苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

禁じ手について

大相撲の禁じ手は8つだそうです。
【禁手反則】
第一条
相撲競技に際して、左の禁手を用いた場合は、反則負とする。
一、握り拳で殴ること。
二、頭髪をつかむこと。
三、目または水月等の急所を突くこと。
四、両耳を同時に両掌で張ること。
五、前立褌をつかみ、また、横から指を入れて引くこと。
六、咽喉をつかむこと。
七、胸、腹をけること。
八、一指または二指を折り返すこと。

 こうしてみると、こぶしで殴るのは禁じられていますが、ひじ打ち禁止とは書かれていません。腹や胸をけることは禁じられていますが、急所をけることは禁じられていません。では、ひじ打ちや急所蹴りは禁じられていないのかというと、そうではないはずです。こぶしでなぐるよりさらに危険なひじ打ち、胸腹をけるより危険で卑怯な急所蹴りは当然禁じられていると良識をもって判断することが期待されているのだと思います。 
 ところが、最近は「かちあげ」と見せて、実はひじで相手の顔面を痛打して勝ちを得るという危険で卑怯なことが横行しています。プロレスでいうアックスボンバーです。しかも、横綱がそういうことをするので、若い力士までまねをしています。「法律の網の目をくぐる」ようにして、こういうことをしているのです。
 本来きまりというものは最少限にして、あとは良識に任せておくというのが望ましいわけですが、網の目をくぐってしまおうという人々が出てくると、きまりをやたらとたくさん作らなければならなくなって、窮屈なことになってしまいます。「良識」に欠く行動をして、土俵を世間を息苦しくしてほしくないものです。
 これはお相撲だけの話ではなく、世の中におけるさまざまなルールについても同じように言えることです。たとえば、「表現の自由だ」と言って、見るに堪えないような雑誌類などがコンビニに置かれているという現状があると、これを取り締まる法律をつくるべきだということになり、そのとばっちりで、有益で当然表現の自由として認められるべき出版物の取り締まりにまで広がるということがあるでしょう。良識をもって、その権利を行使することが大事です。