若きサムライのために 三島由紀夫
この本をよんで忘れられず引っかかった部分。
私が文弱の徒に最も警戒をあたえたいと思うのは、本当の文学の与える危険である。本当の文学
は、人間というものがいかにおそろしい宿命に満ちたものであるかを、なんら歯に衣着せずにズ
バズバと見せてくれる。しかしそれを遊園地のお化け屋敷のみせもののように、人をおどかすお
そろしいトリックで教えるのではなしに、世にも美しい文章や、心をとろかすような魅惑にみち
た描写を通して、この人生には何もなく人間性の底には救いがたい悪がひそんでいることを教え
てくれるのである。
そして文学はよいものであればあるほど人間は救われないということを丹念にしつこく教えてく
れるのである。そして、もしその中に人生の目標を定めようとすれば、もう一つさきには宗教があ
るに違いないのに、その宗教の領域まで橋渡しをしてくれないで、一番おそろしい崖っぷちへ連れ
いってくれて、そこで置きざりにしてくれるのが「よい文学」である。
一流のおそろしい文学にふれて、そこで断崖絶壁へつれてゆかれたひとたちは、自分が同じような
才能の力でそういう文学をつくればまだしものこと、そんな力もなく努力もせずに、自分一人の力で
その崖っぷちへ来たような錯覚に陥るのである。・・・・
・・・・そしてその中から何人かが、ひとの毒に染ったのではなく、自分のからだに中に生まれつき
おそろしい毒をもった人間が文学者として幾つかの作品をかいてゆけばよいのである。
若きサムライのために 三島由紀夫 文春文庫