぜこの本を書いたかというと、「うまくやる術」のような本とか「考え方を変えてみよう」的な本があまりにも多くて、それはどうなの?と思ったからです。たとえばダイエットなんて、うまくやることは食事の量を減らすことに決まっているではないですか。なのに、「白インゲンを食べると痩せる」などの珍妙な説を唱える人がいて、「なぜ痩せる話をしているのに食べる話をしているのか」と思ってしまうのですが、つまり、「食欲を我慢する」という、どんな人でも知っているダイエット方法を採りたくないあまりに、珍妙なダイエット方法を試してみて、しかも途中であきらめてしまい、まったく効果があがらず、ほとぼりがさめたころに、別の珍妙なダイエットを試す、というサイクルを繰り返すのです。



(2)「正攻法を粘り強くやる方法」を実行する方が話が早いです

ダイエット以外でも話は同じで、正攻法というのは一定の忍耐力が必要になってきます。たしかに粘り強く一つのことを続けるのは楽なことではありません。珍妙な英語学習法を考えるより、そこらへんに売っている参考書に地道に取り組む方が確実に効果があがります。勉強しなかったおかげで成績が悪くなる人はいても、勉強したおかげで成績が悪くなる人はいないからです。

つまり、地道な努力を避けようとして、ありもしない抜け道を考えてしまうと、お金と時間を無駄に遣うことになってしまうのです。あまりにも当たり前ですが、絶対に失敗しない王道を粘り強く実行していれば、失敗したり無駄な時間を過ごしたりというリスクを最小限にできるはずなのです。



(3)忍耐力を養成するには「結果に対する想像力」が必要です

正攻法に粘り強く取り組むために必要となる「忍耐力」。いままで忍耐力そのものを養成しようという、クレイジーな切り口の本はあまりなかったのですが、どうやったら実現できるかを一言で説明すると、

「ここで我慢しておかないと、どんなにひどい目に遭うか」

「自分が今していることは、どれだけ愚かな行為なのか」

を、なるべくリアルにシミュレーションすることにあります。「勉強しなかったら○○さんみたいになってしまうんだからね」というお説教があります。その○○さんが不憫でならないし、非常にいやぁ〜な言い方ではありますが、危機感を持たせるには、それなりに有効な方法だということは認めざるをえません。

たとえば、食欲を我慢する方法として、ひとつ考えられるのはポジティブな進め方で、痩せて異性にモテまくっているところを想像してがんばる、という方法ですが、途中で「まあ、モテまくりではなく、少々モテるくらいでいいか」あるいは「モテまくるのは来月からではなくて再来月からでいいや」という気持ちになって、気が緩みがちです。一方で、ネガティブな進め方で、「痩せないと、あんまりいい感じではない異性とおつきあいする刑に処せられる」と思ったり、「自分がわざわざ働いた給料からお金を出して自分の腹に脂肪をためこんでいる」ことなどを想像してみると、「今すぐなんとかしないとまずい」と思うはずです。

つまり、報酬に期待してがんばるのは傍目から見て前向きで美しいのですが、つい、「報酬は遅くやってきてもいい」と思ってしまい実行が遅れてしまいます。いっぽう、罰から逃れたくてがんばるのは、一見すると辛そうに見えますが、「罰が早くやってくるのは勘弁」と思いながら取り組むので、こちらの方が残念ながら効果的であり、人間が人間である限り、その傾向は変わらないので、くるはずの罰を正確にシミュレーションし、それを避けるべく行動することが大切なのです。



