Hatena::ブログ(Diary)

Sannou-monologue

2016-01-03

映画『杉原千畝』

| 21:57

1934年満洲満洲外交部で働く杉原千畝唐沢寿明)は、堪能なロシア語と独自の諜報網を駆使し、ソ連から北満鉄道の経営権を買い取る交渉を有利に進めるための情報を集めていた。翌年、千畝の収集した情報のおかげで北満鉄道譲渡交渉は、当初のソ連の要求額6億2千5百万円から1億4千万円まで引き下げさせることに成功した。しかし、情報収集のための協力要請をしていた関東軍の裏切りにより、ともに諜報活動を行っていた仲間たちを失い、千畝は失意のうちに日本へ帰国する。


満洲から帰国後、外務省で働いていた千畝は、友人の妹であった幸子(小雪)と出会い、結婚。そして、念願の在モスクワ日本大使館への赴任をまぢかに控えていた。ところが、ソ連は千畝に【ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)】を発動。北満鉄道譲渡交渉の際、千畝のインテリジェンス・オフィサーとしての能力の高さを知ったソ連が警戒し、千畝の入国を拒否したのだ。


1939年リトアニア・カウナス。外務省は、混迷を極めるヨーロッパ情勢を知る上で最適の地、リトアニア領事館を開設し、その責任者となることを千畝に命じた。そこで千畝は新たな相棒ペシュと一大諜報網を構築し、ヨーロッパ情勢を分析して日本に発信し続けていた。やがてドイツポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発すると、ナチスに迫害され国を追われた多くのユダヤ難民が、カウナスの日本領事館へヴィザを求めてやって来た。必死に助けを乞う難民たちの数は日に日に増していく。日本政府からの了承が取れないまま、千畝は自らの危険を顧みず、独断で難民たちに日本通過ヴィザを発給することを決断する―」


映画『杉原千畝』公式ウェブサイトは→http://www.sugihara-chiune.jp/


以下ネタバレあり)


私個人が杉原千畝のことを知ったのは小学生の時、『約束の国への長い旅』という本を読んでからだった。当時は外務省による名誉回復がなされる前で、世間的には今ほど知られてはいなかったように思う。2000年に名誉回復がなされて以降、杉原の様々な側面に着目した書物が多く出版された。私自身は「かつて応援していたマイナーなアイドルが紅白の桧舞台にデビューしてしまった」みたいなちょっと寂しい気持ちもある。ついでに言うと、「戦時中の日本には『いいこと』をやった人『も』いた」と保守層が溜飲を下げるために消費されてる感もあるくらいだ。


一言で感想を述べるなら、日本には「シンドラーのリスト」は必要とされていないし、日本映画界にそれを作る気もなさそうだなというところか。全体の構成は、満州で諜報活動に邁進していた時代→リトアニアユダヤ難民ビザ発給→東プロイセンで諜報活動に従事し敗戦、帰国という形になっている。前段と後段が冒険活劇で、中段がヒューマンストーリーというなんとも微妙な流れだった。


人道上の見地からユダヤ難民を救ったビザ発給で知られる杉原が、多言語を使いこなす情報戦に長けた有能な外交官でもあったことは、彼という人間を描く上で触れざるを得なかったのかもしれない。であるがゆえに、この映画は『シンドラーのリスト』に代表される戦中ユダヤ物映画とは異なる立ち位置の映画なのだと思う。ナチスをぼこぼこにしたり、ナチスからユダヤ人を救ったり、ナチスから(ryな映画は欧米で量産されてきた印象があるのだが、それはやはり需要あってのこと。この映画をビザ発給に焦点を絞って作ることは市場的に厳しく、かつ「杉原という人間を描く」という趣旨に沿わないものだったのかもしれない。


それにしてもスパイ冒険活劇部分は浮いている。満州国外交部在任中の杉原はかなり「怪しい」調査活動に従事してはいたのだろうが、なんか無理にアクションシーンを作ろうとしたように感じてしまった。語学と智恵を使いこなし、地道な情報活動に従事していることだけを描いても客は飽きてしまうのだろうが(私は飽きないけど)。東プロイセン在任中にドイツソ連侵攻を察知するあたりもなんかこう、とってつけた感が否めない。スパイ物としてやるなら、家族の描写なんか割愛してもいいくらいだと思う。


