10/20 ポスターイベント

今週の土曜日、『震災とわたし、それからのわたし』というイベントにポスター出展をしてきました。

イベントの詳細はこちら→ http://togetter.com/li/384534
展示ポスター等はこちら→ http://togetter.com/li/393865

スタッフの皆さん、参加してくださった皆さん、本当にお疲れさまでした!

簡単に様子など紹介いたします。



◆10〜13時 随時搬入、昼食

マッタリタイムでした♪
とりあえずスタッフ&参加者の皆さんにご挨拶しつつ、ポスターを見させてもらいました。僕が他の方のポスター見られたのは、ここだけだったなぁ…。

大まかに「文系的」と「理系的」なものに分かれてたように感じます。
なつかさんのや僕の個人発表は、個人の気持ちの変遷を中心に書かれた文系的なもの(ノンフィクション小説っぽい感じ)。家リスのや守る会入間さんのなんかは中間的なもの(団体の活動発表っぽい感じ)、その他の方のは調査結果をデータで示した理系的なものだったように感じます。
正直、理系的なポスターは読むだけだと難しかったです。説明受けられたら、きっと理解も変わってたんだろうけどなあ…。


ポスターだけ見て面白かったのは、守る会入間さんの(上記写真)ですね。落ち葉の焼却による放射性物質濃縮実験なんかを実際にやられていて。「正しい情報と認識を得て、可能な限り被ばくを低減する」という『会の目的』と「遊ばせる事が出来る様になった」「検査している食材への安心感」「被ばくの相場感を得た」という『得たもの』なんかは、家リスとしても共感できるものなんじゃないかな〜と思います。
名刺交換して、Twitterでも繋がって下さっています♪

お昼はスタッフの方がお弁当をとってくれました。海老ヒレカツ弁当、美味しかった!最初、間違ってマキノさんのお弁当を開けようとしちゃったのはヒミツですw(ぉ)
食後は、お子さん方とひと遊び。保育に入る上で、結構重要なんですこれ。



◆13〜14:15 講演「東日本大震災とわたし 〜原発事故後の福島で暮らすということ〜」

リゲルさんこと、八島和子さんの講演。この方、福島市で税理士さんをされているとのこと。また、『森の案内人』というボランティア?もされているそうです。
福島市で震災にあい、その後暮らしていく上でどんなことを感じているのか、生の体験と感情を語ってくださいました。
お話を聞いてるうちに、南相馬に行ったときの様子が鮮明に目に浮かんで…ちょっと涙無しではいられませんでした。

印象的だった言葉を紹介します。
「震災後の混乱を見て、安全に暮らせるかどうかは震災前の基準を調べた」
「『逃げるときの安全』が欲しかった。放射性物質は怖かったが、無理やり退避させられることも怖かった」
「とある支援団体の方に『福島の方はもっと怒ってください』と言われた。何に対してか。東電に対しても怒りも感じつつ、一番危険な場所に残って守ってくれているという思いもあり、複雑。外の人間から単純化されて見られることが非常に残念だった」
「失ったのは、土地じゃない。そこに暮らしてきた人間の歴史や想いだ」
「福島に来てください。それができないなら、福島のものを買ってください。それも無理なら、せめて福島の人間の話を聞いてください」



◆14:15〜15:15 保育

主に元気な某お子さんの担当みたいな感じにw

スタッフのふるはたさんは小麦粉粘土の準備をしてきていて、ちょっとした科学実験みたいで良いなぁと思いました。



◆15:15〜16時 自分のポスター前

来てくださった方と対話すべく、ポスターの前へ。ほとんどが前述のリゲルさんと、一般参加の某研究関連企業の方との三人で話す感じになりました。
ポスターについて話すっていうより、お二人の会話に混ざらせてもらう形に。時々「不安」を軸にした意見を述べると、共感していただけたように思います。



