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藤棚の上 このページをアンテナに追加

「藤棚の上」は私「K子」が、自分のいろいろなことを棚に上げて愚痴るための場所です。
発言する限り個人的に責任をもって行きますが、公式発言とは違う、と言う事を了承の上でご覧下さい。(←パクリ)

2015-02-06 1年間の総括(2)

[]1年間の総括4 02:55 1年間の総括4を含むブックマーク 1年間の総括4のブックマークコメント

(引き続き時系列が不確かです)

なんとかその痛いのも終わって、赤ちゃんが戻ってきました。夫も戻ってきました。

でも赤ちゃんは引き続きカンガルーケアをしてくれと言われて、赤ちゃんを抱かされて、看護師さんはどこかに行ってしまいました。カンガルーケアとやらは赤ちゃんには良いことなのかもしれないけど、僕はとっとと止めたかったです。知っての通り僕はデブで体に脂肪が多いので、ちょっと気を抜いて赤ちゃんの顔が肉に埋もれたら窒息しちゃうじゃないか!と思って・・・くわえてこっちはお産が終わって鮭なら死んでいるような状態です、いつ気が抜けちゃうかわかったもんじゃない人間に赤ちゃんを長時間任せきりにしちゃうとか、ちょっとやめてほしかったです。で、このときはまだ点滴も入ったままだったので、点滴慣れしていない僕はそれもあって全然自由に動けません。結果仰向けで3kgの赤ちゃんを胸の上に乗せたままほぼ微動だにしないまま数十分を過ごし、その重さと精神的な緊張で呼吸が苦しくなってきたのでナースコールを押して赤ちゃんのその後の処置をしてもらいました。予定ではもうちょっとの時間カンガルーケアするはずだったみたいですけど。勘弁してください。まじで。

で、夕食を食べた後で個室に移る手はずだったのですが、何故かなかなか動かさせてくれません。それどころか上体を起こすのすら「大丈夫ですか?!大丈夫ですか?!」と言われる始末。後から聞いた話で分かったのですが、僕、お産の時に1リットル以上出血していたらしいです。その前のおしるしの段階から身体から血は出ていたので、トータルだとかなりの量の出血ですよね・・・無駄に体がでかくて助かった。身体がでかいのはバイクに乗る時と子供を産むときには有利だとわかりました。

結局個室に移ったのは夜8時ぐらいで、面会時間も終わってしまったので、個室に移った後に夫は帰りました。この病院は母子同室制で、とりあえずおむつの変え方を教わり、赤ちゃんのお世話のフローチャートを教わります。曰く、赤ちゃんが泣いたら、おむつが濡れてたら変える→泣き止まない場合おっぱいを飲ませる→泣き止まない場合抱っこで泣き止ませる であると。

[]1年間の総括3 01:52 1年間の総括3を含むブックマーク 1年間の総括3のブックマークコメント

次の日の朝、夫が来て、前述の通り痛みとの戦いで疲れすぎて朝ご飯が全く喉を通らなかった僕を見て驚いていました。「K子さんが食欲ないって言って朝ご飯を食べなかったのを見たのは後にも先にもあの時だけだった」と今でも言います。言うても僕も人間なので食べないときは食べないのですが、よほど弱っているように見えたのでしょうか・・・。ちなみに昼ごはんはカレーだったのでちょっとだけですが食べました。カレーは偉大です。

↓以下お産の話があるのでタマヒュンしたくない人はスキップ推奨

一応陣痛自体は来てはいるのですが、経過が遅いということで点滴の陣痛促進剤を入れられました。人生2回目の点滴です。かくして昼過ぎぐらいに陣痛が5分間隔になっていきみたくなる感じ?(要は「出てくる」感じ)もようやく出てきてお産を始めることになりました。なんですが、なにしろ子供を産んだことがないのでどのぐらいの痛さ加減や出てきたさ加減で「産んでいい」のかがわかりませんので、「これ『いきみ出てきたんでお産始めてください』とは言って助産師さんと看護師さんにいろいろやってもらってるけどまだ生まれる状態じゃなかったんじゃ・・・」と産まれる瞬間までずっと思っていました。

ですが別のお産が入っていて分娩室が埋まってしまっているとのことで、ここの大部屋でそのままお産をすることになりました。これ部屋に僕1人だけだったからこういう判断になったと思うんですけど、他の人もいたらどうする気だったんだろう・・・考えないことにしよう。

まだ子宮口の開きもそんなではないから、とのことでのんびりと環境が整えられました。おそらく僕の側は全然余裕がない状態だったんだろうと思います。ゆえに細かいところは覚えていないのですが、汚れないようにシートを敷いたりなんだりしていたのかな?そして僕の側からは腰から下が見えない状態になっていた気がするのでどういう環境だったのか自分では全然わかりませんし覚えてません。写真撮っといてもらえばよかった(どう考えても「写真撮っていいすか?」とか聞ける状態ではない、と念のため書き添えておきます)。