リトアニア赴任後にユダヤ難民が出て来るあたりからは、欧米でよくあるナチス物に匹敵する描写があって感嘆を禁じ得なかった。ポーランドを蹂躙し、街に進駐してくるドイツ軍戦車や兵士の描写は迫力があったし、なんといっても逃げ損ねたユダヤ人ドイツ軍SS?)に虐殺されるシーン(工場の一角に追い詰められたユダヤ人たちが、ドイツ軍将校に「立て!伏せろ!」という指示を繰り返し出され、従っても従わなくても虐殺される)はかなりよくできていた。邦画でもこんなシーンが撮れるのかと驚いてしまった(あまり観てないからかもしれないけど)。


途中からずっと、自分ならこの映画をどう撮るかということをずっと考えていた。諜報活動部分は味付け程度にしてばっさり切り落とし、ユダヤ難民側に準主役級の俳優を入れる(杉原のビザで救われ、後にイスラエル宗教大臣になったゾラフ・バルファティックあたりがいいかもしれない)。オープニングは大臣室のいすにふんぞり返るバルファティックが、「この男を捜し出せ」とでも吐けば(吐いてないだろうけど)いい。ポーランドからのユダヤ難民の苦難の道はもっと描く余地があるだろうし、杉原のビザ発給に至る葛藤や外務省とのバトルもまだまだ細かくやれると思う。エンディングはイスラエル訪問でいいんじゃないか。とまで書いておいて、なんとも陳腐な顕彰映画ができるなぁと思った。映画に満足はしていないけれど、この人物を描くのは実は結構難しいと納得した。


構成という意味で良かったのは、「紙切れ一枚が人の運命を翻弄する」というメッセージが明確だったところだろう。満州時代の活動の結果、杉原はソ連からペルソナ・ノン・グラータの宣告を受け赴任の道を閉ざされる。ユダヤ人たちは紙切れ一枚のビザを求めて領事館に殺到する。国境や外交国籍という権力装置が「一枚の紙切れ」で人を翻弄するという伝え方は非常にわかりやすく、印象的だった。


その他細かい点。


唐沢寿明の英語は素晴らしかったが、杉原の真骨頂はやはりロシア語。台詞丸覚えでも唐沢にロシア語で演じさせるのはきつかっただろうと考えるといたしかたないが、どうも英語でやられると興ざめだったところもある。


終盤、ソ連軍捕虜収容所で妻・幸子が「終戦なんですね」とつぶやいたのに対し杉原が、「いや、敗けたんだ」と応じるシーンも良かった。杉原の悔しさを表すいい場面だったし、我が国で一貫して「敗戦」ではなく「終戦」が用いられているという経緯に自覚的だったんだとも思う。


再会シーンが赤の広場というのはいただけない。実際、杉原がモスクワに行きたがっていたのかどうかよく知らないのだけれど、ここはやはり史実に忠実であって欲しかった。


カウナスの教会で杉原が十字を切るシーンが2度描かれていた。彼がクリスチャンであったという史実を暗示するいいシーンだったが、他の場面でももう少し盛り込んで良かったのではないだろうか。そのキリスト教人道主義こそが彼にビザを書かせたのだから。


約束の国への長い旅
約束の国への長い旅
posted with amazlet at 16.01.03
篠 輝久
リブリオ出版
売り上げランキング: 249,448


諜報の天才 杉原千畝(新潮選書)
新潮社 (2011-08-12)
売り上げランキング: 4,053


新版 六千人の命のビザ
杉原 幸子
大正出版
売り上げランキング: 8,499

2015-11-28

映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』

| 23:11

「20世紀が終わる頃、ある裁判のニュースが世界を仰天させた。アメリカに暮らすマリア・アルトマン(82歳)が、オーストリア政府を訴えたのだ。“オーストリアモナリザ”と称えられ、国の美術館に飾られてきたクリムトの名画〈黄金のアデーレ〉を、「私に返してほしい」という驚きの要求だった。伯母・アデーレの肖像画は、第二次世界大戦中、ナチスに略奪されたもので、正当な持ち主である自分のもとに返して欲しいというのが、彼女の主張だった。共に立ち上がったのは、駆け出し弁護士のランディ。対するオーストリア政府は、真っ向から反論。大切なものすべてを奪われ、祖国を捨てたマリアが、クリムトの名画よりも本当に取り戻したかったものとは──?」


