佐藤幸作:経営コンサルタントの日常と舞台裏 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2014-09-16

[]世界各地の分離独立運動とブロック経済化する世界

スコットランドやカタルーニャ、そしてウクライナなど、分離独立運動がまたまた火を吹いています。


世界はいま、「ブロック経済化」が進んでいます。いわゆる「グローバル化」の流れは10年前のことであって、今は急速なブロック化が進んでいます。そんななか「主権を持つ国民国家」は命数を終えたと認識すべきです。


各地で分離独立運動が進む背景には、第一次大戦後の民族自決主義などとは違います。「経済ブロックがあれば、都市や地域で生きていける」という現実が、分離独立運動を後押ししています。スコットランドやカタルーニャは、EUさえあれば問題なく生きていけます。ウクライナ東部も、関税同盟やユーラシア経済連合があれば、問題なく生きていけます。というよりは、EUや関税同盟・ユーラシア経済連合という経済ブロックがあるからこそ、そのような分離独立運動が現実味を増しているのです。


そのような背景を正確に認識せず、どこの分離独立派もこぞって国民国家の主権を持ちたがるのは矛盾しています。いまや「対等な主権を持つ国民国家の連合体」ではない、新しい世界の統治システムが求められています。「主権を持つ国民国家の連合体」である現代のシステムは、地球規模の事業コントロールと、経済ブロック内の市場展開の両立にはほとんど役に立ってくれません。新たな争いの火種になるだけです。


各地が適切な規模のGDPを持つ単位で高度な自治を持つこと。そしてその「自治体」が互いに連携しあって世界がコントロールされること。その方が世界の住民はよほど豊かな暮らしができるはずです。そのとき、世界を統一的にコントロールできる「真の主権」は、地球に1つだけあればよいはずです。


この考えは無政府主義とは違います。技術がどんどん革新していき、ひと・もの・お金・情報の流れを最適化するうえで、旧来の国民国家は明らかに不適切な枠組みです。以前にも書いたとおり、United NationsではなくUnited States的な統治システム、またはPeople's Republic的な統治システムで地球全体をコントロールする時代がそう遠からずやってくるでしょう。

2014-08-07

[]ロシア軍がウクライナ東部に侵攻する可能性は高い

ロシア軍によるウクライナ東部地域侵攻の可能性が、とても高くなってきました。いっぽうで、同地域をめぐって欧米対ロシアの大規模戦争は起きないでしょう。以下、メモ書きです。


すでにEUと米国、日本などの諸国による経済制裁はロシア経済に大きな打撃を与えている


ウクライナ東部地域での無秩序がロシアにコントロール不可能な現状を脱却しなければ、MH17便撃墜事件に続く不測の事態を招く可能性がある


ロシア軍がウクライナ東部地域に侵攻しても、NATOや米軍が軍事的に介入する可能性は低い


いっぽう、ウクライナ東部地域に侵攻してもしなくても、クリミアが現状維持である限り対露経済制裁は緩和されず、より厳しくなっていく可能性が高い


ロシアにとってクリミア半島は「核心的利益」。仮に撤退すると米軍基地ができる可能性が高い


よって、ロシアにとってはウクライナ東部に侵攻して得られる結果の方が、侵攻しないで放置する結果よりも有益である


→いったんロシア軍がウクライナ東部に侵攻・制圧した後は、EU・米国との外交協議になる。その際「ウクライナ東部地域からは同地域をEU/ロシアの共同で秩序回復させた後に撤退するが、クリミアはロシアに残す」という落としどころを目指すことができる。


…今のところ、こんな見立てですね。NATOに加盟していないウクライナを守るためにEUや米軍が「現段階で」ロシアと本格的な軍事衝突に踏み切ることは割に合いません。米国は引き続き、プーチン退陣のためのシナリオを描き、粛々とその作戦を進めるはずです。

ロシアは今のままではカードが足りないので、クリミアを守り経済制裁を解除させるためにはどうしてももう1枚の手札が必要です。

▼参考:

http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPKBN0G70SI20140807

2014-08-01

[]ブロック経済への対応と、「プーチン退場」というシナリオの検討

以前から言われてきたことですが、「全世界の事業をコントロールする」視点と「ブロック経済化が進む各市場にがっつり対応する」視点の2つを上手に組み合わせてお仕事できる体制を作り上げる企業が勝つ時代に、ますます移行しつつあります。先を読むことは難しいですが、いま起きつつあることの意味を理解して、それに即応することならばできるはずです。


20世紀の多国籍型マネジメントは「グローバル・マネジメント」という概念によって一掃されたかのように見えますが、そのような単純な話ではないです。需要は、国民国家単位ではなく、広い視点では「経済ブロック単位」で、またピンポイントの視点では「都市単位」で捉えなければなりません。


ウクライナ危機に端を発するロシアと欧米の緊張関係は、本質的には「EU」と「関税同盟(ロシア・カザフスタンベラルーシ)」という2つの経済ブロックのせめぎ合いによるものです。これによって起きている商機には、都市単位の特性を活用することで対応できます。


今日の「ロシアNOW」には、次のような記事が出ています。

国の貿易政策に変化 (2014年8月1日 ヴィクトル・クジミン)

以下、記事からの引用にコメントしていきます。

(制裁が科される中)ロシアの貿易政策は当然ながら変わる」と、経済発展省のアレクセイ・リハチョフ次官はロシアNOWに説明した。現在、ロシアの輸出者が他の市場に移動し始めているという。「これは実際に起こっている。統計、特に非原材料輸出を見るとわかる。BRICS諸国、ASEAN諸国との貿易、特に今年のロシアからの輸出は勢いよく伸びている」

 ↑

対露経済制裁をまったく行わない地域は、対露ビジネスの大きなチャンスを迎えています。日露間も、直接のビジネスよりそれらの地域を中継した方がよいでしょう。


メドベージェフ首相は演説の中で、アジア太平洋諸国(AP)との相互関係の発展を特に強調した。「今、ロシアにとってこれは優先的。急進展が必要」

 ↑

ロシア側のカギとなる窓口は、ウラル山脈の西側から東側に本格的に移っていくでしょう。この数年で、情勢はどんどん変わってきていますが、次の数年ではさらに大きく変わっていきます。


そしてわたしの見立てでは、米国政府は「プーチン政権の打倒」を本気で考えるようになりました。それが実現するかどうかはわかりませんし、仮に実現するとしてもそれなりに時間がかかるでしょうけれど、わたしたちはその後にくる時代を見越す必要があります。


いまの日本政府や大企業は「プーチンのいないロシア」にどこまで対応できるでしょうか? そのためのシナリオ・プランニング、つまり「起きつつあることの意味を理解して、それに即応すること」が必要です。小さな企業でも、それができれば一定の成果を得られるでしょう。


[追記]

いわゆる「カラー革命」(ウクライナのオレンジ革命グルジアバラ革命、キルギスのチューリップ革命)では、ユコス事件(エクソン・モービルがロシアのメジャー石油会社と事実上合併することをプーチンが直前にキャンセルさせ、ユコスのホドロコフスキー会長を投獄した事件)をきっかけにロシア周辺国の「民主勢力」に対して米国が資金投入してロシアの動きを制限させようとしたのですが、結局それらのカラー革命はすべて破壊させられました。今回のウクライナ危機では、米国の政策はロシア本国に対して「レジーム・チェンジ」を迫るものに転換しています。


米国は当面、総力を挙げてプーチン政権を倒す動きをします。その政策がうまくいく可能性はざっくり言って30%〜40%くらいあると思います。


プーチン退場後のロシアは、エリツィン時代のような混乱を迎える可能性があります。ロシア社会が安定していたこの10年は、各国にとって対露ビジネスが安心してできる環境でした。今後は混乱期を迎えるシナリオを練るべきです。それならそれで、中小企業にはチャンスがあります。

日本では、政治的な混乱や変化に対して思考停止するような企業もありますが、ハッキリ言ってそのような企業は日本国外で仕事しない方がいいです。

2014-07-29

[]ロシアの苦しい立場を、簡単に理解する方法

ウクライナの問題、なかなか難しい状況になっています。


ですが、ウクライナの問題はあくまでウクライナ国内の問題であって、ロシア政府を一方的に責めている「国際社会(=米国・英国)」の姿勢にわたしは疑問を感じるんですよね。


こんなときは、相手と自分の立場を置き換えて考えてみると、わかりやすい。


さあ、ここからは皆さんの想像力を働かせてみてくださいね。じゅうぶん起こり得る話だと思いますよ。


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20XX年、日本に接するすぐ隣の国で、突然クーデターが起き「親日派をトコトン迫害する政策」が発動されてしまいました。


その政策でいじめ抜かれた在留日本人やその国の親日派国民は、抵抗を決意します。ついにクーデター政権との間で内戦が起きてしまいました。日本政府は困ってしまいましたが、在留邦人を守るために、ひそかに自衛隊特殊部隊や補給物資を派遣しました。


ところが、その「親日派グループ」が何らかの事情で人道的にヤバいことをしたと「疑われる」ような事件が起きてしまいました。真相はよくわかっていません。


「国際社会」は「今回の事件は日本に責任がある。経済制裁をする!」と息巻いています。


日本政府は、こう説明します。

↓↓↓

そのような事件を日本が起こしても、日本には利益がない。日本にはそのような動機はない

日本政府は、在留邦人を守る支援は最小限行っているが、非合法なクーデターと反日政策によって内戦が起きたことと、それを当事国が平和的に解決できないことがそもそもの問題だ

日本の責任よりも、内戦状態につながるクーデター起こし、いまも内戦を抑えられない当事国の責任を考慮すべきだ

そして事件の背景を国際社会が中立的・客観的に調査すべきだ

…と主張します。

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このようなことが起きたとき、あなたは「国際社会」と「日本政府」のどちらの主張に共感しますか?


