
皆様のご協力で僕のブログがピカピカの有料ブログになったよ!
今から僕のブログ読み料は、1年間で1000円です。
イラストをクリックして料金を払った人は1000円が減ります。払わない人は1000円が減らない。
料金システムは PayPal ですが、PayPal というものは複雑である。ちゃんとアカウントが作れてるんだかどうだか分らない。だけど僕はイチカバチかで僕のブログの有料化という英断を下した、すごい!
料金を払ってない人は、セキュリティーで全体的にブログの色が薄くなる。払った人は濃いです。
このセキュリティーシステムがどういう仕組みかというと、僕が気の向いた時に、手作業でフォントの色を変えるみたいな感じで、偶然に支配されるセキュリティーシステムです。
面倒くさいけど、僕は頑張りたいと思います。
有料のブログというのは良いことばかりです。本当に誰も損をしない。
騙されて料金を払った人は払ったなーっていう実感が得られるし、千円払ったんだから記事に期待しちゃったりするんでしょうけど、世の中っていうのは厳しい。
僕がその程度の金でヘイコラするとか思ってたら大間違いだし、百万とか金が入ったら俺は後先考えずに速攻仕事を止め、インターネットの届かない場所で粋な年増と遊ぶんだ。しかしお金を払って損をしてしまったと、残念に思うことはない。若いのが面白いっていう奴もいるけど、やっぱり年増だ。二十七八、三十デコボコ、乙な年増がいいねぇ、脂がのってるからたまらねぇやな、こっちにおいでよ、恥ずかしいよ、いやだねぇみたいな感じに僕が生活をしていると風の噂を聞いては、本当にあいつは仕方のねぇ野郎だと、目を細めて微笑むことが出来ます。
親不孝な息子が増えたみたいで嬉しいですね。
料金を払ってない人は、払ってないのに読めて得だなーって思える。それで僕が連続で仲良し家族シリーズみたいな日記を連打しても「こんな日記でもお金を払う人がいるんだから、役に立つのだろう」と思い込むことが出来ます。
どうでもいいけど、家族シリーズというのは下みたいな記事だ。
昨日は本棚の裏からネズコウが顔を出してチューチューないてたので、僕は「ネズコウがチューチューないてるね」って言いました。弟が「ミースケがミーミーないてるよ」って言ったら、家族みんながワッハハッハハッハッハーって大笑いでした。
こういう日記が五年とか続いたら普通ならムカつくけど、無料で読んでるんだし、まあいいかっていう感じになりますし、なんか時間を無駄にしたという実感も薄れます。
そして僕ですけど、とにかく強気に出て好き勝手することが可能となります。
これまでは気を使って日記書いたりしてたけど、これからは1000円ごときでガタガタ騒ぐなと居丈高に叫んだり、1000円払ってないのにお前はゴチャゴチャ言うなとユスリタカリみたいな発言も出来る。
おまけに情報商材みたいなのを作って、販売しまくることも出来ます。
本当に誰も損しない素晴しいシステムです。
ここから本題です。
本能なのかなんなのか、人間は何か良いことがあると、誰かに教えたくなるという欲求があるように思えます。
もしもそのような欲求を、人間が持っていないのであれば、都市と地方との情報格差は広がるばかりですし、文明というものの発達のプロセスも変化していたことでしょう。恐らくみんな大好きインターネットも存在していません。
良い情報は人に知られたいと望みますし、人はそれを知らせたいと思うのです。
知らせる対象が少数であれば、なんの問題もありませんが、百人千人あるいはそれ以上となると大変です。
それで人はどうしたのかというと、広告を使ったわけです。
人は広告するために、物を販売していると考えることも出来ます。
広告を誰かになにかを紹介するためのものとして考えるとすると、物質としての商品を紹介するだけでは成立しません。
ピカピカと光り動く絵と耳ざわりの良い音楽、広告というのはそれだけ用意すればよいわけではないのです。
パッケージも広告ですし、流通も広告です。商品の生産を安定させることすら、広告だと言えます。
広告なしにトラックというものは成立しませんし、トラックなしに広告も存在し得ません。
もともと広告というのは、有料の媒体を用いて人の関心を興し、商品の宣伝をすることですけど、今は複雑化しています。
僕らはなにかを買う際に、価格が妥当か考えます。考える基準は他の商品です。
手作りプリンに三千円という対価を支払う際にも、やはり既に広告されたなにかの価格と比較を無意識に行ないます。
インターネットで無料配布されているものを、僕らはお得だと考えます。
