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kondouraな時間salvage

2010-01-31

出水近代交通の歴史

荏後の国、伴田氏城下町の出水(いずみ)は早渕川の水運とともに長い間繁栄してきました。

明治末期の鉄道省山中本線延長に際し、出水の船運組合により市街経由反対運動が拡大したため、

やむなく人口過疎の海側ルートで敷設されました。このため最寄り駅は早渕川の船便、もしくは

街道で10kmほど下った久地(現、早渕口)まで出ることになったのです。

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明治38年(1905年)、このままでは出水の衰退につながると懸念した商業組合は、船運組合と共同で

出水鉄道合弁会社を設立。市街地と久地との間に私有鉄道を敷設することにしたのです。

建設は翌39年(1906年)に開始されましたが、市街地の駅設置場所選定などに手間取り、また

早渕川架橋の大工事も加わって開業までに3年も費やしたのです。

結局、市街地起点を出水港から商業地である城下中町を挟んだ反対側の出水城下に。

終点の官鉄駅接続とは別に早渕川河口の湊までの延長線も作ることで合意され、

明治42年にようやく開通しました。

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これより前の明治33年(1900年)、出水市街と東側にある王禅寺との間に参拝客輸送を目的とした

王禅寺人車軌道が開通しました。これは出水市街と川向で醤油、味噌製造の盛んな地区

との製品輸送もあり、好成績にめぐまれていたのですが、出水鉄道開通により増え続ける

人員貨物輸送、および鉄道省荏中線建設で市街路線分断されることとなったため、この際、

本格的に電気軌道への転換をはかることになったのです。

こうして大正9年(1920年)、荏後地区初の電気鉄道である荏後電気軌道が開通しました。

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鉄道省荏中線の開通で賑わいを取り戻した出水ですが、出水鉄道は逆に客貨輸送量の減少に

悩まされ始めてました。そこで荏後電気軌道を手本とし、電化によるスピードアップと

快適性で利用者増を計画しました。同時に早渕湊より浜の湯温泉まで延長、観光開発にも

力をいれ、温泉から景勝地である用尋坊へのバス路線経営もあり、徐々に利用者も増え

はじめたのです。

丁度その頃、荏後電気軌道の王禅寺終点から奥にある四峰山に石灰鉱山が開発されることに

なりました。その輸送を軌道が行うことになったのですが開発の進行とともに輸送量が急増。

市街地の併用軌道経由では発送出来ない事態になりつつありました。そこで荏後電気軌道と出水鉄道、及び湊地区との

出資により新会社設立、新線を敷設することになったのです。起点は出水鉄道の久地とし、

そこから南下した荏後電気軌道の王禅寺口までの8kmです。ここで湊地区の有力出資者により、

さらに南下した国鉄万願寺までの新線計画に拡大。早渕川東岸の穀倉地帯と鉄道省荏中線

から短結による貨物を

湊からの船便に接続することでより大きな地区繁栄を狙うことにななりました。

新線拡大により、不足する資金は当面非電化とすることでまかなうこと。これは

出水鉄道電化により徐役となった車両などが転用できたこともありました。

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新会社、早渕鉄道は昭和9年に開通。さっそく主力貨物の石灰石をはじめ、荏後電気軌道

向町からの味噌、醤油なども市街地経由から新線経由になり、出荷量も飛躍的に延びていきました。

このような中、5年ほどは安定した各社だったのですが、時局は太平洋戦争に突入、いわゆる

戦時下での企業合併がすすめられることになり、ここ出水地区の各社も昭和19年(1944年)に統合。

荏後交通として一大交通企業になったのです。

この合併の前、燃料事情悪化の影響で早渕鉄道の順調な運転が難しくなってきました。

戦時下、セメント他の原料として石灰輸送は重要だったため、戦時特例として電化

されることになりました。これは戦中戦後の輸送におおいに役立ったのです。

戦後はさらに石灰輸送と一般貨物が増便。利用者も出水-王禅寺及び奥釜湖-浜の湯及び用尋坊観光の確立で昭和40年にピークを迎えます。

しかしその後は道路の整備、自家用車の普及などにより一般貨物の急激な落ち込みが始まり、

観光利用者もバス利用主流となり減少。昭和45年1970年)には石灰輸送以外の収益は赤字に転落します。

路線縮小も昭和48年の軌道線。昭和58年(1983年)の湊〜浜の湯温泉、王禅寺口〜

万願寺。昭和62年1987年)の出水本町〜湊と廃止。平成8年には旅客輸送を終了し、

現在は元早渕鉄道と荏後電気軌道の一部である早渕口〜奥釜湖で石灰輸送のみの運転

だけが行われてます。

来年にはトラック輸送へ変換との発表がなされており、おそらく鉄道運用も

運命をともにすることになりそうです。

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2010-01-30

セメント専用貨車

私有貨車 ホキ4200

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奥釜湖駅に隣接する奥釜工業からの石灰原石輸送用に活躍。

積み込み側線有効長の関係から7両編成が基本で、途中駅で2本合わせて国鉄線へ

14両で引き継ぎされてます。


ネタはイモン製セキ3000です。上部を切り取り、ハンドル類を改造して奥多摩工業ホキ4200風に仕上げました。

なので社名やマークもそれらしい偽物になってます。(しかも鉱業ではないし・・)

