映画「クーリエ:最高機密の運び屋」メモ

久しぶりに映画館で新作を見た・・・のだが、大いに外れであった。「ブリッジ・オブ・スパイ」を見た人であればかなり落胆するのではないか?

 

結論:残念の一言。カンバーバッチが投獄されてげっそり痩せる「役者魂」だけがフォーカスされそうなカンバーバッチのための映画。おそらくこの映画を撮る条件がカンバーバッチ主演だったのではないかと思えるくらい。何もかもが中途半端。

 

(以下ネタバレだらけ)

 

・うまくいくばかりがいいスパイ映画ではない。バッドエンドだってあっていい。それだけに、ペンコフスキーが逮捕、処刑されたという史実を知るものにとっては、その事実をどう捉えて映画として昇華させるのかにはやはり関心が向く。それだけに、ペンコフスキーは「ナレ死」したのが本作最大の汚点。ペンコフスキーをそれなりに存在させると自動的に主役になってしまう。それなのにクーリエを主人公にしようとするからめちゃくちゃになっている。

 

・ペンコフスキーをナレ死させるのであれば、初めから彼の家族など描かない方が良かった。所詮は冷酷なスパイの世界。ペンコフスキー逮捕後の動静が明らかになっていないのをいいことに、カンバーバッチとの「心の交流」みたいな茶番を描くのは興ざめである。別に心の交流を描いてもいいのだが、一緒に飲みにいくとか娘にプレゼントを上げるとか描写がありきたりすぎて「ただの友人関係を越えた命を託し合う仲」になった印象は全く持てないまま物語は進む。

 

・このタイトルでカンバーバッチ主演の映画を作るのであれば、もっとクーリエに絞ったストーリーにすべきだったろう。実際はカンバーバッチ演じるクーリエは派遣前、英情報機関に相当の訓練を受けていたようだが、本作では「俺の知り合いにいいやつおるわー」みたいなノリでとんとん拍子に素人としてリクルートされる。冷める。いくらなんでも適当すぎる。私なら、クーリエのリクルートから行動確認、バックグラウンドチェック、訓練を緻密に描いた上で、何も知らされずに個人として敵国で行動する恐怖を一人称で描き、MI6だのCIAだののお偉いさんが世界情勢の分析をするくだりを排除して、「個人としての末端のスパイの何も知らされない恐怖」だけを描く。CIAのエージェントすら不要である。

 

キューバ危機の出現と回避にペンコフスキーが果たした役割は大きいが、本作ではキューバ危機の描写が中途半端すぎる。やるならクーリエやペンコフスキーの動きとサイドバイサイドでどう絡み合っているかを描くべきだ。獄中にいる時にわからないという設定はそれでいいのかもしれないが。

 

・本作の設定で興味深いのは、2人が周囲にオープンな関係であったにも関わらず情報の受け渡しをしていた点だ。この部分に関する逮捕後のクーリエの弁解は、過去の場面と突き合わせる形でもっと緻密に行われるべきだろう。

 

・クーリエが在監中にペンコフスキーや妻と面会したのは本当なのだろうか。クーリエの自伝がある以上、懐柔策としてそういう面会が設定されたことはおそらく事実のようには思えるが・・・。

映画「ダンケルク」感想(ほとんどメモ)

映画「ダンケルク」の試写会にあたったので観て来ました。世界三大撤退戦の一つ(他の二つは島津の退き口とキスカ撤退戦、当blogの独断と偏見による)とあっては行かないわけにはいきませんでした。以下、ネタバレ満載の極めて個人的感想めいたものを箇条書きに。思い出したら追記します。


総評:人間が戦争やれば人が死にます。誰が死ぬかは運次第。


・一兵卒視点というかボトムアップ視点というか。「頭のいい作戦参謀が秘策を編み出したのでみんな助かりました!」とかいう戦意発揚映画ではありません。主として運よく生き残った一兵士(とサブキャラ数人)の密着ドキュメントという感じ。前日談、後日談を挟まない、回想シーンもない徹底した切り取りドキュメント。


