いじめの解決策一考

大津のいじめ問題で、学校の先生たちがとんでもない悪人みたいに報道されています。私も数年前まで学校現場にいたので、主な報道とは少し違った視点で考えていることを書きたいと思います。
学校の先生たちは、昔は聖職者として敬われていました。ですから、先生が白と言えば白、黒といえば黒というように、社会がある程度、先生たちの判断を支持してくれました。しかし、現在は、先生たち自身も保護者も、そして、社会の誰もが聖職者だと思っていません。そのため、いじめ問題で子どもを指導するときに、教育理念と確かな証拠が必要になります。
いじめを憎む心といじめに関する深い知識、そして、いじめであるという確かな証拠がないと、指導したことが問題視されることがあります。
今回、例えば、いじめの現場を見たとき、大津のある先生が指導したとしましょう。そのとき、その先生は、いじめた側の保護者から怒鳴り込まれる可能性がとても高くなります。うちの子は、いじめなんかしていない、それを一方的に指導するとは何事か!と学校や教育委員会へ訴えられる可能性です。また、指導しても、上手に指導しないと、いじめが水面下に隠れる心配もあります。
そのような現代の教育環境のなかで、学校の先生たちに何ができるのでしょうか?