宮崎駿に人生を壊された女|エリコ に考えて察する

宮崎駿に人生を壊された女|エリコ に考えて察する
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/note.mu/sbsnbun/n/n24da2014094d

「この人が欲しかったのは、宮崎駿がいなければ存在したであろう人生なのか、宮崎駿が好きなままでもみんなから認められる人生だったのか。前者なら想定不能だし、後者なら宮崎駿が昔から好きだった私カコイイなだけ」
何を言っているんだ。宮崎駿が好きなままでもみんなから認められる人生だったのかはこの人の理想の世界だったのは間違いない。
だけど、私カコイイだけでこんな独白漫画作らんよ。
ただ理解してほしかった。認めてほしかった。そっとして欲しかった。すっと好きを貫きたかった。そしてこんな時代があった。
色々な思いから作り上げた作品。過酷なオタク差別があったんだよ。


正直ハァ?って米が多かった。中でもスターが多かったものだけ突っ込む。
「周りの目を気にして,本当に好きなものを捨てた自分だ。」
何を言ってるんだ。自分の好きな物を守るのがどれだけ過酷だったか分かってない。
「周りの目を気にして」レベルを想定しているんならお門違いだ。
その好きな物を持っているだけで過酷なまでにいじめられる。
ライフサイクルにいじめが入るんだ。生きて行くのが辛くなるよ
いじめってのは軽く考えている人もいるが大違いだよ。
犯罪行為の集合体なんだから。


暴行罪、脅迫罪、強要罪
名誉毀損罪、侮辱罪、窃盗罪
強盗罪、恐喝罪、器物損壊罪、
強制わいせつ罪、強姦罪
殺関与及び同意殺人、未遂罪


これらの犯罪の集合体。


ちなみにこの犯罪は無罪になるよ。よくて微罪。
しまいちゃいじめられる方が悪いと良いだすから
こんなことされても尚オタク趣味を捨てないでって主張出来る?


言っておくけど家族も味方じゃないから。
そんなもん捨てろって罵倒される。
ニュースがあればオタク叩き。


それでも主張する?
無理だね。
理解者が0の状態で取れる道は限られる
捨てるか引き蘢るか死ぬ。
この作者は捨てた。
それで生きて行く事にした。
それを自己責任というのか?血も涙も無いね。


閉鎖的な世界の中で理解してくれる物がいない世界を想像出来ていない。
どういう時代背景だったか分からないんだろうな。


窃盗や恐喝をするような人間は大人から若気の至りと許される。
それどころか誰もが通る道だと言わんばかりの論調をされる。
そういう連中の声が大きかった時代。


一方でオタク趣味があるだけで犯罪者以下。社会不適合社なんてもんじゃない。
殺人や強姦よりもさらに邪悪なる不浄の存在。それがおたく。
犯罪者と違っておたくには畏怖がない。だからこそこれでもかと叩く。
村十分。村八分ではない。村十分だ。
村八分は火事と葬式のときだけ助ける二分があるがそんなものは無い。
ぼこぼこにされている人間をゲラゲラうひゃひゃ笑い、自殺した人間でさえも笑いながら、その人をとぼしめる。
助けてと教師にSOSを出せば良いケースでお前が悪い。気持ち悪い趣味やめろと言う。
悪いケースならいじめに加担。
スクールカースト最下層?そんなもんではない
社会のカースト最下層なのだ。
インターネットの無い時代、世の人たちの価値観はテレビだった。
そのテレビがおたくは邪悪だと言っているのだ。
事件がおこれば必ずと言ってよいこんな論調で始まる。
「まじめな青年がなんでこんな事件を!」「漫画、アニメ、ゲームが部屋に置いてあった!」
一方で粗暴な犯罪者の事件の扱いは小さい。
ちょいとアニメ雑誌の1つでも置いてあればマスコミは大はしゃぎ
本人の趣味だろうが趣味じゃなかろうが徹底的に叩く。
犯罪者ではないよ。オタクを叩く。
場合によっては記者が雑誌を部屋に置いて捏造しちゃうことだってある。
なんでここまでオタクを叩くのだろうか。その答えは簡単。
弱いから。
利権もない、声のでかい人もいない。
だから叩かれる。

そんな世界でも「壊したのは「宮崎駿」ではない。周りの目を気にして,本当に好きなものを捨てた自分だ」
といえるのか?
周りの目を気にしたんじゃない。攻撃されるのが耐えられなくなったんだ。
趣味が周りに認められないから辛いのではない。
その趣味を持っているだけで攻撃されるから辛いのだ。
その攻撃というのは犯罪行為。
咎められる事の無い犯罪。
それが許される世界。


そんな世界でも主張できますか?