ダンケルク沿岸で撃沈される駆逐艦に看護「婦」が載っているのだが、第二次大戦時に英海軍は戦闘艦に女性を載せていたのだろうか。素朴な疑問。


・とかくドイツ兵の顔が見えない。というか出してない。見えない恐怖という趣旨なのか、一兵卒視点の徹底なのか。ドイツ側という意味で一番出てくるのはメッサーシュミットだが、パイロットの顔はなし。Uボートの恐怖は語られるが、映るのは魚雷の航跡だけ、冒頭で主人公含む何人かが独軍に撃たれるが、独軍が射撃する描写は一切なし。


・救出に赴く民間船を徴用する際のドラマもまっったくなし。「海軍の徴用だ」「いってきまーす」で終わり。ふつーにダンケルクを映画化するなら「閣下、民間船を徴用するしかありません!」「ふざけるな、市民の命を危険にはさらせん!」「いやしかし!」「閣下、俺たちは行きますぜ!」みたいなのがあってもおかしくない。


・同じ文脈で、救出に行く小型船に飛び入りっぽい少年が乗り込み、ダンケルクに赴く途中で救出された兵士と掴み合いになって頭打って死ぬ描写がある。「ダンケルクに行かずに戻れ」と喚いていたその兵士をだまらせたという意味では意味のあるイベントだったのだが、それよりもむしろ、「戦争には無駄な死、理不尽な死」がありますというメッセージか。


・救出に赴く小型船の船長が、「ブリッジ・オブ・スパイ」でソ連スパイ役を演じたマーク・ライランス。戦闘機の攻撃回避方法といい、「お前どう見ても先の大戦の生き残りだろ」と思ったが、年齢的にもそれはない。指揮統率能力といい、任務達成への意志といい、絶対に軍人上がりなのだがそういった描写は一切なし。


・なんか字幕がいい加減な気がする。空軍パイロットがスピットファイヤを略して「ファイヤ」と言っているにもかかわらず字幕がなぜか「ファリア」。謎。あと一箇所どう考えても誤字としか思えない箇所があった。忘れたけど。


・人の死に方の描写は的確。溺れ死んだ奴が一番多かったのだろう。


IMAXで見たのと、ノーランの実物主義(らしいですね)のせいか、スピットファイヤの戦闘シーンは本当に迫力があった。


・ていうかどうでもいいんですけど、映画館で映画を見ると一時停止したり巻き戻ししたり英語の発音を英語字幕で確認したり高速で流れるエンドロールを見直したりできないから極めて不便。


ダンケルクの発音は「ダンカーク」。なお「カー」の部分は有気音です。

光学機器国産化と日英関係

2017年7月25日、カメラ・光学機器製造メーカーのニコンは創業100周年を迎えました。ニコンの前身「日本光学工業株式会社」は、双眼鏡や測距儀といった戦争に必要な光学兵器を国産化するために、旧帝国海軍や財閥が主導して誕生した国策会社でした。光学兵器を輸入していた日本は、いかにして国外からの技術移転を進めたのか。そこには、ドイツの第1次大戦敗戦というターニングポイントがありました。


山下雄司「光学機器国産化と日英関係ーバー&ストラウド社・日本海軍・日本光学を中心として」『明大商学論叢』第92巻第4号, pp73-105, 2010年3月
ここからダウンロード可


第二次世界大戦後、ニコンキヤノンといった光学機器メーカーが世界的に躍進した背景には、戦前・戦中に軍需を背景として蓄積された技術や人的資本があるとされてきました。一方で、筆者に言わせると、その蓄積がいかにしてなされたのかに関する研究は乏しく、本稿はその一端を明らかにしようとするものです。

  • イギリスからの技術移転


英・グラスゴーの光学機器製造業者・バー&ストラウド社(以下B&S社)は創業以来、日本海軍を海外市場最大の顧客としていました。創設間もない日本海軍に主に測距儀を納入していたものの、技術移転や現地生産には消極的でした。極東では独・ツァイス社との競争があまり激しくなく、現地生産の実施といった形で相手国に譲歩する必要がなかったことが背景にあると筆者は指摘します。技術移転という意味ではかろうじて日本人技術者の在英研修を受け入れるにとどまっていました。渡英したのは海軍の技術将校たちで、受け入れは1930年代まで続きましたが、イギリス海軍の横やりが入り終焉を迎えます。