◆16〜17時 グループディスカッション

リゲルさんの講演をより深めて考える、という内容のディスカッション。参加者を4テーブルに分けて行いました。
グループの中にリゲルさんがいらっしゃったので、講演で語りきれなかった部分を更にお聞きできるような感じ。僕からは「福島の実際を知らないことで起こっている問題が多々あると思う。経験を語っていくことが、その解決に繋がることもあると感じる」と感想を述べました。


本当は更にたくさんのお話をしていきたかったのですが、残念ながら家庭事情的に許されなかったので泣くなく退散…。ろくに片付けもできず、申し訳なかっです。
帰り際、リゲルさんから梨とポストカードをいただきました。この写真、「故郷にもう戻れなくなるかもしれない」…そういう思いから撮影されたものとのこと。本当に、美しい土地なんですよね…。

電話してみた

実家に帰っている奥さんと子ども。昨日は僕の体調が良くなかったこともあり、所用+声が聞きたくて電話してみました。


トゥルルルルルル…ガチャッ

最初に出たのは長男。

トモ「もしもし〜?今ねぇ、小さいタクちゃんのとこから牛乳もらったの」
※ 『小さいタクちゃん』は奥さんの従兄の息子さんのこと。実家の近所で酪農を営んでおります。ちなみに大きいタクちゃんは、奥さんの弟。

こめ「そっかぁ、良かったねぇ!美味しい?」

トモ「…うん」
↑まだ飲んでなかったらしいw

こめ「それじゃ、ちょっとお母さんとかわってくれる?」

トモ「うん…。お母さーん」


そんなこんなで奥さんとちょっと話をしていると、何だか落ち着かない様子。ちょっと待って…と言われた後、

マキ「トモー!テーブルの上は乗っちゃダメー!」

って声が聞こえてきました( ̄▽ ̄;)

マキ「ごめん、今取り込んでるから後にしてくれる?」

そんな感じて、電話終了。



んじゃ今度は、トモとじっくり話そう!と思い、再度かけてみると…


トモ「もしもし?今取り込んでるの、じゃーねー」

こめ「あ、ちょっとちょっと!お話しようよ〜」

トモ「さっきお話したでしょ?バイバーイ」

こめ「いや、さっきはちょっとだけしk」

ガチャッ ツーッ ツーッ ツーッ

こめ「」


…そんな訳で、みんな楽しく元気に過ごしているようです(泣)

産みの苦しみ

友人の菜月さんから、奥さんの出産前に教えてもらったことがあります。

「陣痛は、お腹の中で赤ちゃんが外に出ようとして旋回しているために起こる。そう考えると、不思議と痛みを感じにくくなる」

これはもちろん妊婦さん向けの情報なんですが、この中にはその他の人にとっても学びがあると思います。
それは、「苦しみには意味があり、その意味を前向きにとらえることで、ただ苦しいだけではなくなる」ということです。
更に言うなら、「苦しみは新たな気付きのチャンス」という面があるということです。


具体的に書いてみます。

とある知人は、会社の事業により1億もの負債を抱えることになりました。
それ故に、貧しい人に寄り添える姿勢や、貧困から脱出するための術を身に付けることができました。現在は、近い境遇の方の悩みを聞いて解決の道筋を示すなど、素晴らしい行動をされています。

とある友人は、仕事の上で精神との不和があり、心のバランスを保つことができなくなってしまいました。今はその仕事を休んでいます。
それ故に、心が苦しくなっている人に共感する力は、誰よりもすごいと僕は感じています。

僕は、長男トモ君が産まれた際に、育児をしながら同レベルの仕事ができなかったことから、正規保育士を退職せざるを得ませんでした。
それ故に、ワークライフバランスを見直し、仕事も家庭も無理なく関われる方向を探ることができました。まだまだ過程ですが。


渡辺勝幸さんという方のメルマガを読んでいます。その中に、過去の偉人たちの経歴から学びを得ようというコーナーがあります。
渡辺さんによると、そういった方々は必ず『大病・放浪・監禁』のいずれかを経験されているそうです。
苦しみがあったが故に、気付きもあったのではないかと思います。