公式サイト:http://golden.gaga.ne.jp/about.html


(以下は感想、ネタバレあり)


なかなかスリリングな話で、楽しみにしていた映画の一つだったのだが、今ひとつ消化不良だった。一つは対オーストリア政府の法廷闘争の困難さの描写がイマイチ足りない気がしたまったくもって不足していると言わざるをえない。トントン拍子で米最高裁まで進み、最高裁判決は電話で連絡(事実に即しているのかもしれないが)という地味さ。そこはゴールではないとはいえ、もう少し丁寧に描写して欲しかった。そして個人的に非常に不満だったのがオーストリアにおける調停の結果があまりにさっくり主人公の思う通りになってしまうところ。3人調停委員がいて「一人は原告が指名、一人は被告が指名、残り一人は中立」という形式で選ばれるのだが、弁護士の「結果はどうなるかわからない、運が良ければいいね」という前振りがあるにもかかわらず、調停で主人公サイドに絵の所有権があるという結論が出るに至る描写がほとんどない。これは非常に不満。当時オーストリアでどういう議論があったのか、なぜオーストリアで行われた調停でオーストリア政府にとって不利な決定がなされたのか、きちんと説明して欲しかった。


無論、この作品はハリウッド的に「絵が返還されてUSA!USA!」という大団円を目指したものではないというのは一応わかる。国を追われ、ふとしたことから「形見」を奪還することに情熱を注ぐ二人の人間模様を描くという目的を果たす以上、テクニカルにどういう困難ががありそれをどう克服したかということの描写は割愛せざるをえなかったのかもしれない。しかしこの人間模様の描写にも不満が残る。主人公は何度も諦めそうになりながら絵の奪還を目指す、そして時節、ユダヤ人であるがゆえにオーストリアから去らざるをえなかった主人公の過去が挿入される。ところが、その部分と絵の奪還に情熱を注ぐ主人公がどうしてもつながってこない。彼女はなぜ絵を取り戻したいのか、この絵は彼女にとってどういうものなのか、取り戻した絵をどうしたいのか・・・。確かに旧宅からナチスによって絵が持ち去られるシーンはあるのだが、あまりにも淡白で、伯母を描いたこの絵が彼女にとって持つ意味がイマイチはっきりと伝わってこない(おまけにその伯母は、オーストリアナチスがやってくる遥か前にこの世を去っている)。


(追記)私が「つながらない」と感じる理由を改めて整理してみる。映画の序盤、彼女の伯母の「絵を美術館に譲る」という遺言には法的拘束力がなく、かつ彼女の伯父の遺言では彼女に所有権が移ることになっているということなので、奪還を目指すということになる。じゃあ法的な瑕疵がなければ返還を求めなかったのか。引き裂かれた過去を取り戻すものとしてのあの絵を手元に取り戻したいのであれば、法的な瑕疵に気づく前から返還を求めるべきではなかったのか。出発点が法的な瑕疵にあるので、「チャンスきたラッキー!」みたいに見えてしまうのだ。

彼女にとって、絵がオーストリアにあることがいかなる不満をもたらしているのか。本作では現オーストリア政府をそこはかとなくナチスになぞらえるような描写があるし、彼女自身、忌まわしい記憶の場所としてのオーストリアに戻ることを繰り返し拒否する(それでも行くけど)。そういった場所に絵があるのは確かに問題だろう。しかしそうすると、以下に書くラストシーンが謎になる。(追記終わり)


