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読書80年:名和小太郎

2012-11-11

【189冊目】 クラーク.R.モレンホフ(最相力&松本泰男訳) 『ENIAC神話の崩れた日』 工業調査会 (1994年)

コンピュータの発明者はエッカートとモークリーということになっている。だが、まえまえから異説があって、英国チューリングドイツのツーゼの名前が出ることも多い。
 そうした人々のなかにアタナソフという名前があることは、多少ともコンピュータ開発史に関心のある人ならば知っていることだろう。
 現に1972年に刊行されたH.ゴールドスタインの『電子計算機の歴史』(共立出版)という浩瀚な本にも、電子式の2進法を利用した先駆的な業績であり、モークリーの仕事に大きい影響を与えた、と記述してある。
 だがゴールドスタインの本にしても、モークリーの引用は23カ所、エッカートの引用は19カ所もあるにもかかわらず、アタナソフの引用はわずか3カ所にすぎない。アタナソフがいかに時代を抜きんでていたかということと、かれの不遇がどんなものであったかを、この引用数はよく示している。
モークリーとエッカートの業績が喧伝されたのは、かれらがコンピュータの基本特許をもっていたからだ。逆に、アタナソフの業績が認められなかったのは、かれが特許をとることに失敗したからである。それには戦時研究による研究の中断や大学の無理解による特許取得の軽視があった。
 この本の主題は、法廷を舞台にしたヒューマン・ドキュメントである。というのは、この本はスペリーランド対ハネウェルの特許訴訟を扱っているからだ。
 前者がモークリー・エッカートの特許を保有しており、後者がそれを否定しようとして先行発明を探索し、その結果アタナソフの業績にたどりついたわけだ。
 アタナソフは以前IBMからも同様の提案を受け、結局は、利用されただけで、放り出された経験がある。そのかれをハニウェルは辛抱強く説得し、関係者から膨大な証言をとり、当時の文書を捜し出し、かれの機械を復元する。
 法廷紛争は10年を超えた。判決はアタナソフをコンピュータの発明者として認める。
 だがモークリーの業績は定着しており、アタナソフの再評価は進まない。法廷におけるモークリーのあいまいな態度と学会におけるかれの自信に満ちた行動は、アタナソフを落胆させる。
 じつはアタナソフもモークリーもコンピュータ企業の市場戦略に利用されたにすぎないともいえる。このへんの事情について関心のある読者はJ.シャーギンの『コンピュータを作った天才たち』(草思社)を参照するとよい。
 ところで、現在のコンピュータをなぜ「ノイマン」型というのか。これについても、どなたかに書いてほしいものだ。

初出不明