苦しみ=ありがたいものと言われると「そんなことはない」と思うかもしれません。
しかし、過去の辛い経験が今の自分の成長にとって不可欠だったということは、多くの人に思い当たるものがあるのではないでしょうか


苦しみを積極的に得るべきだ…と言う訳ではありません。
むしろ、得ようとしなくても苦しみは今ここに有ります。そしてその大小や優劣は本人だけが判断できるもので、他人が「甘えだ!」とか「このケースはこうすれば問題ない」と安易に言うことはできないと思っています。



これから書くのは、苦しみの解決策ではありません。
一見マイナスなものと向かい合う際に、嫌わなくて良いし、その方が楽になれることもある…という、僕が経験した気付きと感動を伝えたいのです。


嫌だと思った時。
痛いと思った時。
辛いと思った時。
憎いと思った時。
悲しいと思った時。
苦しいと思った時。

僕は、三つのことを考えるようにしています。
「いわれのないことで文句を言われた」という例で書いてみます。

一つ目は『その事象で何に気付けたか』
いわれがないと感じるということは、自分が別の内容で考えていることがあるということで、それを見直すきっかけになります。
また、相手が文句を言うということは、少なくとも一言伝えたくなるくらいに、そのことについて関心が高いということが分かります。

二つ目は『その事象が意味すること』
自分と相手の考えの間には違いがあり、どうやら誤解もあるらしいということ。
少なくとも顔を見ながら同じ言語で会話ができているということ。
相手の気持ちが収まることによって、以前よりも強い理解が得られるであろうことなどがあります。

三つ目は『その事象をどう前向きに繋げられるか』
そもそも誤解される元になった自分の考えや表現を改めてみよう、とか。
相手に自分の言葉を聞いてもらうために、まずは相手の言葉を真摯に聞こう、とか。
誤解のある部分だけを冷静に話してみよう、とか。
相手に分かりやすい言葉で話すようにしよう、とか。
この話が解決したら、もっと仲良くなれるかもしれないのが楽しみだな、とか。

…こんな風に考えていると、案外「言いがかりだ!」なんて怒りはどこかに行ってしまいます。
無理して相手を受け入れようとするってより、すべてが前向きなエネルギーに昇華するイメージです。なので、心も逆に楽だったりします。


あくまでも僕自身の体験にすぎないので、万人に当てはまるかは分かりません。
けど、もし良かったら試してみてほしいなぁと思います。


…ま、僕も唯一家族に対してだけは、こういう接し方はできないんですけどね〜( ̄▽ ̄;)
どうしても感情的になってしまう。まだまだだなぁと思います。




さて。
ここ数日続いているお腹の不調と、朝晩の頭痛についても、意味を考えてみますかねw

松が丘ごはん

うちの子たちがお世話になった助産院で提供してくれているご飯です。
美味しくて詰まりにくい母乳と、母体回復のことを考えて作られています。お父さんにとっても、生活習慣病予防になるかも!


味付けは、基本的に少量の塩・味噌・醤油のみ。出汁の風味と素材の味を生かします。
砂糖や味醂、油は原則使いません。
「まごはわやさしい」をなるべく入れていきます。豆・胡麻・ワカメ(海藻)・野菜・魚・椎茸(キノコ)・芋、ですね〜。
ご飯は「酵素玄米」っていう…何て言うか、作り方?をしています。非常に美味しいです。広めている母体に関しては、個人的に疑問アリなんですけどね。


写真、1枚目と2枚目は助産院で出してくれたご飯。3枚目は、参考にして僕が作ったご飯です。


『松が丘助産院』
http://www2.odn.ne.jp/~cdk23230/
うちの二人の子がお世話になった助産院のHPですが、他にも情報が一杯です。自然育児や母乳育児に興味のある方、ぜひ見てみてください。



