言葉は傷つけるためのものではなく、伝えるためのもの


私の中に言葉は傷つけるためのものではなく、伝えるためのものっていうのがある。


きれいごとかもしれないけれど。




攻撃的な言葉、文章を目にすると哀しくなる。

言いたいことを言うために、伝えたいことを伝えるために、攻撃的にならなくてもよいと思う。



怒っていることを伝えたいのなら、なおさら。

相手をどうにかしたいのなら、なおさら。



攻撃的に出れば、相手も攻撃的になる。

喧嘩腰で望めば、相手もそういう態度で迎え撃とうとする。



以前の職場の上司にとても攻撃的な言葉づかいの人がいた。

私も攻撃された。トイレに行って泣いた。

職場での立場上、私は反撃できなかった。



ある日、私は言った。

できるだけ穏やかに静かに丁寧にこんな感じで。

「私の仕事のやり方、結果に不満があるのなら、これは、こうこうしてほしい、こんな風にしてほしいとそういう言い方して欲しいんですけど」

「私は○○さん(上司の名前)のその言い方に傷ついている」というようなことを柔らかく伝えた。

伝えなければその上司の攻撃的な言葉づかいはこれからもずっと続く、そう思ったからだ。




その上司はその後部署が異動になって、顔を合わせることはなくなった。

上司の攻撃的な言葉づかいがその後どうなったかはわからない。

が、異動後上司(元上司)と何度か電話で会話をした時には以前のような刺々しさはなくなっていたように思う。




言葉は傷つけるためのものではなく、伝えるためのもの。

そう思う。それは今も変わらない。

人を傷つけるような言葉は使いたくないと思う。




どう言葉を使ってもそれは使う人の自由。

んー、でも私は伝えるために言葉を使いたいと思う。

こんな風に考えている。思っている。感じている。

そういったことを素直に表現したい。できるかぎり。