(4)『がまんできない人のための 真の忍耐力養成ドリル』のアレなワーク

この本には、2週間分の「忍耐ワーク」が用意されていて、取り組むと忍耐力がつくようになっているのですが、そのタイトルの一部を列挙するとこのような感じです。

時間が有効活用できなかった失敗を突きつけ続けるワーク

遅刻の言い訳が、言い訳になっていないことを体感するワーク

失言は「話しすぎ」であったことを思い知るワーク

ダイエット法の無意味さを体感するワーク

空腹を受け流すワーク

食べるための言い訳を一字一句脳内で遮断するワーク

言っても仕方のない愚痴の無意味さを知るワーク

ネットが時間泥棒であることを実感するワーク

罵倒されたときのコミュニケーションを身につけるワーク

曖昧な言葉づかいの誘惑を断ち切るワーク

うまいことを言おうとせず、的確な言葉で物事を伝えるワーク

詩人気取りでたとえを使わないワーク

独自性を出そうとしないワーク

「やらない理由」をつぶすワーク

お客さんの好意的な声を聞かないワーク

「知っている」アピールをがまんするワーク

自慢話をがまんするワーク

つまらない会話に慣れるワーク

ひたすら相槌を打つワーク

スルー力を鍛えるワーク

この見出しだけでおなかいっぱいになったと思うのですが、このワークにすらついていけなかった忍耐力のない方には、すぐ効くワークとして「口にしてはいけないフレーズ39」を用意させていただきました。これについても言いたいことが多すぎなので次回のブログで詳細を扱いたいと思います。


がまんできない人のための 真の忍耐力養成ドリル

がまんできない人のための 真の忍耐力養成ドリル


通しで読むと発狂してしまうかもしれませんが、忍耐力アップのために、本屋で見かけたら手に取っていただければと思います。



そして……恐怖のココロ社フェアが開催されます!!

いままで重版はかかってもフェアをしてもらえておらず、歯軋りを趣味としていたほどですが、ついにあおい書店さんでフェアを開催していただけることとなりました!

【期間】8/12〜8/31

【場所】あおい書店 町田店さま 池尻大橋店さま

【特典】最新刊『真の忍耐力養成ドリル』をお買いあげの方にもれなく、ありがたすぎて鼻水が出ちゃう箴言付きブロマイドを進呈いたします。

まあ、ぼくのブロマイドなんてほしい人はどれくらいいるか知りませんが、魔除けにはなるかもしれません…今までのクレイジー著書も置かせていただいておりますがゆえ、お近くを通り過ぎたときはダッシュで逃げ…ではなくてお立ち寄りくださいませ。

2011-08-02

[]「3食ちゃんと食べないとかえって太る」ってウソだろう? 「3食ちゃんと食べないとかえって太る」ってウソだろう?を含むブックマーク

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趣味や嗜好が特に合わない人と話すとき、話すに事欠いて、食事の話になることが多いと思います。というか、趣味や嗜好の合わない人と話さなくてもいい世の中にならんものかねぇ……

でも、それを考え始めると気が狂ってしまうので、明日も健やかに生きるために話をすすめますが、「朝食は取らない」的な話をすると「え?3食とらないと太るよ!」と返事する人の多いことと言ったらありませんよね。キミたちはいったいどこから来てどこへ行くのか……。(ちなみにぼくは大阪・北河内から来ました。河内地方を「ガラが悪い」と思っている方もいらっしゃるとは思いますが、ぼく以外の人はガラよしです。)


「朝食は取らない」→「3食とらないと太るよ」というやりとりの異常さについてピンと来ていない方のために解説をさせていただきますと、こちらは単に「朝食はとっていない」という習慣を述べているにすぎず、その背景には、朝食をとるのは面倒である、とか、起きたら家を出なければいけない時間だった、とか、朝食を用意したその瞬間にイノシシが部屋に入ってきてパンを皿ごと食べちゃった(実際、食べ物と皿の分別くらいはつくだろうけれど、イノシシにはそういうガサツなイメージがあります)、などの理由によるものであり、朝食をとらない人のすべてがダイエット目的であるわけではない、ということは言うまでもありません。


といっても、ここで「3食食べるようになったのは江戸時代になってからの話。食べなくてはならないというのは生物学的に決まっているわけではない」などという話をドヤ顔でしてもしょうがないので、「3食食べないと太る」説をバックアップしていると思われる三つの団体についてわたしの知る限りここに書き、注意喚起の意味も込めて警告させていただきます。


