そこがミソ。-ドラマ特撮感想などを思ったままに このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-09-01

[] 仮面ライダーディケイド31話、暫定最終回の感想追記。

こないだの最終回の感想 はお出かけするまでの1時間でどれくらい書けるかっていう時間との戦いだったんでだいぶ駆け足気味だった上に、帰ってきて見返して補足しようと思ってたのに疲れちゃってそんなヒマはなかった(おまけに見返せなかった)んで、日も変わったことだし改めて別のとこから考えてみました。

その前に感想の追記。(長くて見出しがないと読みづらいか)

 

感想追記。

今回一番納得いかないのは、感想でも言ったけど、最終回の内容云々もさることながら米さんがカブトの時と同じことをやってるってことなんだよね。カブトとディケイドはまったく違うものなのにどうして同じことになるのかなーと。士くんってそもそもそんなキャラじゃないし。

いや仲間を助けるためにクライマックスに主人公が何かを投げて現れるってのはともかくだけどさー。(天道さんが花一輪なら士くんはバラでも投げればよかったのに>陳情w)

 

カブトと同じってのは、(一応説明しますが)ワームの妹のために世界をすべて敵に回しても守ってみせるといった天道さんのダブルスタンダードとまったく同じロジックの、「世界のすべてを敵に回しても、たった一人の仲間のために戦う」ってセリフ、だけじゃなくて(ここ重要)、剣崎が(というかオリジナルたちの意思として)「キバの世界」のワタルと「響鬼の世界」のアスムに「自分たちの世界を守るために」士を排除するように仕向けてる‥‥ということで、それってカブトの最終章で加賀美たちZECTの人間がネイティブと人間の共存世界を信じるあまりに、それに反対するカブトである天道を排除しようとする‥‥っていうのと同じ構図なんだよね。

カブトの時も最終的にそれは間違いだったってことになったじゃん。意味まったく判んなかったけどさw(だって天道が正しいって根拠もないんだもん、強いて言えば天道は「世界」だからってことしか‥‥)

しかもディケイドの場合も図らずも士くんは、天道と同じく世界=自分って言ってるし。まるきり同じだよ(苦笑)士くんが世界だって根拠は?

米さんのセカイ系の話っていつもそうなんだけど、前提が「僕=世界」だから、いつの間にかそういう前提での話になっててそれが当り前だから説得力に欠けるんだもんよ。判ってるのは米さんだけというね。

 

そもそもセカイ系の話はヒーロー物にはなり得ないんだけど、アスムにしてもワタルにしても、ユウスケもそうだけど、自分の世界が消えてしまうから替わりに誰かを犠牲にするという考え方をしてしまうのはライダーじゃないだろ、と思うんだよ。

しかも一応「仮面ライダー剣」オリジナル本編では、世界も仲間も犠牲にしたくないから自分が犠牲になった剣崎にそれをやらせるという違和感。まあ剣崎じゃなくても誰が来てもそういう役どころになると思うけどさー。(でもよりによって明らかに一番そういうキャラだった剣崎ってのは何かの嫌がらせですかね?椿だってそりゃ悩むよな。だって剣崎=椿だもんw)

平成ライダーにおけるライダーバトルって「自分の正義のために」戦うってことはあっても、誰かの犠牲を強いるためじゃないと思うんだよね。それは明らかに間違ってるし、逆にどうしてそんな展開になってるのか、どうしてその展開でいいと思ったのか、米村さんと白倉さんに問い詰めたいくらい。

自己犠牲を肯定するってことでなく、誰かが犠牲になるくらいなら自分がそれを背負ってやる‥‥っていうのが、どんな正義を信じていても仮面ライダーの正しさだと思うし、ライダーがヒーローである理由だと思うのだけど。というか平成ライダーのね。昭和のライダーは人類の自由のために戦うんだっけ。

平成というか白倉ライダーは自己の目的が正義の在りようだから、ストーリーとして「何が正義なのか」という話なだけで、他人の自由を守るために自分が犠牲になるのが正義であり「人としての正しさ」だと思ってる人が、つまりは「仮面ライダー」なんじゃないのかなあ‥‥と思うんだが。

 

