そこがミソ。-ドラマや特撮感想などを気ままに

ブログ、感想は見た日の分にアップしたいので過去ログがいきなり埋まってることもあるってよ。

・北条くんの「坊主&オシャレな私服」がなんだか変な感じ〜(9/24ブログ>アンテナ)でも微妙に似あってる・・・?(笑)
ライフ、まだ2週分溜め込んどる・・・
・ポポロにタケちんのお部屋紹介もあるんだけど、実家の自室みたいだけどネコタワーがあるんだね。どんだけネコ好き?
電王を見返したいんだけどそんなヒマが・・・言いたいことはあるんだが。

クレヨンしんちゃん 電王VSしん王60分スペシャル

http://www.tv-asahi.co.jp/den-o/news/18/
今頃だけど、やっと友達にコピってもらって見たよ。爆笑した!なんじゃこら(笑)
実写バージョンはしんちゃんの着ぐるみが微妙なことになってて、なのに違和感なくてヘンテコだし、アニメバージョンはこれまたなんだか違和感なくておかしすぎだし、なんだかなあ!(笑)
アフレコが妙に馴染んでないのもおかしい。ハナが下手なのはアレだけど良太郎がテンション低すぎ(笑)逆に馴染みすぎなオーナーとモモタロス(当たり前)がなー。というか初っぱなから世界の車窓よりをやるかと(笑)
まあともかく、しんちゃんを恐れさすオーナー恐るべし(笑)見れてよかったー。

地球へ…#24「地球の緑の丘」

http://www.terra-e.com/

『ありがとう、ジョミー。あなたのおかげで なぜ命が紡がれていくのか分かったよ。そして、何が大切なことなのかもー』

うう・・・最終回で一番泣けてしまったのが、マードック大佐がメギドに突っ込むところだなんて!カッコよすぎるなあマードック。あの恋人の副官もいいよな。なんかドラマだ。
って、初見で泣くとこがそこってどうよと思ったけど、二回目見たらちゃんといろいろじんわり来たよ。一回目はストーリー追いかけるのが大変だったのか、オレ?
いやもう作画がキレイすぎて泣ける!トォニィだよトォニィ。ジョミーとトォニィの別れもキースのとこもよかったけどな。劇場版並のクオリティだよ。ありがとうスタッフ!
というかジョミーとキースの最後がああなるとはなぁ・・・なんだか、ライバルってわけでも特別な絆があったわけでもないのに、ジョミーの「一緒に戦った同士だ」がちょっときたね。自分は子供だからというジョミー命のトォニィ(っても、確かトォニィももう見た目通りくらいの年じゃなかったっけ?)に、ソルジャーの証のヘッドホンを渡すとことか、ああ次に繋がったんだーと思うと泣けるよ。
さてジョミーは『箱の最後には希望が残ったんだ』って言ったけど、本当にそうなのかなあ。まあそう信じたいけど。
最後の緑が戻った地球はまさに「地球の緑の丘」か。ここに「ヒト」が戻ってくることはあるのか。どれくらい時が経ったのかは判らないけど、やっぱりユグドラシルは地球の再生を止めてたんだろか?普通に300年以上あれば復活してると思うんだよね。


最終回までの展開は文句ないよ。最後、ちょっと詰め込みすぎな感はあるけど、それは仕方ないか。
最後は人類とミュウが理解しあえるかどうかでなく、ミュウも人類も(この区分けは「種」としてだから)同じく「ヒト」として生きることが出来るかどうかって方に持っていったわけね。ちょっと判りにくいような気もするんだけど、人が人らしく生きるためにただの機械であるSD体制を壊さなきゃいけない必然性があるってことね。

