2人の占星家のスタイルとその違い

友人の若手占星術ユピテルジョージと雑談していると
うらないに関して色々とアイデアが生まれたり、
セルフイメージの確認が進んだりすることが多い。


年齢も同じくらいで、
占星術という共通言語があって、
ともに<世間>に対して何がしかを企んでいる、
いわば共犯関係にあるからだろうか。
やっぱり、受け皿があると、ぶつけがいがある。


で、こないだ
互いの鑑定スタイルを明文化してみよう
ということで、書き出してみた。


ユピテルジョージの鑑定スタイル


1.相手の現状を「つぶさに観察」する。
2.そこから見えてきたもののイメージを膨らませたうえで「海容する」。
3.さらにそこに言葉・色・イメージなど、「相手が体感できる」要素を付け足していく。


全体的に「水・土」の強い、女性的でしっとりとした雰囲気の中、
乙女座の月(観察、秩序の感覚)やアスペクト海王星(無意識)を使いつつ、
そして牡牛座の水星@12室(体に響くあの世のことば)を添えていく
という流れがユピテルジョージの特徴かな。


・Sugarの鑑定スタイル


1.目の前の問題の「本質を認識」する、バイアスを外す。
2.認識したしがらみを俯瞰させるポイントを提示して「相対化する」
3.その上で、日常回帰へ向けてのモチベートをしていく。


全体的に「火・風」の強い、男性的でからっとした雰囲気の中、
牡羊座の月(象徴的思考)やアスペクト天王星(価値転倒)、
そして獅子座の太陽(対比)を使いつつ(GT)、
獅子終わりの水星@4室、冥王星(毒気はあるが刺さることば)を添えていく
という流れがSugarの特徴、と。



こうして見ると、けっこう違う。
ジョージが提供するのは「具体的な癒し」で、
Sugarが提供しているのは「抽象的な励まし」笑なのかも。


すると、
最適な顧客層やデモグラにも、
当然違いが出てくる。


占い師にもカラーみたいなものがある以上、
お客さんとも<合う/合わない>という相性の問題は
必ず生じてくるもの。


自分と合わなそうなお客さんだと気づいた時点で、
合いそうな占い師を紹介する、というところまで、
サービスの一環として視野に入れておくべきなのかも知れないなぁ。


考慮、考慮。

ナジーム・ハメド

昔から競技を問わず、
変則スタイルの選手って好きなんですが、
こいつはヤバイ。内藤の比じゃないw



ナジーム・ハメド
WBCIBFWBO世界フェザー級王者。
フェザー級離れした強力なパンチ力と天才的かつ独創的なボクシングセンスを持ち、
KO率は80%以上を誇る。プロ戦績は37戦 36勝 32KO 1敗。
愛称は「悪魔王子」「PRINCE」。

賛否両論呼びそうという点では、
占い業界のプリンスもそうだし、
その方も違う意味で面白いけど、
こういうのも好きだな〜。

久々の神保町

きのう。夕方ごろから、神保町のブックフェスへ。


この街にくると、昔近所にあった、
記憶の中の古本屋に帰ってきたような気がして、
なんとも言えない懐かしい気分になる。


薄暗い室内に、背の高い本棚。
店内のすりガラスから外を振りかえると、
外の喧騒がずっと遠くに感じられ、
店の奥へと進むにつれ、異様に静かになっていく・・・。


そんな、
まるで時間が止まったかのような店の一角で、
古本特有のあのにおいを嗅ぎつつ、
かわいた埃のように降りつもった言葉の気配に
耳を澄ましているのが好きだった。


なんて、思い出しつつ、
フェス会場へ向かったのだが、
なんと雨のため早期終了で店じまい!
ということでほとんど見れず。。
結局、いつもいく小宮山書店へ行って、本を4冊購入。


親鸞教行信証』(岩波文庫
・藤沢令夫『プラトンの哲学』(岩波新書
・小川方夫『夏の葬列』(集英社文庫
・『ドイツロマン派全集第二巻・ノヴァーリス』(国書刊行会


しめて千円弱也。(安い!)