ラストシーン、彼女はウィーン市内の旧宅に上がり込み、幸せだった過去に想いを巡らす。私はそこで彼女が「絵はアメリカには持っていかない。ウィーンの美術館からここに移して飾って欲しい」と言うのではないかと思った。このシーンは、それまでオーストリアに戻ることを拒み、そこに絵があることを嫌悪していた彼女の中で、過去の遺恨が少し和らいだ瞬間だったように思う。オーストリアウィーンは嫌悪の対象かもしれないが、少なくとも旧宅は彼女にとって思い出の地として復活したように見えた。そこに絵が戻ることが、絵とともにある過去が彼女のところに「帰還」するということなのだと私は思う(これは映画なので、実際に主人公がどうしたかというのは別だし、私はあくまでも映画としてわけわかんないということを言っているつもり)。終盤に至るまで、家族との離散を余儀なくされた忌まわしいかつての祖国としてのオーストリアを描きながら、最終盤でその彼女の感情に揺れがみられたように感じたのだ。だが映画はそこで終わり、字幕で絵がニューヨークに飾られているという事実が明かされる。絵を美術館に売った金は、慈善事業に寄付したりしたなどというおまけもつく。こんなことなら、下手な人間模様など描かずに、極悪オーストリア政府を相手に正義のヒーローたるユダヤ系アメリカ弁護士とかくしゃくとした老婆が万難を排して絵を取り戻すお話にしたほうがよかったのではないかとすら思う。


一応勉強になった点も書いておくと、絵を取り戻しに来た主人公に対してとあるオーストリア人が投げかける「ホロコーストにこだわるのはもうやめろ」という一言が印象に残った。過去としてのナチスはもうないが、その被害を受けた人々が「セカンドレイプ」されるような状況はいまもあるのかもしれないと想像させるいいシーンだった。


あとこれに限らず毎回思うのだが、洋画の邦文タイトルって本当なんとかならないのだろうか。「名画の帰還」などという説明的な言葉を付け加えることでいかにタイトルが陳腐化していることか。




ナチの絵画略奪作戦
ナチの絵画略奪作戦
posted with amazlet at 15.11.28
エクトール フェリシアーノ
平凡社
売り上げランキング: 808,653



ナチスの財宝 (講談社現代新書)
篠田 航一
講談社
売り上げランキング: 28,868

2015-02-06

Racial Conception in the Global South

| 15:21

ISIS Focus読書会用のまとめです。


Warwick Anderson, Racial Conception in the Global South, Isis, Vol.105, No.4(December 2014), pp.782-792


著者のWarwickによれば、「人種科学(具体的には自然人類学や生物学)」という分野は基本的に北半球におけるそれがあたかも全世界的に通用するかのようなものとして捉えられてきたという。学術知としての人種科学からそれが政策や人々の生活に及ぼす影響まで、我々は北半球において生じてきた差別、隔離、優生政策といった事象を前提としてそれを考えてきた。


ここで、これまで人種科学の対象とはされてきたものの、人種科学を生み出す場所とはされてこなかった南半球に改めて着目することが重要だと著者は主張している。そして南半球における人種科学やそれに基づく政策は北半球のそれよりも「plasticity(柔軟性)」を持っているという仮説が提示される。たとえば混血することについて、ニュージーランドラテンアメリカにおいてその優位性を評価するような研究がみられるようになること、などがその証拠としてあげられる。また優生学のあり方についても、北半球の「強固な」優生学とは異なる南半球独自のものが営まれていたとも指摘される。


筆者は20世紀初頭の多数の文献を整理・提示したうえで、これらの文献が南半球における人種科学のダイナミズムを明らかにするうえで分析されるべきであるとする。そこでは知の還流と成立といった歴史的な実態を追うのみならず、直接的な関係はなくても比較社会学的な分析を行うことで見えてくるものがあるという。それは最終的に、これまでnormativeなものとして機能してきた北半球起源の「人種科学」の歴史を相対化することにもつながるかもしれない。

2014-10-23

ロシア科学技術情勢―模索続くソ連からの脱皮

| 18:28

ロシア×科学技術」といったときのイメージは「重工業」「宇宙開発」「核兵器」といったものが多いかもしれない。冷戦期の米ソ対立の中でのロシアの科学はそういった面が強いのは確かだろう。ソ連崩壊後20年以上経つ今、ロシアの科学技術はどうなっているのか?またそれを支える研究開発体制はどう変わってきているのか?そういった点を要領よくまとめた本を読んだ。


ロシア科学技術情勢―模索続くソ連からの脱皮
林 幸秀 神谷 考司 津田 憂子 行松 泰弘
丸善プラネット
売り上げランキング: 67,967


  • 目次

第1章:国情

第2章:科学技術の歴史

第3章:科学技術の概要

第4章:ロシア科学アカデミーとその改革

第5章:大学とその改革

第6章:宇宙開発

第7章:原子力開発

第8章:近年の科学技術動向

第9章:極東地域での科学技術活動

第10章:日本との科学技術協力


  • ポイント

本書は上記の構成で現在のロシアの科学技術の概要を描き出すものである。以下、興味深かった点を箇条書きにしてみた。


ロシア科学アカデミーは1724年にピョートル大帝によって作られたが、自前の人材がいなかったのでレオンハルトオイラーやベルヌーイ兄弟といった他国の科学者を招聘して指導的地位につかせた。


