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Uehara-monologue

2014-09-05

日本における産学連携―その創始期に見る特徴―

| 01:48

明治初期から第二次世界大戦にかけて、日本の産学官軍連携はどのような状況にあったのか?第一次世界大戦を契機とした、産学官軍の密接な連携を詳述した論文。本論文では、大学の学知の中でも工学、医学化学といった応用部門が取り上げられその産学官軍の連携の実態が事細かに記述されている。


鎌谷親善「日本における産学連携―その創始期に見る特徴―」『国立教育政策研究所紀要』第135集, pp57-102, 2006年3月

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  • 概要

明治期の日本においては幕末蘭学-洋学を実学として捉えた延長線上で西欧科学技術が捉えられ、工学や農学といった「国家ノ枢要ニ応シル」学問を包含した総合大学が成立していた。大学においては初期の段階から学界と官界を行き来する教員が多数見られ、官と学が密接な関係を保持していた。また1884年に東京大学理学部海軍の要請で造船学科が創設されたのに象徴されるように、軍との関係も密接なものであった。池田菊苗がうま味成分としてのグルタミン酸ナトリウムを発見(1907)し、民間企業と共同で「味の素」として発売したことは、大学が持つ先端知が産学連携を通じて商業化されていたことの好例である。なお筆者は国立試験研究機関(衛生局、醸造試験所など)の成立にも着目し、産業のインフラとしての基礎研究機関が明治初期の段階で官界で整備されていたことも取り上げている。


西洋科学技術の国産化を達成するために産学官軍は密接な関係を保ち続けた。そこでは、日露戦争で各国が局外中立を厳守したが故に英国製軍艦の引き渡しがなされなかった結果造船技術の国産化が目指されたという事例にみられるように、安全保障上の理由も強く働いていた。この流れが一つの頂点に達するのが第一次世界大戦(1914-1918)である。列強が科学技術動員を背景とした総力戦を展開したことに刺激されて、単に軍事技術のみを育成するのではなく幅広い科学技術、産業の育成を通じた国力増進が強く志向された。その際には、新たな大学令の公布による単科大学私立大学の設置という形での、大学の制度的整備と量的質的な充実も図られた。また理化学研究所、そして東京大学航空研究所*1などの附置研究所が設立されたのも同時期である。これらの研究所においては教育義務を免除し研究の自由が確保された上で、官民軍からの寄付や研究成果の商業化による収入が柱となる収入金支弁方式によって運営が支えられていた。個々の研究者の独立性が高い「研究室方式」をとっていたこれらの研究所では、軍事のみならず民生面においても幅広い成果とその商業化が見られた(例:医薬品、一般工業用品、化学製品など)。


日中戦争、そして第二次世界大戦と時局が進行する中で、産学官軍の連携による研究開発は挫折も経験している。例えば液体燃料の開発については、京都大学に附置された化学研究所において政府資金住友財閥からの寄付により合成石油の製造が研究された。大戦末期にはプラント建設にまでたどり着くが、本格的な産業化には至らず、日本は降伏した。以上の経緯を振り返ると、日本の学界はその成立段階からして応用分野を包摂していたために産学連携に親和的であったといえ、第一次世界大戦という刺激を通じて幅広い応用分野で産学連携の成果が見られたものの、最終的に第二次世界大戦の帰結には貢献できなかったといえる。なお筆者は、官民軍の側にも試験研究部門があったことで、大学における研究成果を産業化する素地が整っていたことも強調している。




*1:筆者によれば、当初航研が越中島に置かれたのは、水上用飛行機の開発を求めていた陸海軍の要請によるものである。ただし航研は関東大震災で壊滅的な打撃を受けた結果、駒場に移転している

2014-09-03

欲望と消費の系譜(序章、1章、2章)

| 01:41

来週開催される読書会に向けてつらつらと読んでいます。物質的なものだけでなく非物質的なものも消費の対象として捉え、多様な形態をとる「消費文化史」を描き出そうとする試みの書です。


