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苫小牧福音教会 水草牧師のメモ帳

2014-03-13

シナイ山の場所と出エジプトルート

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 ちとしつこいですが、マイブームの本当のシナイ山出エジプトの本当のルートの話。上のBible Hubの地図では、シナイ半島のが4世紀以降の伝統的・観光的ホレブ山で、アカバ湾の東側ミデヤンの地にあるのが、最近知られるようになった「本当のホレブ山」と言われる山の位置です。

 赤い線は、出エジプトルートで、私が書き込みました。アラビア人の交易の道を通って、途中からアカバ湾へと向かっています

1.興味深いビデオです。ぜひご覧ください。

出エジプトルート

 http://www.youtube.com/watch?v=X7dhj3wWxpU 

本当のシナイ山

 http://www.youtube.com/watch?v=QdMDm3apWzU



 ビデオの要点をまとめてみます

2.出エジプト2:15にはモーセはミデヤンの地に住み、ミデヤンの祭司テロと出会ったとありますし、3:1にはミデヤンの祭司テロの羊を飼って、神の山ホレブに来たとあります。このミデヤンの地は、シナイ半島ではなく、アカバ湾の対岸アラビア半島にありますパウロも「アラビアにあるシナイ山」(ガラテヤ4:25)と言っています

出エジプト2:15 「パロはこのことを聞いて、モーセを殺そうと捜し求めた。しかし、モーセはパロのところからのがれ、ミデヤンの地に住んだ。彼は井戸のかたわらにすわっていた。」

出エジプト3:1「モーセは、ミデヤンの祭司で彼のしゅうと、イテロの羊を飼っていた。彼はその群れを荒野西側に追って行き、神の山ホレブにやって来た。」

 

3.4世紀コンスタンティヌス帝の母ヘレナ認定された、シナイ半島のホレブ山の周辺には、観光のために後世造られた建造物はあっても、遺跡としてこれがホレブ山であることを示すものは何一つ存在しません。

 これに対して、ミデヤンのホレブ山には、子牛がささげられた祭壇跡や、エジプトの子牛の偶像壁画や、十二部族意味していると思われる十二の柱跡、七つの燭台壁画などが残っています

「それで、モーセは【主】のことばを、ことごとく書きしるした。そうしてモーセは、翌朝早く、山のふもとに祭壇を築き、またイスラエルの十二部族にしたがって十二の石の柱を立てた。」(出エジプト24:4)

 また、神の山と目される頂上は高熱にさらされて黒く焦げているのも特徴的です。

2015年1月追記:もっとも山が黒く焦げているという現象はほかの地域にも見られるので、必ずしも証拠には当たらないという指摘があります。)

 また二百万人もの人々ののどを潤すために、岩を割って与えられたという水がたまった池の跡と目される場所も近くにあります


4.イスラエルの民が歩いてわたった「葦の海」と目されるアカバ湾には、西側に渡る前に二百万はいたであろうイスラエルの民が集結したであろう砂浜があり、その沖合の海底にはサンゴがくっついたエジプト軍戦車車輪発見されています。対岸側の海底でも同じもの発見されています

 下は、アカバ湾の渡海地点と想定される場所の両岸で撮影されたという写真。上の写真では外輪とスポークが見えるし、下はハブがあります車輪でしょう。サイズもぴったりだそうです。この証拠は決定的でしょう。ねつ造でない限り、ですが。

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  出典:http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/30230523.html

 海底の遺物と見比べてください。

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トトメス3世の戦車

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戦車車輪製作の図

岡島誠太郎『エジプト史』より)


5.ただ、残る疑問はなぜシナイ半島にないのに、この山はシナイ山と呼ばれるのだろうか?ということです。シナイ山といえば、誰だってシナイ半島のどこかだと思ってしまます

 それとも、そもそも、あの三角形シナイ半島と呼んだことがまちがいだったのでしょうか。いつから、あの半島シナイ半島と呼ばれるようになったのでしょうか。4世紀にあの山をシナイ山と呼ぶようになったことからシナイ半島と呼ばれるようになったのではないでしょうか。

 だとしたら、この疑問も解けたことになりますシナイ半島はいからシナイ半島と呼ばれるようになったのでしょう?読者でご存じの方がいたら教えてください。


金井師のコメントを受けて後追記その後また、さらに日数を修正したもの

6.「葦の海」を旅立って三日間歩いてエリムにつき(出エジプト15:22−27)、さらに「エリムを旅立ち、エジプトの地を出て、第二の月の十五日に、エリムシナイとの間にあるシンの荒野はいった。」とあります

 エジプトのゴシェンの地を出発したのは、第一月(アビブの月、ニサンの月)の14日か21日(12章を読むとどちらか判然としない)。だから、ゴシェンの地から葦の海まで19日間か26日間です。