・対GDP比での研究開発費は現在でも冷戦崩壊以前の半分程度にまでしか回復していない。研究者の頭脳流出の影響で30代〜40代の層が薄く、研究ノウハウの継承に支障をきたしている。


・研究開発費の政府負担比率は70.3%(2011年)、主要国と比べても倍近い値であり、政府依存度が高い。


・科学技術研究の中核を担うのがロシア科学アカデミー。436の研究所と約5万人の研究者を抱える。政府基礎科学研究予算の6割以上はアカデミー向け。ロシアの科学技術研究を見るとき、中心になるのは大学ではなくアカデミー。ただし今後の方向性として、大学における研究体制の強化も目指されている。


・日米英では大学が研究と教育双方を担う組織として成立した。ロシアではロシア科学アカデミー教育機関たる大学を附置したという歴史がある。


ロシアの教授資格(「専攻教授」)は個人に授与される永久的な資格であり、大学に所属していなくても教授と名乗ることができる。


ソ連時代、現・連邦宇宙局は「一般機械製造省」という名称が付され、1980年代半ばまでは存在すら秘匿されていた。連邦宇宙局長官は直近三代が皆軍出身者。いまでもロシア宇宙開発の最優先事項は安全保障


ツープ管制センターにおけるISSのスケジュール管理等は全て紙で行われている。分単位のスケジュールを紙に打ち出し、職員は一つ一つの項目をペンを使ってチェックしている。


ソユーズの打ち上げ成功率は97%( 2011年3月現在、1293回の打ち上げに対して成功1252回)。


ISSの運用については、ロシアに限り米国通信衛星を通さずに交信可能。実験の実施についても、ロシア以外の参加国はジョンソン宇宙センターでの調整を経なければならないが、ロシアはツープ管制センターからの直接の指示で実験を行える。


ロシアGPSの「グロナス」は民生利用を無料提供、iPhone4sは位置情報について米版GPSとグロナスを併用。


・1986年のチェルノブイリ事故にもかかわらず、1987年から1990年にかけて国内で4基の原発の運転を開始。


政府直属の研究所であるクルチャトフ研究所には稼働中の原子炉としては世界最古の高速炉「F-1」がある。減速材は手積みのレンガ、制御棒は手動。いまでもキャリブレーションのために時々運転される。


ロシアから見た科学論文の主要共著相手国は、1位ドイツ、2位米国、3位フランス、4位英国、5位イタリア、6位日本となっている。



ロシアの宇宙精神
ロシアの宇宙精神
posted with amazlet at 14.10.23
スヴェトラーナ セミョーノヴァ ガーチェヴァ
せりか書房
売り上げランキング: 574,982


2014-10-18

言論抑圧―矢内原事件の構図

| 01:28

戦前期における思想・言論弾圧事件として著名な矢内原事件(1937)を出版界の状況、大学の内部抗争、政府からの圧力といった多面的な視座から緻密に描き、現代に通じる思想的課題を提示した本。学内で陳謝することをもって幕引きが図られようとしたさなか、なぜ矢内原は辞任しなければならなかったのか?そして言論・学問の自由は何に脅かされるのか?


言論抑圧 - 矢内原事件の構図 (中公新書)
将基面 貴巳
中央公論新社
売り上げランキング: 8,344



帝国有数の植民地政策学者であった矢内原忠雄は、そのキリスト教信仰もあり、単なる「統治者ー被統治者」関係としての植民地政策学を目指すのではなく、社会現象としての植民を科学的・実証的に捉えて帝国主義論の一つとして描く希有な学者だった。1930年代後半に時局が切迫していく中で、平和と正義を国家の理想として掲げ、そこに至らない日本の現状を舌鋒鋭く批判した論考・講演を世に送った彼は、徐々に体制との緊張関係を強めていく。