そんなこともあって、わたしは事件のすぐ翌日に「悪いのはロシアじゃん」って決めつけている「国際社会」を簡単に支持できませんねえ。

2014-04-10

[]ロシアと米国は、似ています。

ウクライナ危機後、はじめてロシア入りしています。相変わらず米露関係はお互いの不信感が抜け切れません。これは近親憎悪みたいなものだとわたしは考えています。ロシアと米国は、実は似ているのです。


まずロシア人が散々米国を揶揄するネタ「米国には歴史がない」。これ、少なくともロシア人が言うのはおかしいです。ロシアはキエフ・ルーシ(現ウクライナ)を発祥としますが、キエフ大公国が東方正教会を受容したのは9世紀。それってユーラシア系の大国としては、とても新しい歴史です(インドや中国、日本とくらべても、ギリシャ・ローマと比べても新しい)。


その後、ポーランドやリトアニアよりも弱小だった「ルーシ」はあっけなくモンゴル帝国に征服され、ようやく西洋に一部復帰したときはもう15世紀になっています。ロシアの西洋世界への完全復帰は、エカテリーナ2世がモンゴル帝国の末裔であったクリミア・ハーン国を併合して、彼らに税を納めなくて済むようになった18世紀になってからです。ロシアは、とても新しい大国なのです。


ピョートル大帝ロシア帝国の首都をサンクトペテルブルクに移したのも18世紀初頭。これは徳川家康の江戸入府よりも100年も新しいです。そしてニューヨークよりも200年近く新しい。ニューヨークは江戸よりもサンクトペテルブルクよりも古い都市なのです。

とにかくピョートル大帝の改革は明治維新の先取りのようなもので、モンゴルの継承国とも言えたロシアを西洋に向けて方向転換した大改革でした。ロマノフ朝ロシア帝国はその後、19世紀初頭のナポレオン戦争を経て、世界への影響力が急速に拡大します。これも米国が第一次世界大戦を経て、急速に世界への影響力を拡大したのと似ています。


その後、ロシア革命ソビエト連邦は、人類の歴史上初めて国家名に地名も民族名も入らない国となった人造国家です。これも米国にとても似ています。U.S.A.からAを取り去ると、単に概念的な存在にしかなりません。国家ではなく、システムとでもいうべきでしょう。


そして現在、ロシアは米国と同じく「消費経済」の国になっています。中国のような「世界の工場」ではないのです。消費経済にはそれなりの特徴があるわけですが、最大の課題は人材の集積です。ここで米露の決定的な違いが現れます。

米国は人材集めに成功していますが、ロシアはソ連の歴史があったため、外から呼び寄せることに苦心し、自ら育成してきました。今は外から呼び寄せる体制が整いつつあります(二重国籍も認めています)。


このように、ロシアと米国は極めてよく似ている国なのです。当事国だけがそれを認めたがりませんけどね。


だから、米国でうまくやれている日本人や日本企業ならば、ロシアでも必ずうまくいくと思いますよ。

2014-03-27

[][]「お客さまは神さま」ではない

「お客さまは神さまです」っていうのは日本人だけ。ホント、日本人だけですよ。それは神への冒涜です。


ユダヤ教をはじめとする一神教でさえ、神と人との契約ではないですか。まして同じ人間どうしでの契約は「提供者も顧客も『完全に対等な立場』」なんです。


お客さまは神=「カネを払っている方が『上』だ」という思考は、顧客を人間扱いしていません。単なるカネとして扱っているのです。そしてそのカネを神とするならば、それは文字どおり「拝金主義」と言えるでしょう。そのような思考からは脱しないといけません。


そして「知り合いに安くやってもらう」「友だちだから割引価格で」というのもダメ。そんな付き合いはビジネスパートナーとしても友人としても長続きしません。


顧客からいじめられたサプライヤーが、自分が顧客となる他の企業や商店や飲食店で相手をいじめる、そしてその相手が…という負の連鎖。日本のGDPは今のところ世界第3位ですが、そのうちどれだけの付加価値が「拝金主義」「友だち価格」なのでしょうね。想像すると、寒気…いや吐き気を覚えます。


異常です。その異常さに気づかないうちは、いくら経済成長しても人びとが幸せに暮らせる社会は来ませんよ。受け取るものやサービスにふさわしい対価を、気持よく支払いましょう。支払えないのであれば、受け取るものやサービスのレベルを落としましょう。そのように悔い改めましょう。


 

2014-03-19

[]ロシア、クリミア、ウクライナと日本

かくして、今回の件(クリミアとセヴァストーポリ市のロシア連邦への加盟)で最も喜ぶのは中国共産党政権となります。日米欧露による中国包囲網ができる前に、ロシアと日米欧が見事に分断されつつあります。米国の東アジアシフトは数年遅れるかもしれません。そしてそれを二番目に喜ぶのは、イスラエルです。


いまの日本では、どこまで対露世論が成熟しているかわかりませんが、これはいま日本人が気づきつつある歴史認識問題のロシア版です。


明治時代以降の朝鮮半島情勢、満州情勢が「日本による単なる侵略」だったのかといえば、そう単純に断ずることができません。同じように、クリミアにもウクライナにも、単純に断ずることができない理由があるということ。日本はそのことをロシアとは共有できるかもしれません。


安倍首相とプーチン大統領の個人的関係が良いとされるのは、実はその点(米国や西ヨーロッパによって作られる『歴史』へのアンチテーゼ)にあります。


日本は第二次大戦の敗戦国として、ロシアは冷戦の敗戦国だったソ連の継承国として、新しい世界秩序に向けたビジョンを共有できるはずです。

2014-03-03

[]陸上自衛隊をクリミアでのPKOに派遣せよ

ウクライナ情勢に関して質問が相次いでいるのですが、日本にできる積極的なことは標題のとおりです。


この地域に関しての基本的な解説は他のサイトや記事に譲るとして、わたしは日本のすべきこと、できることを書きたいと思います。


この件に関して日本が取り得るオプションはとても微妙で難しいです。というのは、もしEU・米国側を完全にサポートしてロシアへの制裁などに走る場合、日露関係は確実に後退します。平和条約交渉はロシア大統領府(クレムリン)だけでなく、ロシア政府(内閣・外務省)のサボタージュにあうでしょう。それは、日露を離反させたいと考えている中国共産党政権の思うつぼになるのです。


では、もし日本がロシア側を完全にサポートする場合はどうなるか。今度は日米関係が確実に悪化します。それは米軍の東アジア・北西太平洋でのプレゼンスに影響し、やはり日米を離反させたいと考えている中国共産党政権の思うつぼになるのです。


そう考えると、安倍政権は今のところよく対処しています。プーチン大統領を名指しで非難することなく、G7の共同声明には参加しています。安倍首相も菅義偉官房長官も「全ての当事者が法の支配とウクライナ領土の一体性を尊重して、最大限の自制を発揮し責任ある行動を取るべきだ」と言っています。この「全ての当事者」という言葉には、ウクライナ暫定政府側も含まれます。そこがポイント。消極的な対処をするならば、このあたりの表現がギリギリでしょう。


では、もう少し積極的な対処ができないのか?というならば、標題のとおりになります。情勢の推移は予断を許しませんが、EU・米国側もロシア側も全面的な紛争にすることは望んでいません。関係各国の外交の現場では「どのようにプーチン大統領の顔を立てながら、緊張を緩和させるのか」というテーマにシフトしつつあるようです。ですので、一定の期間が過ぎると、必ずPKFまたはPKOが必要になります。


このとき、PKFにはロシアとEUから出ることになるでしょうけれど、もし日本が比較的大部隊の陸上自衛隊を派遣する場合、ロシア側への良いメッセージになります。「日本はロシアとウクライナの友人として、ウクライナの主権を侵害することなく、クリミア半島のロシア系住民の安全を守ります」というメッセージです。


現地から遠い日本の陸自ならば、米国やNATO軍、あるいはロシア軍が出て行くよりも、現地での摩擦も少なくて済みます。「日本は不戦のパワーになる」というメッセージを世界に送ることで、中韓両国が叫ぶ「日本軍国主義の復活」なるキャンペーンへの効果的な反論にもなるのです。


積極的平和主義とは、このような動きができることを言うのです。


2013-11-26

[][]自治体の本業は住民サービスではない

現代社会において自治体の位置づけや役割ってなに?と考えてみたとき、多くの人びとが実は気づいていないのでは?と思うことがあります。


住民は自治体の「顧客」ではなくて「オーナー」である

勘違いしてる住民多すぎ。顧客は自治体の「外」にいる人びとや企業、国々。首長はじめ行政職員や議員に対して、顧客ヅラする住民はおかしいの。オーナーとして責任をもって接するべき。選挙に行かない住民は、株主総会に行かない株主と同じ。


「住民サービス」は、自治体の本業ではない

企業において、IRや内部管理業務が本業でないのと同じ。そりゃ間接業務ですわ。本業は、顧客である「外」の人びと・企業・国々に対して、その地域にしか提供できないモノやサービスを提供するための仕組み・受け皿づくり。


「『外』向け顧客サービス」の結果、自治体は真の収入を得る

ここで得るお金の使い道の自由度は高い。中央政府が決めるルールで配分されたお金や、住民から「投資」してもらったお金(税収)とは違う。真の自治はこの収入の多寡によって決まる。


オーナーや顧客以外にも、「外」には自治体の関係者がたくさんいる

その地域の住民ではなくても、そこに通勤・通学する人びと。そこに旅行や出張で訪れる人びと。その地域の住民や企業の「顧客」「調達先」「協業先」「競合相手」である他地域の人びとや企業。それらみんな、その自治体の関係者。お金の入りと出具合やそのテコになるものはなにか、「外」の関係者すべてに視野を広げてチェックすれば経済・財政の問題を解決する緒は見つかる。


自治とは文字どおり自治である

上記の原則を邪魔する要因やしがらみは、全部「自治」とは相容れない。そのような要因やしがらみに絡め取られる地域なのであれば、そこに自治は要らない。


…そうすると、たとえば大阪都構想は上記原則に照らして極めてまっとうな手段だとわかるし、各種法令でがんじがらめの自治体を合法的に健全化するためには法令による規制緩和が必要で、したがって国政に関与しないといけないこともわかる。


このことを小泉純一郎流ワンフレーズ的にCM打つならば、冒頭の「住民は自治体の「顧客」ではなくて「オーナー」である」のテーゼで何かコピーを考えるべき。大阪には商人精神旺盛な人が多いから、「あんたたちは『客』じゃなくて『店主』の側だよ」と言えばピンと響くに違いない。そのあたり、宣伝のプロにもっと関与してもらった方がいい。