草光俊雄/眞嶋史叙『欲望と消費の系譜』NTT出版, 2014


欲望と消費の系譜 (消費文化史)
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本章では18世紀イギリスを事例として「伝統的な旧体制(アンシャンレジーム)から近代的な商業社会への、シヴィックヒューマニズムに基づく伝統的「徳目ヴァーチュー)」から近代的「礼儀(シヴィリティ)」・「礼儀作法(マナー)」への移行を探求する試み」(p3)が行なわれています。モノを生み出すという生産力中心の経済史観を脱却し、社会や文化といった側面を射程に入れて分析を行なうことで、この時代が「人びとの消費への欲望」により大きく変化してきたことを明らかにしようとしているのです。奢侈論争、徳と作法、公共圏の成立といった点に着目して主要な思想家を位置づけることを通じて、富を蓄えた利己的な人間の消費行動がいかに正当化され批判されたのか、文化や自然が消費の対象となる仕組みがどのように出現しそれは市民社会の成立とどのように関係していたのかが簡潔に論じられています。



本章の目的は、一言でいうなら「インド産の綿織物が西洋に与えた長期的な影響力を否定する」(p51)ことにあります。産業革命期に発生した「消費革命」に際して、インド産の綿織物が長期的かつ重大なインパクトを与えたとする通説に対し、筆者はイギリス国内における綿織物の輸入代替プロセスを詳らかにすることにより反論していきます。筆者の論を借りれば、東インド会社により輸入されたインド製の綿織物とそれに付随するデザインの理想像がイギリス製綿織物に変革をもたらしたとする見方は、イギリス国内における綿織物流通の実態や輸入代替の端緒としての中央アジアからの綿織物の輸入といった要素を踏まえていないということになります。また「デザインの理想像としてのインド綿織物」という見方も、東インド会社によるマーケティング手法ヨーロッパの側から想像されるアジア的なものを踏まえたデザインをインドの工場にたびたび要求し、イギリス市場で売りさばく)の分析を通じて否定されていきます。イギリスにおける綿織物産業の隆盛は、大衆による消費の拡大とモノのデザインの革新という意味でのイノベーションによってもたらされていたのです。


  • 第2章「ヴェスヴィオに登る―ツーリズムの歴史を読み直す」

1冊の宿帳から話は始まります。そこに現れる各国の旅行者の出自に関する自己認識やヴェスヴィオを前にした思考の吐露をトレースすることを通じて、筆者は19世紀イタリアにおけるツーリズムの変容の実態を明らかにし、ひいてはツーリズムという概念そのものの揺らぎを詳らかにしていきます。1822年に大噴火する以前のヴェスヴィオは、多彩な旅人が古典を携えて眼差しを注ぎ、居合わせた旅行者や友人との心情を共有する対象でした。噴火以後のヴェスヴィオへの旅行者は流転する世情や政治問題、経済情況によって左右される存在であったと指摘する筆者は、19世紀の西洋における旅行の商品化・大衆化によって近代的娯楽ツーリズムが成立したとする通説に批判を加えます。この分析を通じて筆者は、現代のツーリズムをみる際にはそれを単なる余暇としての旅行と捉えるのではなく、個々の旅人を取り巻く経済社会情勢をも射程に入れた単なる消費行動にとどまらないツーリズム概念に拠ってたつべきだと主張します。交通機関の発達により様々な理由に基づく人の移動が活発化する現代において、単なる娯楽としてのツーリズムとそこで「踊らされる消費者」を想定するだけでは不十分であり、ヴェスヴィオにおけるツーリズムのあり方の変化はまさにその嚆矢と言うべきものだったのかもしれません。


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欲望と消費の系譜(3章、4章)

| 22:31

昨日の続きで第3章と第4章を読みました。


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  • 第3章「ショッピングとしての通貨―仮想ショーウィンドゥの中の無形商品」