結局、グランドマザーは人類の未来自体を完全体としての人類、キースに託そうといろいろ試練を与えたりしてたんだけど、それが余計にヒトらしく生きることにさせてしまったってことか。そういう存在に人類の行く末を決めさせること自体がグランドマザーの(たぶんホントはコンピュータ・テラの)プログラミングってことだったてことだよな、あれだと。もちろん、ミュウとの邂逅は計算のうちだし。
そういういろんな矛盾を抱えたアンビバレントな存在が人間であるんだけど、その辺のキースの葛藤がもう少し描かれてれば、最後の行動も判りやすかったと思うんだけど、前回からの引きの状態でスッキリしないまま「解りあう=共存」を願うジョミーと対決なのが、説明不足だなあと感じたかな。結構重要なとこなのに、その真意が本当に最後のジョミーとの対話のところにならないと判んないのがね。
だって、どうせミュウとの共存の道に進むんなら、どうして最初からSD体制の破棄を言わなかったのか。そのせいでジョミーとキースはグランドマザーに攻撃されたんだけどー?
自分では決めかねてたからSD体制を存続しなければいけない理由を説明したうえで、ジョミーがそれを否としてキースを倒すことを希望してたってことなのか?でもミュウも人類も同じならミュウは殲滅しなければいけないと言ったり、スウェナにSD体制の秘密を暴かせてるんだから(これもあとのことは聞いた個々の人間任せ)、体制維持を言うこと自体がジョミーの反逆心を煽るためってことにしても、キャラとしては筋が通ってるけど判りにくいですよ。
自分で判断することがヒトとして重要なことであるってのは、キース自身がやりたいようにやったり、ミュウたちが命令に反して地球の人間を助けに言ったことや、命令順守のセルジュやマードックが自分の判断で動くこと、各地で管理システムを壊す人類たちってことで、自分の未来は自分で掴む、それがパンドラの箱を開けてしまったってことでしょ?まあ微妙っちゃ微妙だな。管理体制を放棄することの意味って、絶対一般市民は判ってないと思うし。


物語のお話としてはキレイにまとまったし、テーマもありきたりのほうには行かなかったのは、さすがにあえて新しいストーリーにしようとしたスタッフの志の高さだと思うけど、それだけにホント最後がわかりにくかったのだけが残念。もうちょっと前回で解決しといてもよかったのにな。
新しくミュウの長にはトォニィがなって、「ミュウと人類がともにヒトとしての未来を生きる」というのは、SF的な結末としては美しいんだけど、たぶんそうはうまくいかないだろうなってのはいろいろ感じるな。
途中でミュウの肉体的な欠落って描かれなくなってきたけど、それは描写の問題なのか本当にそうなのかが判らないのがちょっと設定的にどうかしら。レティシアなんかはジョミーと同じくどこも問題ないように思うよ?精神的にも特に不安定でもないし。
ミュウが人類の進化種だとすると人類は必然的に劣等種になってしまうんだけど、今のところ種としてのミュウの優位性は数的な劣勢ポジションと、「伝えるもの」と存在を定義することで回避するんだろうか。人類って劣等種だってことに耐えられないメンタリティだと思うんだけどね。
管理されてたから幸せそうに見えたアタラクシアの人々や、トォニィのように力があるから強くなれるという激しさを持ったミュウとの共存って難しそうだよ。オマケにキースの言う宇宙のガンになる可能性を持った人類のストッパーは、とか、真実を知ってる人間がいないんだけど・・・。
「種」が違っても同じく「ヒト」であるという概念は美しいけど実際は大変そうです。それもまたSFっぽいんだけどさ。それも含めて「地球の緑の丘」か?やっぱり故郷は遠くにありて思うもの、未来は思い描くうちが美しい、理想は高く掲げとくもの、なんだろか。
何はともあれ、とても面白かったです。焼き直しじゃないリニューアルなアニメ化としては、やはり作り手の志の高さってのは大事だね。もちろん結城絵だって言うのが一番大きいけどさ。結城デザインでありがとう・・・!ホントに・・・

  • ところで東京MXTVで再放送があるらしい。

■第1話〜第12話
10月13日(土)〜12月29日(土) :22時30分〜
■第13話〜第24話
2008年1月5日(土)〜3月22日(土) :17時〜
頭の方消した話があるから、補完しとこう。ありがとう再放送!