 ゴシェンの地から伝統的な「葦の海(今でいうスエズ運河あたり)」まで19日から26日間もかかったというのは、あまりにも不自然で、むしろアラビア商人の道を通ってアカバ湾の畔まで行っていたと考えた方が自然ではないでしょうか。アカバ湾こそ、モーセと民が渡った「葦の海」なのではないでしょうか。

金井由嗣金井由嗣 2014/03/13 13:13 興味深い説ですね。ただ、
1) 葦の海への道が「ペリシテ人の道」(地中海東部沿岸)との択一とされていること(出13:17-18)、
2)徒歩の大群衆が葦の海を渡ったのがエジプトを出てから1月もたっていないし(16:1)、シナイ山にも2ヶ月足らずで着いていること(19:1)、
3) エジプト軍がシナイ半島の軍用道路を戦車で追いかけたらアカバ湾よりはずっと手前で追いつきそうなこと
を考慮すると、現在のシナイ山の方が無理なく当てはまるように僕は思っています。
ミデヤン人の行動範囲については、現在の聖書地図が想定する勢力圏よりも広い範囲に及んでいる可能性が高いと思います。当時は国境の概念はありませんし、小アジアのヒッタイト人やメソポタミアよりさらに東のエモリ人がカナンの地にいたり(3:8)、アッシリア人のコロニーが東地中海やエーゲ海地方にも存在していた(ゴードンの『聖書以前』にその記述があったと記憶しています)ように、各地に「飛び地」を用意しているケースが多く見られますから、遊牧民の場合は相当に広い範囲を移動していたと考えて良いのではないでしょうか。イテロがモーセを訪ねてホレブに来る時の記述(18章)も、ミデヤン人の本拠地とシナイがある程度離れていたことを前提にしていると思います。

koumichristchurchkoumichristchurch 2014/03/13 14:56  なるほど。コメントをありがとうございます。でも・・・

1)ペリシテ人の危険な道を避けて、という意味ではアラビア人の通商の道が「葦の海」への道とも取れるのではないでしょうか。

2)葦の海から3日間(15:22)でマラに、次いでエリムに着いたとあって、そこでエジプトを出て45日目とあります(16:1)。とすると、エジプトから葦の海まで40日間ほどではないのでしょうか?であれば、アラビア商人の道でアカバ湾の畔まで行けるでしょう。私は計算まちがえてますか?

3)エジプトの王が戦車隊をもってイスラエルの民を連れ戻すと決断したのが、イスラエルが旅立ってから何日目であるかが聖書に書かれていないと思います。だから、彼らが旅立って相当日数経ってから、王が決断したのであれば、アカバ湾まで追いつかないでしょう。

4)アカバ湾の渡海地点の両岸の海底に戦車の車輪と見えるものが見つかっていることを考えると、やっぱりこっちじゃないかなと思います。それが流行りのねつ造写真だったら、がっかりですけどね。
 その写真を追加して載せておきます。

4)そしてアカバ湾東の「シナイ山」に見られるエジプト風の牛の壁画や祭壇跡はどうですか? これらは件のビデオに出ていますからご自分で確認してみてください。

 以上のようなわけで、私にはこの新説のほうが妥当な感じがするんですよ。

金井由嗣金井由嗣 2014/03/14 08:57 日数については僕の計算ミスですね。シンの荒野に入ったのがエジプトを出て45日目で合っています。マラからエリムまでの日数とエリムに滞在した期間が記されていないのでその分を引いて考える必要があるでしょうが。
海底の遺跡については、ちょっと都合が良すぎる印象を受けます。3千年以上前の遺物が露出状態で見つかるものでしょうか。砂に埋れていればこう見事に発見できないでしょうし、露出したまま潮流にさらされていればもっと破壊されていそうなものです。
祭祀遺跡については、さらに検討が必要だと思いますが、アカバ湾東岸までエジプトの宗教の影響が及んでいたこと自体が貴重な発見ですね。それがこの地点「だけ」にあるのなら出エジプトと結びつける仮説は成り立ちますが、調べればもっと普通に見つかるかもしれません。
ということで、僕としてはしばらく判断を保留しておきます。f^_^;)

koumichristchurchkoumichristchurch 2014/03/14 12:10 金井先生 そんなこと言わずに、一緒にエイヤッと(*^_^*)乗り換えましょうよ。
アカバ湾までダイビングにいっしょに行けるといいのですが、溺れそうです。

koumichristchurchkoumichristchurch 2014/03/14 13:01  金井先生 日数のこと考えると、伝統的な「紅海」を渡ったという説は、事件までちょっと日数がかかりすぎじゃないですか。

エシュコルエシュコル 2014/03/14 23:47 以前にテレビでその事に触れていたので見ました。
それによれば、ハツェロテ辺りがシナイ山だとの事でした。
参考までに。

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