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Uehara-monologue

2011-12-17

JASTS&総研大ジョイントワークショップ-Allison MacFarlane氏とSulfikar Amir氏の原発立地問題に関する講演より

昨日表題の講演会に参加してきました。かいつまんで内容を。


まずはシンガポール南洋工科大学のSulfikar Amir氏が作成したドキュメンタリーの上映。インドネシアにおける原発立地問題を題材に、賛成派/反対派の声を様々な角度から捉えて描いた力作でした。


一番印象に残った点は、(欧米系)環境NGOの言い分を受け入れて建設を中止するのは国辱ものであり、原発建設というのは国力の象徴という観点から考えて必要である、と国会議員の一人が語っていたことでした。中国空母保有と似たような構図ですね。


エネルギー問題の解決と同時に、こういったナショナリスティックな側面が開発途上国における原発開発に入り込んでいるという現状は非常に興味深かったです。先進国の価値観・視点では中々見えてこないことだったのではないかと思います。ちなみに氏の博士論文はTechnology and Nationalismという視点インドネシア航空機産業について論じたものだそうです。


そんな状況下でも草の根の反対運動はあるのですが、工学系・理学系でPhDを持つ活動家もいるとのことで、そういった「市民科学者」的な人々が地元の人と協力し、あるいは地元の人を啓発するという形で行われているとのことでした。


なお、放射性廃棄物の処理についてはまったくもって未定だそうです笑。


2人目の講演者は米George Mason UniversityのAllison M.MacFarlane氏。アメリカにおける放射性廃棄物最終処分場建設•原発建設に関連して、地質学者/地震学者と原子力工学者の断絶をSTS的な視点から明らかにした発表でした。


氏曰く、地質学とは過去に何が起きたか原子力工学者に比べて圧倒的に長いタイムスパン(前者はせいぜい60年、後者は10万年とか100万年とか)で研究し、アウトカムとしても定量的というより定性的なものが主流である(無論定量的なものも多々あります、年代測定とか)というものだとのこと。


地震学者はまた少し異なり、モデルを用いたり実験(人工地震とか)を行って研究を進めていくものであり、地質学地震学の間にもギャップがあるそうです。地震学においては1970年代にプレートテクトニクス理論がパラダイムとして確立した訳ですが、世界の大半の原発はそれまでに建設されており、地震学の最新の知見を反映したものではないという指摘は重要だったと思います。


以上のような学問分野の特徴から、原子力工学者との間に対話が成立しにくい、というかそもそも対話がないという現状に対する懸念を繰り返し語っていました。(ちなみに、どうすれば対話がうまく行く?というフロアからの質問に、Drink Beer !と答えていたのが印象的でした笑。地質学フィールドワークを中心とする”泥臭い”分野ですので、なるほどなという感じです)


原発立地や最終処分場建設にあたっては、モデルを用いた定量的なデータが政策決定の必要からも強く志向されており、エネルギー省が運用する「Total System Performance Assessment」という手法が用いられているが、地球を開放的なシステムとして捉えた時にモデリングに必要な変数を全て把握して将来を予測するというのは不可能に近いのだそうです。


むしろこのようなモデリングはある種Rituals of Assent(儀礼的なものーパブコメに対してよくある批判ですね)に過ぎないのではないかという批判はもっともな気もします。氏が上記の一連の見方原子力工学者にぶつけてみたとき、必ず彼らは「でもこのモデルしかないんだからしょうがない」という答えを返すそうです。モデルによる評価→建設可能性の算出という一方向的な考え方に支配され、「予測できるモデルがないのなら評価もしない」という考え方に移行できないあたりが難しいなという印象でした。


最後の質疑応答では総研大標葉さんの問題提起が重要だったかと思います。原発立地や最終処分場建設といった政策的意思決定において、必要な専門家•専門分野を提案しピックアップする「専門性(メタ専門性みたいな)」とはいったいなんなのかということでした。