話を元に戻すと、ユウスケたちがそこに気がついて士の仲間になるのはそりゃそうでしょうって話だけど、じゃあ士が言う「仲間」ってなんだ?って話。旅の仲間ってことじゃなく、「仲間」の定義だよ。

それぞれの立場も状況も違う(おまけに世界観も違う)ライダーたちが士の演説を聞いて、何が正しいのかという士の正義観を(正義感じゃないよ)共有したのが「仲間」であって、それは何かというと、ディケイドのこの士の旅の意味からすれば「世界を正しい方向に導く意思」だと思うんだよ。オレ解釈ですが。

そのときどきの正しいことというよりは、善い方向に向かう意思の在りようだと思うんだよね。それが今までの白倉ライダーとちょっと違うと思ってたところで、メタな物語観と相まって會川風だなあと思ったんですね。

だからユウスケたちは、自分の世界が滅びるかも知れないということよりもライダーとして正しいことをすることが世界をより良くする可能性がある、と感じたんじゃないかと。それは単純な自己犠牲じゃないと思うんだよね。

それを言葉にすれば「一人の笑顔を守れなくて世界中の人の笑顔は守れない」つまり「みんなで幸せになろうよ」ってことだと思うんですが、それが正しいのは「みんな(個人)の幸福の追求」が誰の目にも「絶対的に正しい」からであって、正義は人それぞれ違うという従来の白倉ライダーの「多様な正義」に惑わされないからだと思うのね。それが士くんの正義ってことなんだよ。

 

そういや最初の頃の士くんって自分で人を信じることができないし人の痛みも感じないって言ってたんだけど、何が正しいのかは知ってたんだよね。だからユウスケの正しさを信じることでそれが士くんの正義のベースになったってことだと思うけど、そういう意味ではユウスケがダークサイドになったのは、最後はもう一度士くんが何かを問われるってことかなあと思ったり。

あ、海東が勝手に仲間を標榜してるのも、一応その「仲間」の定義からすれば、ディエンドの世界でそれを共通認識として共有したから‥‥ってことでいいですよ。海東の場合信じる信じないはそのときどきで勝手にすればって感じだけど、何が「仲間」なのかってのはわかってて反発してみたりすり寄ってみたり‥‥ってことかと。ってことで、勝手にしたまえ(^_^;)

ところで士くんが夏海の世界から出ていって何か不都合があるんでしょうか?士くんの世界ってそもそもここじゃないよねえ。いつの間にか夏海がいるところが自分の居場所だという米村設定に流されてるけど。

あと細かいとこの突っ込みはあまり意味ないと思うんでスルーで。

なんか泣きながら士を止めようとする海東くんもスルーで(苦笑)オレに何が言えるというんだ‥‥よねむー(ホンモノ?)‥‥(^_^;)

泥棒くんに勝手に世界をくれてやるとか言う士くんもスルーで。世界は士くんを中心に回ってるから仕方ないよ!

そしてオールアップは海の中‥‥というまーくんですが、映画予告にはあったけど本編にはなかったよね。もう撮り終わってんのー?

 

ある仮説を立ててみる。

で、ちょっと考察というか、いつものように行き当たりばったりですが、一応、「門矢士の旅の意味」ってことを考えてみた。細かい整合性はとりあえず無視。全話見返したわけじゃないし。

 

その前に、全ライダー集結の劇場版とどこら辺がどれくらいリンクしてるのかよく判らないんですが、結局士くんは大ショッカーの大首領なんでしょうか?それによって士くんの旅の意味もディケイドの物語の意味もだいぶ変わってくると思うんだけど、あの"暫定"最終回から続く冬の映画(ライダー大戦の世界?)ってのはもう夏の映画(大ショッカーの世界)には続かないよねえ?メタな意味で世界が違うってことじゃなく微妙にパラレルってことで?