2013-11-07

[]金正恩の立場で考えてみる

こんな記事が出てますね。

ぼくが金正恩氏ならば、いまのタイミングで


「横田めぐみさんほか、拉致被害者を発見しましたので帰国してもらいます。なんかオヤジがいろいろ悪いことしてたみたいですみません。もうしません。各被害者個人に賠償金を支払います。  今後はお互いによい商売しましょう。アサリ、はまぐり、松茸を買ってください。核開発はやめるので、ウランも買ってください。わたしたちも日本の製品をたくさん買いたいです。あと、経済特区作って日本メーカーに安くて優秀な労働者を提供しますから、工場も建ててください。羽田・平壌の航空路線も開設しましょう。ぜんぶ実現したら、中国企業と中国政府の勢力は追い出します。よろしくお願いします m(_ _)m 」


…と言って、安倍首相に首脳会談を呼びかけます。そして日朝と米朝の国交を正常化します。北は韓国よりもずっと現実的(一族の安全とゼニが再優先)な外交政策をとるので、意外と実現しそうな気がします。

2013-10-12

[]米連邦債務危機から世界の統治システムを考える

米国債って、国連分担金みたいなもんですね。世界が米国に頼っているのって


  • USドルを世界の基軸通貨として安定的に維持してもらう
  • 世界の商品・サービスを買ってもらい、大市場で消費してもらう
  • 世界の秩序を維持し、大国同士の大戦争を防いでもらう

…ということです。国際的な問題なので、ほんとうは国際機関が果たすべき役割ですが、国連には上記のうち実質的なことはあまりできません。

この点で「米国はふつうの国ではない」という米国例外論はアタリです。普通の1国では不可能なことをしているんですから。米国の政策は


  • 世界のニーズに応えること

   と

  • 自国の国益にかなうこと

…の連立方程式を余儀なくされてきました。その2つがリンクし続けている限り、いま起きている世界の政治的・経済的な矛盾は直りません。


だから、米国を他国と同じように「ひとつの国民国家」として扱うのならば、米国債をデフォルトさせるなりなんなりしてもいいけど、そのうえで世界の秩序(とくに冒頭の3つ)をどうやって維持していくのか?という問題への代案を各国が合意しないといけないですね。


でも、「ハイ!うちの国が米国の代わりをします!」という国って、ないじゃないですか?いまの米国と同じレベルと責任でやってくれるの?というと、心もとない。中華人民共和国にお願いしますか?さすがにそれはないですよね。


ぼくの案は、

  1. 米国債はデフォルトさせる
  2. United States of Americaという国民国家は解体する
  3. United Nationsという国際機関も解体する
  4. United Statesのシステムで世界のほとんどを連邦化する(世界各国を1 stateとして扱い自治権を与え、主要国の軍隊を新US軍として統合する ← 明治維新時の御親兵にあたるようなもの)
  5. 新USDを発行し、それを新United States加盟地域の共通通貨にする

…です。これらを一気にやると、そりゃ大変ですが…。でもよく考えれば、これら全部、いつかはやらないといけないことじゃないですかね。今回はオバマ政権へのいやがらせ的な状態がダラダラ続いていますが、みんな根っこから解決しようとしてるようには見えませんね。

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※追記します(10/13/2013)。このようなメッセージをいただきました(プロフィールページにメッセージの連絡先が載ってます)。

SF小説で火星やほかの星に人類が拡散したとき、地球の統治機構がそういう設定になってることが多いですね。ある意味外圧が必要?」

「理想的では、ありますね。ただ、実現までのプロセスが、考えると、頭の中がグルグル回って、方策が見出せませんね。宇宙人、襲来の外圧があれば、もしかするかもしれないですね。」


・・・まあ、今の世界の動きをよく観察してみましょう。ゆるやかに実現プロセスをたどっていることは間違いありません。


インターネットの商用利用拡大は、冷戦終結と無関係ではありません。これで情報の流れに関する垣根が大幅に低くなりました。


次はお金の流れの垣根をさらに低くすることです。これもネットと関係ありますが、同時に大規模な租税回避行為が世界的に問題になっています。これは主権を持つ主要各国が利害を共有しているので、納税者情報を世界で電子的に共有化する仕組みづくりの流れが、必ず来ます。


ひと・もの・お金・情報のうち、「情報」と「お金」の流れが統合的に管理できるようになってくると、その次は「もの」と「ひと」です。「もの」(サービス含む)については、TPPなど地域ごとのブロック経済化を通して自由化されていきます。最後が「ひと」です。


その段階に至ったとき、主権のあり方が変わります。各地域に大幅な自治権を持たせたまま連邦化した方が、みんなラクだし儲かるのではないか? ということになります。もちろん、世界全体が一気に連邦化されることは巨大戦争でも起きない限り現実的ではないです。しかし連邦に加盟する国々にとっては、もはや個々の主権を放棄してでも連邦単位で統治した方がお互いに儲かるし安全だ。ということになれば、その流れは起きます。


日本人には明治維新の経験があるので、やろうと思えばこれら全部を一気にやることができるってわかると思います。倒幕→廃藩置県までの動きを世界的に行うようなものです。確かに明治維新は外圧によって起きましたが、米国一極世界の「後」の秩序をいま理性的に考えると、その道はアリだということです。


これに関係する記事として「アメリカとUnited Statesが別の概念になる日」と「連邦化する世界と「憲法」を考える」がありますので、よろしければあわせてお読みください。

2013-09-29

[]堺市長選挙結果は日本社会の「慣性」を表している

世の中には、何か新しい提案を受けたときに「誰がその提案をしているのか」で判断する人と、「何を提案しているのか」で判断する人がいます。良し悪しではなく、それが人の性質の違いということです。


しかし、すごいスピードで変化がおきている時代では、前者のタイプは生き残るのが難しいでしょう。「一歩ずつ着実に」が適しているのは平時。非常時は「ジャンプ、ジャンプ、そしてジャンプ」が求められるんですね。実行に移すときには取りこぼしもおきます。それは後から修正するという方法でしか対応できません。中国の改革開放政策は副作用を伴いましたが、結果として現在の中華人民共和国はそれ以前とは比較にならない大国になりました。


それを踏まえて、維新の人たちは市民・府民への大阪都構想の訴求方法について、もっと有能な専門家の協力を得た方がいいです。そして、英語での発信をもっともっともっとしていくこと。日本のムラ社会では評価されなくてもいい。とにかく外国から高い評価を得ましょう。外からの圧力でしか日本を変えることはできません。米国の専門家にアプローチしたらいいです。彼らは超一流のプロですよ。

2013-09-09

[]東京オリンピック

東京オリンピックの開催決定以来、FacebookTwitterのタイムラインがおもしろい。手放しで喜んでいる人、一部の人が儲かるだけで大半の国民にはメリットがないと言う人、原発事故の影響を気にする人、それぞれの視点で語ってけっこうだけど……ぼくの意見は、


  • 東京オリンピックを"Change Driver"(変革するための機会)ととらえよう
  • コンパクトな開催計画は、デカすぎる東京をコンパクトな「江戸」に改造する構想を示唆している
  • そのために必要なインフラ・法規制・業界ルールの改造に取り組もう
  • それらの改造とともに、付加価値なく既得権益だけを持つ人びと・企業・団体からお金と力を根こそぎ奪い取ろう
  • アイディアを持つ人の意欲的な挑戦が必要!

…です。目のつけどころはたくさんあるよ。自分の目で見つけたけど、どう動いたらいいかわからない人には、片っ端からアドバイスするからメッセージくださいな。


さあ、開催前までに勝負のカタをつけようよ。それが日本にのこされた最後のチャンスだと思うから。


※なお、ぼく自身は東京オリンピックの期間中、涼しいところで休暇を取っていると思います。暑いのイヤだからね。それまでにやるべきことをやりましょう。

2013-07-20

[]連邦化する世界と「憲法」を考える

FBにもTwitterにも、憲法改正に関する話題が増えてきていますね。


国民国家群による世界の限界

ぼくは、第二次大戦時や冷戦時の世界観を引きずるのではなく、将来を見据えて憲法のあり方を規定し直すべきと考えています。今はまだ国民国家が20世紀の残滓として存在していて、それなりの役割を果たしてはいますが、時として自由な生活や経済活動の妨げになることがあります。個人や企業と国民国家の間、また国民国家間の利害は、現在の国家間や国際機関によって調整されるべきなのでしょうか。それとも国民国家をひとつの自治州のように捉え直して、世界をひとつの強力な連邦政府によって統治する新しいシステムが必要なのでしょうか。そのようなことについて真剣に検討する段階に入っています。テーマは、世界の連邦化です。


近現代史を振り返ると、第一次大戦と第二次大戦は、各国・地域の軍事的経済的なパワーバランスが崩れ、国民国家同士の総力戦につながったことがわかります。冷戦は事実上の第三次世界大戦だとぼくは考えていますが、これもある意味、国民国家同盟間の総力戦だったと言えます。これらは、国家間や国際機関によって、それぞれ主権をもつ国民国家同士の利害(要するにカネと生活)を調整することは極めて困難であり、うまくいかないときは民衆に深刻な犠牲を強いてしまうことを示しています。


では、直近の世界大戦である「冷戦」が終わって20年が経った今、何が起きているのか。


冷戦時の技術が起こした「統合」

今やあまりに陳腐な話ですが、インターネットの産業界での利用は産業革命に匹敵するインパクトを与えました。冷戦時まで主として米国での軍事と学術研究に利用されてきたインターネットが一般に使われるようになったことで、事業の場所や規模に関わらず、企業間そして個人のコンピュータまでがつながり、多くの情報が電子的に交換・蓄積されています。いまやほとんどの仕事で、オペレーションの場所が離れていることは大した問題ではなくなりつつあります。


それで大企業は国境を越えても「One Company」として運営できるようになり(それまでは各国別に「進出」し、各国でそれぞれ運営してましたね)、小企業は他の企業と対等な立場で業務の連携ができるようになりました。「外国に進出する」という表現はもう実態から離れていて、「世界を分断せずひとつの場所として仕事をする」という方が適切でしょう。


モバイル通信技術によるダメ押し

これも今さらな話です。インターネットが携帯電話ネットワークとつながり、モバイルブロードバンドが普及したことで、スマートフォンやタブレットが登場しました。これはスモールビジネスや個人でさえ、国境を越えた仕事が簡単にできるような環境を作れるようになったことを示しています。やろうと思えば、生活の拠点は文化と教育の質が高いところに置き、ビジネスの拠点と「金庫」は諸規制が少ない都市国家に置き、その仕事の特性に応じて、世界各地の消費者や企業を顧客として商品やサービスを提供する。ということが現実に可能になっています。


仕事と生活の再統合

このように、企業と家庭はそれぞれ、技術革新を応用して世界各地の特性を組み合わせ、「いいとこ取り」して生きていけることに気づいています。すでに多くの人たちが新たにそのような生き方を始めています。誰に何を提供して、その対価をどこで管理していくか。それはその人の知識・経験・性格によって違うでしょうが、仕事と家庭の両方を見据えて、最適化を進めていくことになるでしょう。産業革命以前のように、仕事と生活は再び一体化していく途上にあります。


人びとの生活実態に追いつかない国民国家制度

国民国家のもつ機能である通貨や税制などの格差はそのような生き方やビジネスの種にもなりますが、いっぽうで関税や査証制度や市民権・永住権制度など各種規制の違いなどはそれらの妨げにもなっています。


なので、世界の現状にあわせて、国民国家を再定義するところから始めなければ、憲法論議など無意味です。少なくとも10〜15年前でさえ、今の世の中を予想できた人がどれだけいたでしょうか?