これを聞いて感じたのは、このような問題設定自体、原発事故のような専門性の機能不全に対して繰り返しアドホックに設定され続けてきたものではないかということであり、事前に「(危機に際して)必要な専門家を選別する能力」というものを本当に設定できるのか、むしろできないという前提に立って他の制度設計を考えた方がうまくいくのではないかと感じました。


原発と地震―柏崎刈羽「震度7」の警告

原発と地震―柏崎刈羽「震度7」の警告

2011-12-14

シンポジウム「ロボットは東大に入れるか」参加記録

本日開催された国立情報学研究所主催のシンポジウム「人工頭脳プロジェクト〜ロボット東大に入れるか」(http://21robot.org/に参加してきました。いろいろと興味深いシンポジウムだったので以下(若干の抜け落ちもあり、他の参加者の方がいらっしゃいましたら訂正・コメントなどいただけると幸いです)記録です。また改めてコメントしたいと思いますが、まずは内容だけお届けできればと思います。


とその前に、あまりに長文になってしまったので私が考えるポイントを・・・


・5年以内にセンター試験高得点、10年以内に東大入試突破を目指したい。


入学試験というものは、データベースの充実、記述されている日本語の簡潔明瞭さ、必ず解答が存在する、必要な要素技術に分割可能、といった点から見て、人工知能研究のグランドチャレンジとしてきわめて適切。


・本当に東大ロボットを入れようと思ったら、「試験中は電子機器を切らなければいけない」ので不可能。


・要素技術に細分化されてしまった人工知能研究を統合していくというところに意義がある。


・最大のハードルは、人間の「常識」。自然言語の意味を認識する上で必要な社会常識や経験が人工知能にはなく、人間が当たり前のように行っている言語処理が非常に難しい。


・研究の意義はいったいなんなのか?人工知能研究の未解決問題を適切に織り込めるのか?入試はどういうものか、どうあるべきかという点にまでインプリケーションを得ようとするのはお門違いであり、研究の意義は限定的なのではないか(以上安西先生の指摘)。




以下、時系列的にまとめましたので、時間のある方はがんばって読んでください笑。


最初は、坂内正夫所長による挨拶。


「物議をかもしたい。入試を突破できた場合、何を人間のスキルとして評価しているのかという問題になる。」とのコメントが印象に残りました。なお、東京大学にも「仁義を切って」始めたプロジェクトだそうで、これは将棋のときと同じですね笑。




続いて公立はこだて未来大学松原仁先生の基調講演。タイトルは「人工知能のグランドチャレンジ〜チェスサッカー、クイズから東大入試へ」。チェス将棋と数々の人工知能の挑戦に携わってきた松原先生が、人工知能による挑戦の歴史、そしてその中に今回のプロジェクトがどう位置づけられるのかを解説。


人工知能の研究自体は1950年頃から開始され、その成果の応用あるいは目標として「グランドチャレンジ*1が設定されてきたとのこと。最初のグランドチャレンジはチェスであり、探索手法の進展に大きく貢献したそうです。50年代にルール通りさせるようになったのを皮切りに、約50年の時を費やしての97年、IBMDeep Blueが世界チャンピオンカスパロフに勝利することに成功。なお、松原先生はその場に立ち会ったのだとか。


チェスに関して興味深いのは、当初のもくろみであった「見込みの高い少数手のみを読む」という人間の直感的な読みを模倣しようとしたがかなわず、全幅探索に手法を変えたところ功を奏したという点だったでしょうか。さらには、ハードウェア強化による飛躍的な能力上昇も背景としてあるとのこと。


他のゲームとしては、チェッカーが1993年世界チャンピオンに勝利、07年理論的に解析済み(引き分け)。オセロでは97年に世界チャンピオン破る。将棋、2010年に女流プロを破る(記憶に新しい清水市代プロ対あからの対決ですね)。囲碁モンテカルロ法の利用によりアマ4段程度の棋力あり、といったところだそうです。さらには松原先生ご自身がキックオフされたロボットサッカーW杯ロボカップhttp://www.robocup.or.jp/)」も行われており、2050年までにFIFAルールでW杯チャンピオンに勝つのが目標(!)だそうです。紹介されていたロボカップの試合映像は非常に微笑ましいもの(例えば→http://www.youtube.com/watch?v=oVJ9W_RetD8)でしたけれど…笑。


