全国区

すっかりご無沙汰しております。はせがわです。みなさんお元気ですか。おかげ様で無事卒論を提出しましたが、その後も何のかんのと野暮用が続きまして、すっかり更新がとどこおっていました。
さて、先日2/7放映の「NEWS ZERO」(日本テレビ系)で、私が書いた『東大生が書いた「国語」のことを感動的に好きになる本』が映ったそうです。パチパチパチ…。ころちゃん経由のまた聞きなので確かなことは分かりませんが。
特集内容は「“東大”に関する本が売れている」ということで、主眼はどうやら「子供を東大へやる教育本」にあるようです。(となると拙著は違いますね)。ブログ検索したところによると、『東大生になった人の子供時代に多いこと』は、

  1. 親から「勉強しろ」と言われてこなかった
  2. 勉強はリビングでしていた
  3. 習い事NO.1はスイミング

なんだとか。ちなみに私は1:NO。2:NO。3:YES。
それはともかく、本当にもし一瞬でも映ったなら、せっかくなので観たかったです。誰か録画していないかしら。たとえば小林麻央さんの大ファンの方とか(笑)。
    ※   ※
東大本特集が放映されていた頃、実は私は関西の方を旅行中でした。観光目的でしたが、途中ふと気になって立ち寄った本屋。
「あった!!」
ばっちり6冊ほど面だし*1されていました。
あらためて、出版することの影響力を感じます。自分が一生懸命書いたものが、全国の人に手にとっていただけるのは、あわよくばお金出して買っていただけるのは、怖くもあり、でもやっぱりとっても幸せです。発売してから早4ヶ月以上経ちましたが、まだ書店に置いてもらえているとは、うれしいなぁ。

*1:背表紙ではなく表紙が手前をむく形で本棚に陳列されていること。人気作や書店員さんのオススメ本がそういう扱いをうける。

卒論の紹介

更新が滞っていました。いま卒論の真っ只中でひーひー言っております。
著書のプロフィール欄に書いてあるとおり、わたしの専門は「校正読み」です。誤字をどう見つけるかという観点から、人間がどう情報処理をして「読んでいるのか」ということにせまろうという分野です。
一口に「誤字」といっても、見つけやすいものも、いつまでたっても見つけられないものもあるはずです。その「見つけやすさ」は、人間がどう読んでいるかというメカニズムを反映しているのでは…というのが、出発点です。
たとえば同音異義語の発見は簡単だ(もしくは難しい)ということが分かれば、人は黙読しているときも「音」を使って読んでいることが分かります。
どうして誤字を読み落とすかを調べていて思うのは、人は「人はかなり読み飛ばしているんだなぁ」ということです。これは実体験としても分かるはずです。皆さんも、文を読むとき文字をひとつひとつきちんとととらえて処理しているわけではないはずです。特に漢字あたりを拾い読みして、あとは自分の頭でかなりの部分を補って、意味をつかんでいるでしょう。(前の前の文、「と」がひとつ多いのに気づきました?)
さて、文の意味をつかむくらいなら、誰でも飛ばし読みできると思うのですが、文章をざっと読むとなると、ある程度の技術が必要です。「どこに気をつけて読めばいいか」分からなければなりません。ちょっとややこしい文章ならなおさらです。
国語が苦手な人の多くは、どこが大事か分からない人が多いようです。「大事なとこに線を引いて」というと、全部にひき始めたりします。“そうではない、文章には「大事な部分」があって、あとはその説明だったり根拠だったりするのだ。”この感覚をつかんでもらうために、つまりは「立体的な読み方」をしてもらうために、本を書く際には説明にかなり力を入れました。p36〜p37の説明では、大事なところが浮き上がってくる感覚をつかんでもらうよう、レイアウトを工夫してあります。
国語というと、「ことば」のひとつひとつが注目されることが多いようです。昨日の「世界一受けたい授業」なんかでも、たとえば室町時代「一二三」はどう読むのでしょう、という問題がでていました。ちなみに正解は「うたた寝」。一二三と数える程の短い時間で起きてしまう眠りという意味だそうです。
こうした豆知識はたしかに面白いのですが、「ことば」をきっかけに、ぜひ「ことば」達が集まった「文章」の方も注目されたらなぁ…と思っています。つむがれた文章の中でこそ、ことばはいっそうの輝きを見せるのですから。

山元学校

山元学校に行ってきました。山元学校は出版甲子園の協賛でもあり、先日の第2回大会で山元さんに声をかけていただいたご縁です。
どういうものかというと、一言で言えば「世代間交流の場」。いろいろな方が、スピーチやアピールをなさいます。今日は、キューバ大使エルナンデス閣下、国会議員の赤池誠章氏、大江康弘氏がご挨拶をなさったかと思えば、マネーの虎に出演されていた社長さんで「1週間は金曜日から始めなさい 仕事と人生が楽しくなる時間活用術」などの著書もある臼井由妃さんがはつらつとしたスピーチを、また、いろいろな学生の方が自分たちの活動をアピールされていました。自分も学生ですが、いろいろなイベントを企画したり活動している人がたくさんいて、ほんとうにすごいなぁ…と心から感じます。みなさん、はつらつとしていて、「伝えたい!」「聞いてほしい!」という気持ちがビンビンでていました。
…かくいう私も、ずっと傍観者をしていたわけではなく、ちょっとだけスピーチしました。あまり考えていかなかったので、まったくのアドリブでしたが。もうちょっと準備していけばよかったナァ…と反省しています。短い時間で、きちんと情報を伝えつつ、なおかつ自分の思うことを言うのは難しいですね。あらかじめ整理しておかないと。
何冊か持っていたのですが、その場で何人か購入してくださいました。しかも、請われてサインを書いたりして。私のサインなんてもらってどうするんでしょうね。ブックオフに売れなくなるだけなのに…(笑えない)。ご購入頂いた皆さん、興味を持っていただいた皆さん、本当にありがとうございました。