憲法は、国民国家のあり方を規定するものです。だから、国民国家と個人や企業との関わり方が変わってきている今、従来の常識を前提に憲法を考えることは危険です。


変わる「世界のあり方」

いま真剣に討議しはじめるべきことは、世界の個人と企業の最大多数の最大幸福を実現するにふさわしい統治システムとは何かを明確にしていくことです。すでにその素案は出されていて議論と対立が始まっています。


多極主義(United Nations)

ひとつは、多極化する世界を、主権を持つ国民国家、とくにミドルパワー国家同士が調整しあう多極主義による統治システム。これは現在の国連をベースにする考え方で、プーチン氏やEUなどはこれを推しているように見えます。ですが、各国に主権を残したままではどうしても機能不全に陥る欠陥をどう克服するのか、革新的な方策が思いつきません。


連邦的統合(United States)

もうひとつは、個人の経済活動の自由と民主主義という価値観をベースに、スーパーパワーがひとつの連邦を形成し、現在の各国はその自治州として内政における自治と連邦内どこででも自由な経済活動を行えるというシステム。これはいまのUnited Statesがベースシステムとなるでしょう。USAからA(America)を取っ払い、世界がひとつのUnited Statesになってしまうモデルです。「アメリカ」がUnited Statesの代名詞になるようではダメで、United Statesというのはひとつのシステムなんだ、と割り切れるかどうかです。ぼくは今のところ、このシステムをイチオシしてます(国家としてのUSAではなく、システムとしてのUnited Statesのことです)。


超寡頭制(People's Republic)

更にもうひとつ。これはスーパーエリートに統治をすべてお任せしてしまう超寡頭制。その寡頭システムに反しない限りは自由な活動が認められるというモデル。中国共産党のような存在がスーパーエリートの力で世界を統治するシステムです。中国がPeople's Republicをもっと普遍的な存在に昇華させれば面白いのに、いまの彼らは「China - 中華民族」という概念を大事にし始めています。そんな狭い了見ではなくUnited NationsよりもUnited StatesよりもPeople's Republicシステムの方が世界の連邦化システムとして相応しいのだ、と立論していくと、相当おもしろい対抗馬になるはずなのに、現段階では残念ですね。


とにかく、United Nationsか、United Statesか、People's Republicか。この3つくらいが今のところ考えられる世界の連邦化システムと言えるでしょう。


「連邦化」はすでに起きている

世界の連邦化が成り立てば、現在の各国の軍事力は国家間に使われるのではなく、テロリストや海賊などを取り締まる「治安維持軍」として使われることになります。すでに「テロとの戦い」や「海賊掃討」などでの国際協調は、世界連邦の治安維持機能を先取りしています。経済政策の協調も、世界連邦の経済政策を先取りしています。


日本の中でようやくまじめに議論が始まっている「道州制」は、世界連邦の中での自治州にあたるでしょう。世界各地の基礎自治体同士が、その地域が持つ強みや企業群をマッチさせ、上手に連携していき、現在の国境にあたるものを越えた経済連盟を作っていく動きもまた、世界連邦における繁栄のパターンのひとつになるでしょう。つまり、連邦化する世界は、すでに起こっている未来だと言えるのです。


日本も『世界連邦のいくつかの道州』で構成される

このような中で、独立にして自由な個人と企業、そして文化を守りながら、世界をよりよくしていく考え方は何なのか、というトピックを深掘りして、よく考えていくことが求められます。新しい憲法では、そのような世界を見据えて「日本は世界連邦の中のいくつかの自治州を構成する地域」である、と想定して考えると、おもしろい案はたくさん出てくるはずです。


新しい世界への移行計画として、新憲法を考える

憲法議論が生活や子どもの教育と強く関連することがわかれば、多くの人びとも憲法にもっと関心を持つようになるでしょう。今回の参院選では、まだそこまでの主張は出てきていませんが、遠からず皆が意識しなければならないことになるはずです。未来の世界観なくして、憲法論議はありえないのです。

2013-07-14

[]アメリカとUnited Statesが別の概念になる日

最近のNY市内、とくに観光客が行くところ以外の地域を観察していて思うのは「日本人は、United Statesという概念が変わりゆくことをもっと正確に認識すべき」ってこと。以下は、観察していていまぼくの中で整理されつつあること:


▼いわゆる「アメリカ」といまぼくが住んでいる「NY市内だけど観光客があまり行かないところ」の地域の文化は、まるで違う。


▼IT革命前、地球規模で事業や機能の再編成が行われるより以前にアメリカに住んでいて、1990年代以前に日本に帰ってきた日本人にとっての「アメリカ」の文化は、この地域ではもはや少数文化になっている。


▼ぼくは、1990年代以前からのアメリカやその文化を「レガシー・アメリカ」「レガシー・アメリカ文化」と呼ぶことに決めた。


▼非白人、非プロテスタント、非アングロサクソン、かつ非多神教(つまり一神教)の移民が爆発的に増えているこの地域では、東アジアなど多神教文化からの移民が多い西海岸とも違う文化だと思う。


▼その新しい文化の形成の流れを、ぼくは「新United Statesの流れ」と呼ぶことに決めた。


▼ぼくら世代の所謂「知米派」の人たちは、IT革命前・グローバル経済成立前の「レガシー・アメリカ = United States」だと無意識に体感しているかもしれない。もちろん、今でもレガシー・アメリカはこの国の基本的な姿だけど、それは「新United Statesの流れ」とは明らかに違う。


▼「アメリカ」と「新しいUnited States」が別の概念となる時代が、すぐに来る。


▼「知米派」を自認する日本人は、その違いを知っておくほうがいい。


▼もし日本の「知米派」が、この新しい流れを体感できない場合、将来の日米関係や日本と国際経済・社会のギャップは拡がるだろう。それは日本にとって良い道ではない。


※追記:

なお、この違い・新しい流れに最も鈍感なのは、他ならぬレガシー・アメリカ人たちですわ。そして、新しいUnited Statesを形成しつつある当事者たちも、自分たちを単に「移民」としてしか認識していないかもしれない。この流れを正確に捉えられる人がどこまで増えていくかは、今後の世界史に大きな影響を与えるはず。


 

2013-07-05

[]国民は「顧客」か

まもなく参院選ですね。


国民・住民は、政府や立法機関の「顧客」だと思っている人がいます。行政機関の職員や議員は、国民・住民を「顧客」だと思って働けと?ぼくの意見では、それは違います。


国民・住民は顧客ではなくて、オーナーです。企業に喩えれば「株主」です。


自分が株式を持っている企業の経営に無関心な「モノ言わぬ株主」は、配当がなくなったり、株価が下落したりして、痛い目に遭ってから文句を言っても「あんたが悪い」と言われるだけでしょう。


そういうこと。投資とおんなじ。


不満があるなら、株主としての権利を行使すればいい。そのためには、自分の責任でリサーチして判断するしかない。もうどうしようもないと判断するならば、株式を売り払って、別の企業の株式を買えばいい(この比喩わかるよね)。


そのどれもしないで、「配当出ないかな」「株価上がらないかな」と願うだけで、果実が得られるなんてことはない。


投票に行こう。


自分のアタマで考えて、投票先を決めよう。


わからないことがあれば、親しい人たちと議論すればいい。


意見が違うこともあるだろうけど、違いを認識することで自分の理解も深まるんです。


「政治の話はしないのがスマートな付き合いだ」と言ってる人は、スマートの意味を取り違えています。その程度で壊れてしまう人間関係なら、最初から要らない。

2013-06-27

[]満員電車の解消よりも「江戸構想」

この記事を見ての備忘録。


たしかに満員電車の解消は必要。

でも、東京の鉄道インフラこそが、東京をムダに大きくしてしまい、結果として非効率を招いているんですよね。


鉄道インフラだけの問題ではなくて、都市全体の捉え方を切り直す方がいいでしょう。東京は廃止して中心部だけの「江戸」に戻す。「江戸」以外の地域もコンパクトな都市に細分化して、そこで職住すべてが完結できれば、鉄道インフラへの投資のしかたも変わってくるというものです。


大阪都構想の思想に習うならば、東京にはそのような「江戸構想」が必要です。


蛇足ですが…リバーシブルレーンはNY市地下鉄に100年前からあります。そしてNY市地下鉄のすべてが複々線なわけでもありません。

2013-06-01

[]自由な人でありつづけるために必要な要件

ある程度の志を持つ人は、出身国の他にあと2カ国(合計3カ国)を選び、自分が「暮らせる」ところを真剣に探し、生活拠点とビジネス拠点を作るべきです。経済的・政治的に連動するところはダメ(ひとつが潰れると他も一緒にアウト)。そして、それぞれの場所は地理的に離れており、異宗教・異文化の場所がいいです。