また今回のプロジェクトに近い対象としてはクイズがあり、ジョパディというアメリカの歴史あるクイズ番組への挑戦も紹介されていました。Deep Blueと同様、IBMによる「ワトソン」の開発が行われ、自然言語処理、自動検索、そして賭け金を決めるためのゲーム理論を導入して2011年に歴代チャンピオン2人に勝利することに成功したのだそうです(ただしネット接続は禁止)。



そして「ロボット東大に入れるか?」という本プロジェクトに関しては、問題が比較的素直なので人工知能向きだと思うし、いつか本当のロボットが人間と一緒に受験してほしいとのことでした。成功の暁には「人工知能の進歩が目に見えて分かる」、「事務のある程度がコンピュータで代行できる」、「入試問題のむずかしさの基準が、受験生の質に関わらずわかる」、「東大入試の幻想がなくなる?(ロボットでも受かるじゃん)」などの帰結がもたらされるだろうという非常に夢のある結論でした。




次に、本プロジェクトを主導していらっしゃるNII新井紀子先生のプロジェクト概要説明。まずは多くの機関・企業から情報提供を得たことへの謝辞。赤本を片手にもっていらっしゃいました笑。やはり元になるデータベースがないと此の手のプロジェクトはどうしようもなくて、私自身「官庁訪問」のモデル化を試みた際苦労させられた記憶があります。


東京大学(理科?前期日程) (2012年版 大学入試シリーズ)

東京大学(理科?前期日程) (2012年版 大学入試シリーズ)



さて、本プロジェクト開始の発表後NIIには多くの質問が寄せられたようで、中には「ロボットが赤門を歩いてくぐって自分の席に着いて問題を解けるようになるんですか?」というものもあったとのこと、それに対して新井先生が「ロボット東大には入れません。試験中は電子機器類の電源を全てOFFにしなければならないからです。」と答えて会場大爆笑。


新井先生は大学入試人工知能開発においてなぜ適切な目標(グランドチャレンジ)となりうるかについて、


1. 前提となる知識源が明確(検定教科書の存在)

2. 筆記試験である(人と人とのインタラクションがない)

3. 試験問題が簡潔明瞭(誤読防止)に記述された、コントロールされた日本語である

4. 試験問題である以上、必ず正解がある

5. 客観的に比較可能

6. (必要となる要素技術への)分割可能性


などの要素をあげていらっしゃり、個人的には非常に興味深い背景でした。検定教科書があり、問題が大量に蓄積され、かつ誤読防止のために簡潔明瞭な言語で書かれているということは、日本に特有の環境であり、此の研究は日本でのみ可能であっただろうということでした。


また何故難しいのか?という理由については、人間の知能は「知識ー演繹ー常識」という三つの要素で構成されており、「常識」ー人間が当たり前にできること(例えば、問題の図表に「社会常識に照らして父親だと判断するのが合理的な男性を表象した絵」があったとき、それを素直に「父親」だと理解できること)が人工知能にとっては非常に難しいということを指摘しておられました。これは人工知能の研究に携わっていらっしゃる方々の中では最も大きな課題のひと綱用で、此の後講演された先生方も異口同音に「我々が当然だと思っている(あるいは当然だとすら思わないような当然なこと)」ことがAIについては大変なのだと強調されていました。


此のプロジェクトの意義として新井先生は、人工知能研究は目の前の問題に取り組みターゲットを絞り込んできた中で、その内部ですら様々な細分化・高度専門化(自然言語処理、画像処理等)が生じそれらが統合されていないという問題を指摘した上で、このようなrealisticかつfascinatingな問題を設定することでそれらの融合を図りたいとということを主張しておられました。


最後にプロジェクトの進め方として、幅広くオープンに参加を募り、プログラミングコンテスト等も行ってオールジャパンで行っていきたいと締めくくり。「社会的に合意している「優秀さ」はプログラミング可能か?」という問いを検証したいのだそうです。