本章では18世紀のデンマーク投資家バルタザール・ミュンターに関する資料をてがかりに、消費者としての投資家を中心に据えた金融史の再検討の意義が提示されています。目前の販売者に対する信頼に基づいて「無形の商品」を取引する投機という行為について、ミュンターが息子に宛てた書簡の分析を通じて、彼自身の一消費者としての心の動きが叙述されていきます。ポイントとしては、,金に働いてもらうことの倫理性に対する自覚の芽生え、¬儀舛両ι覆鯒簀磴垢襪箸いΠ嫐での投機に、その背後にある経済の動き(生産者奴隷貿易など)を想像することを通じて物質性を与えようとする試み、の二つでしょう、たぶん。単に利ざやを稼ぐだけの営みとしての投機を行なう合理的な投資家像を想定するのではなく、様々な尺度で自分の判断に「迷い」ながらお金を投じる消費者像を想定することにより、より豊かな消費文化史が記述できるのではないかと筆者は指摘します。


  • 第4章「消費と幸福」

アレキサンダー大王が道端で木の樽を住処としていたディオゲネスに会いに行ったときの話だ。アレキサンダーディオゲネスに何かしてやれることはないかと尋ねた。ディオゲネスは、陽の光を遮るのをやめてほしいと懇願した。アレキサンダーは「もし私がアレキサンダーでないのなら、ディオゲネスになりたい」とこたえた。ここに、幸福の解決困難な二面性が垣間見えるともいえよう。(p159より抜粋)


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2014-09-02

原子核・素粒子物理学と競争的科学観の帰趨

| 02:02

昭和前期における日本の物理学者たちの研究に対する姿勢を「競争的科学観」という概念を設定して分析した論考を読みました。「西洋においつきおいこせ」、その内実は複雑さに満ちていたようです。


岡本拓司, 「原子核素粒子物理学と競争的科学観」『昭和前期の科学思想史』勁草書房, 2011, pp.105-185


昭和前期の科学思想史

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  • 概要

江戸末期生まれで御雇外国人の導くままに西洋から移植された科学を学んでいた長岡半太郎は、やがて西洋における科学の最先端の動向を把握するに至り、それと対等に勝負することを目指して研究する方向へと転換した。また長岡は後進にも西洋に互するような研究を目指すよう発破をかけ続けたが、日本の研究水準がそれに達したと認められたのは長岡の最晩年のことであり、長岡は容易に日本人の研究をほめることはしなかった。仁科芳雄長岡と同様の問題意識を持っていたが、日本の研究体制・設備が貧弱であるが故にそのインフラ整備に自身のリソースの大半を割かざるを得なかった。


その次の世代としての湯川秀樹朝永振一郎といった研究者はタイミングに恵まれていた。量子力学という新しい分野が物理学において「パラダイムシフト」をもたらした結果、西洋の研究者に対して「蓄積」という意味で遅れをとることがなかった。同じスタートラインから出発できたという外的な環境の中で、湯川や朝永は新興で難解な学問に対するあこがれをモチベーションとしていた。そこには長岡や仁科に見られるような「競争的科学観」を観察するのは難しい。なお筆者は、明治期に整備された帝国大学高等学校を中心とする語学・基礎教育体制が彼らが最先端の研究に従事する基礎体力を作ったとも指摘している。


長岡の死の直前、湯川のノーベル賞受賞によりこの競争は一つの区切りを迎える。湯川世代においては他国との競争という点は必ずしも主要なモチベーションではなかったが、純粋に「世界を理解する」という個人ベースの目的に邁進したというのもまた難しく、知性が世界のトップにあって尊敬・評価されるという知的自尊心の充足が重要であった。



・日本においては工学・農学が応用を目的として高い社会的地位を持って役割を果たしていたが故に、物理学等の純粋科学において応用を目的とすることを必要とさせなかったという逆説的な側面がある。故に純粋な科学としての物理学が発展する土壌があった。