第1次大戦の勃発に伴う欧州からの光学機器輸入途絶に危機感を抱いた日本海軍は、光学機器の国産化に向け国策会社の設立に動きます。中小光学機器メーカーを糾合し、三菱財閥の助力を得て、1917年7月25日、「日本光学工業株式会社(現・ニコン、以下日本光学)」が誕生しました。その定款に「測距儀、潜望鏡、顕微鏡、望遠鏡、反射鏡、其ノ他光学的諸機械器具、硝子及ビ擬宝石ノ加工、製造並ニ之ニ要スル材料ノ製造」とあるように、ガラスやレンズといった部品から、光学機器までを一貫して生産することを目指した「総合的光学企業」だったのです。


B&S社で研修を受けた海軍将校の一部は日本光学に移籍し、イギリス仕込みの製造技術をもとに光学機器の国産化に邁進するはずでしたが、その技術力は必ずしも高くなく、日本海軍の要求に応えられるものではありませんでした。B&S社に赴いて技術を習得するという限定的・断片的な技術移転では、砲弾の射撃に必要な測距儀を生産することすらできなかったのです。

  • ドイツからの技術移転


国産化が進まないことに危機感を抱いていた日本光学や海軍は、独・ツァイス社からの技術移転を目指し、技術者の招聘に向けた動きを1920年ごろから活発化させます。ツァイス社は当初、軍用光学機器の製造権供与・現地生産については同意したものの、民生品や光学ガラスの現地生産については自社の対日輸出にとって不利だと考えていたため、合意には至りませんでした。


その状況を大きく変えたのが、第一次世界大戦におけるドイツの敗北でした。ベルサイユ条約によりドイツ国内での軍用光学機器開発・製造が禁止されたため、研究開発能力の維持に危機感を抱いたツァイス社は一転して日本との提携に舵を切ります。国土が荒廃し、経済的に不安定なドイツから日本に技術者を派遣し、海外での技術開発・保持に活路を見出そうとしたのです。日本光学に派遣された8名の技術者は、レンズの加工から光学機器の設計に到るまで、包括的な基礎技術力を与えることになります。


しかし、日本光学国産化に向けた取り組みは、第二次大戦終結までに十分に実現したとは言えませんでした。軍用光学機器の設計開発・製造は1933年ごろには概ね可能になったものの、質・量ともに日本海軍の需要には対応できませんでした。海軍は依然として海外からの輸入品に頼り続けていたのです。そのまま終戦を迎えた日本光学は民生品の生産を主軸に据え、1948年に小型カメラ「ニコンI型」を開発して世界に冠たるカメラメーカーとしての道を歩み始めるのです。



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映画『スポットライト 世紀のスクープ』

硬派の社会派映画としてアカデミー作品賞を受賞した『スポットライト 世紀のスクープ』を観てきました。

  • あらすじ

2001年の夏、ボストン・グローブ紙に新しい編集局長のマーティ・バロンが着任する。マイアミからやってきたアウトサイダーのバロンは、地元出身の誰もがタブー視するカトリック教会の権威にひるまず、ある神父による性的虐待事件を詳しく掘り下げる方針を打ち出す。その担当を命じられたのは、独自の極秘調査に基づく特集記事欄《スポットライト》を手がける4人の記者たち。デスクのウォルター"ロビー"ロビンソンをリーダーとするチームは、事件の被害者や弁護士らへの地道な取材を積み重ね、大勢の神父が同様の罪を犯しているおぞましい実態と、その背後に教会の隠蔽システムが存在する疑惑を探り当てる。やがて9.11同時多発テロ発生による一時中断を余儀なくされながらも、チームは一丸となって教会の罪を暴くために闘い続けるのだった・・・。