彼氏がいて少し叩かれているからちょっと触れる。


ここが男と女の大きな違いだね。
女はどんな趣味を持っていようが若くて穴があれば男がよってくるからね。
その寄ってくる中に理解者がいればかなり救われる。
男にはそれがない。棒によってくる女はいないからね。
受け身で救われる可能性が男より少し高い。
そこが叩きたくなる要因なのかもしれない。

ALS 氷水を頭から被る(アイス・バケツ・チャレンジ)チャリティについて考えて察する

私はこのようなパフォーマンスを使って積極的に認知度をあげたり、寄付金を回収するのは賛成しかねる。
指をくわえて苦しんでいる患者の姿を見ていろ、という訳ではない。
一言で言うなら我々はもっと勉強するべきなのだ。
(ここで言う勉強というのは学力的な勉強ではない)


民度の底上げである。
これが高まれば消極的で鈍足ながらも間接的に支援に向かうだろう。
要するに人間の精神的成熟度がもっと上がればこんなパフォーマンスなんて必要なくてもっと良い方向に向かうだろうという推測と希望である。
こんな一過性の流れでは無くて恒久的な心構えを持つべきである。


それにALS以外の難病はいくつもある。
それ以外の難病は置いてけぼりなのだろうか
それ事態を認識していない人も多いだろう。


このパフォーマンスは人の尊厳を傷つけるものだ。


事故で大けがた人に対して、その大ケガした様子をモノマネパフォーマンスしておひねり貰って寄付してあげるよ!
失恋した人に対して、その失恋っぷりをモノマネパフォーマンスしておひねり貰って寄付してあげるよ!
家族を失った人に対して、その失った時の様子をモノマネパフォーマンスしておひねり貰って寄付してあげるよ!
って言っているのと近いのではないかなと思う。

認知度を広める目的のためにALS患者を馬鹿にしているということ
これで認知が広まったとしても一年後には忘れされれるだろう。
せいぜい、何かの募金のために氷水かぶった有名人がいたなぁくらいにしか記憶にのこらない。


募金、人助け、という名目のもとばか騒ぎをしたいだけとしか思えない。
私には消極的な無関心よりも能動的な善意の押し付けのほうが迷惑と感じる事が多い。
今回は指名制度もあるため、押しつけの極みだろう。


私が思うに消極的ながらもALSの患者のことを真に思うのなら勉強をするべきである。
こんな氷水アピールなどしなくても情報を集められる調査を行う技能。
パフォーマンスばかりに目がいかないよう本質を考えられる論理力。
有名というだけで支持をしてしまう心構えの改善。


一見、何の関係もないように思えるが大事なことである。
意識と知識の底上げである。




鉄の肺で生き延びた女性マーサ・メイソンという女性がいる。
彼女は寝たきりで手足も動かせない、世話は他の人が行うという過酷な難病の持ち主だ。
しかし、彼女の人生が不幸か幸福かと聞かれたら私は幸福と答える。
もちろん、病気になった事自体は不幸だがそういうことではない。
彼女は尊厳を傷つけられていない。
それどころか記者として記事を書くこともした。
これは社会に貢献するという行為をして個としての尊厳を尊重しているからこそである。
仮に、彼女に対しての今回のようなパフォーマンスを行ったら彼女は生きる希望を失っていただろうと私は思う。
不快にしか思えないからだ。


何が言いたいのかという難病の人がイコール不幸という訳ではない。
だが、それに気付かず尊厳を傷つける行動に出てしまうのは宜しくない。
人が尊厳を傷つけられるのは不幸だ。決して幸福ではない。


人間の尊厳を置いてけぼりにして金を集める。
金に重きを置いている人は
「金が集まればどんな方法でもいいじゃないか」という思考になってしまう。
それも良いだろう。
金がないと尊厳を保てないときもある。
日頃から金が全てだ!と思っている人、言っている人なら一貫性があってそれで良いと思う。
そうではなく、金も大事だけどもっと大事なものもあるよ!って言っている人が、金が集まれば問題無しのような意見を言うのは首を傾げてしまう。



