神奈川県古民家2【大和市下鶴間ふるさと館】

神奈川県内古民家紹介 第2回は、
神奈川県大和市下鶴間にあります

大和市下鶴間ふるさと館内にある「旧小倉家住宅」「土蔵」です。


ふるさと館には、市指定重要文化財の旧小倉家住宅の母屋と土蔵が復元されています。母屋は安政3年(1856)に建築されたもので、宿場の商家建築として県内でも数少ない建物です。土蔵は前身建物の古材を用いて大正7年(1918)に再建された商家の付属建築で、一般に袖蔵と言われています。

旧小倉家住宅母屋 概要市指定重要有形文化財
建築年代 安政3年
構造形式 木造平屋建、入母屋屋根
建築面積 153.4m2

土蔵 概要
市指定重要有形文化財
建築年代 大正7年(再建)
構造形式 木造2階建、切妻屋根
建築面積 21.06m2

旧小倉家住宅母屋は、東海道脇街道である「矢倉沢往還」の下鶴間宿に残された宿場町時代の唯一の商家建築で、神奈川下においても江戸時代の商家建築遺構はほとんどみられません。


母屋は街道に面して建ち、間取りは街道から見て、左手に広い土間があり、土間沿いの街道寄りに床高の低い12.5畳の「みせ」、奥に10畳の「ざしき」、右手前方寄りに8畳の「なんど」、その奥に床と棚を持つ8畳の「おくざしき」があります。屋根は建築当時は茅葺きを軒先まで葺き下ろした大きな入母屋造りの屋根でした。建築年代については、棟札などの資料はありませんが、建築調査の際見つかった「ざしき」床板の裏側に書かれた落書き中に「安政三年」の年紀があり、また、建築の構造手法からみてもこの時期の建築とみてさしつかえないようです。
母屋の姿は、横浜居留外国人向け英字新聞「ザ・ファーイースト」明治4年10月4日号に掲載された下鶴間宿の写真の中に見られ、当時の様子を窺い知ることができます。


小倉家は幕末の創建時から雑貨商を営んでいました。
取り扱っていた商品の中でも、薬品・医療用品は、品揃え豊富だったようです。現在残されている主なものとして、軟膏、丸薬等の飲み薬、座薬、殺虫剤、注射液、石鹸、栄養剤、シッカロール、マスク、分娩用紙、染料、目薬、蚊取り線香など多岐にわたっています。農村部での医療品の利用状況を知る上で貴重な資料となっています・・・・・・

古民家を知る上で大変興味深い資料です。

旧小倉家住宅母屋の座敷床板の裏側には、文字や絵が二重三重にかかれていました。その中には三本マストの黒船の絵や「豆州賀茂郡仁科庄 石田利三良」の文字、さらに「安政三年」の年紀もかかれていました。これらの文字や絵をかき残したのは、伊豆出身の石田利三良ではないかと考えられています。


大和下鶴間ふるさと館HP


古民家は基本的に夏の暑さをしのぐ設計がなされており、間仕切り壁は用いず、通風性を良くし、大きく張り出した軒や庇により夏の日射を遮り、熱容量の大きな土壁を用いている。

現代の技術は機械力(冷房、暖房器具)を使い強制的に自然を従えるようなもので、自然を生かしたものではない。

民家再生にあたり横架体をみせたい。。。
そうした場合に設ける大きな吹き抜けや間仕切りを持たない設計は大変夏には適しているしかし、冬場寒いので寒さ対策をしなければならない。

こうした場合は、

【対流式よりも輻射式の暖房を用いる事】をオススメしたい。

対流式はエアコン等であり輻射式は暖炉や床暖房などである。

人体の感覚として基本的に足元からジンワリと暖める事が寒さをしのぐ大切なポイントでありますから、
開放的空間に対して床暖房の効果は絶大であります。
【木の特長を生かした環境づくり】木は調湿作用がありますから、機械化しすぎて、木に負担をかけてはいけない。断熱化をおこなううえで、結露がでるほど高気密にしない。
古材・建具などのため乾燥しすぎないよう、空調はなるべく控える。

知恵をしぼり、情報調達をし、その家の用途や環境に合わせ、より自然に近い環境設計ができるようこころがけたい。