念のため、本部のビルのイラストも載せておきますので、近くを通りかかったときは「これがあのビルかぁ〜!ブログで見たよ〜」って思ってほしいです。



全日本肥満協会

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この団体は高度経済成長のなか、1970年に結成された、伝統があるというほど古くはないが、かといって、根なし草であるとも言えない程度の歴史を誇る団体であります。

当時は、高度経済成長の陰に隠れて陰湿ないじめが横行しておりました。「メガネが分厚いわりに成績がよくない」「三つ編みが下手すぎて、八つ編みくらいに見える」など、いわれなき理由でいじめを受けていましたが、肥満児も、格好のいじめの対象とされていて、肥満児たちに石が投げつけられる事件が多発。内出血のため、アントシアンをまったく含んでいないのに紅芋みたいに紫色になってしまうのでした……。

「このままではうちの子が危ない」と、すでに十分危なかろうというタイミングで肥満児の父兄が立ち上がって結成されたのがこの協会です。肥満児の地位向上のためにデモ行進をしたりしていたのですが、どうにも偏見はやまないので、「じゃあみんな肥満になれば仲よくできるよ。ただし肥満も度を越すと太ももと太ももの仲が悪くなって小競り合いを起こすかもしれないけどね!」ということで、「3食の方がむしろ太る」という情報を流し、「痩せたいと思っている人を太らせる」ビジネスを編み出したのです。なお、ビジネスといっても儲かるわけではないのが難点。



全日本穀物協議会

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GHQがアメリカ国内で余っていた小麦の消費を増やすため、戦後、日本の学校給食でちびっこたちにパン食を普及させた話はあまりにも有名な話。しかし、コンビニのパンコーナーで「この小麦粉の塊はこう見えても陰謀によるetc.」みたいなのをドヤ顔でする大学生があまりにも増えてしまい、穀物のイメージダウンを恐れた農家が、もっと穀物について楽しい話をして穀物の消費量を増やしたい、という思いから設立したのがこの団体なのです。

ここでテコ入れの対象になったのはやはり、抜きがちな朝食。「チョーショくん」というキャラクターを発案し、イラストを発注したのはいいが、アヒル口が憎たらしくて食欲が減退するということでキャラクターの存在が疑問視されています。

この協議会のメンバーの見分け方は簡単。3食をすすめてきたときに「わかった!でも炭水化物とかを摂るとデブになるから、豆腐とかを食べるね」と返事をしたら、みるみる表情が曇るのです。


グリム童話研究会

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むかし、「本当は怖ろしいグリム童話」という本が売れに売れました。「かわいらしくて夢いっぱい」というイメージの童話が、実は恐ろしい話だったという話は日本中に衝撃を与えました。当時はまだ大地震や原発事故もなかったので、その程度で日本は震撼していたのでございます……。なんて平和な時代だったんでしょう。

そんなリアルな感傷はさておき、二匹目のどじょうをねらって、「生活にひそむ意外なもの」全般をつかさどる団体として、元ヤンキーの高校教師を呼びかけ人として発足した団体です。この中では歴史が浅い団体ですが、「塩キャラメル」などを開発したり、「外はサクサク、中はトローリ」したたこ焼きなどを発明しています。

しかし、「塩なんとか」の普及に伴って、むしろ塩を入れないことの方が意外で、「塩なしキャラメル」などがバカ売れするようになってからは、活動は沈滞ムード。そこで起死回生を図って、食べ物というよりも食事全般の話ができるとスケールが大きくていいよね、という話になり、食事の回数と肥満の関係について調べたわけでもないのに、「食事の回数を増やした方がむしろ痩せるなんて!」と驚く顔が見たくて、つい「3食ちゃんと食べた方が痩せる」という説を唱えるに至ったのです。