そして肝心の僕の側に全然自信がないまま14時ごろからお産スタートです。子供の産み方は簡単に言うと、陣痛が来てお腹が痛くなった瞬間にいきめば赤ちゃんが出てくるとのことでした。それに合わせて助産師さんが膣の中に手を入れて赤ちゃんを引っ張ってくれたり?(何しろ見えないので詳しい動きはわからない)します。

いわゆる分娩台での出産ではないので、いきむ姿勢も自由で良くて、最初仰向けでいきんでうまくいかなかったので、大多数の時間は横向きでいきんでいました。汗をいっぱいかいて夫に拭いてもらっていました。赤ちゃんは一度だけズズズっと前進した感覚がありましたが、それ以後はあまり進んでいる実感がありませんでした。

それまでは助産師さんと看護婦さんだけでやっていたのですが、お医者さんも来ました(1人しかお医者さんはいない病院で、先述の通り別のお産があったのでそれが終わって準備をしてから来たんだと思う)。

助産師「なんか出口のところであと一息で詰まっちゃっている感じなんですよね」お医者さん「じゃあ○○(聞き取れなかった、たぶん専門用語)しましょう」

仰向けでいきむのに変更して、いきむ瞬間に助産師さんが僕のお腹を押しました。例によって細かいことは覚えていないのですが、立ち会ってた夫によると「K子さんのでかい体がくの字に折れ曲がるぐらいの力で押していた」そうで、「あの後時間がかからずに産まれたからよかったけど、あれ以上あの状況が続いていたら俺は見ていられなくて止めに入ったり退室したりしていたかもしれない」と言われました・・・

で、2回ぐらいその押すのをやって、お医者さんが次で産まれると判断したのだと思います。「出口切るよ」と言われました。いわゆる会陰切開です。その次のタイミングでいきんだ時に、助産師さんがお腹を押して、お医者さんが会陰を切りました。

バチン(切った音)「痛っ!!!!」

ズボッ(頭が出た)「ああっ!!!」

ズルルル(身体が出た)「あーーーーーー!!!!」

僕が3回絶叫して、2014年2月4日16時7分、コナ美はこの世界に生まれ出ました。本当に出てくる瞬間は一瞬でした。スポーンと出ました。産声もすぐに上がって安心しましたが

看護師「声低いですねw」僕「そうなんですかw私も声低いし・・・w」

生まれた直後にこのやりとりですwなんというか双方、余裕があります・・・。

そしてコナ美を見た僕の一声は「でかい!」でした。コナ美自体の身長と体重は至って標準的だったのですが、産まれた赤ちゃんってもっと小さいというイメージがあったのと、自分のお腹の大きさから想像していたよりも大きかったので。あと髪の毛も思ったよりも沢山生えているなーと思いました。

(以下、時系列が違うかもしれません)

お産が始まってから産まれるまで2時間も経っていたことにびっくりしました。自分ではいいとこ1時間ぐらいかなと思っていたので。一応事前に「夫が立ち会えていたら夫にへその緒を切ってほしい」と病院に希望を伝えていたので、夫にへその緒を切ってもらいました。やはり折角なので何か参加?してほしかったので。

赤ちゃんが胸の上に載せられました。カンガルーケア、というものらしく、産まれたばかりの赤ちゃんをお母さんの裸の胸の上に載せて、保温と絆づくりをする・・・らしいです。まあ一種のセレモニーなんでしょう。とは言ってもいま出てきたばかりの赤子です。軽く水気?は拭いたのかもしれませんが血とかいろんな粘液にまみれたままです。正直ちょっと汚い・・・と思いました。赤ちゃんは汚くないけどさ、そのまみれてる血やら粘液はあくまで僕のですし!くわえて胸の上で胎便を出されたので早々にカンガルーケア終了。

赤ちゃんは手足がプクプク、というイメージがありましたが、産まれた直後の赤ちゃんは手足は痩せて細くて、皮膚はふやけていてしわしわでした。

その後赤ちゃんは体重測定とか、僕は後処理があるので、夫はいったん退室することになりました。ていうか夫が退室してくれて良かった。切開したところを縫うのがものすごく痛くて弱音を吐きまくっていたので・・・一応麻酔を使って縫っていたらしいんだけど、肝心の縫う部分に麻酔が効いていない感があって痛かったんですよ!次の日にお医者さんに「あんた我慢強かったねー」って褒められたけど、産むので痛いのは赤ちゃんの為というか、必要なことというか、産めば終わることだから我慢できたんだと思うんですよ。でもこの縫うのの痛みは自分のための痛みだから痛いんですよ!!自分に対してはヘタレなんですよフジサキ!そういうことがあるとか事前に全く知らなかったし、産んで体力も精神力も使い切っている状態でそれはちょっと耐えられないって話ですよ!!!