しかしその際にも、市場の価値を念頭に置いているはずです。
僕らがその価格を知っているのは、広告のおかげです。
価値すら広告のお世話になっている。
そのもの単体で存在する価値というのは、とても少なくなってるのです。
市場において価値というのは、お金と交換されてしまいます。その価値を作っているのは広告です。人はお金を使ってなにかを広告します。
うーんそれだったから、金とか面倒だから、とっぱらってもいいんじゃないかなーとか思える。
なんだか価値と広告だけあればいいじゃんみたいな感じに、こんがらがってきましたね。
ブログやらホームページというものは、なにかを掲載するものです。
アクセスが増えると、多くの人に掲載した物を見せることが出来ます。
掲載されるものには、なんらかの価値が存在します。
なんだか未来の世界みたいですけど、今は未来じゃないので、ガッカリですね。
それじゃどうしたらいいのか、建前上、値段をつけておけばいい。
素晴しいことに、これでお金と価値と広告が揃ってしまいました。
おかしな話なんですけど、ちょびっとアクセスが増えて以来、僕は日記を書くのに気を使うようになってしまいました。
なんかムツカシイことを書こうと思っても、まあ年収とか百万以下で社会的地位が低いのに、そんなこと書くとか意味わからんよなだとか、やっぱし考えちゃいます。
その他にも、なんといいますか、善意の人が見てるのに、こういうの書くとマズいかなとか、こういう写真は不道徳だからちょっと小さめにしておこうだとか、いろいろです。
本来僕は冗談で生きてるみたいな感じなんだけど、社会的な基準みたいなのを考えざるを得なくなってくる。これっておかしな話なんですけど、やっぱりそういうのはあるんですよ。
しかしながら、今日からは一年千円の有料ブログですから、定期的に訪問する人が三千人なら年収三百万です。一万人なら年収一千万だし、一兆億万五千万人だと計算が面倒です。
実際には料金を払う人ようなサブい奴はいませんし、払われたら僕は困るんですけど、値段を決めちゃえば対外的には、そういう風に見えます。
社会的な評価とか自体が妄想みたいなもんですし、年収とかは夢みたいなもんですから、僕の対外的な年収やら社会的地位は今日で一挙に向上したということになります。
素晴しいですね。
そんなわけですから、有料ブログはお勧めですよ。
今の所こういう目的で、こういうことをしているのは僕だけですから、ちょっとタワケみたいな感じですけど、こういう人間が大量に増えると少し面白いですね。
僕のホザいてることを本気にしたアホが、同じようなことをやりはじめて、お金を集めたりするとしましょう。
なにかの拍子に、そいつにお金が集まってしまう。当り前ですけど、ブログというのは制約がありますから、そのお金でなにかを作ったりします。お金は集めてあるわけですから、無料か原価に近い値段で公開することでしょう。だから映画が無料で上映されたり、書店で本が無料で置いてあったりする世の中になる。
本当に意味がわかりませんけど、もっと意味のわからんやつが出てくると、好き勝手につけた自分の価値で生活して、会社に僕は無料で勤務しますとか言い出して、税金とかがすごくややこしくなります。税理士さんも困ったなーっていう顔をすることでしょう。
こうなるとマジで意味が分りませんし、経済活動はメチャクチャになります。社会的な秩序も脅かされて国家が怒りそうですけど、国家も税金を PayPal で集めはじめる。
それで天下り官僚が裏金のことを面白おかしくブログに書いたりしますけど、なんのことを書いてたんだか、だんだんアヤフヤになってきたし、お金というものは地道に汗水たらして稼ぐものです。だからこういうことをすると人の信頼を失なう。
常識で考えてお金を玩具にしちゃいけません。
僕は実際にやってみて、こんなことをするのは、止めといたほうがいいなって気付きました。僕らはこうやって失敗とかして、どんどん成長していく。
今日もよいお天気です。
お花の歌の妙なるしらべにのって、蝶々たちは踊ります。
平和な風景が広がって、本当に良かったですね。
広告と金のことを書くついでに、近いうちに書く日記のマエふりとか、後々何回もクドクド有料有料とか叫んで遊ぶみたいな感じ用のエントリだったんですけど、本当に料金お支払いくださったシャレのわかりすぎる方々、ありがとうございます。
そんなわけでお礼といっちゃなんですけど、デスクトップピクチャを描いてあげたよ。
解像度は1920x1200 ワイドスクリーン用です、すごいデカい。
とても素晴しい、本当に良かったですね、どうぞ無料でご利用ください。