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読書80年:名和小太郎

2012-10-18

【166冊目】 マシュー・バトルズ(白須英子訳) 『図書館の興亡』 草思社 (2004年)

著者は最後の章で、図書館の目録作成者はこの本にどんな件名標目を付けるだろうかと自問自答している。それは歴史、回想録、あるいは小説か、あるいは生活習慣なのか、または文学、言語か、いや歴史補助学かな、いや書誌学だろう−−これがその揣摩臆測(しまおくそく)の中身。この本は、このような多面的なファセットをもっており、したがって図書館正史というには程遠い。だがそれだけに、トリヴィアを好む読者は読書の楽しみを存分に耽溺できるはずだ。
 と枕を振ったあとで、ページを繰っていくことにしよう。まず第1章だが、「図書館は宇宙に似ている」と御大層な口ぶりで、図書館に関するあれこれを語る。それはボルヘスの『バベル図書館』、アンチンボルドの『図書館長』(本で構成された人物像)、ジェファーソンのモットー、セネカの箴言、『ベーオウルフ』の写本、オンライン目録、シェイクスピアの異版、さらにはデリダからラブレーにわたる、という趣向。ここには些事もあれば仰山なこともある。この雑然とした姿こそ図書館。これが著者の主張。じつは著者は著名図書館司書である。だから、ここでまず司書の実体験を示したということだろう。
 この本もその司書の体験が滲み出ているせいか、章ごとに一つのテーマが整理されて示されているということではなく、一つの章のなかにいくつかの話題が詰め込まれており、また同じ主題が章を越えて続く。当世風にいったら、ハイパー・テキスト的といったらよいか。この点、評者にとっては扱いにくい。だから以下、レビューというよりも読書メモの形で紹介したい。>
 まず図書館の機能に関する話題がある。第3章において、著者は「知恵の館」としての図書館の機能を示す。プトレマイオス朝は知識や情報の独占を狙った。アッバース朝は学校、研究センターを兼ねさせた。いっぽう、ローマではシーザー公共図書館のアイディアを最初に示した。それは帝政時代に「パンとサーカス」的な統治理念ともとで公衆浴場に併設された。
 中世になると知恵の館の理念はイスラムからヨーロッパに伝わる。まず大学図書館が出現し、ヴァチカン図書館が整備される。ルネサンスになるとメディチ家は名声を得るために図書館を設けた。図書館は「学びたい市民すべて」に公開された。ついでにいうと、この時代パトロンは古典を筆写させることと新しい作品を制作させることを同じことと理解していた。
 この話題は第5章の「みんなに本を」に続く。18世紀半ばに大英博物館図書館部門をもつ。これが英国図書館となり、著作権登録機関としての機能をもつことになる。19世紀になると公共図書館が整備される。個人の図書は読み終われば棚の上に晒されたままになるが、公共図書館の本は何度もその扉を開けられるようになる。この時代、大衆のためにチャーチストの図書館や会員制図書館が出現する。米国ではフランクリンが会員制の読書クラブを設ける。
 つぎの話題は図書整理法。まず、メディア。それはアッシリアの粘土板、エジプトパピルスローマの羊皮紙、そして紙へと移る。なお、7世紀に中国中国房山石経碑刻題記集成を作った。これは石に420万語の教典を刻んだものであり、ここから拓本をただちにコピーできる。いわば巨大な図書館である。
 つぎにその形。巻子本は縦に置くことはできずに横積みとなる。だから軸からタグをぶら下げてここにインデックスを記した。ローマでは冊子体となり、書棚は平積みの型になる。ローマ人にとって書物は実用書であった。だが、イスラム人は書物を豪華な美術品に仕立てた。
 ここに印刷術が導入される。しかし読者の美意識は前時代の写本のほうをよしとする。これは最終章で示されることだが、著者のディジタル本に対する見方は、この時代の写本愛好家の印刷本に対するそれと重なってみえる。
 つぎは目録。アレキサンドリア図書館は有名な文献目録『ピケナス』を作ったとされるが、それは断片すら残していない。ヨーロッパで最初の図書目録が作成されるのは13世紀大学図書館、このときにアルファベット順のシステムが導入される。