それぞれの場所で就労可能な永住権を取ること(難しいよ!)。で、ビジネス拠点は生活拠点と一致していなくても可。


つまり、資産を世界的に分散投資するのと同じように、自分が生きる場所も、複数の地域に分散すべきだということです。それができるだけの異文化・異宗教・異言語で通じるコミュニケーション力と思考力、そして違った価値観を組み合わせられる力を持つこと。もちろん、出身国文化のアイデンティティは維持しないと尊敬されませんから、それも必要な要件。


これらをそろえることが、今後の生涯教育に必要なことだと確信します。はっきり言って、ラクではありません。でも、自由に生きるためには必要なリスクヘッジです。


いわゆる「ノマド」とか「グローバル人材」とかとは全然違う概念。

英米に来る移民たちなどはこの概念に似た動きをしてますね。また、英米や大陸欧州出身者や華僑も、富裕層はそういう動きをしますね。


でも、勤務先に縛られる労働者としてではなくて、自由民として最低3カ国の拠点を作るのはまだまだ少ないような印象です。いまの世界情勢を考えると、2カ国では不足です。富裕層ではない無産階級で、それを実現するというのが新しい概念でしょうね。

2013-05-18

[]橋下市長の慰安婦問題騒動

橋下市長の慰安婦発言騒動の何が問題だったのか?ぼくの考えは次のとおりです。


▼記者たちとのフリートーク(囲み取材)の場で、聞かれもしないのに自ら慰安婦問題を例示として発言しはじめた。囲み取材は取材対象の「おもしろい発言」「失言」を期待している場であるから、聞かれもしないことを自ら触れるのは危険。


▼その発言内容は正論だったし全体の文脈として人権蹂躙などは意図していなかった。だが、囲み取材の場だったので、証拠や資料をじゅうぶん用意せず、自らの持論を口頭だけで語った。日本マスコミはこの問題では何を言っても、必ず悪意ある編集をすることは市長も熟知していたはずなのに、これは危険きわまりなかった(朝の囲み取材で、各マスコミはその場でその発言の真意を突っ込んだり質したりしなかったが、言葉じりをとらえて恣意的な記事に仕立て上げられる可能性は過去の経験から予測できたはず)。


▼その日の夕方の囲み取材で、朝の発言について質問を受けたとき、聞かれもしないのに自ら普天間の米海兵隊の司令官との会話内容を明かした。普天間は慰安婦とは異なる難問であるため、別の面からの食いつきが入ることは予測できたはずだが、敢えて自ら危険を冒した。


▼その米軍司令官との会話中、沖縄の風俗産業を活用せよと提案していた。沖縄では過去に米兵による少女暴行事件が起きた際、米軍司令官が「事件を起こしたレンタカー代で女性を買えたのに」という主旨の発言をして批判・更迭されている。その他の各種の例でも、アメリカ社会では公人が性産業・スキャンダルに触れることは危険である。これらを知らずにこの提案をしたならば沖縄や対米関係を考える政治家としては無知。知っていて提案したならば不見識。また「風俗産業」は英語ではSex Industryと訳され、非合法の売春を連想させる可能性があることを知らなかった(後でデーブ・スペクターからのメールを受けて知ったと語っている)。これらも国政政党の代表として外国公人と関わる上では無知といってよいレベル。


▼慰安婦問題に関わる日本の正論は、他国ではほとんど認知されていない。韓国は確信犯だし中国もほぼ同様。中韓をサポートする日本マスコミも確信犯だから正論は通じない。問題はその他の国々での中韓系によるロビー活動。とくに米国でのそれらの活動は日本のブランドイメージを現に損ねる深刻な危険がある。対策は、市民の認識をひとつずつ変えていくことであるため、証拠・資料にもとづき各国の現場で日本人や日系人が現地の政府・自治体・言論人を相手に地道に説得している最中である。にもかかわらず、朝日新聞の米国務省への「ご注進報道」によって展開された世界的な報道が、市民レベルでのこの問題への印象を悪化させたことにより、地道な活動を妨げることになった。こうなる危険を予測できないということは、国政政党のトップとして対外リスク管理ができていないことを示している。


▼橋下氏の最大の目標は、大阪都構想道州制の推進による日本の統治機構改革を通した経済・社会の活性化であって、慰安婦問題の解決は優先順位が相対的に低い。一連の騒ぎへの対応と事態収拾へのエネルギーが、第一目標への推進力を止めたりスローダウンさせる危険を冒す政治家は、プロとして一流とは言えない。


▼こうなってしまった以上、有効な対応策は、外国(とくに世界的に影響力のある米英)の記者たちと、これまでの発言の主旨と根拠を論理的に討議して、「賛同」は得られずとも「理解」させること。にもかかわらず、国内向けに日本語での発信しかしていない。徹底的に議論するというならば、まだ確信犯にはなっていない米英メディアの記者を1人でも味方につけることであって、それ以外にエネルギーを割くのは時間のムダ。米英メディアのうち1つでも主旨を「理解」するところが現れれば、それを材料に日本人に宣伝するのが最も有効。日本人同士はムラ社会でも「外国人の意見」には弱い日本人の特性を活用しないのは、日本の政治家としてのセンスに欠ける。


…ということで、ぼくがこの問題で懸念していることは、大方の日本マスコミや言論人たちが騒いでいる内容とは全然違います。橋下市長の一連の発言は全部YouTubeで公開されているし、全文文字起こしも出ています。編集された記事やTVではなく是非そちらを見て、日本マスコミのくだらない話に付き合わず、外国向けに日本の印象を回復させる手立てをひとりひとりが実行していきましょう。

2011-11-06

[]Facebookに全面移行したわけじゃないですが

最近、日常の話はほとんどFacebookで書いてますので、佐藤幸作と面識のある方は、Friend Requestをいただければと思います。

とはいえ、面識のない方もご覧になっていらっしゃいますので、ここを閉じはいたしません。

Facebookには書き切れない話や、広く公開しておきたい件はこちらにも書きます。

引き続きよろしくお願いいたします。

2010-09-23

[][]新刊本が出ました!

松川孝一さん編著の「ABC/ABM実践ガイドブック」がようやく流通開始!


今回はわたしも執筆陣に入りました。

わたしは第二章の「ABCとは?」「ABMとは?」という基本的な解説を執筆しています。

巻末の「執筆者紹介」で確認してみてください。

今回、

「営業力向上・プロセス改善を実現する」

「営業マンの顧客対応は総時間の10%未満!?」

…などなど、コスト削減ではなくトップラインへの処方箋という切り口が従来の同種の書籍と違ったところかな?と思ってます。


ぜひ読んでください。そして、感想をいただければ幸いです!

2010-07-13

[]英語の公用語化で思うこと


楽天・三木谷氏「英語がダメならクビ」で大論争

わたしの意見は「社内の公用語を英語にすること自体は悪いことではない」です。どんどんやったらいい。

でも、わたしがやるとしたら、三木谷さんとは少し違う方法をとるかも。


語学に限らず、万人のスキルを底上げ的に向上させるのってホント難しいんですよね。

「できない人をできるようにする」って、企業の中ではほとんど無理といっていいでしょう。


だから底上げじゃなくて「できる人を抜擢する」ことに注力するほうがいいんでないかい?と思うのです。


なぜ社内公用語を英語にするのかというと、外国企業との提携・M&Aと統合オペレーション、外国証券市場への上場とそれに伴なう外国人投資家向けIRなど、日本語しかできない社員には不可能な仕事をいっぱいしようとするからですよね。

日本の中で、日本人向けに、日本円で商売するのって、大企業にとっては将来的に非常にリスキーなこと(ニッチ狙いの小企業はいいけどね)。

だからこれまで内需で食べていた産業も、大きくなりたければどんどん外に出ていかないといけない。

それについていけない社員は、残念ながら別のフィールドでがんばってくれよ、ということなんじゃないでしょうか。


さて、わたしならビジネス英語だけでなくターゲット市場とする地域の言語と「ここぞ」という判断がしっかりできる外国の人材をうんとスカウトしますね。韓国や中国、台湾、香港、そしてもちろんロシアなどにそういう人たちはたくさんいます。全世界から人材をさがすのです。

次に、その人たちに対して自社の強みと外国でのビジネスのビジョンをしっかりとすり込みます。

で、CEOはじめ、主だった執行役員はほとんどそういう人たちで占めるようにします(抜擢)。2年も待つ必要ないでしょ。


楽天も三木谷さんがCEOやってる場合じゃないでしょう、と思ったりします。

創業者として、新しいCEOやCxOに楽天イズムを伝道するミッションのほうがはるかに大切なのでは?

(楽天株式会社の持株比率は、三木谷夫妻とその資産管理会社を合わせると45%程度と圧倒的なんだから、なにも三木谷さん自身がCEOをやらなくてもいいわけで…。楽天のビジネスを世界展開するのなら、グローバル企業の経営経験者にCEOをやってもらうほうが適任ではないかと。)


問題は公用語制度よりも、そういうCEO、CxO候補にとって魅力的な人事・報酬制度が作れるのか、ですね。

カルロス・ゴーンさんの報酬が高すぎるなどといって批判される日本社会は、そういう人材には敬遠されてしまうと思うのです。

だからやっぱり人事インフラづくりが先なんじゃないかなー。

  1. 会社にとって大切な人材は何かを明確にする。
  2. それに合致する社員は徹底的に優遇する。
  3. そうでない社員は、徹底的に…。というね。

ただし英語圏以外で英語を共通語としてビジネスの場で使うと、ロクなことがない。

これは前職時代にけっこう目にした現実でしたよ…。現地の母語を使わないと、微妙なニュアンスでのコミュニケーションはとても難しいです。

世の中、英語が完璧なエリートがたくさんいる国ばかりじゃないですね。

そういう国では、英語は事務的な命令を伝えることくらいにしか使えなかったりします。

(まあ日本は論外として…)


そういうことも考えながら、楽天さんにはがんばってもらいたいもんです。

2010-06-24

[]菅政権のわからないところ

内閣が変わったのが良いことなのか悪いことなのか、まるでわからない件です。


消費税を10%にすると景気が良くなる?