新井先生の後は、NIIの稲邑哲也先生による「人工知能にとって東大入試はなぜチャレンジングか?」と題したお話。これまでの人工知能研究の反省点として「記号の情報処理だけでは不十分であり、曖昧である記号の意味・解釈を解決する必要」を指摘し、新しい潮流として身体性に根付いた情報処理を研究していきたいとのこと。


現状認識として、部分的なタスク(正確で高速な運動や制御、あるドメインでの人間との対話)に限定すれば成功はしているものの、古き良き人工知能が目標としていた問題には結局到達できていない。曖昧な実世界情報の解釈はある程度可能にはなっているが、高次レベルの知能の層と身体(センサー、アクチュエータ)の情報処理層を結ぶ橋がないとおっしゃっていたのですが、この辺りは門外漢としては中々実感しにくい所あがりました。


稲邑先生は「金属の定規にバターで豆をくっつけた、端をろうそくで暖めると豆はどういう順番で落ちるか?」(国際数学・理科教育動向調査2007)という問題を例に挙げ、直感化*2された知識を持つ小学生に人工知能は遠く及ばないこと、教科書の断片的な知識と経験の接合が人間の反応のポイントであると説明。その上で、実体験に基づく論理的思考というものを人工知能で実現することを目指すにあたって大学入試は最初のメルクマールになる、とその意義を強調されていました。


またこのプロジェクトは得点を取る機能をいたずらに追求する訳ではなく、実世界を理解する知性への挑戦であり、あえて人工知能に不利だと想定される物理や地学をターゲットにしていばらの道を歩むとの決意だということでした。


またご本人の研究テーマとしては、画像処理と自然言語処理の統合を目指しており、


・曖昧性解消のための画像理解と自然言語理解の相補的な統合

・ 図と文章からの物理モデルの再構成

・ 物理現象のモデル化と予測

・3次元モデルの構築と物理シミュレーションによる将来予測

・図と文章からの物理モデルの理解

・ 画像から得られる意味のグラフ化

自然言語から得られる意味のグラフ化

(特に最後の二つが興味深かった。図がないので説明しづらいのですが・・・)


といった目標をおいているのだそうです。




最後の演者はNIIの宮尾祐介先生。タイトルは「知識を問う問題にコンピュータはどれだけ答えられるか?」。ご自身の専門は自然言語処理で、言語入力と出力の間にどのような「計算」が行われているのかを明らかにするのが目的。今回のプロジェクトについては、大学入試は全ての科目・全ての問題が自然言語で出題されており、大学入試を突破するには自然言語処理が鍵であるとのこと。


知識を問う問題に大しては教科書や参考書を見れば答えられる問題であり人工知能が有利であるとしつつも、人工知能が得意なのは丸暗記であり暗記ではないという限界があり、人間が記憶しているのは言葉ではなく意味・知識なので、記憶していることと問われていることが意味的に一致しているかどうかを人工知能が認識するするのはきわめて難しいのだそうです。


上記の問題点をセンター試験世界史の問題を引用し、「イェニチェリ軍団」と「イェニチェリ」あるいは「皇帝直属の常備軍」と「オスマン帝国常備軍」は同じだとどう判断すればいい(自然言語処理の用語では「含意関係認識の有無」)のかを丁寧に解説。プロジェクトの第一歩としてNII主催の国際ワークショップで既にセンター試験へのチャレンジを行ってみたとのこと。


センター試験の問題とwikipediaからデータを作り、含意関係の有無で当否を判定したそうです。IBMカーネギーメロン大学、北陸先端科学技術大学、東京大学京都大学NIIの6チームがそれぞれ3つづつモデルを出して競ったところ正答率は20%から60%の間で、最高はIBMの57.7%。含意関係の認識精度と正答率の相関係数は0.8であり、認識精度を上げれば正答率も上がることが見込まれるという結果を紹介していました。


