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ココロ社DX このページをアンテナに追加 RSSフィード

2006-05-01

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すると、はるか先から、ジェット機のような音が聞こえてきたかと思うと、柔らかくて熱いものがわたしの頭を直撃した。おでんのはんぺんだった。はんぺんがこんなに熱いとは驚きだった。こんなものが何度も飛んで来たら、わたしははやけどで死んでしまうと焦ったが、今さら後には引けはしまい。どうやらコンビニの店員は、オリンピックのマイナーな競技の選手らしく、コンビニの店員のアルバイトをしながら体を鍛えており、刑務所へ食物を投げ入れるのも、トレーニングとしているらしい。

「ここでのトレーニングはやめてくれー」

わたしは前に向かって大声で叫んだ。

「無理ですよー。ぼーくーはー、金メダルがほしいのですー。ぼーくーのー、褐色の肌にはー、金メダルがー、とてもよーく似合うと思います。本を投げる距離、最近、どんどん伸びているんですよー。」

本投げという競技が新しくオリンピックでできたのだろうか。不可思議な競技だとは思ったが、納得がいかないこともない。肉体ばかりを鍛えて競うというのは、人格形成期にいびつな成長を遂げてしまうのではないか、と誰かが言いだして、それではプルーストの『失われた時を求めて』をセットにして投げるのはどうかと提案する。それならば、少なくともタイトルだけは読んで、練習中に「失われた時とはなんだろうか。時間そのものが失われているのか、それとも、主人公が刑務所に入れられるなどして青春を無駄遣いしたということか、そもそもこのタイトルは意訳をしていて、もとの題を直訳すると『雄鹿のオレンジのような尻』、などの全然関係ないタイトルなのだろうか」などと思索にふけってもらえるはずだ。なるほど、悪い競技ではないと思うも、熱いはんぺんが次々と顔や手に当たり、全身にやけどをし、皮膚が破けて血が出てきた。部長はいつも刑務所のご飯の味の薄さに関して、「臭い飯というか…薄い飯だよな」と言っていたが、明日から明後日くらいまでは、わたしの血の塩分でちょうどよい味付けになるから、上機嫌で食事をするに違いないと思った。

体中、水ぶくれになり血まみれになりながら、わたしはコンビニの事務室にたどり着くことができた。たどり着いたときには金メダリスト候補はいなくなっていた。わたしをこんなに熱い目に遭わせたのだから、メダルを取ってくれと願った。事務室には飲み物がたくさん入った段ボールと机があり、机の上には央央区報が置いてあった。わたしは段ボールからまったく冷えていないコーラを取り出し、飲みながら央央区報を眺めた。

「ますます発展する央央―北海道札幌市中央区に統合」

札幌…あまりにも意外な展開にわたしは開いた口がふさがらなかった。しかし、札幌に統合されたら気温が下がってしまうような気がしたので、体温を逃さないよう、わたしはあわてて口を閉じて体を丸くして記事を読みふけったのだった。 (了)

2006-04-30

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刑務所での暮らしは、一般的には悪くないと言える。決められた時間に寝起きして、作業などをするだけで、その作業はタンスなどを作るため、中間管理職の板挟み状況などの複雑な人間関係があったりはせず、特にストレスフルなものではない。しかし問題なのは、作業が終わったあとの課外時間だった。おのおのが趣味に応じて好きなクラブに属してよく、わたしは文学研究部という部に入った。文学研究というと、さまざまなジャンルの文学を扱っているように聞こえるが、実態は詩以外の創作活動は禁止されていた。

こころなしか

花のつぼみが昨日より小さくなったような気がする

地面の砂粒も昨日より細かい

ふと空を見上げると、飛行機雲が曲がっている

わたしの睫毛も猫の睫毛のようになる

わたしはどこに行くのだろう

文学作品が心理状態を表すという定説を逆手にとって、「この部にいるのは不安だから別の部に移らせてくれないか」と遠回しに伝える内容を書いたつもりだったが、部長―嫁の浮気相手を「バールのようなもの」で打ち殺すが、「バールのようなもの」が実際どんなものであったかは刑が確定してもわからずじまいだった―からは平手打ちをくらった。しかも部長は元水泳選手なので、水を効果的に掻く手の動きでぼくの頬を打ったため、並大抵の痛みではなかった。彼は、バタフライで水を掻いたにすぎないよと言わんばかりに、叩いた後に軽く息継ぎをして言った。