政権公約に反するかどうかという議論は別として、消費税を10%にするとなんで景気がよくなるのか、いろいろ読みましたがやっぱりわかりません。消費税を上げて、福祉サービスを拡充する。それで?そこから先に何かが成長するのかが見えません。

福祉や環境で産業を活性化するのはよいとしても、それを政府がリードできるとは思えません。

そもそも、政府がリードして何らかの産業振興につながったなんて、いつの時代の話なんでしょうか。この成熟した日本社会に必要なのは、いかに政府が関与せずに国民の力を引き出して成長につなげるか、というダイナミズムでしょう。

個人の活力は競争力の源となり、成果と成長につながります。そうやって果実を外から取ってこない限り、資源のない日本は生きていけないのです。

いま日本に国際競争力のある数少ない分野って、国が介入しなかった分野(アニメとか)なのでは?そしてその貴重な分野も、まもなく火が消えようとしているようにしか見えないんですが…。

わたしならば、消費税をヨーロッパ諸国のVAT並みに上げるかわりに所得税・法人税をごく低率のフラットタックスにして、高額所得者(社)の財布の紐を緩める方向に持って行きます。

こんな不透明な世の中で生き残れるのは、他人がやらない創意工夫をする人・会社だけですから、そういう存在をもっと大切にしますが。


最小不幸社会のモデル

このキーワードについても、もう少し詳しく聴きたいところです。

幸・不幸ってなに?ということも首相がどう考えているのか詳しく知りたいですし、「最小」というのが何を指しているのかも知りたいですね。

自分たちが幸せかどうかを判断するのは各自の心の問題です。が、たとえば、生きていて「ああ、これこそ自分の生きる道だ、ワクワクするぞ、楽しいぞ」といえる人が幸せな人だとしましょうか(金持ちであるかどうかは別ですよね)。

そういえる幸せな人を増やすことよりも、そういえない不幸な人を少なくする、という政治のどこにダイナミズムへの道があるのでしょうか。より競争が激しくなる世界の中で、日本人の生存能力をかえって低下させるだけでしょう。

政府にできることは幸せな人を増やすことであって、不幸な人を減らすのは宗教が果たすべき役割だと思います。まあ、いまの日本人にはその宗教とカルトの区別さえつかなくなってるという根本的な不幸がありますが。


「格差が少ない社会を望む国民」ってほんと?

確かに、21世紀に入って、日本は個々人が大切にされない社会を経験しています。いままでの助け合いシステムが消えてしまったからですね(企業などの組織に長く所属すれば、特段目立った活躍をせずとも当面食べていける、など)。

これはやっぱり辛いです。でも、世界はひろく、今やあらゆる市場にアクセスできる時代になっているのも確かです。だから、生きていくフィールドを広げないといけないわけですよね。渡り鳥のように。


狭いところにじっとして、誰かが創意工夫したらそれを叩いて引きずり下ろし、誰かが成功したらそれを妬むような社会って、生きていてほんとうに楽しいでしょうか?


むかし、金日成は「すべての家庭で白米と肉のスープを食べさせる」と言って人民の支持を得ました。

菅政権が示す社会って、なんだかそのモデルに近いのではないの?日本の目指す社会って、北朝鮮の理想と同じだということでしょうか。

これについては朝日新聞の調査に恣意性を感じてなりません。

 

2010-05-21

[]グルジア航空、トビリシ⇔モスクワチャーター便復活へ

このロシアとグルジアの首都を結ぶ航空路は、両国の関係が悪化した中で中断されていました。それがなぜ今復活?

革命返しのエントリで書いたとおり、次の「革命返し」の標的になることを恐れたサーカシビリ政権側から、モスクワにしばらくの期間、恭順の意を示したものかもしれません。


2008年8月の、グルジア政府軍による南オセチア攻撃のときは、ポーランド、ウクライナといったロシア周辺諸国の支持が得られました。

しかし現在、ポーランドはカチンの森事件も含めたロシアとの全面的な和解を進めているところ。ウクライナも大統領が穏健派ヤヌコヴィッチに代わって、いまやサーカシビリの味方をしてくれる勢力は当面見当たりません。頼みの綱のアメリカも、それどころではないし、ヨーロッパ諸国もギリシャをはじめとした財政問題が第一優先課題。


いまや誰もサーカシビリの野心に賛同してくれる人がいない中で、当面の恭順を示そうとするサーカシビリ政権もなかなか狡猾です。

ロシアも国内のテロ勢力を相手にするのに忙しいので、グルジアからのこの申請はWelcomeな模様。


まあロシアの隣国のリーダーをつとめるのも、大変なことですよね。

ただ、わたしはサーカシビリをまったく支持しませんけれど。


 

2010-05-07

[]「さよなら、日本」の準備に入る?

今回は、ちょっとした昔話も入ります。関係者のみなさん、もう時効ですよね?

まだ前職の外資系大手コンサルティング会社にいた頃の話。2000年頃のこと。

大手コンサルティング会社の主要顧客はもちろん大企業です。マネジャークラスなら1人月あたり450万円くらいの料金がかかっていた頃でした(今はもっと安くなっているでしょう)。3〜4人の調査系プロジェクトでも、2ヶ月で2500万円はかかっていたかもしれません。


公共向けコンサル部隊の立ち上げ

その頃、その会社では公共向け専門事業部が「できたて」でした。それまでは存在しなかったのです。

わたしは縁あってその事業部の立ち上げに関わりました。

とても苦労しました。

民間企業が当たり前のように出すコンサルティングフィーを、公共機関は出せないのです。入札制度もありますし、随意契約にするならずっと安くしなければなりません。税金だから当然ですが。

「1公共円は50民間円くらいのレートだよね」という会話もし始めた覚えがあります(これは今でもしています)。

当然、なかなか売上はあがりません。稼働率も稼げません。会社が大きいからよかったようなものの、事業部として最初から黒字を出すのは至難を極めました。


上昇気流に乗る

そんな中、ある自治体でのプロジェクトがきっかけで、注目されることになりました。それはとても苦しいプロジェクトで、多くの人に多大な迷惑をかけながら、なんとか完了させたのです。

しかし、経費がひどい。

交通費だけでコンサルティングフィーを上回りかねないくらいでした。事業部のプロフィット・コントローラーからは、大赤字の諸悪の根源は佐藤幸作だ、とも言われました。別部門のパートナーからは「わが社にとってのValueを再考すべきです」という嫌味なメールを、上司であった事業部長はじめ社長にまでccをつけて出されました。


この自治体でのプロジェクトは、それまでの公共機関ではあまりなかった試みでした。それに目をつけた某中央省庁から、随意契約での引き合いを取ることができたのです。これも霞が関の一部をある意味震撼させたプロジェクトでした。

その後は、その分野ではわたしの前職の会社が必ず委託先候補リストに載るようになり、入札ではなく随意契約か、最悪でも提案コンペでの調達で、出来レースなのか?と思えるように勝てるようになりました。収益は後からついてきて、事業部メンバーの人数も増やすことができました。


なんでも立ち上げ時は、大赤字。でも真っ当に続ければ、ちょっとしたきっかけで時流に乗ることができるものです。


公共機関、そして日本国の真の問題に気づく

そんなこんなで霞が関の人々とよく話し、プロジェクトも多くこなしていく中で「こんなことをしていていいのか?」と思うようになりました。

きっかけは、とある官僚との討議でした。その時の討議内容は、今の日本の状況を言い当てたようなものでした。そしてわが社のビジネスのターゲットが明らかに間違っていることを指摘されたのです。

確かにコンサルティング会社として、国から予算をいただいて仕事をするのは正当な商行為かもしれません。

でも、こんなことをしていても顧客(国と国民)の真の問題はまったく解決しないどころか、却って悪くなるばかりだ、と気づかされたのです。


四面楚歌

クライアントの成功のために命をかけるのがコンサルタントです。

間違いに気づいたら、会社にかけあってビジネスの方向性を変えなければなりません。

ところが、会社は方向転換をそう簡単には認めませんでした。

わたしの提案は、わが社の優秀なコンサルタントを選りすぐってタスクフォースをつくり、ほとんど無償に近い金額で、日本国の財政問題と成長戦略を根本的かつ徹底的に解決するためのプロジェクトを政府・与党とともに進めようというものでした。

何年かかっても、政権が変わっても、変わることのない本質的な変革を日本国に提供しようというものでした。

この構想は荒唐無稽だったので、社内からも社外からも、多くの人から呆れられました。


合併・買収を伴なう大きな組織変更があったため、上司の事業部長は交代していましたが、彼はまったく理解しない。


社長も交代していましたが、わたしは直接かけあいました。しかし彼も、絶対に首を縦にふらない。


部下のメンバーたちは、自分の興味と評価に結びつかない活動には、一切ついてこない。


変なことばかりやるものだから、社内に「敵」も多く作ってしまいましたが、その人々からは足をひっぱられる。


結局、この会社ではその提案が実現することはありませんでした。

しかし、この期間にわたしが社内のキーパーソンたちに鳴らした警鐘は、いま悪夢のように実現しかかっています。

わたしは今でも、大手コンサルティングファームの社会的責任として、利益・稼働率を度外視したこの活動を実行すべきだったと確信しています。

あの時あれを実行していれば、少なくともここまでひどい状況に陥る前に少しでも改善の道筋が見えたかもしれません。公共と民間の協業・協創の代表的な成功例になっていたかもしれません。


今のわたしにできること

今、わたしは100人規模のコンサルティングファームに移っています。

税金や財政に関わるプロジェクトからは手をひいて、会社の規模に見合ったもっと細かいプロジェクトをしてきました。

が、視点は変わりません。

今、日本はまさにわたしが2000年から2003年にかけて警鐘を鳴らしたとおりの状況に推移しています。

しかし残念ながら、わたしが今の会社でいくらがんばっても、日本国と国民の生活を守る活動を大々的に起こすことはできません。

日本はもうダメかもしれません。いや、限りなくダメになってしまったといっていい状態だと思います。もはや日本の将来には何一つ明るい要素を見いだすことはできなくなりました。2003年から2005年頃までを境に、手遅れになっています。