既に知識を問う問題には5〜6割解答可能であり、えんぴつ(25%)よりはだいぶまし(笑)であるものの、抽象概念と具体的状況との整合性を認識する必要もあるし、東大入試の大半を占める論述問題を解くにあたっては関連知識の探索、出題意図の認識、回答方法の指定の認識が必要であるとその難しさを指摘しておられました。


言語処理のための機械学習入門 (自然言語処理シリーズ)

言語処理のための機械学習入門 (自然言語処理シリーズ)




休憩の後、「知性と知識のはざまで」と題して作家の瀬名秀明さんを司会に、安西祐一郎(日本学術振興会)、喜連川優(東京大学)、松原仁新井紀子の各氏でパネルディスカッション。知識とは何か?教育とは何か?人生に置ける入試の位置づけは?どういう技術的ブレイクスルーを伴い、どのように社会が変わるか?とまず瀬名さんが話題提起しました(今までも概説ですが、以下はさらにはしょってちゃんとメモできた要点のみ)。



喜連川先生は、基礎研究をunderstandableな形で伝える必要がある中で、「ロボット東大に入れるか」というテーマは誰でもわかるゴール感があり、王道の基礎研究と外部環境をうまくつなげるものとして意義があるとおっしゃっていました。


瀬名:此のチャレンジの難易度は?

松原:わかるようならグランドチャレンジではない。6割をとらせるというときに、どういう要素技術に落とすかが問題。


瀬名:このようなプロジェクトを思いついたきっかけは?

新井:知的労働の代替をする人工知能、どの要素技術が代替するか?そういった研究を進める上で、東大入試はかなりいいところにあるハードル。要素技術間の先端知の非共有を是正し統合プロジェクトとしてやっていく。人工知能発展の先に人間はなにをするべきか?ということを考えていきたい、という趣旨。


瀬名:いつぐらいに突破できる?直感で(この問いに対し明確に答えたのは松原・新井両氏)

松原:できてしまうと、たいしたことないという声が上がる。特化するとかなりはやい(=予想・対策して6割を目標にするなら)。王道をいくと、10年程度かかる。

新井:いつまでかわからないといってやってはだめ。5年でセンター高得点、10年で受かるようにやる。時間を区切って遮二無二いくことで、要素技術が生まれる。若い力に期待。


瀬名:具体的な面白さは何処に出てくる?

新井:統合実権基盤をつくりAPIを公開、そこにモジュールとして接続するところ。細かい問題がいっぱいある。各研究室はひとつひとつやって来た。ただ、オープンな実験基盤の提供しても具体的な問題かつ分割可能じゃないと人は集まらない。

松原:このプロジェクトはオールジャパンということだが、ロボカップはいくつかのチームが競争して開発するという形で行われている。

安西:アルゴリズム化、データベース化するとなると、情報をどう表現するかが重要。でも手法は多様で死屍累々。同じ表現法を使わないと嵌る。


さらに新井先生と安西先生のやりとりとして以下のようなものがあったのですが、これはこのプロジェクトの科学的・技術的意義を考える上で非常に示唆的でした。


新井:人間はあまり経験をちゃんと処理してない?「だいたいこれだろう」というように鍵となる言葉を見て反応している。

安西:(学習に際して)なんども読み、何度も解くとキーワードだけピックアップできるようになる。アブストラクションの一種。そういうことについてどのくらい、プロジェクト担当者はわかっているのか?それはそもそも研究テーマなのか?


安西:研究としてやるとすると、大量の情報からいい情報を見つけ出すという意味はある。どういう情報を鍵にして見つけ出すかということ、記憶がどういう構造で格納されているか、どう学習されているのか、っていうのが大きなテーマ。そういう未解決のテーマを想定した上でやってるのか、単に面白そうだからやってるのか?