・応用により国力を高めることを通じて国家間競争をするのではなく、純粋な知的成果を出せるかどうかを国ベースで競うという別次元での国家間競争があった。


・特に仁科らが戦時中も純粋科学を志向した背景として、彼らが「戦争が終わったときに純粋研究では相手に劣っていた」と評価されるのをよしとしなかったということがある。戦争が中終盤に差し掛かると純粋科学を志向していた彼らでさえ応用研究に邁進せざるを得なくなるが、それが戦争の帰結を決することはなかった。


純粋科学の成果をもって競争するという枠組みは世界的に共有されたといえるものだったが、戦時中は一時的に「原子爆弾の開発」という応用分野における成果を誰が一番先に達成するかという目的がそれに取って代わった。


・戦後入ったアメリカの調査団には「経済難、食糧難の中で基礎研究に拘り過ぎである」との評価をくだされた。


  • その他

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日本の原子核・素粒子理論研究隆盛の要因 - オシテオサレテ


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2014-08-29

迎賓館参観

| 19:34

迎賓館赤坂離宮の建物内部一般公開に参加してきました。全部で2万名しか参観出来ない狭き門?だったのですが、5月に開催された皇居宮殿一般公開の抽選に外れて悔しい思いをしただけに、楽しみにしてきたイベントです。安全上の理由という事で内部の写真撮影はできなかったのですが、普段は見られないところをボランティアの解説員(毎年募集がかかり、研修を経て配置されている)の方の解説付きで見られるという幸運な体験でした。


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迎賓館赤坂離宮。毎年11月に前庭のみ一般公開されるため、この場所には一度行った事があります)


今回の目玉は何と言っても迎賓館内部、国賓が宿泊する実際の建物の中を見て回れるというところにあります。彩鸞の間、花鳥の間、朝日の間、羽衣の間といった晩餐・会談用の大部屋に加えて、迎賓館創設40周年記念ということで特別に公開された東の間(要人のマスコミとの会見が行われる部屋)も見学する事ができ、大変有意義なひとときでした。


特に印象に残ったのは綺麗さです、綺麗さ。窓枠にはほこり一つ落ちていません。どこかの大学の院生室の一億倍くらい綺麗です。あの大きさの建物でこの掃除のクォリティを維持するのは並大抵の努力では無いのだろうと感じました。貧乏性でしょうか、個人的には「こういうところに泊められても逆に気が休まらないなぁ」と思いましたが、国賓をもてなし国の威容を示すということの重大さを実感したのも事実です。


建物の外観こそ洋風になっている迎賓館ですが、内部の部屋のデザインは和洋折衷といった趣が強いです。大部屋の床はいずれも寄木細工でできており、花鳥の間にいたっては木製の壁に七宝焼がはめ込まれています。外交プロトコルとしての西洋性をベースにしながらも和のデザインを織り込もうとした意図が強くうかがえます。泊まる人がどこまでそれに注意を払う余裕があるのかはわかりませんが。


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また11月の前庭公開では入れなかった建物の後ろ側の庭(上写真)にも入る事ができ、噴水と迎賓館とのコラボレーションを堪能する事も出来ました。後庭は木々に囲まれており、周りの建物からは視覚的にほぼ遮断された空間になっていました。


来年も募集されるはずなので、興味のある方は応募されてみると良いかと思います。


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日本における科学史の社会的基盤と社会的インパクト

| 22:06

現代における知的営み、それはその外部としての「社会」を想定することなしに語る事はできません。メディチ家レオナルド・ダ・ヴィンチを養っていた時代は遥か昔に終わり、現代の学術研究は筆者の言う種々の「社会的基盤」を伴うことなしに営まれることは不可能でさえあると言えます。そんな時代にあって、科学史家たちは何を目指して知の歴史を紡げば良いのでしょうか?