「そんなものを作っていても誰も癒されないじゃないか。癒されるものを書かないとダメだ。本当の自分を表現しようとせず、小手先で書いたものに誰が癒されると思う?誰も癒されないよ。

お前は犯罪者でありながら犯罪者の心理についてまったくわかっていない。こんなものだったら、刑務所に入ったことのない人間だって書ける。やり直しだな。まず、犯罪を種類に分け、それが主にどんな動機で行われるか徹底的にリストアップしなさい。」

・愉快犯:世間を騒がせ、自分を世の中に知らしめたいという気持ちから犯行にいたる。

・バラバラ殺人:憎すぎてただ殺すだけでは気が済まないという気持ちと、死体という大きなものをそのままにして捨てるとばれるのではないかという気持ちになり、細かくして隠したいという心理が働く。

・万引き:生活苦による場合と、単にスリルを求めてという動機の二つが主である。

思いつく限りリストアップしていった。「言い尽くした」と思わせることが大事なので、「愉快犯」を「インターネットでの殺人の予告」「食物への毒物混入」など、細かい項目に分けて水増しするなどしてごまかした。

しかし「癒されるもの」というコンセプトがぼくにとっては意外だった。そもそもわたしや、ここにいる他の人たちは、反省する必要はあっても、癒される必要はあるのだろうか。 わたしの認識では、「癒し」というと、分刻みのスケジュールで疲れ切った人たちのためのキャッチフレーズだと思っていたのだけれど、罪の償う際のストレスを癒すものを作らねばならないようだった。

わたしはやけくそになって、投げやりに詩を書いて封をし、部長に渡した。部長は読み上げると目にうっすらと涙を浮かべながらこちらを向いた。生まれて数分で目やにになりそうな、粘り気のある涙だなと思いながら、わたしはおそるおそる読み上げた。

きみは包丁をにくい人の腹に刺してねじった

内臓がおなかからクルクル回りながら出てきた

まるで花のようだった

にくい人から花が咲いた

にくい人はにくくなくなった

彼はわたしが一行一行読むごとにうなずき、読み間違えたりしたのに、そのことにも気づかない様子で涙を拭っていた。

「すごい…こんなに素晴らしい詩は久しぶりだよ。以前、中学の国語の先生をやっていて、数学の先生にすべて漢数字で教えろと言いがかりをつけた挙げ句、鉄の分度器で刺し殺してしまった先生がいたが、その先生が書いた詩以来だと思う。あなたの本当の気持ちが込められているから、これはまさに本物の詩と言えるよ。」

わたしは馬鹿馬鹿しくてやりきれなくなった。彼は一度、わたしのことを罵倒して、自己評価を最低にしておいた上で「裸の自分=本当の自分」と向き合った気持ちにさせ、「本当の自分」を表現する詩を書かせた後、ほめ称えることで、本当の自分の美しさと向き合わせるという手法を使っていただけなのだ。

しかし彼は大きな誤算をしていた。わたしは自己評価が高い。いくらけなされても、わたしはけなした人の口を見て「つばが糸を引いているな」とか「奥歯に黒く見えているのは、ネギなのか、それとも虫歯なのか?」などとしか思うくらいで、これっぽっちも落ちこむことはなかったのだった。あまりの馬鹿馬鹿しさに、一刻も早くこの場を出たいという気持ちになった。つまり、わたしは脱獄したいと思ったのだった。

翌日の夜、わたしは脱出を試みることにした。コンビニとつながっているパイプに進入するという手段で。思いのほかパイプに入るのは簡単だった。十年以上にわたる管理職の横領に気づかない大企業がいくつかあったことを思い出し「世の中には盲点がたくさんある、人間の目は二つでは不足で、あと二つくらいついていないと、すべての不正を糺すことなんて到底不可能だが、やはり四つも目があると、砂埃がひどい日やドラマで感動したときは大変なことになるな」などと思いながら機嫌よく匍匐前進を続けた。