別に士くんの正体が大首領でもいいんだけど(というかそれこそが一番重要なんだけど)、少なくとも「ライダー大戦の世界」はディケイドを世界の破壊者として敵視している世界だから、夏映画の、大首領の座を追われたからといって士くんに全ライダーが味方して大ショッカーを倒すという世界観とは相いれないと思うんだ。だって渡たちは「大首領」でなく「ディケイド」の存在こそを世界の破壊者だっていってるんだし。

ここでメタな意味で「ディケイド」が世界の破壊者だという理由は、感想でも言ったように今までの平成ライダーの作品世界が、「ディケイド」の世界の中に、元の世界の本質だけを切り取った、でも見かけはだいぶ違う世界として存在してることであって、それは番組的にオリジナルはいじれないからディケイドの中でいじれるパラレル的な世界を作ってしまったことそのものが、元の世界からすればオリジナルの作品世界の破壊だって意味をも兼ねてるってことかと思うのです。プロデューサーも当初そんなこと言ってなかったっけ?(すでにうろ覚え)*1

 

「物語内物語」とも言うべきその現象、「ディケイド世界の中の平成ライダー世界」が元の世界にどれだけ影響を与えるかといえば、メタな意味においてはリ・イマジネーションされた物語がオリジナルに取って代わることがありえるかもしれないということであり、同じ名前のキャラクターがいて、似たような世界観を持っている以上、どちらが本物かといわれたらどちらも本物であるとしか言えないのではないか?と言うことじゃないかなぁ。

だってディケイドしか見てない人からしたら、「キバ」の物語は「ディケイド」の中で描かれた、ファンガイアの王・ワタルが父王に出来なかった人間と折り合いをつけて生きる世界を創る話であるし、「555」の世界の話はタクミと由里ちゃんが人間とオルフェノクの壁を越えて友情を(一応友情w)育む話であるわけだし。

その中に中途半端に本物の「電王」の世界や「シンケンジャー」の世界、オリジナルな「ディエンドの世界」があるから、士たちが巡っているその「世界」それぞれというのは、本当の世界と同一だと見てもいいってことだと思うのです。(というかディエンドの世界って、キャラ名がカタカナじゃないからディケイドの世界と同一階層にあるってことだと思うし。つまりそういう意味でオリジナルってこと)

だとすると、最初に士がいた「夏海の世界」に、本来は異世界の住人である士が現れたことによって、「ディケイドの世界」になってしまった。それゆえ本来独立して存在するべきそれぞれのライダーの世界がその中に内包された世界が出来上がってしまった(その理由は士くんが世界を渡り歩く能力を持っているから>劇場版ネタバレ)んだとすれば、そのそれぞれの世界を破壊してライダーが一人だけの「ディケイドの世界」を確立することが士のやるべきことだったというのが、渡とその仲間である「オリジナル」の主張になるのかな。

 

そもそも夏海が見つけたディケイドのバックルって、あの世界にあったってことだよね?

ちょっと妄想というか仮説ですが、例えばさ、記憶を無くすまではオリジナルライダーの世界を旅して、その世界を征服すべくライダーたちのことを調べ、各ライダーの力をカードに封印した"大首領の門矢士"が、夏海の世界に来たところで何らかのトラブルで記憶を失い、バックルとカードを無くしてしまった。

ところがディケイドのカードに封印された各世界のライダーの力が、勝手に夏海の世界で別のライダー世界を生み出してしまい、それぞれが主張を始めて、結果、「夏海の世界」つまり「ディケイドの世界」として融合しようと世界同士でぶつかることになった。それならば「ライダー」がその「世界」を代表してライダーバトルをやるのも納得出来るんだよね。ライダー=世界ってことで。

夏海の世界はもともとライダーはいなかったが、そのために「ディケイド」というライダーを必要としたので、ライダーがいる世界、「ディケイドの世界」になってしまった。つまりそれは鳴滝の言う世界の破壊ってこと?

そういうことを可能にするのが「ディケイドの力」ってことなのでは?

とすればやはりライダー(の世界)を生み出し、それらが融合することで世界の破壊を引き起こすことになったのは士くんの、ディケイドの力せいだよね。ディケイドといいディエンドといい、おそらく大ショッカー製のライダーにはそういうメタな力がある‥‥ってことじゃないのかなあ。だって他の世界のライダーを使役(RIDE)出来るんだもん。それに大ショッカーという組織そのものが世界を越える力を持つ、そういう組織だし。

ちなみに映画では、士くんが旅に出たのは1年前だから、番組開始半年前ってことですね。光写真館に居候してどれくらいかは判りませんが。その時すでに大首領だったとすれば、海東がディエンドライバーを盗んで逃げたのはその前ってことになるのかな。海東を追っかけて‥‥ってワケじゃない‥‥よなぁ?それもあり?