これまでの歴史叙述はいずれも、「大学の自治に対する弾圧」「キリスト者としての矢内原個人の闘争」「東京帝大経済学部内における権力闘争」「右翼勢力からの言論攻撃」といった個々の側面に単純化してこの事件を捉えてきたと筆者は指摘する。そしてそのいずれもこの事件の全貌を描き出すには不十分であり、この事件を取り巻く個々のアクターの立場や思考を当時のままに細密に叙述する「マイクロヒストリー」の手法を用いることで、多様な側面の相互関係を描き出すことの重要性を強調している。


新聞をも凌駕する影響力を持っていた中央公論などの「総合雑誌」に学者が国論を発表するという戦前期独特の言論空間の存在を背景として、矢内原の論考や講演は内務省を中心とする体制に危険視されるに至った。そこでは右翼論客・簑田胸喜からの激烈な批判も大きな役割を果たしていた。また当時矢内原が所属していた経済学部内部では苛烈な派閥争いが行なわれており、特に国家主義的な思想を持っていた土方学部長を中心とする一派の矢内原「国家の理想」論文に対する批判は厳しかった。しかしながら以上のような逆風の中でも、帝大総長・長与又郎は矢内原が陳謝することによって事態の収拾を目指す腹づもりだった。


しかし、1937年11月30日をもって状況は急展開する。木戸文部大臣文部省幹部、そして長与総長による会談の中で、木戸が「矢内原の言動は国会にも説明がつかず、このままでは大臣辞任にすらつながりうる。矢内原辞職すべし。」との判断を示したためである。筆者はこの背後には内務省警保局からの文部相への圧力があった可能性を指摘し、また文部省側の認識として「矢内原の論考「民族と平和」は国体精神に反する」との新たな見方が示されたことが長与に対するプレッシャーになったと指摘する。


大学令その他を字義通りに解釈すれば矢内原の任免権を法的に押さえているのは総長の長与であったが、周囲に「勇気に欠ける」と評されていた長与は議会紛糾・大臣辞任からの帝大全体への影響を考慮し、矢内原一人を切ることで「大学の自治」を維持する方向に転換する。長与の意を受けた経済学部教員の大内兵衛・舞出長五郎が矢内原に辞職するよう促し、矢内原は「これ以上迷惑をかけたくない」とそれを受け入れ辞表の提出に至った。


以上は、本書でマイクロヒストリー手法をもって詳述されている矢内原事件の過程をかいつまんでまとめたものである。本書の歴史叙述を通じて描き出される矢内原事件は、大学と政府の権力関係のみならず、当時のメディア環境、大学内部の権力闘争、関係各個人の個性・立場、右翼との関係、政府内部の権力闘争などの多様な要素が形作った流れの中で「辞職」という結末を迎えたといえるのではないだろうか。



筆者は矢内原事件から導きだされる思想的課題として、愛国心・大学の自治・言論の自由の3点について論じている。


愛国心については矢内原、簑田、土方の愛国心の違いを比較することで思想的課題をあぶりだしていく。矢内原のそれは「国家の理想」と「国家の現実」に差があるとき、理想に至らない現状を批判する*1ことこそが愛国心の発露であるというものだった。一方土方や蓑田のそれは目の前に現実としてある国家をあるがままに愛するというある種盲目的なものだったとも言える。土方は理想を掲げることは否定しなかったが、一度時局が切迫すれば国家の現状を批判することはその足を引っ張ることと同義であり、それ故に慎むべきだと矢内原を批判した。


大学の自治については、長与総長の個人的資質への着目が重要である。事件に関係した人々の中では矢内原や他の大学関係者と比べて最も大学の自治に対する意識が高かった長与でさえ、矢内原の処遇に関する土方経済学部長との不一致や文部省からの圧力を前にしては、「泣いて矢内原を斬る」という選択肢を選ばざるを得なかった。筆者は大学や学問のあるべき姿として語られてきた自治や自由が、それとはある種対極に位置するとも言える総長のリーダーシップによってのみ維持され得るのではないかと指摘し、大学の自治は極めて脆弱なものだと言う。


最後に言論の自由について、それに対する抑圧をどう捉えるべきかという視座が提示される。戦前期の言論抑圧を出版業界と政府との関係に重点を置いて概観した筆者は、ジャーナリスト馬場恒吾の言葉を(同じものを)二度にわたり引用してその特質を強調する。