今日から奥さんと次男が退院して、家に帰ってきました。しばらく、落ち着いてネットを見る余裕は無さそうです。
楽しんでいくぞ〜♪



ともあれ

奥さんのマキコさんが産休に入って、今日で一週間になります。トモの保育園、延長番19時帰り→16時帰りもようやく月〜金を一回り 。

息子トモ君…荒れまくっております( ̄▽ ̄;)

スクリームはもはや日常茶飯事。毎晩、我が家からは通報されてもおかしくないデシベルの叫び声が飛び出していきます。
そろそろ、ご近所さんに「すんません、マタニティブルーです」って断っておいた方がいいだろうか…。

母に対しては、ベタベタベタベタ…。
ご飯の時は「だっこぉ〜…」と膝に乗り。あちこちでイヤイヤと駄々こね泣き叫び。おっぱいを口に含みたがり。母の服の中に入りたがる(笑)

父に対しては、殴る蹴る物を投げるつねる噛みつくなどやりたい放題…。
ま、おとーさんも黙ってはいないんで。そういう行為は普通に叱られたり、反撃されたりってこともあるんですがw


環境変化に弱いのは父譲りですかね〜…。
叫んでいる様子、自分を見ているようでいたたまれなくなります。僕も本当に切羽詰まると声が出るので。そのせいで、「静かにしてっ!」なんて無駄にイライラしちゃったりも 。
発散しつつ、適応しようと頑張っているのだよなぁ。根本的には、その姿が心からいとおしい。

またね…そんな状態にも関わらず、朝は「お父さん疲れてるから、もうちょっと寝かしといてあげようか」なんて言ってくれたりするんですよ。
父はちょっと泣きそうになったよ…(´;∀;`)

本当に我が子ながら、良い奴なんです♪


奥さんのことも、産休で逆に大変じゃないかと心配で。
可能な限りマッサージ、一日1〜2時間くらいしています。それがマキコさんのためであり、お腹の子のためであり、間接的にトモのためでもあり…自分もリラックスできたりします。
家族全員の幸せタイム。

こないだはマッサージしながら、お腹の子の名前を考えました。
「朗って字を使いたいな」「恵はどうかな」「う〜ん…こっちの字は?」「読み方は濁らない方がいいね」「ひろあきとかいいかも。ひろ君?」「宏朗…か。悪くないかもね!」
そんな楽しい、幸せタイムでした。


トモ荒れ、ともあれ。
駄々こねる姿を「可愛いねぇ」と笑って、怒りの鉄拳と叫び声を受け止めつつ、徐々に穏やかな日々になればと思います。

まっ、来月末にはまた大荒れ予測だけどねっ!w


写真は、24日が誕生日だった奥さんへの、些細な些細なプレゼント。サンシャイン水族館で買った、日付入りイルカストラップ。
あと何となくオマケで、先日の金環日食

とある憲法と自衛隊に関する往復メール

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、僕は『平和台 九条の会』という団体の呼びかけ人&事務局をしております。一般的な九条の会会員は自衛隊反対の方が多いのですが、僕としては「存在するべきだ」っていう意見を持っています。ちょっと異端ですw


そんな僕と、とある自衛官の友人の間で交わした往復メールをご紹介したいと思います。
自衛隊を認めるために九条を変えなくちゃダメ」
「九条の理想を実現するために自衛隊を無くさなきゃダメ」
そういった固定的な捉え方ではなく、こんな考え方もあるんだという参考にでもなればと思います。


もう過ぎてしまいましたが、憲法記念日に寄せて…。


※ 改行や個人名に関しては、編集しております。
※ 長いので、関心のある方だけどうぞ〜。



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こめより
【こんばんは!】


ちょっとお願いがあって、メールします。


15日の日曜日に、『平和台 九条の会』の例会があります。今回のテーマが「九条を変えたいという意見について考える」というもので…。良かったら、○○さんの意見を聞かせてほしいのです。
僕個人としては今のままが良いと思ってるけど、それが100%正しいとも全く思っておらず。変な賛成意見より、理性的で現実的な○○さんの反対意見の方が、よっぽど参考になると考えております。


お忙しいこととは思いますので無理にとは言わないけど、よかったらお願いします!