 印刷術の発明後、本は増え続ける。図書館は本を隠すのに絶好の場所になる。反宗教改革の文献がヴァチカン図書館に隠されたりする。ここにベーコンが現れ新しい知識の分類法を示す。これをディドロは『百科全書』に引き継ぐ。その分類は近代の図書館分類法へ影響を及ぼす。この時代、書物は大幅に増加する。情報通であっても書評しか読まない、博識の人とは生きた目録にすぎない、という状況になる。
 図書館のなかでは、新しい本が古い本を追い出そうとする。20世紀のなかばにデ・ソラ・プライスが指摘した事実は、すでにこの時代に現れていたことになる。この選書をめぐって教養ある古代派と軽薄な近代派が争う。スウィフトは古代派に同調し、『先週金曜日セント・ジェイムズ図書館において古代派と近代派のあいだで闘われた合戦の完全にして真実なる物語』−−いわゆる『書物合戦』−−を著す。だが、そのスイィフト蔵書の競売目録をみると、近代派の本のほうが多かった。これが第4章の「書物合戦」の主題。
 この時代、印刷機を敵視する識者もいるが、大勢はいかんともしがたい。本の増加にともなって、その整理法は不可欠になった。スウィフトは本を大きさの順に並べていた。歴史家のギボンは図書目録として最初にカード−−トランプの裏−−を使った。
 ついに「みんなに本を」の時代、つまり公共図書館の時代がくる。英国にはパニッツイが、米国にはデューイが現れる。前者は司書の能力を膨らますことを狙い、後者は司書の効率を高めることを企てた。
 最後の話題は図書館炎上について。それは第2章の「アレキサンドリア炎上」と第6章の「知的遺産の焼失」に詳しい。
 まず第2章だが、ここでは権力者によって焼かれた図書館が列挙される。それは始皇帝による焚書坑儒、ローマやイスラムによるアレキサンドリア図書館への攻撃、フェリベ二世によるアラビヤ語写本の抹殺、さらにはスペイン人神父によるアステカの絵文書に対する略奪と続く。現代のイラク戦争アッシリア王国の地下にあるはずの未知の図書館を破壊しているかもしれない。
 著者は続ける。なぜ破壊が繰り返されるのか。それは図書館にはその国の文化が集積さており、侵略者がそれを認めようとしなかったためだ。
 第6章に移る。著者はここで現代における図書館の破壊を語る。まず、ナチの焚書があった。また、中国人民解放軍チベットへ侵攻して、数十万冊の木版印刷本を炎に投じた。ごく最近、セルビア人はボスニア大学図書館を攻撃し、その所蔵する15万冊の稀少本を焼いた。民族主義者は、将来の世代に、異なった民族、宗教的伝統をもつ人たちが、かつて共通の遺産を思い出させる書物、文書、芸術作品を隠滅させることを狙ったのであった。
 民族浄化主義者にとっては、図書館は文化的、宗教的な価値を集積する場所であった。この事実を裏返せば、図書館は異民族を抑圧する道具ともなりうる。これを実行したのは20世紀初頭までの米国の公立図書館であった。南部公共図書館はこの時代まで黒人を締め出していた。
 ナチによる焚書であるが、これを推進したのは哲学者ローゼンベルグ−−評者は少年時代にこの名前をよく耳にしたものだ−−であった。かれは「出動部隊幕僚・ドイツ帝国指導者ローゼンベルグ」という文化財奇襲部隊を設け、ユダヤ関連資料を百万冊の単位で収奪した。
 その一部は皮肉にもゲットーに送りつけられた。ユダヤ人住民はそれをむさぼり読んだという。ある人は面白さにわれを忘れるために、べつの人は認識することで自分を忘れるために、であった。「本を焼くところでは、やがて人を焼く」と言ったのはハイネであった。この予言は冷酷に実行された。
 最後の章は「書架のあいだをさ迷いつつ」である。ここでは自分の本の行く末、あるいはディジタル本のあり方など、あれこれと脈絡のない記述が続く。評者にはこの部分はよく理解できない。総じて、この本は記述に精粗あり、前後の照応に辻褄のあわない点も少なくない。
 ただし一貫しているのは、図書館には盛衰あり破壊されたものも少なくないという指摘である。くわえて、にもかかわらず、本は人に生きる力と喜びを与えるというメッセージである。評者はこのメッセージを買いたい。

レコード・マネジメント』 49号 (2005年)