自由形ながらパッと見で解らないようにしつつ、たまにED16に牽かせて遊べる!のたくらみです。

内側もプラ板でそれらしく加工しつつ、元々の石炭モールドを白く塗装して脱着できるようにしました。

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車輪も半分ほどスポークに差し替えてます。

合計20両ありますが、今は手元の1両以外、遠征中です。

交換した車輪他、編成で走らせて不具合などをを見ていただいてます。

今のところ順調みたいです。



荏後交通社有車 セキ300

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雑多なセメント輸送用貨車を規格統一のために国鉄セキ3000の払い下げを受け編入。

改造はほぼ無く、そのまま石灰石輸送車として運用につくも、最近では輸送量の停滞でホキ4200だけでことたり、

運用に出ることは少ない。


ネタはそのままイモン製セキ3000です。近江鉄道などにいました払い下げセキをイメージしてます。

合計9両ありますが、今後は1,2両をホキ4200に改造しようかと思ってます。

2010-01-29

機関車続き

12mm 自由形電機 9号。

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戦時中、同じセメント貨物主流の秩父鉄道1型5号を借用。そのまま譲受された。

すでに保有していた7号とは同じウエスチングハウス社製ながら、9号はより大型だったため、

入線と同時に主力機として活躍。

現在では一般貨物を主体に運用だが、15号16号など検査時にはセメント運用に

入ることもある。


ネタはそのまま秩父デキ1です。ほぼ素組みながらエアタンクを差し替えてます。



12mm 自由形電機 15号。

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昭和30年代に入り、急増するセメント輸送に対応するため、

久しぶりに自社新製された日立製機関車。

現在も主力で活躍中。


ネタは東武ED5010です。正面では埋め込みテールライトを外付けに変更しつつ、おでこを丸く修正。

台車も板台車に変更しました。



12mm 自由形電機 3号

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軌道線開業時に入線した1号機関車。会社統合後の改番で当時在籍していた蒸気機関車

1,2号の続番である3号に。

初期は軌道線貨物運用で国鉄出水駅まで出入りしていたが、経路変更で王禅寺口の坂が登れず、4号就役後は貨物運用から外れた。

今も所属は軌道線だが、向町での出水醤油入れ換えが主な仕業で終日本線に出ることはない。


そのまんま銚子のデキ3です。ワールド工芸による12mm初製品で、今とは製品設計が大きくことなります。

そのため運転して遊ぶには少々苦しい動きになり、実際オブジェ的な立ち位置に甘んじている現状です。

カプラーやライトぐらいは付けてあげたいですね。

2010-01-28

2005年終了

半年分やっと終わりました。

じわじわと復帰させてます。が、

皆さまからいただいたコメントが無くなっている・・・・・他

未だに使い方解りません・・・・。


12mm自由形電機 6号。

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当社(荏後交通といいます)電気機関車の標準色のエンジ色です。

セメント輸送開始時に導入されましたが、現在は一般貨物仕業で活躍してます。


ネタは東野DC201と上信デキとの合体です。

東野は下回りを他に使って残ってた車体部分。

上信はどうアレンジしても上信デキになっちゃいますので、思い切って真ん中部分を取り去ってしまいました。

おそらくその未使用部品もなにかの時に使うのかと・・・




12mm自由形電機 11号

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荏後交通 軌道線所属。

戦中〜戦後にかけてセメント輸送力増強のために導入。非力なので強力機導入後、

軌道線に転用されました。

(当然、架空設定です)


ネタはワールド工芸 上田ED25です。

キャブをアートプロの別売りパーツに変更してます。(屋根カーブなどが違い、深くなってます)

ブリルタイプの台車を手持ちのものに変更しましたが、切り継ぎして塗装したらなんだかスキマが出てきてしまいました・・・・

救助網はエッチング素材で自作。九州の某市営貨物鉄道風を目指しました!



12mm 自由形電機 4号

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戦時中に譲渡された木造単車を自社工場で鋼体化

軌道線所属で貨物から入れ換えから重宝されてます。

(てな設定です)


ネタは言わずと知れます新潟モワ。

台車は青森のを使い、フクシマのギヤーをマシマ両軸モーターにハメこんでます。

出入り口が少なすぎ・・・・は作った後の祭。そこは見ない見えない・・・・・

当然、使わなかった下回りは他の電車に転用です。

2010-01-22

救い出してはいるのですが・・・

ドブログ消滅からだいぶたちました・・・・

自分でも資料として使おうと思ってますので復元したいのですが、一月分に一時間かかるのでなかなか重い腰あがりません。

今は2005年7月〜8月分(一部)だけ画像復活してみました。

このブログの使い方もイマイチ解らないのです。

とりあえずテストで画像を貼ってみます。賀状用で昨年末に撮ってみた模型。

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同じようなものばかりでスミマセン・・・・

他にもアルバムに保存してあったりします。

http://photozou.jp/photo/top/172544