新井:これができなかったら先に進めない。これができないとその先もない。


また喜連川先生からのコメントとして、


喜連川:情報爆発プロジェクトには600人関わった。舵取りが難しい。EUを見てみると、各分野のトッププレイヤーを持ってきて共同研究をやっている。互いに100%つくす、それぞれの要素技術で100%を持ったプレイヤーが必要だ。

新井:有り難い方々に入っていただいている。これでできなければできない、位の印象。トップダウンも重要だが、(細分化し知の共有が進んでいない中で)実際につなげてみることがうまく行くことを結構実感している。今までつながっていなかったのだから、まずつながるべき。5年後にそれが見える。そこから本当に始まる。


終了前に京都産業大学の上田先生からの質問。


京産大・上田(質問):出題している人と話をしたのか?意図・背景を知り出題者が学生のどういう能力を測りたいのかを捉えた上でやらないといけないのでは?

新井:あくまでもベンチマーク哲学的に入試がどうということではない。こういう現状についてそれを読み解くのが重要。

安西:はっきりした輪郭を持ったスクエアなものとしてやっていくなら意味がある。今までの研究結果としてやられていないことを提示してほしい。入試についてなにかインプリケーションをとなると、此のプロジェクトの目標はかなり限定されている。集まって!というのはモチベーションとしてはいい。

喜連川コンピュータサイエンスのグランドチャレンジとしては誰でも分かるし要素技術もいろいろ含まれるので意義はある。応援する。もし会場にいたら、京大カンニング事件があったようにクラウドが可能な中、なんでそんな問題設定をするのかと尋ねる。


以上です。

*1:それ自体は直接役に立たずとも世の中で注目を集める象徴的な目標、技術的な進歩

*2:例えば人工知能がこれを解くとしたら、問題を自然言語処理で認識し、膨大なデータベースから重力方程式やバターが溶けるという特性や金属の熱伝導性といった情報を呼び出して結合して応用しないといけない

2011-11-29

※日程変更あり!【お知らせ】現代思想12月号「危機の大学」を読む会

下記告知の読書会ですが、参加者僅少のため12月15日(木)夕方16時30分からの開始となりました。引き続き参加希望の方を募集しておりますので、興味がある方は記事下部の私のメールアドレスまでご連絡ください。

ご覧の皆様へ


先日発売されました現代思想12月号の「特集:危機の大学」の記事を読んで、ディスカッションをする会を開催することになりました。


ポスト3.11の状況もふまえ、様々な環境の変化に取り囲まれている大学の現状と将来について、科学論・科学哲学科学史科学技術社会論論客達が執筆した記事が多数掲載されている同誌を読み、今後の大学、ひいては科学と社会の関係や科学そのものの在り方について考える機会としてみたいと考えています。参加希望の方は末尾の連絡先までご連絡ください。


日時:12月8日(木)13時〜17時 ※途中参加・途中退出自由

場所:東京大学本郷キャンパス福武ホール・コモンズ(予定)

対象:科学史科学技術社会論に興味関心がある方(今のところ、本郷駒場大学院生が3名ほど参加予定ですが、所属は特に問いません)


輪読・ディスカッション予定の記事は以下の通りですが、時間制約・参加希望者数の想定上、全てやるということは難しいと思います。任意のものをピックアップしていただき、各記事それぞれ内容をレジュメ1枚、10分程度にまとめてくださる方を募集しております。


討議:大学はいかに可能か(石田葉月・岩崎稔岡山茂・島薗進、西山雄二)

大学と科学者社会的責任野家啓一

大学の変貌(村上陽一郎

マイナスからゼロへ(最首悟

ポスト・ノーマルサイエンスによる「科学者社会的責任」(塚原東吾)

科学技術「社会」論の新自由主義偏向(木原英逸)

公共性の黄昏(金森修

哲学とポストコロニアリズム酒井直樹・本橋哲也訳)

知力解放とその頭痛廣瀬純

未開の大学(白石嘉治)

コグニタリアートの構造と沈黙(C・ニューフィールド・佐々木夏子訳)

大学の未来、フレンチ・セオリーの現在(鈴木哲平)

都市、青年期、大学(村澤真保呂)

「生活民」としての学びのために(安藤丈将)


連絡先:森脇江介(東京大学大学院総合文化研究科科学史科学哲学研究室修士課程)