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友人より
【とっても長いです。】


こんばんは!
いち自衛官の偏った(かつ拙い)私見ではございますが、欠片でも参考になれば幸いです。


日記で何度か述べた通り、俺は現状として憲法肯定に至っておりません。
憲法9条に肯定的でない理由が大まかに3つあります。


ひとつめは、憲法は国の最高法規でこそあれ世界の最高法規では無い事。
これは法規の立ち位置に対する疑問です。
ふたつめは、日本国憲法は日本の日本による日本の為の法規では無い事。
これは内容に対しての疑問です。
最後に、【恒久の平和】はこの国だけが掲げれば実現する訳でないこと。
これは国の在り方に対する疑問です。


具体的に述べます。
まずは憲法の立ち位置。
ご存知の通り憲法とは【国の根本法】であり【国そのもの】です。
言い換えると【日本の中はそうします、そうしてます】と言う事ですね。
日本国の意見として不戦に重きを置く事に関して些かの疑問もありませんが、戦わない事ではなく【戦わせない事】に対する法規として見た場合…どうでしょうか。
現実として対外的な意味を持つ筈の【領域】においてさえ侵犯や奪い合いが激化する今、ほとんど国内でしか責任や義務が生じない憲法は平和を謳うには少し効果圏が弱い、ならば形を変えなければ、と言うのが持論です。


ふたつめ、内容について。
ご存知の通り、日本国憲法を制定する際にはGHQの、言い換えれば国際情勢にすり寄る意見・方針が多分に含まれました。勿論当時の国民が議論しあって最終決定がなされたものではありますが、9条に限らず、本当に【自国の自国による自国の為の】法規なのか?と言う問いに対して断言しかねます。
例えば【一切の陸・海・空軍を所有しない】事に関して。核にしても戦闘機にしてもそうですが、抑止力としての武器が抑止力たりうるのは常にそれが驚異たりうるからです。
爆撃機に竹ヤリが、軍隊に農民が驚異たり得ない事を知らばこその【最低限の武力】なら、あえて軍は持たないと加える理由はなんでしょうか?他国にとって【ジャパニーズ・ミリタリー】に違いは無いのに。
…その方が他国から抗議をする際に都合が良いからではないでしょうか。
結果的に軍にするしないはともかく、法規で縛る事に日本にとって納得出来る理由はほとんど無い、これがふたつめの持論です。


みっつめ、国の在り方について。
これは前述したふたつのまとめかつ矛盾した意見です。
憲法に対外的な効果が無い、と書きましたが、実際のところ憲法改訂には他国の意見が常に付きまとうでしょうし、それ自体が争いの種ですよね。故に現状維持を掲げる方の読みは正しいと思います。
ですが、それが既に平和的でない。
軍を持つ国々が、何故日本の武装を拒むのでしょうか?それが憲法の現時点での立場だからです。
核も銃も同じです。誰かが保有してる限り手放した先に恒久の平和なんか有り得ない。


日本だけが平和に、なんて理想的どころか極めて破滅的な傍観者の意見です。
議論の否定になりますが、自国の憲法だけじゃ不可能な事で。
武器を捨て、あいたその手を他国と繋げて、初めて平和ですから。他国が納得して銃を捨てる形を実現出来ない限り、他国が手をあけない限り、現状は恒久の綱渡りだと考えてます。


導く答えが【憲法自衛隊が正しいかどうか】にすりかわってはなりません。
【結果平和でいれるのか】と言う部分が常に主眼でなければ。
必要なら変えなきゃなりませんし、変えるなら軽率であってはなりません。


