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komugiko00のつぶやきです

2017-01-09

[][][] 「三人吉三」〜初シネマ歌舞伎

2016年11月、若い人に手をひかれ、「シネマ歌舞伎」というものを初めて観た。

結果を先に言うと、たいへんによかった。

歌舞伎とは別物の一ジャンルとして完成度高く楽しめた。


何年か前に「シネマ歌舞伎」というのを知ったのだが、「舞台より安く見られる」という文脈で認識したので、あまり魅力を感じなかった。安い分、生の空気感はないんじゃないかという印象だった。

今回観に行ったのは、舞台とシネマ歌舞伎両方にはまっている若年者(私が歌舞伎にはまり始めたぐらいの年齢)の「熱」が素敵だったのと、演目が、中村屋兄弟の「コクーン歌舞伎三人吉三」、舞台に行きたかったが行き損ねたものだったからだ。

歌舞伎の舞台の映像というと、私も何本かDVDを持っている、NHKなどのテレビ局によるもので、「舞台の記録」としての映像である。

シネマ歌舞伎はなるほど、そういう名前を付けるだけのことはある。あくまで舞台なのだけれども、映像として見せるために構成され撮影され音響が作られたもの。

舞台では見ることのできない角度、カメラの展開があった。

「歌舞伎の映像化」=記録的価値はあるが生の立体感が二次元になったもの。

「シネマ歌舞伎」=映像という二次元の技術で三次元を表現したもの。

というところだろうか。


もちろん、生の舞台の空気を直接に動かしてくる「肌触り」はないが、それは映像表現の自体特質の一つであるから、大前提としての違いである。

私は、『三人吉三』は、普通の歌舞伎と、十八代目中村勘三郎によるコクーン歌舞伎と、今回のシネマ歌舞伎と、三種類観た。

普通の歌舞伎とコクーン歌舞伎は別物である。シネマ歌舞伎も別物である。

別個の表現手法であって、それぞれ全部顕ってよい。

ジャンルとしてのおもしろさを教えてもらった一夜だった。


一つ、演者は違うがコクーン歌舞伎を観たことがある人間ならではの体験もあるかもしれない。

3D映画を観る時に眼鏡をかける、あんな感じだ。

シネマ歌舞伎の映像を見ているのだが、スクリーンから座席までの空間に、シアターコクーンの空間が見えることがあった。

二つの別個の表現が重なるのである。舞台の空間の肌触りが、半透明に再現される。コクーンの客席に座っている感じがする。これはちょっと素敵だった。

たぶん、他の人も他の組み合わせで体験したことがあるのではないかと思う。


私は『BENT』の舞台を見た時、ポーランドで訪れたアウシュビッツの風景が同じように三次元で重なってきた。その場に立っている感覚がするのである。

つまりシネマ歌舞伎は、完全に別物のジャンルとしても楽しめるが、二重メガネの立体映像効果ももっている、ということだ。

これはもちろん視覚的効果のことだけを言っているのではなく、臨場感、訴えてくるもの、すべてのことである。

もう一つの結論を言うと。

また行きたぁ〜い!(はあと)


生の舞台の立体感は、舞台なら無条件に出せるものではない。いい舞台なら味わえる、というもの。

「空気が動く」は、私は故中村勘三郎の若き日の舞台で初めて感じさせてもらったものであった。

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2012-12-01

[][]「のぼうの城


映画を観に行った。テレビCMに釣られた、たまたま平日が完全オフになった、から、というかるーい気持ちで。

おもしろかった。エンターテインメントだね。

野村萬斎は適役だった。komugiko00的には、今まで見た中で一番しっくりきた(もちろん、狂言以外でね)。

彼の、どこかで人を食った感じ、腹の座った感じがよく生きていたし、狂言師としての技術もちゃんと生かされていた。

これを見ると、以前見てしまった、日本語のわからない外人監督の「ハムレット」なんかごみだったことがわかるよ。


役者はみんなよかった。

しかし、「怒鳴る」ところは、録音・スピーカーと言う機械を通してさえ、市村正親と野村萬斎が別格だった。ぜんぜん。舞台のために若いころから鍛えた声がいかに格が違うか、よーくわかった。