公式サイト:http://spotlight-scoop.com/


※以下ネタバレあり。

  • ジャーナリズムへの教訓

この映画をジャーナリズムの成功例としてみた場合、私自身が一番の教訓として読み取ったのは、必要悪は避けがたいという冷めた視点に立つことによって、黙殺されてしまう事実があるのではないかということだった。劇中、ボストン・グローブの記者たちは何度も「人々は教会を必要としている」「事を荒立てるのか」といった形で教会シンパからプレッシャーをかけられる。しかし結末では、報道を受けてそれまで口を閉ざしてきた幼児虐待の被害者たちが嵐のように編集部へ電話を入れる光景が描かれる。我々はよく、少し賢くなったつもりで「大事のためには小事をかまってはいられない」という思考に陥ってしまいがちなのだと思う。でも、この報道とそれに対する反響が示すのは、小事だと思っていたことがは実は小事ではないこともあるということだ。小事、必要悪だと思っている、いや思い込まされるのは時に権力側の都合だったりする。我々は賢くなったつもりで、全体最適というマジックワードの元に、事実を深く調べる事を怠ってはいないだろうか?そう自問せざるをえない結末だった。大事であれ小事であれ事実は事実なのであり、それを報道し世に問うというのがメディアが持つべき覚悟だと感じた。


もう一つは、端緒はどこにでもあるということだ。この映画で描かれる事件は、数十年も前から問題としては誰しもが知っているものだった。個別の神父に関しては報道で糾弾されていた。にもかかわらず、それを構造的問題として捉え、粘り強く掘り下げることを怠っていたのは、まさにウォッチドッグとしてのマスコミの怠慢だったといえよう。その怠慢を正面から捉え、反省のもとに徹底的な調査報道を志向する特別報道チームの姿はまさに、端緒はどこにでもあり、それを掘り進めるかどうかが問われているということだと思う。劇中では他社の記者が資料公開請求の裁判を傍聴に訪れるという描写もある。誰にでも平等にチャンスは与えられている、でも他の人と違うことをやらないとスクープにはならないということなのだろう(当たり前すぎるけど。


機密保持については、映画で描かれている限りでは甘いと言わざるをえない。人通りのあるところで大声で話ししすぎだし、喫茶店でのインタビューもワキが甘い。本当にこんなザルだったのだろうか。教会側の隠蔽への動きがわかりにくい以上、市民全てが潜在的な敵だと思って行動すべきなのではないかと思った。


あとは裁判のテクニカルな部分。証拠資料が原則として公開されるということ自体はアメリカ司法が我が国の司法に優越する面なのだろうが、それはともかく、証拠開示に関する記者の法手続き的な理解が甘い。必死で公開を請求していた資料が実は別のところであっさり見られるようになっていたというのはずいぶん抜けている。そんなに法的にマイナーな手続きだったのだろうか、疑問が残る。ついでにいうと、教会が証拠資料を隠蔽できるとかいうのはいかなる法的根拠があってそうなっているのだろうか?司法の側が教会の意図を忖度して資料を非公開にしているとしたら、それこそ大問題だと思うのだが。


本作を見ると、少人数(十人以下)のチームを特定のテーマに最低でも数ヶ月専従させるというのが調査報道の基本だと思うのだが、これができている日本のメディアがどれだけあるのだろうか。あるテーマが盛り上がることによってアドホックに取材班が設置されることはあるのだろうが、常設となるとどうだろうか。


ネタはスクープを出せるところに集まるというのは昨今の週刊文春の報道を見ていてもわかるところだが、本作でもそれを示すような描写がある。ボストン・グローブ側に情報提供する被害者団体のリーダーが、「一度は黙殺され、今度もまた黙殺するのか」的な言葉で記者に迫るシーンがあるのが印象的だ。ネタを出す側も覚悟がある。「ここなら書いてくれる」という信頼、それが次のスクープにつながっていくのだろう。


あとはやはり「神父ばかりがなぜこういう行為に及ぶのか」について、答えが示されなかったことだろう。映画としてはしょうがないが、報道としては、劇中で心理学者の発言から独身制が問題であると暗に匂わせつつも、しっかりと切り込んだようには見えなかった。本当はやっているのかもしれないが。


(追記)取材する際の「説得のスキル」については非常に参考になった。相手の正義感に訴えたり、社会正義を訴えたり、脅したり、だまって聞いたり、相手を慮りつつたたみかけたり、この辺りの説得を自然に出来ることが必要なのだろう。

  • 映画としての本作


概ね見やすい映画で、硬派のテーマをうまうエンターテイメント仕立てにしていたと思う。記者という人種が日常的に行っている営み(地道な聞き込み、時にドアを閉ざされる、公開資料の綿密な分析、複数のソースからの裏取りなど)はとても生々しく描かれていたと思う。簡単にネタ手に入りすぎやろーと思ったことがないわけではないが、実際には相当な苦労があったと推察される(願わくば証言を断る虐待経験者の描写も欲しかった)。聖職者年鑑を延々閲覧して出てきた数字が、統計的に予測された児童虐待をしていた聖職者数とほぼ一致するシーンは素晴らしいの一言。