伊藤憲二「日本における科学史の社会的基盤と社会的インパクト」『科学史研究』第269号, 2014年4月, pp7-13


科学史研究2014年4月号
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コスモピア (2014-04-28)



筆者は「科学」という概念が包摂する対象が多様である事を指摘した上で、狭い意味での「科学」(=いわゆる自然科学のこと?)を対象として科学史を営む方向性には否定的な立場を取ります。科学史の外部にあり境界確定された「科学」を想定することにより、他者としての科学史の側から科学を批判的に検討する事のメリットは認めています。しかしながら、科学史が対象とする知的営みの中に科学史そのものも含めることにより、科学史という知的営み自体を自己分析・自己批判の対象とすべきであるというのが筆者の結論です。


  • 第二の選択:社会的インパクトの是非

筆者は、ある学術分野が十分な知識生産の社会的基盤(知識生産に資源を供給する社会的な仕組み)を備えるためには、投入された資源に見合う社会的インパクトが不可欠である場合が多いといいます。科学史の社会的基盤を整えるために必要な投資は巨大科学のそれに比べて圧倒的に少ないことは認めつつも、科学史研究が社会的インパクトの創出を諦めてなおその基盤を整える事は不可能であるとし、現在科学史が持つ社会的基盤を維持・向上させるためには社会的インパクトの強化が不可欠であると主張します。


  • 第三の選択:社会的インパクトの方向性

第二の選択を踏まえて、科学史研究は自らの社会的基盤を整えるに見合う社会的インパクトの創出に際して、どのような方向性を目指すべきなのでしょうか?筆者は「基礎ー応用ー社会実装」といったような古典的リニアモデルが教科書的には主張されてきたことを認めつつも、学術研究がもたらす社会的インパクトの道筋は複数かつ複雑であると主張します。


科学史研究がもたらす社会的インパクトを「学問知の生産とその発表」「一般向けの科学史知識の発信」「科学史の専門知を用いた政策司法・政治に関わる活動」「科学史の専門知や専門技能を用いた大学等の教育機関における人材育成」の4つに区分する筆者は、その内実と可能性について検討していきます。検討の詳細は割愛しますが、筆者はいずれの分野にも可能性があるとした上で、自身が所属する総合研究大学院大学先導科学研究科生命共生体進化学専攻における取り組みを4番目の区分に分類される実例として紹介しています。


筆者は本務校での経験を踏まえ、4つの分野の中でも特に人材育成に科学史が果たす役割を重視しているように思われます。そこには「学術研究と社会との関係ということは、極めて重要な現代的課題であり、それについて理解している、研究者と社会人の育成は極めて重要」であるという"社会的意義"があると同時に、アカデミックポストの増大といった形での科学史自体の社会的基盤の強化にもつながるという可能性があります


科学史的な素養を獲得する事を通じて「知識生産に対する批判的な視座」を養い「自らの営為に対して自省的な思考をすることのできる人材」を育成すれば、それは「知識生産の社会的インパクトと社会基盤の関係を適正化するのに貢献すること」につながると筆者は言います。その文脈において科学史研究者は自らの社会的役割を確立することができると思われる一方、そういう営みに携わる上ではやはり科学史をも含む様々な知的生産のあり方を対象とする科学史を志向することによって自らの社会の中における位置づけに自覚的になっていく必要があると筆者は結論づけています。


  • コメント

筆者の論を参照するに、有用なものとしての科学史、それを志向することはもはや現代においては避けられないのかもしれません。私自身の一つの危惧としては、人材育成の「ためにする」科学史は真の科学史足り得るのかということがあります。人材育成とは離れたところで純粋な歴史叙述としての科学史を修めた上で、その純粋科学としての科学史をゆらがせることなく人材育成に科学史の知見を生かすというのは一見器用に分割可能であるように思えます。しかしそういう流れが主流となった時に、そのために育成される科学史家が生み出す科学史研究に歴史研究そのものとしての価値はあるのでしょうか。いやもちろんあるのでしょうが、教育のためにするという方向性が強化されるが故に反射的な影響もあるのかな、とふと思いました。