ちょっと関係ないけど映画見てて、士といい海東といい鳴滝といい、要するに「世界」を渡る力をもった人間ってことだよね?アポロガイストもか。それって今までの仮面ライダーの設定とはまったく異質なSF設定だと思うんだけど、どうか?時を超えるデンライナーよりもね。似たようなのって龍騎のミラーワールドに入る力くらいかなぁ?どういう力なんだ?

 

士くんの旅の意味。

そして旅の意味というか、何のために旅をしていたのか。

オリジナル渡に旅に出るように言われたけど、記憶を無くしていた士くんは(だいたいどうして世界征服をしようとする組織の大首領なのか判らないので何ともいえませんが)本来正しい正義観を持っていたので、ディケイド内世界を巡る旅に出た先で世直しをしてしまったと。なぜかって、士くんは元の世界の正しい世界のありようを知っていたからってことですね。

もともと士くんはなぜか各世界のライダーのことを知っていたし、何が世界として正しい姿なのかも理解していた。それは元の世界(オリジナルの世界)を知っていたからだってのが正解だと思うんだ。

ある意味視聴者と同じ目線というか、リ・イマジネーションで作り出された世界でも本来の姿を知っているから、何が歪んでて間違っているのかはメタな視点で理解出来てるっていうのが門矢士の強みというか、視聴者を同じ旅に誘う効果として成り立っていたんだよね。

オリジナルの渡の仲間が夏海の世界(ディケイドの世界)の破壊を止めるべく尽力してるのは、ディケイドの世界を本来の世界、つまりそういう入れ子構造の「世界内世界」のない状態にするためであって、そのために士くんが他のライダー世界からライダーを一掃し、世界を正常な状態に戻すだろうと思って旅にいざなったわけですが、逆に士くんは各世界のライダーたちを仲間にしてしまったと。それは渡たちオリジナルからしたらあるべき姿ではないってことですよ。これに関しては士くんも視聴者も何が正解なのかは判らないけど。

本来士のやるべきことは、夏海の世界=ディケイドの世界を融合による崩壊から救うために、他のライダーを倒し、その世界を破壊する、ということだった。そうすれば夏海の世界は破壊されずに残ったはず‥‥ということだよね。

上の仮説をもっと突っ込んで考えてみると、士たちが巡ったディケイド内ライダー世界自体が、オリジナルから改変された歪んだ世界だということが考えられると思うのね。

つまり士が記憶を失ってたからカードから抜け出たライダーの力が勝手に世界を歪んだ形で再現して、そのためカード自体は効力を失ってたけど、士くんがその世界に行って歪みを直したらカードの力が戻った‥‥っていうのもそういうことかも。

でもそうしたら各世界は存在する意味があるのかどうか。世界が勝手に融合するってのは在るべき姿になろうとして引きあってるってこと、それは各ライダーは存在するべきでないという意思だともいえるわけだから、それがディケイドがいるからだってのはもう言った通り、ディケイドがディケイド世界の唯一のライダーだから。

そしてそれらの世界が存在すること自体を、鳴滝がディケイドを「世界の破壊者」といっていたのかも知れないとすると、大ショッカーが敵でディケイドも敵、つまり鳴滝の正体はオリジナルライダー側の何らかの意思ってことになると‥‥

各世界を回って鳴滝がディケイドは悪魔だ、破壊者だと触れ回っていたのは、おそらく記憶を無くした士側に戦う理由がない以上、ディケイドとライダーが戦う理由を作ってたのかも?もちろん鳴滝にとってディケイドは確かに破壊者みたいだけど。

 

そして鳴滝が巫女といってた夏海のことだけど、世界を移動出来るのはライダーか、もしくはそれに匹敵する力を持つ者だとすれば、そもそも世界を移動してる光写真館と夏海と栄次郎は普通の人ではないってことになるよな。(栄次郎の映画のアレは、たぶん大ショッカーの世界で死神博士の役割を振られたんだと思う)

鳴滝もディケイドを倒すことが出来るのは夏海だって言ってたし、夏海が「夏海の世界」を守るためにディケイドを倒すってのが予告の展開なのか?