武力の無い平和は、今のところ俺の拙い頭では幾通り錯誤を重ねてもイメージ出来ませんでした。
かと言って今の日本が平和的に上手く憲法の形を変える事もできるとは思いません。


変える必要があるなら
変える事が出来ないなら
違憲であれ必要なら
誰かが持たなきゃならないなら
俺は迷わず銃を取ります。
憲法より平和や国民を守りたいから。


事実取りました。
やり切れない思いもありますが
それが結論ですかね…(´・ω・`)


…最後に
自衛官じゃなく
ひとりの人間としての俺にとって
このままの日本で
いつか自衛隊の必要ない
優しい世界になる事が
いちばん幸せな答えである事を
付け足して締めくくりとさせて頂きます。


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こめより
【ありがとうございます!】


非常に納得のいく文でした。特に「他国と足並みを揃えて軍縮しなくては」というのは、僕自身も常々思っていることなので、頷きながら読ませてもらいました。


関連してですが、よく護憲論者の意見として「日本が平和憲法の先鋒となる」というのを目にします。ですがこれも、具体的にどのように他国まで効果を波及させていくのかまで考えていなくては、単なる理想論(それも、極めて危険な)だと思います。
『一国家として非戦争状態を保ちつつ、世界全体としてもそれを目指していく』…目標はここですが、ただ戦力を放棄するだけでは前者はどう考えても難しい。だから、僕は現状において自衛隊を無くすという言説にはどうしても賛成できないのです。それと矛盾するようですが、後半のためには憲法九条を「他国に対して示し続けてておく」ことも大切だと思っています。
理想と現実のすり合わせ…本当に難しいですね。


個人的には、根っこの部分で「戦争が無い状態を目指す」というのが一致しているのを感じて、とても嬉しかったです。


もし良かったら、○○さんなりに「どう憲法を変えたら良いか」の意見も聞かせてもらえたらありがたいです。護憲論者の言う「アメリカと協調して戦争をできる国にするためだ」なんて単純な目標では、決してないと思うので。
あ、もしお時間があったらで!ご無理はなさらず〜。


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少し間があり、こめより
【こんにちは!】


その節は、憲法に関する意見いただいてありがとうございました!
例会三回に渡って、元にした議論をさせていただきました。印象としては、「自衛隊=悪」みたいな捉え方をしていた人たちに、かなり衝撃を与えられたと思います。


職務本当に大変だと思いますが、どうぞ体には気を付けてくださいね。応援しています。


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友人より
【こんばんは!】


いえいえ、むしろ返信しきれませんで申し訳ありません(´・ω・`)
微力でもお役に立てたのであれば幸いです(*´▽`*)


新しい憲法の形、に関しての私見です。


平和を語るなら!
そもそもこの広い地球の極東も極東、総人口の1割にも満たない少人数が暮らすばかりの島国が、
「我々【だけ】は不戦を貫きます!」
…と声高に叫んだところで、ごく矮小な効果しか得られない様に思います。


憲法は国の最高法規ですが、それ以上でも以下でもありません。
平和なんてものは一国が憲法を定めたくらいで自己完結出来る目標では到底なく。


例えば世界中が武器を持つことで戦いが無くなるならそうすべきでしょう。
武器アレルギーの方々はえてして【戦う手段(主に自衛隊)を持つべきかどうか】、に論点がすり替わりがちですが、語るべきは【平和のより建設的な実現案】なんですよね。


憲法の間違いは自衛隊の扱いなんて小さな話じゃなく、たかが島国の最高法規で全てが丸く収まるかの様なミスリードだと思います。


自分が戦わない為の最適解は武器を持たない事じゃなく【周りに戦わせない事】で、それはつまり憲法の力及ばざる部分がより多くのウェイトを占めると言う事で。


【各国の牽制と協力】が不可欠ですね。たとえば線でなく円の平和。
武力の行使が多大な被害を、行使しない事が少なからぬ利益をもたらす様な円卓的な(二国間のみでない)国家交流。
その為には互いの牽制になりうる剣が必要ですし、政治的なアプローチも肝要になります。
世界的にはそう言った思想が広まりつつありますし、憲法のしがらみを除いて日本も既に円卓の中にいます。


