「コンセプトがいい」というDisりかた

iPhoneアプリという現時点ではなかなかのニッチ環境(国内で何億円市場、みたいな総務省的なデータiPhoneアプリでも見てみたい。何億ダウンロードとかじゃなくて、有料アプリの市場規模的な。)で、さらに割とニッチなターゲット向けの電子漫画ビューアをこれから展開しようとしている知り合いの方(友人、人生の先輩、おっかさん)のアプリ説明会に先日参加してきたのですが、そこでうっかり口にした一言「コンセプトがいい」という言葉が、自分では完全に褒めていたつもりだったのが、相手にとってはどっちかっていうとDisワードだったんですかねごめんなさいどうかアレだけは勘弁してくだ(ry という話です。


自分がその言葉を発した意図は「(色々褒めたいところがあって、それを一言で言うと)コンセプトがいい」というニュアンスのものだったのですが、その言葉を聞いた友人(brother,mother,okkasan)からのお返事が「いや。いろんな所でそう言われるのだけど、じゃあどこが悪いんだか言ってみろよ」という、これ改めて文字にするとちと険悪なムード漂わせている表現ですが実際にはそんなことないので大丈夫ですと事情を知らない人にフォローしたところで、そうなんですねぇ。


確かに「コンセプトがいい」という言葉は、「各論ではまだ詰められていない」というようにも聞こえます。これは、コンセプチュアルなデザインのものが、商品としてはそのままではまったく微妙であるファッションショーの例を出せばどなたでも納得いただけるような話です。


他に同じことを口にした方々のことは一切知りませんが自分の思考と同じだとすると、彼らが「コンセプトがいい」という言い方で逃げたのは、iPhoneアプリ界隈の厳しい現実から経験則的には「これは成功する」となかなか言えないからだったり、また「コンセプトがそもそも微妙」で数打ちゃ当たるのアプリも数多く見られたiPhoneアプリという市場の「これまで感」からしてみると「コンセプト」それ自体を褒めることができるのは凄いことだ、みたいなところではないかと予想します。


一応、今回の話に出て来ているmanga Appのコンセプトのどこが素晴らしいか、について軽く触れておくと、「作り物ではないニッチ」を相手にして、「正しいニッチとの付き合い方」をしようとしている姿勢が良いと思っています。「作り物ではないニッチ」とは、今、そこにあるニッチのことであり、何のことかと言うと市場の二番手三番手のプレイヤーがよくやらかすような「本当にいるかどうか怪しいユーザ層を無理矢理自分たちの頭の中だけで作り出して、それを仮想市場としてニッチと呼ぶ」ような「作り物ニッチ」ではないことを言っていて、「正しいニッチとの付き合い方」は、ざっくり言うと、大手が出来ないようなフットワークの軽さを発揮しようとしているあれこれのことです。ちなみにわざとぼんやりさせて言ってますのでご容赦ください。


とまぁ、コンセプトとかグランドデザインとか、とにかく凄く大事なのは言うまでもない話なんですけど、今回の件で学んだのは、「今」この「私」が、そーいうところばっか気になって褒めたりけなしたりのはいかがなものかと、という実に私的なエッセンスでした。


「物事のどこを褒めるのか」これは今、その人が持っている興味の視点から対象物を見た時に出てくる視点だと思うのですが、今回「コンセプト」を褒めた私は、そのiPhoneアプリをそういう目で見ていたということで、例えば開発者チックにアプリ内部の作り込みについてはそんなに深く考えたりすることなかったり(例えば、漫画を他言語モードで字幕を出す時には、どういう実装をしているのだろう?など)、例えばカスタマーサポートの人だったら、また違ったところで興味を持ったり、経営者だったら、レベニューの話だったり、色々変わると思います。で、そんなことは日頃から何となくは行っているつもりではいるのですが、この辺は改めて意識して、多面的に物事を見なきゃだめだな、と感じさせられたわけです。


ちょうど最近、お仕事的にそういうことについて考えないといけないモードだったので、久しぶりに日記を書くまでたどり着きました。
なかなか難しいっすね。ブログ。