構成として不満なのは、そもそも行われていた報道と何が違うのかがよくわからないまま物語が進むことだ。一部の神父の件は何年も前に報道されていて、それと比べた新規性がどこにあるのか最後の方までよくわからなかった。冒頭で「何を目指して調査報道をしているのか」をもう少し明確に示したほうが観客には親切だと感じる。あとは編集局長のキャラ説明が不十分なところだろうか。なんかいきなり縁もゆかりもない奴がやってきて、頭だけは切れるんだけど、結局脇役のままで終わってしまった。ここは何かしらもう少し説明があっても良かったと思う。


アカデミー作品賞とはいえ、宗教に付随する問題という日本では馴染みの薄いテーマだったこともあり、客の入りはあまりよくなかった。カソリックの教会がこれだけのスキャンダルを抱え、しかもそれを組織的に隠蔽していたということの重みを我々がどれだけ実感を持って理解できるかというとなかなか難しい気もする。


あと弁護士やら裁判所やらにがんがん切り込んでいくマーク・ラファロ演じる若手記者の演技が実に良かった。「こういうのあるあるー」というのばかりで実に良かった。


(なにしろ映画館で見たので一度しか見ていない。うろ覚えの部分も多々ある。思い出したらまた追記します)


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映画『杉原千畝』

「1934年、満洲満洲国外交部で働く杉原千畝唐沢寿明)は、堪能なロシア語と独自の諜報網を駆使し、ソ連から北満鉄道の経営権を買い取る交渉を有利に進めるための情報を集めていた。翌年、千畝の収集した情報のおかげで北満鉄道譲渡交渉は、当初のソ連の要求額6億2千5百万円から1億4千万円まで引き下げさせることに成功した。しかし、情報収集のための協力要請をしていた関東軍の裏切りにより、ともに諜報活動を行っていた仲間たちを失い、千畝は失意のうちに日本へ帰国する。


満洲から帰国後、外務省で働いていた千畝は、友人の妹であった幸子(小雪)と出会い、結婚。そして、念願の在モスクワ日本大使館への赴任をまぢかに控えていた。ところが、ソ連は千畝に【ペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)】を発動。北満鉄道譲渡交渉の際、千畝のインテリジェンス・オフィサーとしての能力の高さを知ったソ連が警戒し、千畝の入国を拒否したのだ。


1939年、リトアニアカウナス。外務省は、混迷を極めるヨーロッパ情勢を知る上で最適の地、リトアニアに領事館を開設し、その責任者となることを千畝に命じた。そこで千畝は新たな相棒ペシュと一大諜報網を構築し、ヨーロッパ情勢を分析して日本に発信し続けていた。やがてドイツがポーランドに侵攻し、第二次世界大戦が勃発すると、ナチスに迫害され国を追われた多くのユダヤ難民が、カウナスの日本領事館へヴィザを求めてやって来た。必死に助けを乞う難民たちの数は日に日に増していく。日本政府からの了承が取れないまま、千畝は自らの危険を顧みず、独断で難民たちに日本通過ヴィザを発給することを決断する―」


映画『杉原千畝』公式ウェブサイトは→http://www.sugihara-chiune.jp/


(以下ネタバレあり)


私個人が杉原千畝のことを知ったのは小学生の時、『約束の国への長い旅』という本を読んでからだった。当時は外務省による名誉回復がなされる前で、世間的には今ほど知られてはいなかったように思う。2000年に名誉回復がなされて以降、杉原の様々な側面に着目した書物が多く出版された。私自身は「かつて応援していたマイナーなアイドルが紅白の桧舞台にデビューしてしまった」みたいなちょっと寂しい気持ちもある。ついでに言うと、「戦時中の日本には『いいこと』をやった人『も』いた」と保守層が溜飲を下げるために消費されてる感もあるくらいだ。