内容的には、甲斐姫が、伝説よりもふつうに女の子女の子していたのは、イマドキなんだろうな。女将軍の話を書く気がなかったのは、原作の意図かな。まあ、甲斐姫にめだたれちゃったら、のぼう様が目立ちにくくなるよね。配役も、体つきはきりっとしてるけど顔と声が子供っぽい女優を選んでいるしね。


水攻めのシーンとか、映像は迫力あったが、正直komugiko00的には、そういうのはわりとどうでもよい。文字だけから映像イメージかなりできる方なので、わざわざ映してもらわなくても、とか、映した方が、スクリーンのサイズになるから小っちゃくなっちゃうとか、いわゆる「迫力ある映像」作品見るたびにそう感じちゃうわけだが。

shinbashiは行かなかったが(オフじゃなかったし)、あっちは、特撮好き(原義の「特殊撮影」好き)なので、技術そのものを楽しむという見方をするから、そういうタイプの人は楽しめるんだろうな。

原作の小説では、「のぼう様」は、大男だ。身長も幅もあり、無表情でぬおおおっとしている。無表情なのに、周りの人間んがこの男がいつも「へらへら笑っているような印象を受ける」とある。

萬斎では小さい。細い。ただ、見た目ではなくて、その「印象」を抽出すると、あの人選になるのだろうと納得がいく。


原作の「見た目」と違うのは、坂巻鞘負もだ。成宮がやっていたが、みためでえらべば二宮だなあと思った。小さくて貧弱な体格で顔が薄い。

しかしこれも、内面的に「小柄だから武勇では大成できない」というスタートのネガティブさを薄くして、「軍略ではおれの右に出る者はいない」という根拠のない自信と、その自信の醸す一種のあでやかさに重きを置くなら、成宮、よし。

みんなが踊るシーンがたくさん(半端なミュージカル、ぐらいの量)入っていたり、萬斎主演を生かす気も出ていて、バランスのとれたエンタテインメントだと思った。


のぼうの城 上 (小学館文庫)

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2012-06-10

[]愛と誠


komugiko00なら。

愛はきれいな女の子なら誰でもいい(^^;


誠:坂口憲二

石清水:ナイツの土屋

なんだけどな。

2011-12-27

[]しょうこお姉さんすごい


今日の昼間、テレビをつけっぱなしにして掃除などしていたら……。

いいともテレフォンショッキングの声が聞こえていた。

その声質や話し方から、歌のお姉さんのはいだしょうこかなと思った。

レギュラーだった気もしたが、もうそれは終わってゲストできたのかな。


たわいもない話をして、子供っぽい説明をタモリがやさしくつっこんで……。

と思っていたら、話題は『妖怪人間ベム』に。

あれ?


見てみると、ゲストは鈴木福、七歳、だった。


しょうこお姉さんすげえ。

声はともかく、話すときの語彙や論理がまるで「子供」だ。

鈴木福は芦田某のように大人の手垢まみれにされていないので、まだ自然なふつうの子供の話し方をしている。さすがに、子供としては回りくどくない簡潔な話し方をする賢い子のようだがでも子供の発想、子供の言葉選びで話す。

それがはいだしょうこそっくりだったわけだ。

すごい。

2011-12-18

[]THE MANZAI 2011

THE MANZAI


またしても開始時間を忘れていて、途中から見てしまった。

まあ、いまどきYOUTUBE探せばいいのだが。後で見るね。

2700もいたなあ、「あれ漫才か?」と思ったけど見たかった(shinbashi曰く、「漫才だよ、コトバだから」。うーん)。そのほかいろいろ見たかったコンビがっ(時間覚えましょう)。