そして、この件で一番怖いと思ったのは断れない空気である。私は氷水を被らない寄付もしないといった選択肢が許されないという強迫観念の強い空気。
空気を利用した悪ふざけをする人間が出てくるだろう。
人には色々な選択肢があり、色々な事情が有る。
それらを考慮することすら許されない空気。これこそが悪だと私は思っている。
参加を持て囃すものも拒否するものも考えるのをやめては行けない。
その考えを尊重する心構えこそが大切なのだ。



そして初めに戻るが一般人である我々が出来るのは勉強を続ける事である。
何が最善か、世の中はどういう仕組みで動いているのか、金の流れはどうなっているのか、疑問をもち考え、勉強を怠らない事。
ボランティアに興味を持っていない人間がいきなり氷水を被らなきゃ!寄付しなきゃ!と思うのはおかしい。
困ったときだけ神頼みをするようなことと似ている。



患者達はこのアピールをどう思っているか。
私は患者ではないのでその人たちの気持ちが完全に分かる事は無いだろう。
嬉しいかもしれないし悲しいかもしれない
だが、どちらにせよ私だったらモヤモヤとしてものが残るのは間違いない。

最後にWikipedia筋萎縮性側索硬化症(ALSの日本名)のページを張っておくことにする。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AD%8B%E8%90%8E%E7%B8%AE%E6%80%A7%E5%81%B4%E7%B4%A2%E7%A1%AC%E5%8C%96%E7%97%87

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ここで終わりだったのだが、この記事を書いている時にとある人間が阿部総理を指名したという記事を見た。
流れを汲むと明確な悪意でやっているのは間違い無さそうだ。
このパフォーマンスは自己主張や嫌がらせのための道具でしかない気がする。
どんな大義名分があっても物事の道理を忘れては行けない。

ゆっくり虐めを創作する人のマインド考察について

今更ですがコメントがたくさん書いてあったことに気がづきました。
稚拙な文章に反応しただきありがとうございます。


私のゆっくり虐待(ゆ虐)の出会いはGoogle画像検索からです。
何を検索をしていたのかは覚えていません。
ただ、妙に変な画像があったので気になってクリックをしたらそれがゆ虐SSの挿絵だったわけです。
興味本位で数作品読みました。
その時の気持ちや感覚は嫌悪感こそ強かったですが面白いも混ざった不思議なものでした。
あの記事はそのときの気持ち、主に嫌悪感をベースに書き殴ったものです。
考察とは書いてありますが客観的なものではなく主観的なものです。

>全ての人間は犯罪予備軍ではあるが、彼らはその中でも確立が高いといえる。
こちらの言葉は撤回します。人間は等しく犯罪予備軍です。
逆に作品を創作している方は尊敬しています。

数作品読んだだけでゆ虐の世界を語るのは乱暴すぎでしたね。
ここ一年でSS保管庫ミラーの3,4割の作品は読み終えました。


コメントを頂いたので返します。

>名無し様 2012/06/26 22:42
>ゆっくりSS=必ずしも虐待、あるいは虐設定ではないという事だけは覚えておいてください
存じております。記事中のターゲットは虐待に関したSSだけです。


>ななこ様 2012/07/02 18:16
>私としては犯罪防止の観点からこういったジャンルは別に存在していてもいいんじゃないかなー?って思いますね
>昨今は確かな正当性があるわけでもないのに感情論で表現規制ばかり、そんな現状に嫌気がさしてつい書きこんでしまった
はい、私ももっと多様なジャンルがあっても良いと思っています。
犯罪防止うんぬん置いておいてただの娯楽として。
個人に対しての表現の規制は邪悪なものと思っています。

>GaGa様 2012/10/08 13:26
>専門的ことは言えないけど、ゆっくり虐待とか見てると「可愛いものが嫌い」という感情以外のものも感じられます。
人間は誰しも潜在的に持っているものだと思っています。

>要は、ゆっくりいじめに走る人間は 人格がどうこうではなく、心理的コンプレックスが強い人たちなのではないかと思います
発端はそうなのかもしれないですが現状のゆ虐創作物は娯楽としての要素のほうが強いものと思っています。
不思議な魅力があります。


>乙様 2012/12/09 16:06
>結局「批判しているわけではなく勝手に考察している」という自分勝手な理由で理解できないものを勝手に理由づけして勝手に納得する
その印象は正しいものです。このブログのスタイルがその通りなのです

