JPEG Baby - A Love Song For The 21st Century (From cat@log)

さっきから流しっぱなしにしてるんですが、聞けば聞くほどいいです。未来的で爽やかで強くて、でも、どうしようもなく孤独。

MP3がほしいなあ……。

http://www.bloggerheads.com/

の5/23で登場するおじさんが誰なのか解説されてます。読んでもわかんなかったけど。

法と対話

徳保さんが、id:koseki:20030517#p4に言及されていました。

徳保さんは、どちらかと言うと、「訴えてやる」と言われたらどう対応すべきかを中心に論じられています。僕も「訴えてやる」と言われたら徳保さんのおっしゃっているような行動をとるしかないのかもしれないと思います。

ただ、僕が最初の記事で言おうとしていたことは、

  • 唐突に「削除か訴訟か」を迫るような言い方をすることの弊害
  • それをよく見る普通の言い方として受け入れてしまうことの不安

ということでした。これについて、徳保さんは

  • 法に訴えることで、議論の評価軸を社会的に設定することができる
  • 必要なら話し合いと称する欺瞞を演じることなくさっさと身を引いてしまった方がよい
  • そんなことを問題にしても、「訴えてやる」という人はどうせ後を絶たない

という反論をされています。この部分についての反論が、id:jounoさんのid:jouno:20030520#1053439107だと思います。

  • 裁判になること自体が勝ち負けに関係なく迷惑だと考えることが、そのひとに「理がない」ことにはならない
  • 相互に理性的話し合いが可能であれば、そこで合意を形成する努力をすることが必要
  • いざとなれば法に訴えるというのはいざとなったときにいえばよい

徳保さんは「話が通じていないので」とおっしゃっていますけれど、上で述べたような線でなら、話は十分に通じていると僕は思います。

徳保さんの論旨と、id:jounoさんや僕の論旨がずれてしまっているとしたら、たぶん徳保さんが「理の無い相手」に何も期待していないからだと思うんです。でも、僕は、そういう諦め方ができない。最初から対話が絶対的に不可能な状況なんてそうないと思う。いつのまにか対話を不可能に「してしまう」んだと考えています。

別の言い方をしてみようと思います。

  • 第一声目で「削除か訴訟か」を迫るような言い方は、危機管理の方法として間違っている。
  • 特に中傷の問題では、どんなに腹を立てていたとしても、冷静に対話を求めるところからスタートしたほうが、不必要にイメージを悪化させずに済む。

これだったらどうでしょう。ちょっとは「欺瞞」な感じが薄れてきたんじゃないでしょうか(笑)

たとえば、以前ちょっと話題になっていた、

なんですが、これはペットショップのかたが対応を間違えたと思う。この強硬な発言で、そもそも存在しなかった悪い印象を広めてしまった。気の毒に、とは思うんですけど、ネットの個人メディアのあり様を理解していなかったんだと思うんですよね。うまく利用できたら、いい宣伝になったでしょうに。

というわけで、頭に来てもいきなり訴訟とか言い出さずに、冷静に止めてくれませんか、とお願いしたほうが得だと思いますよ。長々と書いたわりに、大した結論にならなくて申し訳ないですけど。