剣崎が言っていたように士が夏海の世界から出て行けば夏海の世界は無事なんだったら、士が出て行かない理由ってないんだけどさ。仲間とか関係なくね。

それとオリジナルの世界を士がかつて訪れていたと言うなら、オリジナルの渡や剣崎のことをなぜ知らないのかということになるけど、彼らは姿こそオリジナルの姿だけど言ってることはオリジナルキャラクターのそれではないってことで、それぞれの「世界そのものの意思」という存在じゃないかなぁと思ってみたりするんだけど。番組としての便宜上渡であり剣崎であったってだけで、言ってることそのものは彼らの姿じゃなくてもいいって話かなと。

で、士くんの旅の意味だけど、ディエンドの世界での海東純一が「自由意思で悪だった」という結末だったんだけど、それと同じく、自分の居場所を探している士くんが記憶を取り戻したら悪だった(>劇場版)その時どうするのか、士の正義観っていうのはそれをどう判断するのか?というのは劇場版ではウヤムヤすぎてまったく筋道通ってなかったんだけど、本当はそこが問題なんじゃないかなあ。士が大首領のかつての自分ではなく、旅の間に出来た仲間との絆を選ぶに至る決意と決断が士の自分の居場所探しってことじゃないかと思うんだけど。

 

まあこの最終回を見たら、そんな細かいことを言ってもしょうがないって気分にさせられるんですが。

本当にね、何回も言ってるけど、最初の會川さんの話の持って行き方が好みだったってのがあるから降板が残念なのは確かなんだけど、それよりも後を引き継いだ米村さんが「仮面ライダーディケイド」というものを単なるマイ設定の二次創作におとしめちゃったってのが許せないんだ。見たいものを見せてもらえなかったってことでも、プロの脚本家の仕事としても。いくら白倉さんに言われるままにしてももうちょっと何とかなったでしょと言いたいです。

あ、ネガとディエンドの世界をやった井上先生は、一応キモになる話だっただけに、もうちょっとマジメにやって欲しかったってくらいですが。米さんより脚本の出来としてはまだマシだと‥‥

とりあえず今考えつくのはこんなとこで。後は冬までお預けか。ちゃんと完結すればいいなぁ。脚本が會川さんだったらいいのになぁ。(ねーか)

*1:公式(http://www.toei.co.jp/tv/decade/story/1189563_1564.html)で、「お祭りの存在自体、存在悪である」って言っとる。ってことはメタ的に確信犯だってことなんだね、やっぱ。

優君のパパ優君のパパ 2009/09/01 23:00 さすが師匠!見事な分析です(゜0 ゜*)
もう私の中では「ディケイド」という作品は
これでいいかも(笑)

korohitikorohiti 2009/09/01 23:39 ◆優君のパパさん
ありがとうございます。
だってディケイドがスキダカラー‥‥としか言えないです(-_-)
これでいいなのだ。

catcat 2009/09/02 10:51 こんにちは。お見事な考察の記事に、今更ながら何となくテレビに対しての思いがジワジワ出てきました。
最近ディケイドは、思考停止の上でダラ見をしていたので、あのネットを阿鼻叫喚に導いた最終回も本当に「ほー」としか思わなかったんですが、こんなにも真剣な考察をしてもらえる程愛された作品の最終回として、やはりアレはいかんのだろうと思い直しました。愛されたからこその阿鼻叫喚でしょうし。
米村氏は、korohitiさん程に真剣にディケイド世界のことを考えてなかったでしょうね。いい加減な仕事をしたという意味ではなく、彼が注力したのはそっちではなかったという意味で。
インタビューによれば、米村氏は最終回の士の演説が一番お気に入りらしいです。
自分のセリフに没頭してしまうあたり、本当に少女漫画体質の人だなと思います。
そのせいでか、米村氏の描く士には最後まで馴染めませんでした。
會川氏と靖子氏の書いた士だけが、自分が好きだった士だったので、この点は本当に残念です。思考停止を始めたのも、他のどんな破壊よりも「士が違う」というこの一点こそが理由のように思います。
冬の映画も米村氏らしいので、ディケイドの世界が説明されるのかどうか、激しく不安です。
もしダメだったら、こちらの設定が自分にとっての公式でいいと思ってます(^^;)