憲法の改正ならばそれを踏まえて…
一切の軍事力を持たない→保有する一切の武力を自国の利得の為に行使しない
…とするのが良いかもしれません。


いまいち具体性に欠けますが、つまりは「今のまま頭ごなしに押さえつけるようでは自衛隊がいようがいまいが好転はしない」かな、と言うのが俺の意見です。


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こめより
【Re:こんばんは!】


円の平和、すごく納得です。三國志の「天下三分の計」も元は近い発想だったんですよねぇ。あれは、戦力バランスが伴わなかったからこそ成功しなかったわけで。
多様な価値観(国家)が相互に過干渉せず付き合っていくためには、そういうのも必要だよな〜って思います。


最近すごく思うのが、「情勢を判断できない社会運動に未来はない」ってことです。3.11に郡山でデモやっちゃった反原発団体なんかもそうですけど。
世論の90%以上が自衛隊を素晴らしいものだと感じている中で「無くすべきだ」なんていうのは、自殺行為だろって思っちゃいます。それが必要な時もあるかもだけど、きっと今ではない。


改憲論がみんな○○さんみたいに、現実に立脚して冷静に判断した結果なら、きっと問題ないんでしょうけどね…。そういう方ばかりでないのがまた悩ましい。明らかにジャイアニズム全開の方もいらっしゃるので。。。
だからこそ、9条という「国家に対する抑止力」もまた必要だと感じてしまいます。どっちに暴走しても、平和は崩れてしまうでしょうから。
いやしかし、「基本的には攻めない、けどいざとなったら攻めるかも」というバランスを保つのって難しいですね。


っと、つらつらと愚痴めいたものまで書いちゃいました。
また何かの折には相談させてください。改めて、ありがとうございました!


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以上です。


様々なご意見、あると思います。ですが、あくまでも「私見同士」を往復したものであることはご了承いただけたらと思います。


もちろん、憲法策定にあたってどこまでGHQの意見が反映されたか…ということもあるでしょう。国家に対する抑止力である『憲法』によって、実際の安全性(特に自衛隊の皆さんの)が脅かされている側面もあるでしょう。


それでも僕は、『九条』と『自衛隊』が同時に存在する現状だからこそ、保たれている平和というものもあるのではないか…と考えるのです。

水槽お掃除

アースデイに向かうマキコさんとトモ君を送り出して、僕は家で飼っているお魚さんたちの水槽をお掃除。
意外と時間かかるんだ、コレw


ちなみに我が家にいるのは、以下の通り。
大水槽(熱帯魚用、60cm級):ミニブッシープレコ大人4匹子ども30匹程度、ラスボラアクセルロッディ5匹程度、カージナルテトラ20匹弱、レッドビーシュリンプ10数匹、スネイルキラーローチ1匹(レアキャラ)、スネイル適量(笑)。
小水槽:金魚2匹(去年の夏祭り金魚すくい産)、黒?メダカ1匹(左に同じ)、シマドジョウ1匹。

プレコたん、10cmくらいになる種類なんですが、混み過ぎ…。適度な水流とヒーターがあれば飼えるので、どなたかチャレンジしてみませんか?w


これは多分魚飼いさんでも意見が別れると思いますが、僕は水槽のお掃除が大好きです。癒されますw
黙々と家事をやると落ち着くのと似てるかな?

キレイにしなくても、しすぎてもダメ。適度に成分(微生物)を残しつつ、過度に増えすぎた汚れは取り除きつつ…なんてことを考えていると、社会や子育てにも通じるところがあると思ったり。
『中庸』って言葉、好きなんです。


さて、奥さん子どもと合流して、ルヴァンっていう天然酵母パン屋さんのカフェで遅い昼食を食べてきます♪