で、みんなおもしろかった。

決勝の四分の三がM−1での実力者だったように、「結成十年以内」の枠がない分こなれていた、というのもあるだろう。


もう一つは、会場の雰囲気づくりのために、演者がそれなりにリラックスして――もちろんすごく緊張していると思うが、ネタ本来のおもしろさを圧迫するような「無駄な緊張」がなかったように見えた。

まあ、M−1の持っていたシビアな緊張感はそれはそれでよかったのだが(特に初期は)。


今回、司会がナイナイだったとき、でも「THE MANZAI」というタイトルなら爆笑問題じゃない? と一瞬思った。

芸人が、ひとたびテレビで売れると「人気MC」となり、ネタをやらなくなっていく中、いつまでも「漫才師がMCやっている」ことを忘れないのが爆笑だ。

MCやりながらでもネタの形式をはさんでくるし、MCやっている番組で極力「ネタ祭り」的なものをやろうとする。

そういうのは彼らだけだ。(ダウンタウンもそういう面もあるけど、爆笑はコントとかほかの形式しないからね)。

まあ、田中がいないと生きていけない太田の特性もありつつ(^^; だろうけど、いい意味で「漫才へのコダワリ」を体現している。

そういう意味では、彼らだけが全国放送で「THE MANZAISHI」なのだ。「ザ」なのだ。


ナイナイはごく早いうちにバラエティで売れたから、「漫才師」としての印象はない。


それで、爆笑だろう、と最初は思った。最初は。

でも、ナイナイでよいのだなと。彼らだからバランスがとれる。ニュートラルな感じになれる。視聴者もバラエティの気楽な感じで見られる。だから、出場者のネタの方が主役になる。


と思った。

ふたを開けると、たけしが別の局に移動した後、爆笑が出ていた。

彼らが、他人のネタを見ているときが好きだなあ。ネタ祭りなどでもそうなのだが、本当に漫才が好きなんだ、見ているのが楽しいんだ、という気がする。

彼らは自分たちのスタイルを確立しているし、自分たちの事務所を作ってしまっているし、こう、体制の中で他人を「評価する」という視線がないんだよね。純粋に漫才好きの漫才師でいられる環境だと思う。


そのへん、もはや漫才師ではなくなっているが、たけしと共通していると思う。

なるほど、たけしの抜けたところは彼らが埋めるのか、うまいな、と思った。

まあ、吉本独裁のカラーを薄めるためともとれるけど(^^;

あ、そうか、ナイナイと爆笑に共通しているのは、「子分を作らない」ところだな(ここはたけしはちがうね)。

それがニュートラルな感じの根源か。


あ、それで「爆笑問題」でなく「爆チュー問題」にしたところで、毒抜きをして、ナイナイと並ぶMCクラスではなく、別物……漫才の妖精(?!)みたいな位置づけになっていたかと。


審査員も、吉本勢力は高須と木村、制作側の人間を出してきているのも、考えてるな、と思った。まあ、木村は芸人でもあるんだけど。


M−1との差別化、芸人にも視聴者にも「リラックス」を、というコンセプトがしっかりした番組作りだと思う。


と、「番組」のことばかり書いてしまったが。


いや、決勝もどれもおもしろかったと思う。

komugiko00は個人的にナイツが好き、土屋フェチなので贔屓目に見てしまうのだが、いいんじゃない、どこでも。


ナイツの某くだりで太田が大喜びしていたのが、komugiko00的には非常にウケた。


決勝以前にもおもしろいコンビもあったけど、あっちがいいとかいうより、見ていてふつうに楽しかった。

ネタ一つ一つ書くより、全体が楽しめた、というのが素直な感想。


優勝がパンクブーブーだったのは、「番組持たせる」ために仕組まれたことかなと思いつつも(やっぱ吉本枠ってことでしょう、という)、ぜんぜん無理ないと思うし。

あーなんか視聴者の投票(?)のは、ネタと突っ込みの「数」を特質とするナイツに有利なのはわかってるし。それだけが笑いじゃないし(漫才じゃないけどラーメンズバナナマンが好きなわれわれであれば、抑えといてドカーン、も好きなので)。