一言で感想を述べるなら、日本には「シンドラーのリスト」は必要とされていないし、日本映画界にそれを作る気もなさそうだなというところか。全体の構成は、満州で諜報活動に邁進していた時代→リトアニアユダヤ難民にビザ発給→東プロイセンで諜報活動に従事し敗戦、帰国という形になっている。前段と後段が冒険活劇で、中段がヒューマンストーリーというなんとも微妙な流れだった。


人道上の見地からユダヤ難民を救ったビザ発給で知られる杉原が、多言語を使いこなす情報戦に長けた有能な外交官でもあったことは、彼という人間を描く上で触れざるを得なかったのかもしれない。であるがゆえに、この映画は『シンドラーのリスト』に代表される戦中ユダヤ物映画とは異なる立ち位置の映画なのだと思う。ナチスをぼこぼこにしたり、ナチスからユダヤ人を救ったり、ナチスから(ryな映画は欧米で量産されてきた印象があるのだが、それはやはり需要あってのこと。この映画をビザ発給に焦点を絞って作ることは市場的に厳しく、かつ「杉原という人間を描く」という趣旨に沿わないものだったのかもしれない。


それにしてもスパイ冒険活劇部分は浮いている。満州国外交部在任中の杉原はかなり「怪しい」調査活動に従事してはいたのだろうが、なんか無理にアクションシーンを作ろうとしたように感じてしまった。語学と智恵を使いこなし、地道な情報活動に従事していることだけを描いても客は飽きてしまうのだろうが(私は飽きないけど)。東プロイセン在任中にドイツのソ連侵攻を察知するあたりもなんかこう、とってつけた感が否めない。スパイ物としてやるなら、家族の描写なんか割愛してもいいくらいだと思う。


リトアニア赴任後にユダヤ難民が出て来るあたりからは、欧米でよくあるナチス物に匹敵する描写があって感嘆を禁じ得なかった。ポーランドを蹂躙し、街に進駐してくるドイツ軍戦車や兵士の描写は迫力があったし、なんといっても逃げ損ねたユダヤ人がドイツ軍(SS?)に虐殺されるシーン(工場の一角に追い詰められたユダヤ人たちが、ドイツ軍将校に「立て!伏せろ!」という指示を繰り返し出され、従っても従わなくても虐殺される)はかなりよくできていた。邦画でもこんなシーンが撮れるのかと驚いてしまった(あまり観てないからかもしれないけど)。


途中からずっと、自分ならこの映画をどう撮るかということをずっと考えていた。諜報活動部分は味付け程度にしてばっさり切り落とし、ユダヤ難民側に準主役級の俳優を入れる(杉原のビザで救われ、後にイスラエルの宗教大臣になったゾラフ・バルファティックあたりがいいかもしれない)。オープニングは大臣室のいすにふんぞり返るバルファティックが、「この男を捜し出せ」とでも吐けば(吐いてないだろうけど)いい。ポーランドからのユダヤ難民の苦難の道はもっと描く余地があるだろうし、杉原のビザ発給に至る葛藤や外務省とのバトルもまだまだ細かくやれると思う。エンディングはイスラエル訪問でいいんじゃないか。とまで書いておいて、なんとも陳腐な顕彰映画ができるなぁと思った。映画に満足はしていないけれど、この人物を描くのは実は結構難しいと納得した。


構成という意味で良かったのは、「紙切れ一枚が人の運命を翻弄する」というメッセージが明確だったところだろう。満州時代の活動の結果、杉原はソ連からペルソナ・ノン・グラータの宣告を受け赴任の道を閉ざされる。ユダヤ人たちは紙切れ一枚のビザを求めて領事館に殺到する。国境や外交、国籍という権力装置が「一枚の紙切れ」で人を翻弄するという伝え方は非常にわかりやすく、印象的だった。


その他細かい点。


唐沢寿明の英語は素晴らしかったが、杉原の真骨頂はやはりロシア語。台詞丸覚えでも唐沢にロシア語で演じさせるのはきつかっただろうと考えるといたしかたないが、どうも英語でやられると興ざめだったところもある。


終盤、ソ連軍の捕虜収容所で妻・幸子が「終戦なんですね」とつぶやいたのに対し杉原が、「いや、敗けたんだ」と応じるシーンも良かった。杉原の悔しさを表すいい場面だったし、我が国で一貫して「敗戦」ではなく「終戦」が用いられているという経緯に自覚的だったんだとも思う。