私は大東亜戦争の始まる年までは、一週間に一度は新聞に、毎月幾つかの雑誌に政治評論的のものを書いていた。それがだんだん書けなくなって、戦時中は完全に沈黙せざるを得なかった。どうしてそうなったかというと、、新聞や雑誌が私の原稿を載せなくなったからである。しかしいかなる官憲も、軍人も、私自身に向ってこの原稿が悪いとか、こういうことを書くなと命じ、または話してくれたこともない。すべてが雑誌記者もしくは新聞記者を通しての間接射撃であった


この現象を一般国民の目から見るとき筆者が重要だと指摘するのは、どのような言論人が何を言っているかを注視することではなく、「どのような言論人が表舞台から消えていったか、どのような見解をメディアで目にすることがなくなったかについて、把握すること」である。馬場も、そして矢内原も「自らが沈黙を強いられていること」すら語ることができなかった。政府と一般国民との間に出版業界という主体を挟んで見たとき、政府が出版業界に加えている有形無形の圧力を通じて出現する言論抑圧という現象が認知されにくい大きな理由はまさにここにあると筆者はいう。


  • 思想史学者としての筆者

筆者のそもそもの専門はヨーロッパ政治思想史である。また博士論文においては14世紀のフランチェスコ会士ウィリアム・オッカムの異端的教皇への抵抗の理論を研究している。日本や欧州といった空間的な制約を離れたとき、筆者の中で通底するテーマは「暴政への抵抗思想」である。本書以前の筆者の研究は抵抗思想の理論的側面を捉えたものが中心であったが、本書において筆者は「理論としてわかっていても現実に実践するのは難しい不正な政治への抵抗の実態」を矢内原事件を通じて考察することで、政治思想史学者としての現実へのコミットメントを果たそうとしたと振り返っている。


  • コメント

本書に詳述されている矢内原事件の全貌は、マイクロヒストリーという形での重層的な歴史叙述を通じて現れた複雑な構図である。そこには最高の責めを負うべき唯一の責任者」は存在しない。それぞれがそれぞれの意思を持って行動し、それが形作る何か(あえて「空気」とは言わない)が「矢内原辞職」という帰結をもたらしたのである。descriptionとしての歴史が果たすことが出来るのは、こういう複雑な構図をありのままに世に問うていくことなのではないかと感じる。


総合雑誌という言論空間を通じて学者がその主義主張を世に問うという営みは大正〜戦前期にその隆盛を極めたと言えるだろう。そしてそこに対する権力の抑圧は、出版業界に対する有形無形の圧力(配紙の制限、検閲担当者の指示、それを忖度した出版業界の自己規制)を通じて出現した。それに比して現在、学者が国家を語る論壇の中核を占める流れは弱まっているように思われる。象牙の塔にこもることこそが学問のあるべき姿であるとの信念以上に、大学を取り巻く環境の変化(予算の削減・獲得競争と人員の減少)や学問が持つ権威の弱体化が大きな影響を及ぼしているのではないだろうか。また、学者の側の「権力に抵抗する」「批判的な精神を持って自由に言論を行なう」という意識が弱まっていることも挙げられるだろう。


筆者はインターネット空間における匿名言論の惨状を指摘した上で、インターネットにおける自由は「多数の暴政」の温床となりうると危惧している。匿名の「蓑田胸喜」が自らの発言の責任を引き受けることもなく罵詈雑言をまき散らしている現状にあっては、我々は矢内原事件を「戦前軍国主義体制下において生じた過去の事例」と矮小化することはできないのかもしれない。


ヨーロッパ政治思想の誕生
将基面 貴巳
名古屋大学出版会
売り上げランキング: 321,585


反「暴君」の思想史 (平凡社新書)
将基面 貴巳
平凡社
売り上げランキング: 122,209


*1:これと非常に似ているのが、現代中国エリートの一部の議論の仕方である。私の経験上、彼らはインフォーマルな場では現在の政府のあり方を批判することも多い。そのときに彼らが用いる正当化のロジックは「中国は目指すべき理想像を持っているが今はそれに対して不十分である」というものである。それを「愛国心」として包摂する姿勢は、矢内原的な愛国心の発露と軌を一にするものだろう。