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【駒ヶ根に想う】 駒ヶ根から社会を理解する RSSフィード

2007-01-09

入笠山

[]・市民活動の観点がずれている


入笠山の風力発電に反対する市民からの意見が続きました。
総じて、山の環境を守ることに意識が傾きすぎていると思います。


個人としては、温暖化防止のために積極的に取り組んでいる人がいるとしても
社会全体として、温暖化に無関心な層が少なくない現状と照らし合わせると、
市民のモラルに任せた省エネだけでは、温暖化の防止ができない現状に合致していない。

この問題を考える時に、上伊那でも問題になっているゴミ処分場を例にとって見ると
論点が整理されるのではないかと思う。


風力発電はエネルギー生産設備、ゴミ処理施設は廃棄物処理施設と性格の違いはあるが、
どちらも、現在の社会生活を支える上で不可欠な施設であることには違いない。
そして、根強い反対運動によって簡単には設置できないことも共通している。


しかし、ごみゼロを提唱しても現状では廃棄物なしの生活はできないし、
省エネを進めても、エネルギーの需要はなくならない。
理念や理想論としては間違っていないが、現状がそれに追随していない。


風力発電に反対する人たちは、入笠山に作らなくてもいいのではないかと言う。
ゴミ処理施設が近くに来る人たちと言い分の本質は同じだ。
もっと整理してみよう。


風力発電に利権が絡む人たちは

  • 賛成派:利益を得る地元地権者、工事がもらえる地元業者、地域振興の恩恵にあずかる地元民
  • 反対派:山岳愛好家、景観を売り物にしている観光業者など

だが、こういう人たちの賛成・反対の理由付けには自分の損得がからんでいるから、信頼度は低い。


純粋に環境問題として考えている市民はといえば、

  • 風力発電のエネルギー施設としての重要性を考慮する賛成派
  • 建造に伴う環境破壊を重要視する反対派

に分かれていると思う。


私はというと、できることなら環境破壊を伴う施設に頼らない社会を作ってもらいたいと思っている。
しかし、現状のエネルギー需要と日本国内で自給できるエネルギー事情を考慮すると、
一定規模の環境破壊を容認しなければ、今世紀中に日本のエネルギー環境は破綻すると考えています。
認めたくはないが、今の社会はそれを目指してしまっているし、自分もその社会の一員である。


ごみを出す生活様式が定着している現在の社会では、ごみ焼却場が必要だし、最終処分場も不可欠だが、今のままでは必ず破綻することと共通すると思います。
破綻を未然に防ごうと、溶融炉(ごみ焼却)や高速増殖炉(原発)のような過度に技術依存した施設に頼ってしまっては、
本来目指すべき方向性を市民に見失わせる危険性を含んでいます。


風力発電に反対している人たちは、自分達の理想や理念が、実社会と乖離している点に考えが及んでいないことが多いと思われる。
これは、行政側に大いに原因がある。


温暖化防止に必要な現状の分析を怠り、
また、分析されていても逼迫した現状を積極的に市民に伝えようとしないばかりか、
かえって隠そうとする傾向にある。


駒ヶ根市を例に取れば、温暖化の必要性に言及してしまうと、
企業誘致に足かせをはめることになるので、温暖化防止に必要なCO2の排出削減が
30%に達していることを市民に積極的に伝えようとしない。


だから、市民は現状を知らずして、理想や理念を掲げて、
無謀な反対論を唱えることになってしまう。


ゴミ処理施設のずさんな計画書が問題をこじらせていることも重要だ。
素人である上伊那広域連合の関係者は、コンサルタントの作った紙切れを
吟味するだけの能力を持ち合わしていない。


だからこそ、市民の能力を積極的に借りなければならないのに、
自分達の能力を過信したままで、情報の隠蔽には積極的なままだ。
情報を市民と行政が共有し、力をあわせるためにはどうすればよいか、
みんなで考えましょう。


今必要なのは、現状から出発して、どこまで理想に近づけられるのかの市民論議だ。
理想に届かない現実を解決するための最善の手法の模索だ。
安易に賛成だ、反対だと言って、必要な議論を妨げるのは無責任だと言っておこう。


もし、反論される方は、論拠となる概略の数値を示してメールでください。
データの裏づけのない概念の批判には、疲れてしまうのでお相手しません。
コメントだと、こじれた時の扱いが面倒なのでやめてくださいね。


このブログを使って、自分勝手に自己主張を公表しようとするのもやめてくださいね。
批判ではなく、自分の主張をブログで展開して、TBしてくれる方は大歓迎です。