メール:kosuke64アットマークgmail.com


2011-11-25

シンポジウム「日本のエネルギー政策を多面的に考える」参加記録


久々の更新。


中の人からお誘いがあったので、駒場祭に合わせて数理科学研究棟大ホールで開催されたシンポジウム「日本のエネルギー政策を多面的に考える」に参加してきました。


参加者は200人ほど、大半が中高年の男性でした。申し込み段階から学生の参加希望がほとんどないという話を聞いていたのですが、実際その通りでちょっと残念。ただ、最後の質疑応答の際にピックアップされた質問のほとんどが学部生のものだったので、主催者の方が配慮されたみたいでした。


プログラムは以下の通り、演者は6名。

http://www.komed.c.u-tokyo.ac.jp/fes/


聞きかじってきた内容を記述する前に触れておきたいのは、この手の議論はある程度共通の数字というか現状認識みたいなものなしには不毛だということです。数値の引用はエネルギー白書やIPCCの報告書がメインでしたが、試算の数値一つとっても演者によって前提が微妙に違っていて、それをもとに将来シナリオを議論していたので食い違うのも当たり前だったと思う。おおよそ学問的な意味での建設的なやり取りはあまり見られませんでした。


一人目の山口先生は経済学者で、IPCC気候変動に関する政府間パネル)にも長年携わってきた方。温暖化原発、再生可能エネルギーの関係についての話。先生の見立てでは、原発完全停止という状況下では温暖化防止はかなり困難で、選択肢としての原子力発電を残すべきとの立場。


二人目は瀬川先生。太陽光発電の研究をされている方。再生可能エネルギーは即効性のある選択肢ではなく、原発稼働停止をすぐさま補える性格のものではない、むしろ火力発電を長期的に代替していくものと考えてほしいとの意見が印象に残った。


三人目は萩本先生。長年電源開発に勤めた後東大へ、国家戦略会議にも関わっている。電力の需要サイドが無秩序であることを指摘し、料金設定等を通じた需要サイドのコントロールを提唱されていた。


四人目はいわずと知れた飯田哲也さん。北欧の事例を多数引用しつつ、政府東電の皮肉をちょくちょく交えつつ、エネルギー政策の根本的転換を主張。


そしてトリが河野太郎衆議院議員。日本の過去の原子力政策が如何に問題先送りで無計画なものだったかを、プルサーマル計画と使用済み核燃料保管の話を軸に30分にわたり熱弁。


休憩後にパネルディスカッションがあり、再生可能エネルギーの現実性や、スマートグリッド電力自由化発送電分離等について活発かつイマイチ噛み合ない議論が続いて5時頃に終了、という感じでした。


内容はあまりメモっていないのでまあこんな感じです。もっと詳細にレポされる方が現れることを望みます。


終了後に山口先生にも申し上げたのですが、依拠している資料・数値の出所や、論文としての信頼性を不明確にしたままで議論をするのはあまり生産的ではないというのが一番の感想でしょうか。特に飯田さんがちょくちょく引用している海外の文献が、どこまで信頼の置けるものなのか疑問。


無論山口さんについても「やはりリファーされた論文でないとね」とはおっしゃっていたものの、この業界で査読というシステムがどれほどきちんと機能しているのかっていうのはそれはそれで疑問。


3.11後の現状を整理するという意味では意義のある要素も多かったのですが、エネルギー政策をここからどう形作っていくかについては中々不透明(状況から考えて実際にとれる選択肢が限られるとはいえ)なままでした。


↓会場で売られていた飯田さん・鎌中さんの共著

今こそ、エネルギーシフト――原発と自然エネルギーと私達の暮らし (岩波ブックレット)

今こそ、エネルギーシフト――原発と自然エネルギーと私達の暮らし (岩波ブックレット)

2011-06-01

公開講演会「危機と科学」メモ、に対する岡本先生のコメント

先日更新した「公開講演会『危機と科学』メモ」(http://d.hatena.ne.jp/kosuke64/20110530/1306778499)に関して、講演者の岡本先生からコメントを頂きましたので、改めて投稿させていただきます。