以上、「3食食べないと太る」に潜む陰謀について告発させていただきましたが、本当に問題なのは、食べ物を残したら怒る人です。なぜなら、そこで残さず食べても単に新たなるデブが誕生するだけであり、そこで無理に食べたからといって飢え死にした子がビクンビクン…と蘇ったりすることはないからです。問題にしたいのであれば、食べきれないほどの食べ物を用意した時点で糾弾しなくては意味がありません。つまり、怒るタイミングを間違っていて、まるで虫歯が痛みはじめてから歯磨きを始める小学生のごとくなのであります。

2011-05-10

[]「明日の神話」のいたずらは最低で悪趣味だった 「明日の神話」のいたずらは最低で悪趣味だったを含むブックマーク

渋谷の、おもに京王線とJR線の乗り換えに通る道に、岡本太郎の「明日の神話」が設置されたのが3年ほど前のこと。先週、絵の右下に、福島原発の絵を貼りつけた人がいて、それが物議を醸していて、最初は、「そんなことで怒らんでも」と思っていたのだけれど、「明日の神話」と向き合ってみるにつけ、やっぱりおかしい、というか、これはものすごく下品な事件であり、いたずらどころか微妙に本気でやったことがうかがい知れるこの恥ずかしい事件の犯人はきっと、高校時代の卒業文集に皆が修学旅行について書いているのに、アンディ・ウォーホールと出会った時の衝撃について書いていたりするだろうから、それを見て楽しみたいという気持ちになった。


もともと、あの場所は待ち合わせに使うのであれば便利かもしれない場所で、ちょうど関西で言うと、梅田のビッグマンのところと状況が似ていなくもない。JRと阪急の乗り換えで通るし。ただ残念なことに、渋谷には待ち合わせの代名詞であるハチ公があり、悪趣味だと思われてもいいから人が少なめのところで待ち合わせたい、となりふり構わない人のためには裏側にモヤイ像が用意されている関係上、どうも、「ビッグマンで待ってるでー」的な感覚で、「明日の神話のところで待ってるよ」とは言えず、「明日の神話」は通り道にある絵、という存在以上のものになりにくい。ハチ公の姿や、その前にある路面電車なら忠実に描けるという自信があるが、「明日の神話」がどういう絵だったかは全然思い出せなかった。


「明日の神話」の前には柱があったり、座るところはなかったりして、この絵をゆっくり見てくださいという雰囲気はまるでない。だいたい、ここを通るときは吉祥寺に行った帰りのことが多く、吉祥寺って微妙なセンスのカフェが多いけど、結局、平均的な若者がオシャレと思うような店って、ボサノバがかかっていたり、古びた本棚に絵本を置いていたりするような店だから仕方ないよね、それでも、「親に感謝」的な歌―本当に親に感謝するんなら、「ありがとう」を連発するより、定期テスト2週間前から対策を始めたりする方が親にとってはうれしいんじゃないかと思うけど―が流れていたり、3秒で人に気に入られる方法、みたいなのが本棚にあるような店に比べれば、ずっとすてきで、つまり一言でまとめるんだったら、吉祥寺はすてきな街だね、などという話をしながら通るのが常だ。

また、あそこで、「明日の神話」を、ひとつの芸術作品として鑑賞するのは気恥ずかしいという気持ちもある。ひっきりなしに人が歩くところなので、そこでひとり立ちつくして「明日の神話」を鑑賞するのは、「あなたたちと違ってぼくは芸術作品の前で立ちどまることができる選ばれし繊細な人間なのであります」と主張しているのと同じじゃないか、恥をしのんで見たとしても、道端で美人を見かけたときのようにチラチラとしか見ることができないだろうし、美人はたいてい顔が小さくて一瞥すれば全貌がつかめるのに、「明日の神話」は大きくて二度見したとしても見えるのは絵のごく一部にすぎない。


このように、鑑賞しづらい状況に置かれている「明日の神話」だけれど、さらにぼくと岡本太郎にとってよくなかったことには、この絵が設置されるときに、テレビか何かで―「テレビか何かで」と思ったときにテレビ以外のものであったことは一度もないからテレビなんだろうけれど―誰かが「明日の神話は、岡本太郎が平和への願いを込めて描いた絵であり…」的な話をしているのを耳にして、平和の大切さと大切でなさについてはよく知っているし、通路の風景以上のものとして扱おうという気が失せてしまったというおかしくも悲しい誤解もあったのだった。