>名無し様 2012/12/11 21:51
>ゆっくり虐め全体を語ったかのように書かれているのは、抜けて落ちている部分が多すぎるし、視野が狭く自分勝手な印象を与えてしまうと思います。
>一般的に「いじめたい」=「嫌い」ではありません。これは論理学の問題ではなく、心理学の話ですが。
確かに数作品読んで全体を語ったような言い方は良くありませんでしたね。
あの記事では「いじめたい」=「嫌い」の前提で書いていましたね。
こちらも大きな間違いでした。
ゆ虐作品の発端はGaGaさんのコメントのような人たちが集まって作ったものと思っていますが、
現状のゆ虐の愛好者はまた別なものかとも思っています。

また考察するかは分かりませんが時間が許せば逆にゆっくりの創作でもしてみようかなと思っています。


>名無し様 2012/12/27 23:40
>よくよく考えると暴力的なゲームをやっている層とさして差がないように思います>犯罪者予備軍率の高さ
犯罪予備軍うんぬんは違うかなと思っています。
逆に創作物だけで楽しめるなら犯罪からは遠ざかっているんじゃないかなとも思っています。
ゆ虐創作物の魅力は不思議ですね。
当初は嫌悪感のほうが多く感じていたのですが今では面白さのほうが多く感じています。

>東方様 2013/01/30 10:04
>東方キャラの生首を可愛いなどと抜かす貴様が一番内面的ないしは精神面でのコンプレックスを抱えておるものだと察する。
私は可愛いと思いますがセンスが悪いんでしょうかね。
コンプレックスうんぬんは分からないです。

>  様 2013/05/08 00:54
>みんなみーんな自分に都合のいい生き物なんでしょう
はい、社会と生活が許せば人は自分に対して都合の良い生き物で良いと思います。

>ゆ虐ファン様 2013/05/26 02:09
基本的に等ブログの記事に明確な根拠は無いのでこのようなコメントを頂くと申し訳なくなってしまいます。
ゆ虐については当時の私の視野がかなり狭かったですね。
幅広いジャンルで創作されているのであの記事の内容を全てに当てはめるのは無理があると思っています。
>最後に「嫌可愛」は犯罪予備軍の確率が高いという論についてですが
これは明確に撤回します。

>カノン様 2013/06/05 20:34
>何か別のところで得られた不快感をないまぜにして作成されたものであることは間違いない
人間の負の部分をゆっくりに押し付けている作品は多い気がします。
それが不快感となっている作品も多いかと思っています。
現状のゆ虐創作物は娯楽としての広がりが大きくなり一概に"こういう連中の集まりだ!"というのは
言い難いです。
個人的にはこれくらいの趣味で異常者扱いされる世界よりも、ああこういう分野もあるんだなぁと
尊重出来るような世界になってほしいです。

>ゆ虐厨駆除委員会様 2013/07/01 10:05
>屁理屈をこねようが人の顔をした生き物?を快楽殺人者のごとく殺すのが好きなだけでしょう。
ゆ虐の初まりはそのような人から作られたかもしれませんが
現行のゆ虐のコミュニティは単純な娯楽で成り立っていると思っています。

>あああ様 2013/07/19 23:45
事件は起きていないですね。
文章は大学生と呼ばれるくらいは精進します。


>あああああ様 2013/07/24 01:06
私にとってゆ虐創作物の世界は想像の外でした。
そこから生まれたゆっくりに不思議な感情を抱くのは普通にあることではないかと思っています。
ゆっくりは妖怪や竜といった創作生物とはまた違う不思議なものを感じる何かがあります。





ちょっとだけ気になったことがあったので書き殴ります。
ゆっくり(餡こ設定)のベースですが
「クイズ&バラエティすくすく犬福」というゲームの犬福がモデルなのではないかと思っています。
丸っこい体。辛いものが苦手。好物はチョコレート。
どこかしらゆっくりに通じるものがあります。

遠隔操作で犯罪予告犯人を考察

例の遠隔操作で犯罪予告した犯人を考えて察してプロファイルしてみる。


・年齢
 10代、13歳〜18歳辺りが濃厚
・やや裕福な家庭。(金持ちというわけではない)
・犬派、猫派だったら猫派
・好きなゲームのジャンル
 RPG、シミュレーション
・親の片方が意見を否定することが多い
・世間一般のマナーは良い。
・世の中に不満を持っている
・簡単なプログラムが出来る
・誕生日は9月〜3月の間
・大富豪が強い