科学史研究2014年7月号(No.270)

コスモピア (2014-07-28)


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2014-08-26

月刊ポスドク創刊記念特大号

| 20:12


twitterで表紙が作成されたところ、一部ポスドクの皆さんが本気を出して中身まで作ってしまったという『月刊ポスドク』8月号を読みました。ついでに言うと、これを手に入れるためにコミケ初参戦となりました。人の多さでは有名なイベントですが、あんなに多いとは思いませんでした。暑い中販売を担当されていた皆様、本当にお疲れ様でした。コミケではコスプレ&写真撮影の熱気にびびったり、日付によって出展が全て入れ替わることに驚いたり、人数の多さ故に冷房がつけられないことにげんなりしたりといろいろ勉強になりました。友人で出展している人も何人かいるし、また行ってみたいです。


f:id:kosuke64:20140826095437j:image:w360

戦利品の『月刊ポスドク8月号』、付録の"研敵必察"トートバッグ


  • 目次

・簡単セルフチェック「うそっ・・私・・ポスドク?」

履歴書・業績書使い回しコーデ

ポスドク時代を振り返って思う

・ゆるふわ愛され♡ポスドク―事務の人に愛されるには

・華の海外PD組―研究生活すべて見せます

・気をつけたい!国際学会・留学落とし穴

・結婚・出産ラッシュ!こうしてワタシはのりきった

ポスドクとオカネ事情―医師(MD)の場合

・懐かしのアメリカポスドク生活あれこれ

・アピール必須!ポスドクアウトリーチ

・良い研究はおいしいごはんから!まんぷくラボごはん

・小説「ポスドク羅ボ生門」

ポスドク占い

・次号予告

・編集後記・奥付


  • 読んでみた

どの記事悲壮感刺激に満ちていて大変興味深かったです。ざっと読んでみて印象に残ったのはやはり「結婚・出産ラッシュ!こうしてワタシはのりきった」でしょうか。子どもが何人居るか、実家との距離はどれくらいか、所属先が保育園・幼稚園を提供しているかなどによって千差万別な状況があるのかとは思いますが、そんな中で一つの「モデル」がこういう形で提示されるのは非常に意義のあることだと思います。


あとは「華の海外PD組 研究生活すべて見せます!」も面白かったです。「私の滞在中に、彼(受け入れ教員)のラボの院生がScienceのペーパーを通していました。それは極端としても、国内では「憧れ」であった一流の雑誌に、ぽんぽんと投稿して、ぽんぽんと通しているのを見て、そういう雑誌は「憧れ」の対象ではなくて、誰でも投稿できて掲載できる「現実」なんだな、と思いました。」という箇所に端的に表れているように、どこかの段階で海外で研究生活を送ることは自分の世界観を広げ度胸を付ける上でやはり重要だなと感じました。


しかし何より印象深かったのは「編集後記」でしょうか。企画・編集・販売までほぼ一手に仕切っておられた@nanaya_sacさんの思いがよく分かる素晴らしい編集後記でした。「「誠実に」行われた研究に無駄なものはない」というのはまさにおっしゃる通りだと思います。ポスドクという不安定な立場にあってもなお、人生の全精力を傾けて研究を行っている彼ら・彼女らによって日本の学術研究の屋台骨は支えられているということを改めて実感しました。


本雑誌は評判等々如何によっては次号が作成される可能性も微レ存らしいです。近くに持っている方がいたら読ませてもらうのも一興ではないでしょうか。孤立しがちなポスドクが、こういう形式で一つのコミュニティを形作っていければ、それは彼ら・彼女らを取り巻く必ずしも満足とは言えない精神的・肉体的状況をささやかにでも癒すものになるのではないでしょうか。