もっとも、
本を買えば知識が成るわけじゃなし、
せっかく買っても、読まなきゃしょうがないんだけれど。
(どうもさいきん積読傾向がひどいので)


読書でも朗読でも日記でも何でもいいから、
「ことば」を回復する習慣を失わず持ちたいものだ。

「占い」と「ことば」

「占い師」というものに
人が向ける意識というのは、
自分が考えたこともないような遠大な思想を教えてくれるより、
自分しか知らないはずのことや、
自分の身近でこれから起こるであろうことを、
一息でズバっと言われたい
という場合がほとんどだ。


だからたまに、
調子にのって長々と巷説たれていると
「占い師」へ無意識裡にズバット願望を抱いている人から

「で、結局(あなたの)占いって当たるの?」

と不意打ちされる羽目になる。


そう問う側の意識としては、大抵の場合、
占い師の発する「ことば」に、
「実際私の人生に現実的な利益をもたらすのか?」とイコールな、
実用性や有効性を質している訳だけど、
結局その次元でのみ考えられた世界には
占い師の「ことば」に居場所はほとんどないように思う。


なぜなら、占いというのは、
そのときどきに現れた「タイミング」や「かたち」から
人間の意識の片隅へと贈られた詩(ことば)を読む営みであって、
もともと詩という形式の「ことば」は、
水平的な「功績(意味)」との関係よりも、
ただ自分の無力さを感じたり、まったく思い通りにならない次元で、
何と闘い、何を受け入れるのかという
垂直的な「価値(強度)」と深く関係を持つものだから。


つまり、
自らが世界のなかでどう位置しているのかを表す
「ことば」のリアリティーを回復する手助けのひとつが、
たまたま占いなのであって、
それ以上でもそれ以下でもない、のだと考えている。


じゃあ、
「占い」はまったく「当たらない」か?と言うと、
そうでもない。


なぜなら、
どうやら世界や人間の生というのは、
具体的に見え、触れえる「功績」によってのみ作られている訳ではなく、
むしろ感じられた「価値」によっても作られているから。


そう、
「ことば」がなければ人は生きられない。
(なんて言っても大抵は理解されないのだけど)


その限りでは、占いは「当たる」ことがある。


でも、
「この占い師の占いは当たってるかどうか」
なんてことよりも、
やはり
「この占い師のことばにワタシは何を感じるか(あるいは感じないのか)」
ということの方を気にしたほうが
よっぽどいいのは変わらない。


「いい」というのは曖昧かな。
「近い」、とか「本質的だ」、
と思う。


「占い」の中身は、
ことばのリアリティーが失われた時代の、
ことばの話だ。

自我崩壊

きのうの朝、はなまるマーケットに10分ほど生出演して、
いつの間にか「癒し系占い師」とか紹介されつつ、
占い(?)的なことをしてきたんですが。


夜、
夢の中で裸の女性が寝ていて、
憐憫の感情を抱いて近づくと、
突然こちらを向いて
「おあぁぁぁぁぁぁあぁあああぁぁぁ」
と叫びはじめ、
その狂気の眼と、大きくあいた口、
そして大音響に、
自分も狂いそうになり、
ものすごい大声で絶叫してたら、
隣りに寝ていた人に顔をはたかれ、
叩き起こされるという
なんだか大変な体験をした。


で、さっき仕事がひと段落したから、
考えてみた。


なにがそんなに怖かったのか。
恐怖の原因はなんだったのか―。


細部まで思い出して、
もう一度当時の夢の状況を洗いなおしてみて、
『自我崩壊』というキーワードで考えがまとまってきた。
(って言うと怖いけど、まぁ大袈裟な話じゃなくて)


あれは、
人間の社会的ペルソナが崩壊するときに現れるひずみに、
本当の自分が引きずり込まれそうになるときの「恐怖」、
そしてその時にこころを守ろうと作動する「防衛」
だったのかも、と。