こんな感じ。
理由とかは気が向いたら追記しておこう。

カイダン実ハ。 を軽めに考察してみる。

■真実と虚実
ゲームの説明に「真実+虚実=サイコロの目数+?」と書かれている。

このゲームの流れは

導入部→6つのシナリオ→6つ全て選択した後に出るおまけ3つのシナリオ

サイコロの目+3のシナリオが書かれている。

「真実+虚実=サイコロの目数+?」の記述を素直に受け取るなら
前半の6が真実でおまけが虚実と捉えても良いが私はそうは思わない

その式を直感的に数字に変換すると
「6 + 3 = 6 + 3」
とうだけであり、式的にはおまけの3つが虚実確定というわけではない。
ちょっとしたお遊び的な引掛けだと予想する。

ずばり、虚実の話はコレである

・カメラマン?が二人出てきて、一人だけ語り部の声が聞こえてもう一人はダルマにされる。
・肝試しで学生がやってきて曽祖父の家から出られなくなる
・学校で三人の幽霊の少女が話している

これの共通点は全て超常現象が絡んでいる。
それ故にシンプルにこの3つが虚実と考える。



■村の規模を考える。
総人口は何人くらいなんだろうか?

集会場は村の全ての人が集まれるほどの大きさ。
流石にオリンピックホールほどの大きさは無いだろうし、学校の体育館くらいかな。
さらに平等の日には1〜4人?分の人肉食料が配られる。
小学校の人数が28人。何歳まで小学校なのかは不明だが。
それらを踏まえると千人くらいかなと思う


平等の日とはなんぞやってことだけど、これは良くわからない。
4人選ばれてくじを引く。4人は村の女性に種付けを行う。
冒頭に出てくる語り部の姉は4人の子供を2人生んでいるらしい。

付録の零では選ばれた人が食べられているというような言い方だった。
この2つは当然矛盾する。4人の子供が全部双子だったと考えても4年はかかる。

数年後に食べられる?それとも4人とは別に選ばれる?
種付け+食べられる=平等の日



■A子父の権力について。

A子父は工場を運営していて実質村を牛耳っているように思われたのだが
何かそうでもない。
8人の子供を殺して集会場に現れたときは、そんな暴挙を行なっていても
許されるくらいの権力があるのかと思いきや、逆に8人の親にフルボッコされてダルマに。

村の風習 > 村の権力らしい

A子さんも実習に参加させられちゃったり一部のお偉いさんにしか権力は浸透していないっぽい。
A子父の家には食料候補?の人間が捕らえられている。校長は奴隷らしい。


A子父の工場は人肉缶詰や化粧品を作って儲かっているらしいので、
村から相当数の人数を引っ張ってこないと成り立たないはず。
毎月第二土曜日は工場の日で何人かしょっぴいてくるのだろう。
1人だと工場としては成り立たないし50人とかだと村が成り立たない
5人/月くらいかな。年で60人消失。
工場としてはちょっと少ない気もするが小規模の工場なのかもしれない。
工場は人肉以外を作っていてもおかしくないから、こんくらいなのかな。

導入部語り部によると怪我したり病気になったりすると処分対象らしい。
処分対象がちょっと曖昧だがインフルエンザや骨折とかだったら即処分対象だろう。
だが処分は頻繁と言っているので、やや重い風邪でも処分されるのかもしれない。
処分頻度は平均1人/月くらいか。

小学校でも実習の日というのがある。平等の日と準えているのと、
28人という少人数的に考えて年に一回の頻度だろう。

・年あたりの犠牲者
工場行き 60人/年
処分 12人/年
平等の日 4人/年
実習 1人/年
合計 77人

うーん、この村にしちゃキリが悪いね。
88人とかだと納得いく数字なんだけど。
処分とかは固定じゃないから仕方ないか。


村人口千人換算だとすると、村の人口0.7%が毎年故意的にいなくなるってことか。
こりゃ酷い。



■村人の感情を考える。
一言でいうなら矛盾している。
処分制度に誰も反対してないのに、自分が処分されるときは暴れる。
馬鹿かこいつら?明日は我が身とは考えていないのか?
それとも肉にされて食べられるのは良くて処分は嫌ってことなのか?
うーん、そうとしか考えられない。