2006-04-29

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しかし驚くべきことに、ブーブークッションの音が鳴ると同時に、具が多めのタマゴサンドが天井に開いていた穴から降ってきた。しかも、ブーという音を聞きつけ、若くて美しい女性三人組が部屋に入ってきて「何これ…くさーい」と鼻をつまみながら入ってタマゴサンドをほうきとちりとりで回収していったのだった。音と臭いでおならをしたのと同等の状況を作り上げられ、さすがにわたしは恥ずかしさで縮こまってしまった。しかし、それが嫌だからといって何時間も立っているわけにはいかない。五時間ほど直立不動の姿勢をとっていたのだけれど、我慢できなくなって座ると同じくブーとクッションが鳴り、タマゴサンドが降ってきた。しかも先ほどとは異なり、タマゴに温泉タマゴを使っているらしく、よりおならの臭いに近くなってきた。回収にきた女の人たちはさっきと同じ人だったのだが、さきほどよりも化粧が濃くなっていて、「こんなに美しく変身した魔性の女に、臭いものを片づけさせるの?」と言わんばかり。

恥ずかしさで意識がもうろうとする中、木村氏がやってきてわたしに言った。

「世界痴漢未然防止協会の存続のためにはあなたは邪魔なのです。あなたは弁護人の活躍もむなしく実刑判決を受け、獄中で死ぬことになるのです。」

「なぜですか…ぼくみたいなどうでもいい人間が組織のじゃまになるわけないじゃないですか。」

「そういう話はあなたの弁護人とすればいいじゃないの。」

ほどなくしてわたしは釈放された。国選弁護人をあてがわれ、面会することになった。彼の名は本村といって、それだけで木村に似ていたので嫌悪感を催したのだが、待ち合わせの喫茶店で、彼が現れ、開口一番、

「こんにちは本村です。いやー昨日の巨人はすごかったですねぇ。ホームラン五本も打つなんて、ねえ!」

と言ったので悪い予感が的中したと思った。会話の糸口として野球の話をしたのかと思うとそうではなく、延々と野球の話をまくしたてたのだった。

「わたしはホームラン以外は得点として認めないんですよ。ホームランを何本打ったか、それがすべてです。その方がルールとしてわかりやすいと思うんですよ。最近の若者の野球離れ、この原因はルールがわかりにくいことにあるのではないだろうかと思うんです。子供の学力低下、また体力の低下に合わせてルールも簡略化すべきです。打ってから走るというのは負担が重すぎる。両チーム九回裏まで戦って、ホームランの本数のみで競うのです。あと、野球を見ている中で他のことも学べなければ親たちは子供に野球を見せなくなるでしょう。なので、バットの形状を、先細りにして、小学生の包茎ペニスと同じような形にします。そしてホームランを多く打つバッターは皮が剥け、先が大きく張り出した形になるように設計します。成熟することで皮が剥けることを伝えるのです。また、ホームランが飛び込んできた観客席からは、スプリンクラーから、片栗粉が混ざっていてとろみのある塩水が出てくるようにします。弾丸ライナーで飛び込んで来たときにはたくさん、ゆっくり入ってくるホームランでは少し出るようにします。野球を通じて性教育を済ませてしまうのです。これなら、いちいち性教育の時間を設けるまでもなく、野球の試合を見れば、どうやって子供ができるかがわかります。」

わたしが言葉を差し挟む間もなく、彼は野球観について語りはじめた。そのついでに、ぼくの弁護の話をした。

「どうせやったんだろうから、素直に謝りなさい。高校球児のような素直さで…もちろん、法廷は脱帽状態で入らないといけないので、帽子を取って頭を下げることはできない。そこでカツラをはずして頭を下げるんですよ。あなたはげてないので、頭を公判の日まで剃っておいてください。裁判用のカツラを用意しておくので、それをつけて出廷し、申し訳ありませんでした、とそのカツラを外して一礼、それで執行猶予がつきますから。」

公判の日、わたしは言われたとおりにカツラをした。思いのほか、カツラというものは蒸れてかゆくなるもので、何度か隙間に指を入れて掻いていた。しかし、かゆみの原因は蒸れではなかった。わたしの指にはシラミがついていたのだった。

 「シ・ラ・ミ!」

裁判官が話しているにもかかわらず、わたしは大きな声をあげてカツラを地面にたたきつけ、踏みつけてしまった。どうやら弁護士はカツラを愛犬につけて芝居をして楽しんだりしていて、その時にシラミがついたようだったが、そのせいでわたしは実刑判決を受けることになってしまった。

刑務所でのご飯はよく「臭い飯」と言われる。しかし実際のところは臭くない。むしろ臭くない、腐らないところが問題だと言える。わたしの収監された央央区の刑務所の場合、近所にあるコンビニエンスストア数軒から直接パイプが伸びていて、賞味期限の切れたものはその管を通り、食堂に直接届くようになっている。食堂の真ん中には半径一メートルのクッションがあり、管を通った弁当やパンが着地するという仕掛けだ。すき焼き弁当などのタレが着地のショックで漏れることがあり、クッションには無数のシミがついていて甘辛い臭気が立ちこめていた。囚人たちからそのクッションは「ラフレシア」と呼ばれていた。