再会シーンが赤の広場というのはいただけない。実際、杉原がモスクワに行きたがっていたのかどうかよく知らないのだけれど、ここはやはり史実に忠実であって欲しかった。


カウナスの教会で杉原が十字を切るシーンが2度描かれていた。彼がクリスチャンであったという史実を暗示するいいシーンだったが、他の場面でももう少し盛り込んで良かったのではないだろうか。そのキリスト教人道主義こそが彼にビザを書かせたのだから。


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映画『黄金のアデーレ 名画の帰還』

「20世紀が終わる頃、ある裁判のニュースが世界を仰天させた。アメリカに暮らすマリア・アルトマン(82歳)が、オーストリア政府を訴えたのだ。“オーストリアモナリザ”と称えられ、国の美術館に飾られてきたクリムトの名画〈黄金のアデーレ〉を、「私に返してほしい」という驚きの要求だった。伯母・アデーレの肖像画は、第二次世界大戦中、ナチスに略奪されたもので、正当な持ち主である自分のもとに返して欲しいというのが、彼女の主張だった。共に立ち上がったのは、駆け出し弁護士のランディ。対するオーストリア政府は、真っ向から反論。大切なものすべてを奪われ、祖国を捨てたマリアが、クリムトの名画よりも本当に取り戻したかったものとは──?」


公式サイト:http://golden.gaga.ne.jp/about.html


(以下は感想、ネタバレあり)


なかなかスリリングな話で、楽しみにしていた映画の一つだったのだが、今ひとつ消化不良だった。一つは対オーストリア政府の法廷闘争の困難さの描写がイマイチ足りない気がしたまったくもって不足していると言わざるをえない。トントン拍子で米最高裁まで進み、最高裁の判決は電話で連絡(事実に即しているのかもしれないが)という地味さ。そこはゴールではないとはいえ、もう少し丁寧に描写して欲しかった。そして個人的に非常に不満だったのがオーストリアにおける調停の結果があまりにさっくり主人公の思う通りになってしまうところ。3人調停委員がいて「一人は原告が指名、一人は被告が指名、残り一人は中立」という形式で選ばれるのだが、弁護士の「結果はどうなるかわからない、運が良ければいいね」という前振りがあるにもかかわらず、調停で主人公サイドに絵の所有権があるという結論が出るに至る描写がほとんどない。これは非常に不満。当時オーストリアでどういう議論があったのか、なぜオーストリアで行われた調停でオーストリア政府にとって不利な決定がなされたのか、きちんと説明して欲しかった。


無論、この作品はハリウッド的に「絵が返還されてUSA!USA!」という大団円を目指したものではないというのは一応わかる。国を追われ、ふとしたことから「形見」を奪還することに情熱を注ぐ二人の人間模様を描くという目的を果たす以上、テクニカルにどういう困難ががありそれをどう克服したかということの描写は割愛せざるをえなかったのかもしれない。しかしこの人間模様の描写にも不満が残る。主人公は何度も諦めそうになりながら絵の奪還を目指す、そして時節、ユダヤ人であるがゆえにオーストリアから去らざるをえなかった主人公の過去が挿入される。ところが、その部分と絵の奪還に情熱を注ぐ主人公がどうしてもつながってこない。彼女はなぜ絵を取り戻したいのか、この絵は彼女にとってどういうものなのか、取り戻した絵をどうしたいのか・・・。確かに旧宅からナチスによって絵が持ち去られるシーンはあるのだが、あまりにも淡白で、伯母を描いたこの絵が彼女にとって持つ意味がイマイチはっきりと伝わってこない(おまけにその伯母は、オーストリアナチスがやってくる遥か前にこの世を去っている)。


(追記)私が「つながらない」と感じる理由を改めて整理してみる。映画の序盤、彼女の伯母の「絵を美術館に譲る」という遺言には法的拘束力がなく、かつ彼女の伯父の遺言では彼女に所有権が移ることになっているということなので、奪還を目指すということになる。じゃあ法的な瑕疵がなければ返還を求めなかったのか。引き裂かれた過去を取り戻すものとしてのあの絵を手元に取り戻したいのであれば、法的な瑕疵に気づく前から返還を求めるべきではなかったのか。出発点が法的な瑕疵にあるので、「チャンスきたラッキー!」みたいに見えてしまうのだ。