語り部について

何故この語り部は処分から間逃れたり、くじ引きに選ばれなかったりしたのか?
片親が外の人間であり、中の風習に取り入れるのは良くないとされたから。
だから中途半端に村の風習に関わっている。


導入部の語り部
分岐1に出てくる8歳の語り部
分岐2に出てくる18歳の語り部

導入部と分岐2の語り部は同じ人
分岐1の語り部の姉は1歳上。9歳で猟奇殺人を行なっていると言っている。
9歳じゃまず不可能なので年の数え方が違うと推測

1.うるう年生まれ
これなら事実上語り部は32歳で姉は33歳。あり得る年齢である。
2.0,8,18,28というような数字以外は数えない
つまり,0から〜7歳までは0歳。8から17歳までは8歳。18から27までは18歳。
というような判定である。

おそらく、姉というのが導入部の語り部、分岐2の語り部、零の語り部であろう。
姉は18と言っているそれを踏まえると2.の説があってるのかなと。

分岐3に出てくる語り部も曽祖父と住んでいることから同一人物。ここで言う姉というのはもう一人姉がいるんだろう。
親は二人だけしか生んでないって言ってたような気がしたが、別におかしくはない。父親が同じ可能性があるのだから。
分岐3の流れは面倒を見てくれる人を探しているんだろう。
事実はそのフリをして頭がおかしいと振舞っているだけの可能性が高い。
私はこの村にはいるけど風習には深く関わってなくて頭がちょっとおかしいから逮捕しないでね★的な。


分岐4について
時系列的には一番後の話かな。
A子父がダルマにされて村の秩序がおかしくなり、一部の人間が外に逃亡後暴露。
村の人間が外の人間にしょっぴかれて80年後。
この二人は分岐2に出てきたカメラマン?とその妻(おばあさん)かもしれない


分岐5、分岐6、分岐7は虚実。こんな都市伝説があるんよ〜的な意味合い

分岐7は工場の話

分岐8は例のA子さんの同級生かつ参加できない18歳の女の子が語り部
こんな風に猟奇殺人おかして食料確保してますよといった感じかな。



★まとめ
古くから平等の日という風習がある。
A子父はそれを利用して村を人肉牧場的なもとして扱っていた。
だが、破綻が起こってしまった。
自分の娘が実習で選ばれてしまったのである。
激情したA子父は頭がおかしくなり(薬を服用していたことから元々まともな精神ではなかった)
8人を殺し、自分自身でその犯罪を暴露。
A子父は殺され?村は崩壊。
世間にばれる。

8歳→弟
18歳→メイン語り部
8人生んだ姉→特に出てこない


時系列
古い





新しい
7は番外
後は都市伝説。


最後に書いておきますがこのゲームは物凄く精神を削られます。
グロい表現もたくさんあります。
気になるけど、怖いという人は自分でプレイを控えて
ニコニコ動画にあがっている実況動画を見て内容を見てみましょう。

考察終わり!

ゆっくり虐めを創作する人のマインド考察

さてさて、興味深いものを見つけたので考え考察していこうと思う。

今回題材に上がったのは東方作品の亜種「ゆっくりしていってね!」という顔だけのキャラクターについてである。
略してゆっくりと呼ばれている。

顔だけ、というと不気味だが絵やAAを見てみるととても愛らしいキャラである。
ググるといくらでも参考となる画像が出てくる。

この愛らしいゆっくりを徹底的に虐待する創作物を面白おかしく創る人たちがいるのである。
今回は所謂SS(小説)にのみ焦点を上げていく
始めに断っておくが非難している訳ではない。面白いマインドだなと思って勝手に考察しているだけである。


結論から言うと異常に猫が嫌いな人と同じマインドを感じる。
大抵の猫嫌いの人の言い分としては野良猫が糞尿を庭先や家近くにするからだという。
一理ある。自分の庭に糞をされたら確かに嫌な気持ちになるだろう。

だが!ここで言う猫嫌いといのはそういった行為をするから嫌いという人種ではない。
猫そのもの、いや、可愛いもの全般が異常なほど、嫌いで嫌いで仕方ない人種なのである。
その人種を嫌可愛とでも名付けることにしょう。
嫌可愛達の言い分としては糞尿を上げている。だが、本心ではそうではないので。
可愛いもの、可愛がられているものを虐めたくて虐待したくで仕方がないのだ。