2006-04-28

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ゴムのきついパンツを履いた婦人警官と木村氏による尋問が始まった。

「とりあえずここに座って。タバコ吸う?」

「いや、これがありますので。」

わたしはくさやスティックを吸った。じっくりと手でいじり回し、体温を伝え、臭いが広がるようにした。臭気に耐えかね、すぐに帰したいと思わせるためだった。しかし彼女らの鼻を見て落胆した。鼻毛が密生していて、鼻水と鼻くそのちょうど中間にあたる半透明の粘り気のある物質が鼻毛に絡んでいたのだった。彼女らに臭いなどわかるはずもなく、臭いにむせ返ったのは結局わたし自身だけだった。

「いったいどういうことですか?ぼくは何も悪いことをしていません。」

「あら!人のパンツを覗きこむというのは立派な犯罪じゃない。迷惑防止条例・第五条一項違反よ」

「のぞきこんでいません。たまたまぼくの目がくぼんでいるので、何を見てものぞきこんでいるように見えるだけです。」

「この場に及んで否定すると罪が重くなるのに…はやく認めてしまいなさいよ」

「だから言っているじゃないですか。のぞいていないって。」

「実際にあなたの網膜に映ったのか、とか、あなたがそれをどう感じたのか、とか、そんなことはどうでもいいの。問題は、被害者が恥ずかしい思いをしたかどうか、そういうことなのよ。」

「では、たとえば白人には目がくぼんでいる人が多いですが、彼ら彼女らを全員逮捕しろとでも言うのですか?」

「そりゃそうよ。そこにいるだけで覗かれている気がして恥ずかしいわ。女に生まれてこんなにつらいことはないわ。白人を中心に、逮捕し始めているところなの。」

わたしが連れて行かれた留置所には、彼女らが言うとおり、白人がSUSHI詰めになっていた。白人たちは、皆不服そうな表情を浮かべていた。中には、今さら自分の目のくぼみを少なく見せるため、一生懸命眉を押している者もいる。その中に見た顔がいると思えば、先ほど別れたはずのドクター・ワドルだった。

「ご無沙汰しています」

わたしは何事もなかったように声をかけた。

「キミなら捕まると思っていたよ…なんか国家的陰謀の臭いがするね。」

「国家的陰謀?」

「そう。これを…」

ワドル氏が広げたのは、文庫本ほどの小さな冊子。表紙には「世界痴漢未然防止協会」と書いてあり、さまざまな二枚貝がぴったりとフタを閉じられた写真が載っており、女性の貞操を表しているようだった。表紙をめくると、アジアのさまざまな人が白人や黒人にパンツを覗かれている絵が描かれており「痴漢には重罪を」と書いてあった。痴漢について書いているのだが、あたかも外国人は全員痴漢であるような描き方になっている。

痴漢撲滅は表向きの話、これは外国人を排斥する運動なのではないだろうか。わたしは直感的に思った。新しいナショナリズムの誕生なのだろうか。冊子をもぎとり、あわててページをめくった。逮捕されたショックで脂汗が出たせいか、ページは軽やかにめくれ、万札を数える銀行員のような気持ちになった。最後のページを火薬を仕込んだみたいにパチンと鳴らすと、そこには「世界痴漢未然防止協会沿革」が書いてあった。

それを読んで判明したのだが、どうやら、この団体、太平洋戦争での「大日本国防婦人会」を前身とする団体のようだった。銃後の国を守る団体だったが、終戦後、いったんは解体され、婦人たちは「経済革命婦人会」と改称し、高度経済成長期にはサラリーマンの夫の銃後を守り、経済革命による大東亜共栄圏の確立を目指していたのだったが、全自動洗濯機などに代表されるような家電のオートメーション化に伴い、アイデンティティを失ってしまう。そこで生まれた新たな目標が「痴漢撲滅」だった。痴漢をこの国から撲滅し、道徳でアジアのリーダーシップを取ろうと考えているようだった。まず武器を持つ必要があるということで、世界痴漢未然防止協会の会員は、自衛隊や警察官になる者が多く、特に警官になった者は、外国人を痴漢として逮捕し、国外へ追放することが当面の主たる活動である、と書いてある。木村氏も、わたしを逮捕した婦人警官も、活動の一環としてぼくを捉えたということになる。しかし、ワドル氏はともかく、わたしはなぜ国家の敵とみなされたのだろうか?

