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國語問題點檢 このページをアンテナに追加 RSSフィード

9-26-金

[] 國家は國語から手を引け--白石良夫『かなづかい入門』を讀んで

                          木村 貴(本會評議員)

 白石良夫『かなづかい入門』(平凡社新書)を讀んだ。私は國語の專門家ではないし、專門的な批判は他の方がやつてくださるだらうから、ある一點に絞つて述べたい。要するに、言語をはじめとして、自律的な發展に任せておくべき事柄に政府の介入を許すと偉い目に遭ふから氣をつけろ、と云ふ事である。

 自律的な發展を遂げる社會的制度の代表に市場經濟がある。例へば、私は今この原稿をノートパソコン「ThinkPad」と日本語入力ソフト「ATOK」を使つて書いてゐるが、どちらも民間企業によつて作られた製品であり、政府の計劃や命令によつて製造されたものではない。政府が製作に關與してゐないからと云つて製品に不都合は無いどころか、頗る快適に作動し、便利である。經濟は政府が介入しない時、初めて十全な發展を遂げるのである。逆に、政府が經濟を管理しようとすれば、かつての社會主義諸國のやうに經濟そのものが崩潰して仕舞ふ。

 言語も經濟と同じである。個人同士の意思疎通の過程で自然に生まれ發展したものであり、政府が計劃的に作つたものではないし、作れるものでもない。政府が言語に對し規制を押しつければ、言語の自然な發展を阻害し、個人の意思疎通を困難にして仕舞ふ。これは話し言葉については勿論、書き言葉についても當てはまる。

 明治維新後、政府は義務教育を通じ、契沖假名遣を國語表記の規範として國民に事實上強制した。契沖假名遣が相對的に良く出來た表記法であつたとしても、これは日本人にとつて不幸であつたと言はざるを得ない。そもそも義務教育と云ふ制度自體が子供の教育に對する政府の介入に外ならないから、國語教育だけを論つても仕方ないのだが、もし政府が契沖假名遣だけを強制したりせず、定家假名遣を含む複數の表記法を併存させ、それぞれ自律的な發展に委ねてゐれば、假名遣は十全な進化を遂げたに違ひない。その具體的な姿を想像するのは困難だが、例へば、契沖假名遣は古代日本語に關する新たな學問的發見を取入れて變化したかも知れないし、逆に學問的發見とはかかはりなく書き言葉の保守性を發揮して舊來の表記にとどまつたかも知れない。また、使用分野によつて複數の假名遣の使ひ分けが一般的となつたかも知れない。いづれにせよ決めるべきなのは日々言葉を使ふ個人であつて、政府ではなかつた。

 だが戰後、日本は同じ過ちを犯した。昨日まで契沖假名遣を正しいと教へてゐた文部省が一夜にしてこれからは現代假名遣が正しいと言ひ始め、それを國民に事實上強制したのである。文部科學省主任教科書調査官である著者の白石氏は政府告示の前書を示しつつ、「規制を強制してゐるのでない」と頻りに強調するが、私はお役所お得意の「行政指導」を思ひ出しながら、官僚とはつくづく狡いものだと恐入つた(行政指導とは法令に明記された義務ではないにもかかはらず官廳が管轄企業等に一定の行動ないし行動自肅を求める事を指す。企業等は官廳の意に逆らつて有形無形の嫌がらせを受ける事を恐れ、「自主的」に指導に從ふのが通例である)。國語表記についてマスコミが政府の方針に唯々諾々と從つたのは情けない限りだし、大人が個人的な文章を歴史的假名遣で書く自由まで禁じられたわけでもない。だが子供が學校の國語の試驗に歴史的假名遣で囘答しても點數が貰へず、作文を提出しても突返されて仕舞ふ以上、それはやはり國民に對する事實上の強制ではないか。

 白石氏は「新假名遣で古典を書く」事も非難されるべきではないと云ふ。大いに結構、それが血税を使つた政府事業でありさへしなければ。白石氏はご存じかどうか分からないが、事實、既に幸田露伴や樋口一葉の文語體作品も新假名遣で出版されつつある。私は讀む氣がしないけれども、好きな人は買へばよいだらう。その代り、例へば東西の名作を正漢字歴史的假名遣で出す出版社があれば喜んで本屋に走るつもりだ。國語問題協議會會員や會員以外の同好の士による盡力で同樣な趣味の人が増えれば、需要と供給の法則に從つて同樣な出版社も増えるだらう。歴史的假名遣によるウェブサイトやブログも普及に一定の役割を果たす筈である。かうした努力が積み重なれば、歴史的假名遣は緩やかにせよ着實な復權を果たすに違ひない。その際、どうか文科省は新假名遣の肩など持たず、「公平な立場で」舞臺の袖に引込んでゐて貰ひたい。國家は國語から手を引くべきなのである。

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