岡本拓司 2011/05/31 09:26


どうもさっそくありがとうございます。私の説明がまずかったり、不足していたりした点があったと思います。いくつかコメントさせてください。


森鴎外は珍しくドイツ医学を学んだのではなく、高木兼寛が珍しくイギリス医学を学びました。ドイツ医学を学ぶのは当時の日本では主流です。


ビタミン学説の受容は、同じ戦後でも第一次大戦後です。


ポツダム宣言受諾の経緯について鈴木多聞さんの本に多くを学びましたが、結論はだいぶ違っているのでその点お断りしておきます。


原子爆弾の2つ目に「意味があった」と主張したわけではなく、2つ目を受けて、日本側が降伏に向けてどう判断したか、という事実経過を述べました。「数学的帰納法」は安易に言い過ぎましたが、2つ目の原爆が投下され、3つ目もありうると考えるようになりました。


専門家の箇所、質問はまず軍事専門家にもポツダム宣言受諾やむなしと判断した人があったことを指摘されていました。彼らの判断と天皇の判断との違いを明らかにすることが大切だと思いましたので、私はそちらに答えました。天皇以外に、文官・武官両方に宣言受諾を主張した人々もいましたが、いずれも国体護持が主目的で、従来の議論を外れることはなかった点が重要でしたので、それをお話ししました。国民を守ることを理由として持ち出すことが出来たのは天皇だけであったことが重要で、この判断は専門家の意見を斥けて行われましたが、天皇専門家ではなかったからそれができた、というわけではないです。


・話のなかでの軍事専門家は、職位や職務によって極めて限定されており、たとえば陸軍を例にとれば大臣や参謀本部総長です。天皇との関係でいえば、その職務は、陸軍のもつ情報に基づいて天皇を輔弼したり帷幄上奏したり(要するに助言)することです。明治憲法の下では、基本的には、陸軍に関する天皇の公式的な情報源はこれらの人々です。ポツダム宣言受諾に至る途では、天皇はこれらの専門家(といってももうよろしいでしょうか)の一部の判断を斥けました。極めて異例な事態ですが、昭和天皇はときどき(といってもほかに2度程度)同じようなことをしました。


岡本拓司 2011/05/31 09:30


済みません、追加です。


昭和天皇については、宣言受諾の決意は最初の原子爆弾投下にすでにあった可能性が高いと思います。この時期の発言などの記録がほとんどないので分からない点も多いのですが。


kosuke64 2011/05/31 12:47


岡本先生


詳細なご指摘恐縮です。本エントリ内にて加筆修正させていただくと同時に、コメントをそのまま紹介するために別エントリを立てさせていただきたいと思います。

メモを元にざっくり書いたまとめですので、不十分な点が数多くあったかと思います。改めてお詫び申し上げます。


岡本拓司 2011/05/31 13:16


長々と森脇さんのサイトに書き込んで済みませんでした。かなり正確に紹介していただいてありがとうございます。まだ専門家の話には十分に答えていない気がしますが、明治天皇が法的にも技術的にも医療専門家ではなく、侍医その他の医師が専門家であったことはまあいいですね。昭和天皇軍事には詳しいが専門家ではなく、専門家の助言を受けて決断する立場にあります。実際には天皇自身が決断することはなく、それをよくわきまえているのが立憲君主制の君主の「専門家」ですが、昭和天皇は専門的な君主であったにも関わらず、終戦に至る決断ではこの道からも外れた、ということになるでしょうか。


kosuke64 2011/06/02 01:49


岡本先生


返信が遅くなり申し訳ありません。


専門家について私等が気にかける経緯として、先月行われた葉山・総合研究大学院大学におけるCollins & Evans の Rethinking Expertise(http://amzn.to/mRrmOa読書会にて「専門家」とは何か、を議論したということがありますので、一応申し添えておきます。


繰り返しになりますが、私の拙いまとめに対して詳細なコメントを頂きありがとうございました。