 「あなたはこちらの部屋よ。」

婦人警官は長らく開けていないとおぼしきドアを開けた。

「ここに座りなさい。」

婦人警官が指さした椅子の上にはクッションが乗せてあっただが、中央が不自然に盛り上がっていた。どんな愚鈍ないじめられっ子が見ても「ブーブークッションが仕掛けられている」とわかるはず。気にするほどのことではないと思って座ると、案の定、ブーと音がした。わたしは小学生の頃、三回ほど引っかかったことがあったので、この程度のことは、まったく恥ずかしいと思わない。

2006-04-27

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われわれは、女性がパンツを脱いだ瞬間を狙い、体をくねらせ、パンツとは似ても似つかないラグビーボール状の物体へと変化した。われわれは女性の家から脱出し、坂道を転がっていった。好奇心の塊と化した子犬がわれわれを追ってきた。子犬の柔らかく暖かい内臓を想い、途中でほどけて子犬の肛門を目指す軟弱者もいたが、私の決意は固く、ボールが崩れることはなかった。

「なるほど…つまり、下着に成り下がっていた回虫たちが自立した生物として革命を起こすということですね」

「そう。あと、私の工夫に気づいてくれたかしら。回虫は「個」という意識が少ないため、最初は主語のない文で読みにくいでしょ。しかし、徐々に主体という意識に目覚め始めるの。これ自体『アルジャーノンに花束を』のようで、その凝った作りが、これから若い女性の人気を集めると思うわ。」

そんな馬鹿な…と思っていたら、突然彼女が泣きだした。

「くだらないと思ったでしょ?前に書いた境界に関する本がまったく売れなかったから焦っているの。もうなんでもいい。とにかく売れる本を書きたいの。」

わたしは、最近のヤクザの手口の巧妙さについてのテレビ番組を思い出した。昔のヤクザは、女に誘わせて性行為をさせたあと、「俺の女に手を出すな」と現れ、金を脅し取るケースが多かったらしいが、最近はエスカレートして、単に泣かせただけで「俺の女を泣かせるとは何事だ」と言ってくるケースがあるという内容だった。さすがに十年前なら通用しない手口だが、最近は応じる人もいるという。テレビでは、タマネギ農家からラーメン屋の店員に転職した男が騙されたケースが語られていたが、これらの極端な事例の背景にあるのが、大人の幼児化だと思う。小学生は、泣いた時点で、その人が何らかのもめごとにおける加害者・被害者であることを問わず、治外法権になってしまうが、これも同じであると言える。このまま泣かれつづけた場合、ヤクザがやってくるに違いない―

わたしは風で涙を乾かし証拠隠滅をはかるため、彼女を外に誘い出すことにした。

「なるほど…では実際に風の強いところに行って女性のパンツを見れば、革命の進展ぶりが確認できるかもしれません。革命というのは、それが起こるまでは水面下で進行しているものなので、首謀者にもわかりにくい…」

「うん…じゃあ出てみる」

突然話し方が女らしくなってきて気持ちが悪くなった。しかしそのことを指摘すると泥沼になるのは目に見えている。わたしはそのことについて触れず、二人で外に出た。

ほどなくして突風が吹いた。買い物帰りの中年女がたまたま通りかかっており、見事にスカートがめくれ、パンツが見えた。また、パンツのゴムに締め付けられた跡が何重にも刻み込まれて痛そうな様子。

あまりにも痛そうだったので、思わず

「失礼ですが…腰回りは大丈夫ですか?」

と尋ねた。すると、突然、女はハンドバッグから手帳を取り出し、

「逮捕する」

と言って、わたしにひんやりとした手錠をかけたのだった。そして彼女なりの配慮からだと思うのだが、手錠をかけるやいなや、上からタオルを腕にかけた。そのタオルには、海女さんが潜水中に真珠を見つけている刺繍がしてあり、女はそれが上にくるように素早く整えた。女が暇なときに作った刺繍だろうか。彼女は真珠のところを指し、

「これがあなた。というか、あなたのしたこと、ね。そして海女さんは私。」

そのまま角にとめてあったミニパトカーに乗せられた。

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