ちなみに小さなことなのですが、「シンケンジャーの世界」と言い方は、正しいかどうか、自分の中の疑問です。
というのも、靖子氏のインタビューで「(発注である)シンケンジャーの世界というのは自分的にすごく違和感を感じたので、それはやめて「ライダーがいない世界」にした。それによってディケイドらしい話に出来たと思う」とあったためです。
対外的には「シンケンジャーの世界」と言った方がわかりやすいし、宣伝にもなると思うのですが、確かに劇中では一度も「シンケンジャーの世界」とは言いませんでした。ずっと「ライダーのいない世界」で通してます。
些細なことですし、事象面では「シンケンジャーの世界」ですし、靖子氏以外のスタッフ・キャストは「シンケンジャーの世界」だと言ってるので、そうなんでしょうけども(^^;)
ただ、ゲスト脚本家がわざわざ「ライダーのいない世界」にした、というぐらいのこだわりを米村さんにも持ってほしかったなと。

何だか結局グチっぽいことですいません。
とにかく、korohitiさんの記事で、ちゃんと残念だと思えるようになって良かったです。ありがとうございます。

korohitikorohiti 2009/09/02 19:57 ◆ catさん
ワタシもここ1ヶ月くらいはだいぶ思考停止してましたが、さすがに何か考えないと浮かばれませんよ。まあそれで残念だと思っていただければ考えた甲斐もあるかと思いますが。

後半から、面白くなくはないけど違うなぁ‥‥と思っていたのは、別に脚本家の問題じゃなくもう作品作りの姿勢の問題としか思えなかったですよ。別に脚本家が変わってちょっとくらいキャラの描写が違うことくらいよくあることだし、毎年そんな状況にはまあそういうこともあるさで流してきたけど、そういうこととは根本的に違いますよね。
ネット上の評判は実はブログも2ちゃんも全然見てなくて、まあ夏映画の評価が「辻褄合わないところはあるけど面白かった」が大勢を占めてたって時点でもういろいろ衆愚には付き合い切れんと思ったとこもあり‥‥って感じで。いや面白かったのは確かに面白かったんですけどね。
まあそれでもさすがに今回の最終回の評判は酷かったですか、そうですかー‥‥
米村さんがどういうオーダーで仕事受けたのかはともかくとして、響鬼の時の井上先生みたいに本来あるべき方向にそって職人的に仕事をこなす(してるように見えましたが)でなく、完全に自分の世界観で二次創作しちゃったレベルだっていうのがプロとしてどうなんだろと思うし、その程度しか出来ないのかって諦めとか、何かもうガッカリって感じなのです。カブトがああだったってのとは似て非なるというか‥‥

 >米村氏は最終回の士の演説が一番お気に入り
何かで読みましたが、それ読んだ時点でも感動的な演説なんかしてたっけと思ったんで、最終回どこら辺がお気に入りなのか聞いてみたいですね。演説内容、全然覚えてませんけど。

 >「シンケンジャーの世界」
まあ便宜上、そういっちゃうのはそれとして。わかりやすいですし。
そういやそのインタも読んだんですが、靖子たんの言うことの方が正しいとは思うんですが、その辺、発注側のディケイドの世界観ありきでお祭りとしてシンケンジャーコラボという「企画書」なのでしようがないとは思います(^_^;)
ただcatさんも指摘してるように、靖子たんがそこに拘ってたっていうのは彼女がちゃんと正しくディケイドの脚本を書いてたということと無関係ではないと思うから、米村さんも内部的には後半のメイン脚本家としてそういう拘りはちゃんと持って欲しかったですね。メインだからといって自分の世界観を出せって言われたわけでもなかろうにと。(むしろ會川設定に合わせろよと‥‥)
まあ脚本家が拘りたくてもPがそうさせないってのはあるかなあとは思うけど、そういう問題じゃないといいたくなるファンの気持ちは考えて欲しいですねー。
しかもあの最終回って‥‥さすがにそこら辺は脚本家の責任ではないと思うけど、全体の「らしさ」を醸し出すのは脚本家の仕事だろうと思います。
カブトくらいだとまだ「なんてもったいないんだ」と悔しさが込み上げてきますが、ここまでになるともうキャストの奮闘を考えても悔しさも出てこないというか‥‥冬の映画で何とかなるんでしょうかねえ‥‥?

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