なぜ、そうだと決め付けるのか?
順序立てて考えていくとそう考えるのが自然だからである。

話をゆっくりに戻す。
ゆっくりというキャラは当然架空のキャラである。
猫のようにリアルで糞尿をして迷惑を被ることなど絶対にありえない。
なのに、嫌可愛達は徹底的に虐め抜くのである。

ここで一つ面白いポイントがある。
虐めに至る過程である。

虐めとはすなわち虐待である。
虐待と聞くと大抵の人間はどう想像するだろうか。
子供に対してだったら、口答えをしたから気絶するまでぶん殴った。
鳴き出したから冬の夜空の中、ベランダに裸で放り出した。
洗濯機の中に放り込んで回した。

こんなところであろうか。

このゆっくりに対しては違うのである。
ゆっくりを理不尽に虐め抜くのではなく


”自らの行為を完全に正当化させて虐め抜く”


という状況が大前提なのである。

SSの世界ではゆっくりは徹底して害獣扱いをされていて身勝手な生き物として描かれる。
ペットとしても存在する。生き物ではなく饅頭やオモチャとかかれるときもある。
繁殖力は高く、知能は5,6歳くらいの子供だろうか。人語もそれとなく喋れる。
社会性は高く、家庭や集落も作れる。家族を守るために嘘までつく事ができる。
性行為に対して貞操観念を持ったりもする。
体の中身はアンコとなっていて食べれてしまうのだ。
さらに面白い設定として、”恐怖や絶望、苦痛を与えたゆっくりは美味しくなる”という設定があるのだ。


この人語の喋れるゆっくりを人間たちは容赦なく殺害していくのだ。
家族を持って幸せそうにしているゆっくりたちを描いた上で殺す。
それこそアリやゴキブリのごとく。
これは異常な世界である。
現実世界でネズミや猿といった動物が害獣扱いされることはある。
それらを平気で踏み潰したり、直接殺害したりすることに対しては大きな抵抗がある人がほとんどである。
しかし、SSの世界では平気なのだ。
人間以外に唯一人語を話せる生物に対して徹底的に殺害しても気にも止めない人たちが大勢いる。
それがゆっくり虐めのSSの世界なのだ。


世界設定として”ゆっくりは害”とした下地を用意して、善となる人間が虐待、虐殺を行うのである。
中には嫌可愛達の代弁者としてゆっくりがゆっくりを虐待する作品も多数存在する。

この多くの設定、創作には虐待を正当化したいという思いが溢れ出ている。
これこそが上記であげた
「可愛いもの、可愛がられているものを虐めたくて虐待したくで仕方がないのだ。」
の理由なのである。
作品から滲み出てしまっているのだ。

そして、それを徹底的に正当化したい。認めてもらいたいのだ。
この普遍の設定が思いを吐露している。



さらに作品に対しての感想でゆっくりに大して
「地球に全く存在する価値もないクズでカスでゴミで虐待されるしかない生き物」
と述べている人もいる。




さて、まとめに入ろう
この嫌可愛達が本当にやりたいのは理不尽な虐待である。
しかし、世間様はそれを非難する。
よって、非難されない世界設定を作り出し、虐めぬくということを創りだした。
この嫌可愛達のマインドとしては精神的にはあまり強くない部類に入るのかもしれない。
非難されることを物凄く恐れている。

小動物を虐待、虐殺した経験がある人は犯罪予備軍とも呼ばれている。
何故なら小動物に飽きたら次は子供を狙うからだ。
これは統計的にそう傾向があると言われている。
じゃあ、嫌可愛達もそうなのか?

残念ながら否定できることは出来ない。
全ての人間は犯罪予備軍ではあるが、彼らはその中でも確立が高いといえる。
しかし、だからと言って彼らの創作を否定してはならない。

かつて海外で人を食べたことのある佐川一政も彼らと近い気持だったのではないのだろうか。
人を食べたいという思いはあるが異常者のレッテルを貼られて非難されるのが怖い。
それが溜まるに溜まって凶行に及んでしまったのであろう。
嫌可愛達もそれと同じだ。だが、彼らには幸い発散出来る場所がある。
それこそが「ゆっくり虐待SS」なのだ