[]1年間の総括2 01:52 1年間の総括2を含むブックマーク 1年間の総括2のブックマークコメント

とにもかくにも妊娠の経過が順調で、僕自身がデブだったためあまりお腹が目立たなかったことも手伝って、自他ともにあまり大事にされないまま36週目になり、里帰り出産をするために僕は旭川の実家に移りました。2013年の年末です。

ぶっちゃけ、赤ちゃんが生まれるまでの2か月強の実家での生活は、全然楽しくありませんでした。

  • 良いこと
    • 家事をほとんどしなくていい
    • ちゃんとした食事が食べれる
    • 病院が近い(車で5分)
  • 良くないこと
    • 家に祖父と叔母が同居しているため、1人になれる時間がない
    • とくに1Fには半分寝たきりの祖父と僕と2人しかいないという時間がほとんどだったので祖父の体調が悪かったりすると気になってすごくストレスがたまった
    • 母が機嫌悪くなったときの口調が怖い、というか朝は忙しいので大体その口調で父と会話している声で起こされるのが辛い
    • 車がないため1人で外出ができない(冬だったので1人で歩いて外出は流石にダメと言われていた)
    • PCがないので絵が描けない
    • 1人になれる環境と自分専用の机がないので手書きでも絵が描けない(これが一番デカかった、環境があれば漫画のネームとか切っていくらでも時間が潰せたと思う)

なので母が1Fにいるときだけ申し訳程度に家事を手伝い、母が2Fで事務作業をしてたり仕事に出ている間はずーっとベッドの上でスマホをいじり、それに飽きたら寝るという生活をしていました。僕の人生の中でも屈指の「時間を無駄にした」時期だったと思います。

そんなこんなでお正月も過ぎ、自分の誕生日も過ぎ、出産予定日(40週)の1月24日を迎えましたが、診察しても全然赤ちゃんが下りてきてる様子はなく。というか39週ぐらいに聞いた話なんですが、妊娠36週までは体を大事にしてお腹が張らないようにした方がいいけど、それ以後はどんどん歩いたりしてお腹を張らせて(お腹の張り=子宮の収縮なので)とっととお産が始まるようにするものだったらしい・・・初耳だよ!!札幌にいたとき病院でも母親教室でも一度もそんなこと言われなかったよ!!

結局41週に突入しても状況に変化がなかったので、2月3日に入院して陣痛促進剤を使って産むことになりました。なんですが前日の2月2日の朝、生理痛のようなお腹の痛みと生理の多い時ぐらいの出血があって、病院に行ったら「おしるし」でしょうとのこと。予定から1週間半遅れてようやくコナ美は出てくる気になったようです。でも結局子供も全然まだ下りてきてないし子宮口も開いてないということで、予定通り3日朝に入院して陣痛促進剤を使うこととなりました。3日から始めて陣痛を来させて、4日には生まれるスケジュールだそうです。夫も、土曜に様子を見に旭川に来てくれてたのでちょうど良いといえばよかったです。そのまま会社の休みを3日間取ってもらいました。(土曜日に「月曜に入院」の話をされたので)

病院の病室は大部屋が2部屋と個室が4部屋だったかな?あるところで、大部屋で陣痛促進剤を使い始めて、お産が始まったら分娩室(LDR)に移って産んで、生まれたら赤ちゃんと一緒に個室に移る流れとのことでした。なにしろ産院なので赤ちゃんの生まれ方によって混雑度が変わります。私が入院した時はガラガラで、大部屋には私1人しかいませんでした。

飲み薬を間隔をあけて何回か飲みました。節分の日だったのでお昼ご飯は豪華でした。午後になって薬が効き始めたらしく、生理痛のすごく痛い時のような痛みが規則的に来るようになりました。(この辺個人差があると思うんですが、僕の場合は陣痛の痛みは痛みのレベルだけでいうと生理痛の重いやつって感じでした)立ったり息を吐いてみたりいろいろ痛みに耐える方法を模索して、結局「ベッドの柵に向かって足をつっぱる」に落ち着きましたが、落ち着いたのは朝になってからで、夜1人になってからひたすら痛みと戦っている時間は辛かったです。肉体的にではなく精神的に・・・。話す人がいれば「痛い痛い痛い痛い」とか言って気も紛らわせますが1人だとなんもできませんからね・・・様子を見に来てくれた看護師さんから姿勢を変えるためのクッションとか腰を温めるための小豆?の入った枕みたいなのの支給を受けました。

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