日本語力2

巷で出回っている、「日本語力をつける」だとか「国語力を身につける」といった本の多くは、語彙に重点が置かれています。すなわち、漢字や熟語や慣用句を覚えるという方向性ですね。
たしかに、言葉を知っていることは重要です。語彙の問題が、多くの人にとって文章を読む際の大きなハードルになっていることは分かります。でも、「語彙=国語力」という考え方には、やはり違和感があります。ことばとことばをどうつなぐのかの方が、ずっとずっと大事だと思うからです。
ちょっと卑近な例を挙げましょう。「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました」。一時期流行った、スパムメールの件名だそうです。あまりに突拍子もない件名に、スパムと分かっていても目を通してしまう人が続出したとか。
あらためて言うまでもないですが、これ、オオアリクイだからいいんですね。虎だとか狼だとかピラニアだとかだったら、あまりに普通でつまらない。逆に、羊だとかウサギだったら、現実感がなさすぎる。
また、「1年前、主人がオオアリクイに殺されました」でも、ちょっと違うんですよねぇ…。
そう、どんなことばをどうつなぐかで、印象や意味合いが全然違ってきてしまうのです。そしてもちろん、文と文とのつなぎ方もそうです。並列関係だとか因果関係がぐちゃぐちゃになっている例ってよくありますよね。
つなぐ工夫や、つながれ方を読み取る力が、国語力の一端なのだと思います。

日本語力1

テレビで「クローズアップ現代」を観ていたら、若者の日本語力についてとりあげられていました。
主に語彙力についてでした。たとえば某企業では、マニュアルの中の「差異」という言葉が分からなかった社員が必要な措置をとらず、損益を出した、と。
語彙力低下の一因は、携帯電話やパソコンの普及があるそうです。メール・チャット・SNSなどでは、簡単な日本語が好まれる傾向があるし、まともに読み書きをしないので、言葉を覚えないのではないかと指摘されていました。そこで企業によっては、社員に対して音読や書き取りを課しているようです。これはまさに、斎藤孝氏の「声に出して読みたい日本語」、ポプラ社の「えんぴつで奥の細道」など、出版界のトレンドとも重なります。
日本語力をつけるために「音読」や「書き取り」というのはよく分かるのですが、これだけでは足りないのではないかなぁ…と思っています。それは、「興味」。「言葉に対する敏感さ」と言い換えてもいいかもしれません。「この言い方はしっくりくる」とか、「いい響きだなぁ」ということへの感性です。音読や書き取りというと、すぐに古典や名作といって、たとえば源氏物語とか森鴎外が題材にとりあげられるとような気がしますが、それは多くの人にとって高すぎるハードルな気がするのです。
キャッチコピーでいいじゃないですか。個人的に最近気に入ったのは、「せっかく忘れかけてたのにラジオがコブクロなんか流すから」。歌声と、菅野美穂さんの涙があいまって、実に印象的なCMだったように思います。平易な言葉でも、工夫すれば途端に言葉が輝きだし、人の心をつかむのであります。
それならそのまま歌詞でもいいでしょう。椎名林檎さんの歌で、難しい言葉を覚えた人も多いのではないでしょうか。山崎まさよしさんの「ため息だけが静寂(しじま)に消えていった帰り道♪」を聴いて、なるほど、静かな様子を表す言葉は、「静か」とか「しーん」とかだけじゃなくて、「静寂(せいじゃく)」とか「しじま」とかいろいろあって、それぞれ印象が違うんだということに気づいて、「いっちょ覚えてみっか」と思うほうが、ずっと自然で記憶に残ると思うのです。
日本語とか国語とかいわれるものの力をつけるまず一歩は、そういうきっかけからことばに興味を持つことなんじゃないかと思っています。

さおだけ屋はなぜ潰れないのか?

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学 (光文社新書)

著者の山田真哉さんが、出版甲子園の特別審査員を務められるということで、遅ればせながら読んでみました。会計について分かりやすく書いた、130万部突破の大ベストセラーです。
前書きで、「まずは会計そのものに興味を持ってもらい、その本質を大まかにつかんでもらうことこそが、本当の「会計の入門」になるのではないか」と書かれていますが、その意図はかなり達成されているのではないかと思います。「さおだけ屋」といった身近な話題から、会計の大まかなところをつかめるようになっています。「ものたりない」という批判もでてくるのでしょうが、初歩の初歩の入門書として、会計に関係ない人にまでそのエッセンスを紹介した手腕は、すごいなぁ…と思います。
ちなみに、ベストセラーと比較するのも恐縮ですが、私の本も、めざすところは似ているのです。すなわち、「国語そのものに興味を持ってもらい、本質をつかんでもらうことが、国語の力をつける突破口になる」、と。だから、点字ブロックや、長澤まさみさんや、柳家小さん師匠や、ワールドカップサッカーや、ミツバチダンスや、サンタクロースや、ドリフターズや、のだめや、十割そばといった、あらゆる話題を紹介しながら、国語の本質や問題のとき方について、説明したのです。
ただ、私の場合貧乏性というか凝り性というか意気地なしというか、「入門書」と覚悟を決めてバサバサ原稿をカットすることが出来ず、同時に「発展的内容」もかなり盛り込んで、「力をつけたその後」まで紹介してしまったため、この通り盛りだくさんで分厚くなってしまったのですが…。ま、それはそれでちゃんと楽しめるはずです!