彼女にとって、絵がオーストリアにあることがいかなる不満をもたらしているのか。本作では現オーストリア政府をそこはかとなくナチスになぞらえるような描写があるし、彼女自身、忌まわしい記憶の場所としてのオーストリアに戻ることを繰り返し拒否する(それでも行くけど)。そういった場所に絵があるのは確かに問題だろう。しかしそうすると、以下に書くラストシーンが謎になる。(追記終わり)


ラストシーン、彼女はウィーン市内の旧宅に上がり込み、幸せだった過去に想いを巡らす。私はそこで彼女が「絵はアメリカには持っていかない。ウィーンの美術館からここに移して飾って欲しい」と言うのではないかと思った。このシーンは、それまでオーストリアに戻ることを拒み、そこに絵があることを嫌悪していた彼女の中で、過去の遺恨が少し和らいだ瞬間だったように思う。オーストリアやウィーンは嫌悪の対象かもしれないが、少なくとも旧宅は彼女にとって思い出の地として復活したように見えた。そこに絵が戻ることが、絵とともにある過去が彼女のところに「帰還」するということなのだと私は思う(これは映画なので、実際に主人公がどうしたかというのは別だし、私はあくまでも映画としてわけわかんないということを言っているつもり)。終盤に至るまで、家族との離散を余儀なくされた忌まわしいかつての祖国としてのオーストリアを描きながら、最終盤でその彼女の感情に揺れがみられたように感じたのだ。だが映画はそこで終わり、字幕で絵がニューヨークに飾られているという事実が明かされる。絵を美術館に売った金は、慈善事業に寄付したりしたなどというおまけもつく。こんなことなら、下手な人間模様など描かずに、極悪オーストリア政府を相手に正義のヒーローたるユダヤアメリカ人弁護士とかくしゃくとした老婆が万難を排して絵を取り戻すお話にしたほうがよかったのではないかとすら思う。


一応勉強になった点も書いておくと、絵を取り戻しに来た主人公に対してとあるオーストリア人が投げかける「ホロコーストにこだわるのはもうやめろ」という一言が印象に残った。過去としてのナチスはもうないが、その被害を受けた人々が「セカンドレイプ」されるような状況はいまもあるのかもしれないと想像させるいいシーンだった。


あとこれに限らず毎回思うのだが、洋画の邦文タイトルって本当なんとかならないのだろうか。「名画の帰還」などという説明的な言葉を付け加えることでいかにタイトルが陳腐化していることか。




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Racial Conception in the Global South

※ISIS Focus読書会用のまとめです。


Warwick Anderson, Racial Conception in the Global South, Isis, Vol.105, No.4(December 2014), pp.782-792


著者のWarwickによれば、「人種科学(具体的には自然人類学や生物学)」という分野は基本的に北半球におけるそれがあたかも全世界的に通用するかのようなものとして捉えられてきたという。学術知としての人種科学からそれが政策や人々の生活に及ぼす影響まで、我々は北半球において生じてきた差別、隔離、優生政策といった事象を前提としてそれを考えてきた。


ここで、これまで人種科学の対象とはされてきたものの、人種科学を生み出す場所とはされてこなかった南半球に改めて着目することが重要だと著者は主張している。そして南半球における人種科学やそれに基づく政策は北半球のそれよりも「plasticity(柔軟性)」を持っているという仮説が提示される。たとえば混血することについて、ニュージーランドラテンアメリカにおいてその優位性を評価するような研究がみられるようになること、などがその証拠としてあげられる。また優生学のあり方についても、北半球の「強固な」優生学とは異なる南半球独自のものが営まれていたとも指摘される。


筆者は20世紀初頭の多数の文献を整理・提示したうえで、これらの文献が南半球における人種科学のダイナミズムを明らかにするうえで分析されるべきであるとする。そこでは知の還流と成立といった歴史的な実態を追うのみならず、直接的な関係はなくても比較社会学的な分析を行うことで見えてくるものがあるという。それは最終的に、これまでnormativeなものとして機能してきた北半球起源の「人種科学」の歴史を相対化することにもつながるかもしれない。