苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

主の来臨にそなえる

主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いて、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起こり、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。彼は、すべて神と呼ばれるもの、また礼拝されるものに反抗し、その上に自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け、自分こそ神であると宣言します。(中略)その時になると、不法の人が現れますが、主は御口の息をもって彼を殺し、来臨の輝きをもって滅ぼしてしまわれます。(2テサロニケ2:2,3,8)

 当時、テサロニケでは主の日がすでに来たと噂する異端があったことがうかがえる。「再臨の主がすでにやってきたぞ。」「ここにいる。」「あそこにいる。」「あの人が実はメシヤなのだ。」という噂である。今も、この手の異端はよくある。1914年ナントカの証人はキリストは見えないかたちでもう空中に再臨したのだと教えていたという。また、統一協会文鮮明が再臨のキリストであると教えていた。彼は、先年、死去した。また、今も中国で発生したという「全能神」というカルトが類似のことを教えていると聞く。
 なぜ、こんな噂にだまされるキリスト者がいるのか?聖書がいうとおりに、再臨の主イエスについて信じていないからである。主イエスが復活体で雲に包まれて天に昇って行かれたとき、御使いは「あなたがたを離れて天に挙げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」(使徒1:11)とあるとおり、主は再臨のときには、復活体で栄光の雲に乗って来られ、主キリストが聖徒たちを御許にお集めになる(マルコ13:26,27、1テサロニケ4:16,17)のだから、聖徒たちは「キリストはどこにいるのか」とか、「あの人はキリストだろうか?」などと悩む必要はない。聖書がいうとおり、シンプルに主の再臨について信じていることがサタンにだまされない秘訣。
 大事なことは、主が来られる日を推定したり、浮き足立って騒ぐことでなく、日々悔い改め、日々神を愛し隣人を愛する落ち着いた生活をして、主がこの人をみもとに引き上げたいと思う聖徒にふさわしい生活をすることである。かりに主の再臨の日を推定できたとしても、主の御許に引き上げてもらえないなら、なんの意味があるだろう。