そして私は文字と踊る

されど罪人は竜と踊る (角川スニーカー文庫)

 読了。
 徹頭徹尾造形深く面倒臭いライトノベルだった。


 森羅万象を統べる魔法といえば分かりやすいだろう力、咒力。それを自在に操る咒式士二人組。ガユスとギギナが受けた仕事。それは、皇国の演劇家が描く寸劇の一つであり、そのまま本劇の大陰謀劇へと続く序幕であった。

 俺の意識と咒力が仮装力場を通り、魔杖剣〈断罪者ヨルガ〉の鍔に埋め込まれた法珠で収斂し移送転位、弾倉を回転させ選択された咒弾薬莢内の置換元素を触媒に物理干渉。
 紡いでいた咒式が刀身で増幅され、その切っ先の空間に輝く咒印組成式を描く。


 とまあ、このように初っ端から思わず斜め読みしたくなるような固有名詞の数々。この手の小説は久しぶりだったので、再び慣れるまでに時間がかかってしまった。

 
 おそらく、多くの人がこういった固有名詞が多く出る小説は、一度読んだだけでは理解できないだろう。だが、けだしこういったライトノベルの数々はそんなもんであり、そんなもんが面白いのだ。それは、物語の造形を深く掘って彫り、世界に厚みを加え、創造する。その世界に私たちは、今の現実を忘れ逃避する。ファンタジーの数々はそういった、平たく言えば「現実逃避」から出来たんじゃないだろうかと私は思う。だって、これを書いた作者は、自分の書いたものを須くは完璧に理解していないだろうし、多分にその設定の深さに酔っているだろう。

 
 しかし、それでいいのだ。私が書くこれもそんなものだ。その出来映えに酔える程の酒を飲んで皆で酔って楽しもうじゃないか。それが読書の、少なくともこの種類のライトノベルでは、本質ともいえるんじゃないだろうか。されど読者は本に酔う。本は読んでも読まれるな。


 何はともあれ、久しぶりに購読意欲が湧く作品だった。少なくとも次を買いに行くほどには。その長々とクドクドとした文には、なかなかに読解意欲を削ぐ威力があるだろうが、勇気と根性で読み進んで欲しい、きっと、この作者と演劇家の紡ぐ劇は、終わりに近づけば近づくほど飽きさせはしないだろう。技術はどうあれ、意思はどうあれ、ベクトルはどうあれ、この作品には魂があると思うから。