だから、志ある人材と企業は、海外に活路を見いだすのが一番です。わたしはそれを支援することになるでしょう。

また、いまのわが社は日本の独立系ながらも、海外からの人材をどんどん受け入れて人材多様化を進めることになるでしょう。

わが社が小さい規模だからこそ、小さくてもぴりりと辛い、能力と技術のあるクライアントを相手に、彼らを日本から避難させることになるでしょう。

わが社自体も、本拠地を日本以外に移した方がよいとわたし自身は考えています(これまた本気でやろうとすると、社内の様々な抵抗にあいそうだから大人しくしてますが)。


今そこにある現実「日本からの避難」

日本で、日本人・日本企業を相手に、日本円で商売をする。この、従来当たり前だった前提が崩れる日が近づいています。

このことに、ひとりでも多くの人が自分の頭で理解し、腹落ちして行動してほしいと切に願います。

もはや「海外進出をする企業さまに、市場調査をしますよ」などというような甘っちょろいコンサルティングが通じる時代ではありません。

実際に向こうに連れて行って、現地パートナーと協業させ、資金調達もIRもキチンとして、完全に定着させる。そんな実践的な「日本からの避難サービス」が求められています。

日本から「避難」すること。すべての志ある人材と企業は、大至急このことをToDoリストに入れて欲しいです。避難先は自らの特性に合わせて選ぶことです。

日本人としてとっても残念ですが、今わたしができることはそれを言い、支援することです。


世界を日本にしてしまおう

でも「日本からの避難」のついでに、良い人材と企業が「日本的精神」を世界に広めることができます。そして地球を「日本精神」の通じる星にしてしまう。それが新しいわたしの夢です。

世界中を日本にしてしまう。

日本国から良い人材と企業が流出することは、ちっとも問題ではない。なぜなら、もはや地球全体が日本精神で満ちているのだから。

そんな世界がわたしの新しい目標です。

日本国を立て直すのでもなく、単なる海外進出を推進するのでもない。コペルニクス的転回が必要です。


 

2010-04-25

[]テロを恐れない心

ロシア(サンクトペテルブルク)出張から戻りました。

今回の出張前後はモスクワ連続地下鉄爆破テロやアイスランド火山噴火など、さまざまなことが起きました。


ロシアというと、日本ではネガティブな事件ばかり報道されるので、周囲からの質問には正直ウンザリです。飛行機は墜ちないのかとか、地下鉄テロは大丈夫なのかとか、ネオナチの動きは平気かとか治安は大丈夫なのかとか。。


日本の人は、少し怖がりすぎかもしれません。

地球上に60億人以上もの人がいるんですから、そりゃいろいろ起きますよ。

いつどんな事故やテロが起きるか、誰にもわからない。


そんな中でもテロに関しては、これだけは言えることがあります。

それは「恐れない」ということ。平常心を保つということ。


テロリストの目的は、人々の心に恐怖心を植え付けることにあります。

だからテロを怖がりすぎてしまっては、かえってテロリストの思うつぼ。

いつも毅然として、生きるべきときによく生き、死ぬべきときによく死ぬ。


わたしたちは人祖から連綿と続く歴史の中を旅する生命。

その歴史のなかで、テロリストが恒久的に目的を果たしたことはありません。

テロリストが世の中を冷笑的に評価して、テロを起こしたとしても、わたしたち大勢の生命が織り成す「明日への希望」は決して潰えません。

テロで歴史は変わらないのです。


 

2010-04-10

[]革命返し

キルギス暫定政権誕生に至る動きは、ロシアの機関の関与が示唆されています。

チューリップ革命のとき(アカーエフ追放)はアメリカの関与でしたが、それを真似して倍返し、ですね。


これがソ連崩壊後に旧ソ連諸国で起きた一連の「カラー革命」(ウクライナのオレンジ革命、グルジアのバラ革命、キルギスのチューリップ革命を指します)に対するロシアによる「カラー革命返し」であるとすると、何を意味するでしょうか。

それは、ロシアの難敵であるグルジア・サーカシビリ政権へのプレッシャーです。 「次はお前の番である」と。


米欧メディアの影響で、日本のマスコミではグルジア現政権は「民主主義の旗手」と報道されますが、実態はそんなきれいなものではありません。EU諸国にも警戒され、現在ではNATO加盟も棚上げになっています。


ウクライナでは、革命の主役であったユーシェンコ、準主役ながら途中で中道派に鞍替えしたティモシェンコが先般の大統領選で落選(結局親ロシア派のヤヌコビッチが当選確定)しており、オレンジ革命は潰えました。 これもロシアのさまざまな関与による成果でしょう。


で、今回のキルギス。おそらくロシアの関与により、チューリップ革命も潰えました。


これが片付けば、次は間違いなくグルジアのバラ革命転覆に動くでしょう。


サーカシビリが退場すれば、ロシアでグルジアワインが堂々と飲めます!

グルジアはワインの原産国と言われ、数千年のワイン作りの歴史を誇る名産地。ホント美味しいです。でもいまはロシアではグルジアワインの輸入がストップしているのです(サンクトペテルブルクでもグルジア料理屋さんは大人気。ヤミで輸入されたグルジアワインも大人気)。


日本ではあまり知られていないアメリカの陰謀「カラー革命」。はやいところ全部片付けてしまえ!に一票、です。

問題は、革命返し後の統治です。これらの国々では政権が早期に腐敗する傾向にあるので、そこをなんとかしないと同じことの繰り返しになります。


 

2010-04-08

[]キルギス情勢

キルギスでは思った以上の大騒乱になっているようです。

現地の友人と先ほど電話がつながったので話しましたが、死傷者1,000人以上という情報もあります。

正確な情報収集につとめ、仕事を再開したいということでした。


キルギスは中央アジアの中でも米露両国が空軍基地を置く、きわめて重要な国。

アメリカにとってはアフガン戦争の兵站基地であることもさることながら、中央アジアと中国とロシアへの牽制としてうちこんだクサビでもあります。アカーエフを追い出したチューリップ革命もアメリカの勢力が深く関与したとされています。


ロシアとしては、旧ソ連あちこちで起きたカラー革命(チューリップ革命、バラ革命、オレンジ革命)への反作用としてだけでなく、この地域を押さえることは中国への密かな牽制、そしてインド・イランとの関係強化を考えても重要です。できればアメリカの基地は追い出したいでしょう。


大国の思惑に左右されがちなこの地域ですが、いましばらく情勢を見つめなければなりません。

友人たちの無事を祈ります。


 

2010-04-04

[]ご復活おめでとうございます

所属教会では洗礼式が行われ、友人2人が受洗しました。

うれしいです。そして初心にかえることができます。


今年と来年は、東方正教会とも復活祭の日が一緒です。

それもまたうれしい。

同じ日にロシアの友人ともご復活(むこうでは「パスハ」と呼ばれる)を祝うことができます。


復活は、死者の単なる蘇りということではなく「永遠のいのちに入る」ということと理解しています。

ともかく、今日新たに兄弟姉妹となられたみなさま、末永くよろしくお願いいたします。

2010-02-25

[]「仕えられるのではなく、仕えるために来た」

このエントリのタイトル、全コンサルタントが肝に銘じるべきことと思っています。

出典元は新約聖書マルコによる福音書10章です。

あなたたちのうちで偉くなりたい者は、かえってみんなのしもべとなり、また、あなたたちのうちで頭になりたい者は、みんなの奴隷となりなさい。人の子が来たのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、自分の命を与えるためである。

(マルコ10・43-45)


何か自分にとって理不尽と感じることがあるとします。

たとえば、会社の仕組みが気に入らない、とか。あの人は自分よりも働いていないのに多くのお金をもらっているのが気に入らないとか、これでいいのか?という将来へのさまざまな不満と不安など。もっと深刻な理不尽な仕打ちを受けている人もいるでしょう。

そんなときでも、いつも喜んでいたいと思います。


理不尽なことが起きたときは、ああ、いま天の国に貸しを作った、と考えます。

うまく行き過ぎたときは、ああ、いま天の国に借りを作った、と考えます。

そういうプラスマイナスが繰り返されて人生を終えるとき、わたしは「貸し」を多く作った人生の決算でありたい(つまり理不尽なことをより多く味わった人生でありたい)と考えます。

お互いにそう考えるための前提が「仕えられるためではなく、仕えるため」の話を心に刻み付けていることだと思っています。


自然の世界で、自分よりもさまざまな能力が秀でている人はたくさんいます。そういう人に仕えることは苦にならないのに、自分よりも劣った(あるいは結果を出せていない)人に仕える気には、なかなかならないものです。でも、そんなときこそ「貸し」を作るチャンスです。


そういう相手にこそ、仕える自分でありたい。

お互いに不満や問題点を指摘しあい、それに基づいて改善をするのはいっけん建設的です。でもわたしはそうではなく、どんなとき、どんな相手であっても、お互いに心から大切にしながら、心の底から尊敬しながら喜んで接して暮らしていくべきと思うのです。

これはキレイゴトでもなんでもなくて、そうであったほうが長期的・最終的にうまく行くであろう、という少し打算的な意図も持っているのですが。。


さて、わたしが尊敬するイエズス会の粟本神父さまが、聖イグナチオ教会の教会報で、次のような記事を寄せてくださっていますので、全文引用します。

 多くの善良な市民は、神様を知らなくても、聖書を知らなくても、国から言われなくても、それぞれが自分の仕事を通して人々に奉仕していると思います。家庭では家族のために、会社では社会のために、病院では患者のために、役所では市民のために、お店ではお客さんのために、皆さんがさまざまな職場で奉仕していると思います。

 奉仕(仕えるため)は、何もボランティアや教会内での奉仕活動だけとは限りません。それぞれの職場での働きも、自分のためもさることながら、人々への奉仕であり、“仕えてる”ことになります。人は誰かのためになっていると思える時に働き甲斐を見つけるものです。仕事を精神化した時に喜びを感じます。皆、無意識に奉仕しているのです。


 人間は本性的に神様の愛によって創造され生まれたものですから、自然に家族を愛し、友人を愛し、人々を愛して、人々に尽くしながら生きています。

 しかし、主キリストが教えていらっしゃることは、そのレベルでの奉仕だけではありません。生まれながらに備わっている人間の自然の愛の本性だけでは足りない、さらに信仰をもって、意識的に神様への愛のために、人への愛のために積極的に仕えなさいと望まれています。

 聖書には「人を自分より優れた者と思いなさい」(フィリピ2・3)とあります。


 自分より優れている人に仕えることは自然にできるでしょうが、自分より劣っていると思っている人に仕えるのは少し難しいかもしれません。この社会はだいたいその人の才能、能力に応じて秩序づけられているようです。自分より明らかに能力の劣ってる人を「優れている」とは思えないのが人情でしょう。


 この自然性に対して、Magis(さらに)へと導くものが聖旨です。神様はどんな人でも大切にされ、すべての人のために十字架もいとわなかったのです。それほど一人ひとりのことを思い、それぞれの魂を「優れたもの」とされたのでしょう。


 自然の眼による才能の優劣、地位の上下などは、社会秩序、効率化のために必要だとは思います。しかし、「優れている」と思うことは、このように社会的に必要である区別からくるのではなく、その人への人格的評価であり、神様が愛し大切にされている人、キリストの聖血によって贖われた魂であると気づき、神様がそうされている人なら、私たちもそのように大切にしなければならないと思うことです。私たちは神様を見倣うべきだと思います。


 ですから、その人を「優れた者」と見ることは、自然的、世間的、自分と比較してからの価値判断でなく、神様への信仰、聖旨を大切する心から生まれてくる判断です。その時、相手がどんな状況の人であっても、心から“仕える”ことができるのではないでしょうか。


 さらにまた、聖書にあるように、「その人の中にキリストがいる」と信じ切ることができるなら、仕えることは当然のこと、喜びとなってくると思います。

 私たちに必要なのは自然的眼ではなく、信仰の眼であり、信仰による判断ではないかと思います。

 粟本 昭夫 S.J.