朝、テレビ用の占いを得意気にやっていた自分。
昼すぎ、ふと客観的に朝の光景を思い返した拍子に、
その滑稽さに気付いてしまって、
恥ずかしさやら自己嫌悪に苛まれてた。
夜、人に「癒し系じゃなかったら、どう見られたいの?」
って聞かれたときに、
こころの中を何かがかすめた。
けど、それを押し込めて、寝てた。
それで、かすめた何かが夢で噴きだしたのかな。


癒し系じゃなくて、
「学究派と思われたい」とあのとき一瞬思ったけど、
そうも言えないから。


自分は占い的にポップで分かりやすい言葉を話そうとしてる、
その「薄っぺらさ」に嫌気が差したんだけど、
(2ちゃんの実況板ではなまるの模様が袋だたき)
でも逆に、「学究」とか「研究家」に戻るだけでもダメなんだよね。


いまさら、例えば「ユング心理学の研究者」じゃ、
自分の言葉にならない。


結局、自分の言葉で勝負するしかない。
「何々っぽい」占いはやめよう。


でもじゃあ、自分らしい占いって何だろう?


それには、一足飛びの答えなんてなくて、
ひとつひとつ、自分の頭で気になることを考えて、
日々、言葉を紡いでいくしかない。

7室の海王星

を非常に感じるここ1ヶ月だった。
(自分のネイタルの海王星は7室にあるのです)


自分の出生図の中でまだまだ、
理解していないポイントはあって、
その一つが7室(つまり「社会」との接点)にある射手座の海王星だった。


一般的な教科書には、
よく7室の海王星は「いいかげんであてにならないパートナー」
だなんて書いてあるけれど、
それは自分にとって生きた言葉ではなかったし、
夢見ている本人ではなく、
夢から覚めた後に、内容を覚えていないか、
意味が分からないことへのぼやきの声にしか聴こえなかった。


けれど先月渡英して、
ロンドンの街やストーン・ヘイジを周ったり、
英国占星術協会へ行って、マギー・ハイドさんを始め、
酔っ払って自分を失いつつも(これぞ海王星!)、
多くの占星術家と交流が持てたこと。


それはまさに夢であり、まぼろしであり。
異国でかけられた魔法、
そしてインスピレーションの薫陶だと、
こころから思えた。


つまり、
パートナーは「いいかげんであてにならない」のではなく、
夢から覚めた後の部屋を見回しても見つからないだけ。


どこか遠く、遠く、夢の中に。
現実を見回してもどこにも見つからないけれど、
眠ればかすか、視界に映りこむ。


そうして、
海王星の作用は現実と夢との境界を消し去るの。
じゃあ、
それを促すアルコールがパートナー?(ディオニソス
一緒に飲むのは、魚座生まれの人?(でもそれだけじゃツマラナイ…
あるいは、
それらすべてを単なる夢として消え去って、
文字通り「幻滅」を味わうのもお似合いなのかも。


とにかく久々に、
自分の星をつかめたような、かすめたような、
そんな気分になった。

共感覚世界の誘惑

視覚障害者のための舌で「見る」装置 BrainPort


はたしてそんなもので本当に「見える」のかということですが、
実際に使ってみれば15分以内には情報が理解できるようになるそう。
同社Aimee Arnoldussen氏いわく


「自転車の練習と変わらない学習です。
最初は奇妙に感じますが、時間がたてば馴染めるようになります」


とのことです。
実験ではこのデバイスを利用することで出入口やエレベータのボタンを見つけたり、
手紙を読んだり、テーブルにあるコップやフォークを拾いあげたり
といったことが可能になっています。


Arnoldussen氏によれば

「ある男性は、はじめて手紙が読めたとき泣きはじめた」

とのこと。

http://japanese.engadget.com/2009/08/19/brainport/


星を見るだけじゃなくて、
聞いたり
さわったり
匂いをかげたら、
いいなあ。