「平和への願いを込めて作った」的な作品が、平和を実現するためのひとつの道具に成り下がっていることはもちろん、捨てたプライド以上のものを得ていなくてかわいそう、という一般論については回を改めて書くけれども、百歩譲ってあのスペースで平和の大切さを訴えたいというのであれば、皮膚がケロイド状になった被爆者の写真とか、子を失って呆然としているシーンを大きく引き伸ばして貼りつけた方が実効性があるし、もし核戦争が、現代において悲劇のシンボルとしての説得力を失いかけていると考えるのであれば、今年生まれた赤ちゃんが、将来何人分の老人の面倒を見なければいけないかをわかりやすく人型のグラフで示したりした方がはるかに有効だとは思う。

そんな皮肉にならない皮肉はともかくとして、いくらなんでも、「平和への願いを込めた作品」などという恥ずかしいものをあの岡本太郎が作るかねー、という気がしなくもなかったので、「他の街のことを考えると、吉祥寺ってすてきな街だよね」みたいな話をしつつ通りすぎるばかりだったあの場所に赴き、平和がどうとかいう話をいったん措いて、「明日の神話」がどんな絵だったかを確認してきたのだった。


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よく見ると、というかよく見なくても、この絵、よく反戦団体から非難を受けなかったなぁと思い、驚きを隠せなかった。もともと感情を隠そうと思っていないのでドラマチックなことを言えた義理はないけれど。核兵器みたいなもので着火している人たちが描かれているが、苦しんでいるようにはあまり見えない。一番大きく描かれている人間型の物体は、大きなエネルギーを発散しているようには見えるけれど、これって核兵器と関係あるのかどうなのかは絵を見ただけではわからない。そもそもエネルギーが発散されているこの状況を、人間型の物体たちは喜んでいるようにも見えるし、これが仮に核兵器をイメージしているものだったとしても、核兵器がすばらしいとは言っていないのと同様、ダメだとも言っていないだろう。圧倒的なエネルギーにより、いいとか悪いとかそういう話を超えたところで神話的な情景が繰り広げられているばかり、そういう風景が見える。

「明日の神話」の絵を見て平和への誓いを新たにした人がいるのなら、その人は生カステラを食べても平和への誓いを新たにするだろうし、ゲルマニウム美容ローラーを頬で転がしても平和への誓いを新たにするのではないかと思う。


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今回の事件、この写真の青いところに原発がモクモクとしている絵を貼った人は、それでこの絵の内容を最新版としたかったのだろうけど、まず気に入らないのは人のふんどしで相撲を取るような真似をしている点で、原発の絵を描きたかったら、センスに自信がないにせよ、単体で描けばよいはずで、相撲自体も八百長やらなんやらでかっこよさが半減しているというのに恥ずかしいやり方だと思う。

もっと気に入らないのは、その絵を置くことで、「明日の神話」という作品を「平和を願う」ための、しかも実効性皆無の道具に貶めてしまったこと。ここで「岡本太郎はそんなものを描きたかったわけじゃないし、岡本太郎が見たら怒るだろう」という推測はしないでおきたい。そう言えるのなら、そもそも、神が人類の体たらくを見たら怒るだろうという話や、もっとさかのぼって、神がいるのかどうなのかの話をする必要があるだろうし、そんなスケールの大きな話をしているうちに、ひとつの絵についてあれこれ考えることが馬鹿馬鹿しくなってくるからだ。


この絵の保存の担当者が、「とんでもないいたずら」と言うのも無理はない。もちろん、福島での人災が問題であることには変わりないのだけれど、だからといって、悪趣味ないたずらをしても平和な世の中がやってくるわけでは決してなく、むしろ逆で、人が作った作品を政治の道具に貶めてしまうような浅ましい精神の持ち主が提供するのは、平和どころか新たなる紛争の火種だろうと思う。