いつも、心の原点に持っていたいことです。

クライアントと、仲間と、家族と、たとえそれがいかなる人物であったとしても、常に喜んで尊敬して接しつづけ、人生を終えたいです。


 

2010-01-02

[]2010年の抱負・活動方針

明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします>関係者のみなさま。

Друзья в России ! С Новым Годом и Рождеством !

さて、社会や環境、公益に関するコンサルティングに細々と携わる者として、2010年に何を念頭において活動をすべきかを考えました。

ヒントは、ローマ教皇ベネディクト16世の1月1日のメッセージにありました。今年のテーマは「平和を築くことを望むのなら、被造物を守りなさい」というものだったからです。


教皇は14章にわたるメッセージの中で、創造主である神の愛を反映するものとして、環境と人間の絆を新たにし、被造物を尊重しながら責任をもってそれを無関心や搾取から守ることは、人類の平和的共存に不可欠な要素であると説かれています。


よく「一神教では人間が自然を『支配』することを認めているので、人間による環境破壊が起きた」と言われていますが、それは実態とは少し違います。

人間は自然を支配するのではなく、神が創造したこの世界の「管理を委託された」に過ぎません。信託された人間は、神に対してこの自然を健全に活用しつつも持続可能性をもった生活をし、これを保全することこそ神に対する責任を果たすことになるというものです(神の立場になって考えてみればわかるのですが、犬や猿や鯨に地球の自然の管理を委託しようとしても、それは不可能であったでしょう)。


歴代の教皇たちは、もうずいぶん前から自然環境破壊に対して憂慮を示していました。その原因が何であるかについての洞察も的確で、人間の道徳と生活様式こそがカギになるとも繰り返し主張されています。

今回のベネディクト16世のメッセージでも、次のような箇所があります。以下備忘としてこのエントリに残しておきます。

環境の使用は、全人類、とくに貧しい人と将来の世代と責任を分かち合うことを必要とします。わたしは次のことも述べました。自然、とくに人間を単なる偶然の産物ないし進化が定めたものと考えるなら、わたしたちの責任感全体が弱まります(3)。他方で、被造物を神が人類に与えたたまものと考えることによって、わたしたちは自らの召命と人類としての尊厳を理解できるようになります。(2章より)


教会は個々の技術的な解決法の問題には立ち入りませんが、「人類の専門家」として、造り主と人間と被造物の秩序の関係に注意を促そうと努めます。(4章より)


環境危機を、これと関連する諸問題と切り離して考えることができないのは明らかだといわなければなりません。環境危機は、発展の概念そのものと、人間とその隣人や被造物との関係に関する理解と密接につながっているからです。したがって、賢明の徳をもって発展モデルの徹底的かつ長期的見直しを行うべきです。発展モデルは、経済の機能不全と濫用の是正を視野に入れながら、経済の意味と目的を考察しなければなりません。(5章より)


人類は徹底的な文化の刷新を必要としています。人類は、万人にとって明るい未来を築くための堅固な基盤として役立ちうる価値を、再発見することを必要としています。経済危機であれ、食糧危機であれ、環境危機であれ、あるいは社会的危機であれ、現在のさまざまな危機は究極的に道徳の危機でもあります。そしてすべての危機は互いに関連しています。これらの危機はわたしたちに、わたしたちがともに歩んでいる道を考え直すことを求めます。とくにこれらの危機は新たな生活様式を要求します。この生活様式は、節制と連帯を特徴とし、新たな取り組みの規則と形式を備えます。(5章より)


存在するあらゆるものは神に属します。神はこれを人間にゆだねました。ただしそれは、被造物を勝手に用いさせるためではありませんでした。人間は、神の協力者として働く代わりに、神に取って代わろうとしたので、自然の反乱を引き起こしました。「これは人間による自然の統治というよりも、圧政なのです」。だから人間は、自然を責任をもって管理し、配慮し、耕すという務めをもっているのです。(6章より)


天然資源は、次のような条件でこれを用いるべきです。すなわち、(一)直接得られる利益が、生物に悪影響を与えないこと。この場合、生物が人間であるか否か、現在のことか将来のことかは問題となりません。(二)私有財産の保護が富の普遍的用途と対立しないこと。(三)人間の活動が、現在と将来の人間のために、大地の生産性を奪わないことです。 (中略) 生態系の危機は、時間と空間を含む連帯も急務であることを示しています。現在の生態系の危機に対して、先進国にも歴史的責任があると認めることも重要です。しかし、発展途上国、とくに新興国も、被造物に対する責任を免除されません。なぜなら、環境対策や環境政策を少しずつ採用する責務を、すべての国が負うべきだからです。援助の供与や、知識とクリーンテクノロジーの共有において私欲が支配しなければ、以上で述べたことはより容易に達成できます。(8章より)


生態系の危機は、被造物と完全な人間的発展を尊重したグローバルな発展モデルを目指す、共通の活動計画を開発するための歴史的好機を与えてくれます。それは真理に根ざした愛に固有の価値に促されます。わたしは、人間の人格を中心とすること、共通善の推進と共有、責任、求められる生活様式の転換の実現、そして賢明を基盤とした、開発モデルの採用を主張したいと思います。(9章より)


環境悪化の問題から、わたしたちの生活様式と、支配的な消費・生産モデルの見直しが迫られていることがますます明らかになってきています。今の消費・生産モデルは、社会的、環境的観点から見ても、経済的観点から見ても、多くの場合、持続不可能だからです。もはやものの見方を実際に転換するほかありません。このものの見方の転換は、新しい生活様式をもたらします。この新しい生活様式においては「真理、美、善を求め、隣人との交わりのうちにともに成長することを求めることが、消費者の選択、貯蓄、投資の決定要素となる」のです。(11章より)


多くの人が自然の美と調和に深く触れるとき、平和と落ち着きを感じ、自分が新たにされ、力づけられるのを味わうという重要な事実も忘れてはなりません。ここにはある種の相互作用が存在します。被造物を大事にするとき、わたしたちは、神が被造物を通してわたしたちを大事にしてくださることを理解します。他方、人間と環境の関係を正しく理解しても、自然を絶対化したり、自然は人間の人格より重要だと考えることにはなりません。教会教導職が、生態系中心主義や生命中心主義の影響を受けた環境概念について深い懸念を示すのは、このような概念が人間の人格と他の生命との間の本性と価値の違いを排除するためです。あらゆる生物の「尊厳」の平等観の名のもとに、こうした概念は人間の際立った特徴と優れた役割を廃棄します。それはネオ・ペイガニズム(新異教主義)の色合いを帯びた新たな汎神論へと道を開きます。この思想は、人間の救いの起源は、純粋に自然主義的な意味での自然本性だけだと考えるのです。教会はバランスのとれたしかたで問題を考えようとします。そのために、造り主がその手のわざのうちに刻んだ「文法」を尊重します。造り主は被造物を責任をもって管理するという役割を人間に与えました。人間がこの役割を濫用してはならないのはいうまでもないことですが、それを放棄することも許されません。同じように、技術と人間の力を絶対化する、これと反対の立場も、自然に対してだけでなく、人間の尊厳そのものに対して深刻な損害をもたらします。(13章より)


これまでのNPONGOに、このメッセージの4章や13章に関する考え方を持っているところがどれだけあるでしょう?まさにそれこそが彼らの活動の限界点を示してはいないでしょうか。

同時にわたしたち営利企業であるコンサルティング会社も同様に、5章や11章のような「万人にとって明るい未来を築くための堅固な基盤として役立ちうる価値を、再発見することを必要としています。経済危機であれ、食糧危機であれ、環境危機であれ、あるいは社会的危機であれ、現在のさまざまな危機は究極的に道徳の危機でもあります。」ということをどこまで真剣に考えて仕事をしているか疑問です。

この「新しい価値の再発見」と「現在のさまざまな危機は究極的に道徳の危機でもあ」るということに思いをいたせば、いかにしてビジネスモデルに持続可能性を持たせながら、単なる拝金主義を脱してグローバルでの共同体を創ることができるか、ということを真剣に考えなければならないことがわかります。


わたしは、省エネ技術とプロジェクトファイナンスを核とした新しいオファリングを提案しようとしていますが、それも上記の教皇メッセージを念頭におかなければ意味のない活動になってしまいます。わたしにとってとくに身近な仕事になるであろうプロジェクトを、いかに教皇メッセージとの矛盾なく進めるかが、最大のポイントになるでしょう。


旧約聖書・詩篇(8・4-5)には次のような一節もあります。

あなたの手で造られた大空を仰ぎ、

月と星をながめて思う。

人とは何者か、なぜ、人に心を留められるのか。

なぜ、人の子を顧みられるのか。

深く考えてビジネスのかたちを作らなければなりません。



 

nakanohito