尚、作品の中には面白い作品も多数ある。
虐待描写は嫌いだけど世界設定が好きな人もいる。
ゆ虐作品を作っているからといって一括りとして考えてはいけないだろう。


・オマケ
今もあるかも知れないが昔はしぃ虐待作品スレというのもあった。
しぃというのは可愛らしい2ch発祥の猫のキャラクターである。
これもゆっくり虐待創作を作っている人たちと同じ人種が混じっているだろう。

違法ダウンロードの罰則強化について考察

結論を先に書く。ビジネスモデルを守ることではなく、進化させ変えていくことが大事である。


「違法ダウンロードする屑どもは捕まればいい。そんなもの行わなければ関係ない。」
という考え方の人が2chやブログにより多数見受けられた。
さてさて、そこで思考を止めても良いものか。

まずは著作者側から考察していく。ここではコピーしたゲームを違法にアップロードされたときの開発者の気持ちを推測してみる。

前提:発売したてのゲームがネット上にアップロードされ誰でもダウンロード出来る
一言で表します。

「ふざけるな!」

という負の感情が予想される。


では発売したてではなく10年前に作ったゲームがアップロードされ誰でもダウンロード出来る状態だったら?
おそらく「ふざけるな!」には成らないでしょう。
「またプレイしてもらえる。やってくれる人がいるんだ。」
と言った嬉しい感情になることが予想出来る。(経営者の場合はまた別になる)
正直、中古屋ショップが存在している以上昔のゲームを新品で購入されることなんて無いだろう。


しかしながら、最近は古いゲームをWiiでダウンロード出来たりするのでまた状況が変わってきている。
開発者の視点は置いておくとする。本当の著作者の経営者からすれば、やはり無断でコピーしてアップロードするのは悪である。
そこからダウンロードされたことによって機会損失を被ってしまっていることになる。
この機会損失というのをダウンロード数=機会損失にしてしまうのは乱暴ではあることを一言付け加えておく。
とにかく数字上では損失なのでマイナスであり、良いことではない。


ダウンロードを行ったものに対しても悪として良い物かは考え物である。
数字だけで見れば損失が売上に変わるのでやはり悪なのだろうか。
私は悪なケースもあればそうでないケースもあると提言する。
そのゲームを落とすということは最低でも興味を持っているということなのだ。
完全に締め上げてダウンロードを無くすということは興味さえ示さなくなるケースもあるだろう。
いわばゲームそのものから撤退してしまう。


こんな風に言うと
「どうせ買わないのだからいてもいなくても同じだろうww」
という意見が出てくるので補足しておく。
もちろん影響のない人も大勢いるだろう。逆に影響のある人もいるだろう。


私はゲームをプレイしてくれるというのは稀有な才能だと思っている。
何年も前からゲームは悪玉にされてきた。
何か犯罪があれば「ゲームのせいだ、子供が暴力的なゲームに影響された。規制しろ。」
とされてきた。テレビを使って延々と。中には大学の教授が商売のネタに使ったこともあった。
そんな、誹謗中傷されているゲームをプレイしてくれている。
本来なら誰もプレイしなくなってもおかしくないくらいに叩かれてきた。でも愛してくれている人たちがいた。
違法ダウンロードしている彼らもその一人なのである。本来ならば同士なのである。
ほんの少し、何かが変われば双方が幸福になれる形があるのだと思う。
一方的に締め上げるのは何とも言えない息苦しさを感じる。
規制はコンテンツの衰退にも繋がる。過去にジャスラックが同じことをして音楽業界を衰退させている。
ジャスラックの件はまた別に書くことにしよう。
ソーシャルゲームやMMO、アイテム課金はそういった新しい良い形の一つである。
課金システムを悪く言う人も大勢いるが私は賛成である。



PCという媒体は今は一家庭に一台くらい存在している。
インターネットに繋がるPCさえあれば知識一つでデジタル物ならコピー可能となる。
違法ダウンロードの罰則強化というのは倫理観の拡大化とも言える。
故に先ほどの「関係ない、やる奴が悪い」の発想で止まってしまう。
何故ならそれが「悪いことだから」と法律を制定されたことで植え付けられたからである。



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最後に言っておきます。著作権を蔑ろにしろと言っているわけではありません。
ただ、既得権益側を優先する日本の姿勢がどうにも宜しくない。
新しい技術やビジネスモデルを育てないで、既存の技術やビジネスモデルを何が何でも守ろうとする。
それはイコール技術の停滞に思想の停滞に繋がるのではないかと思っています。


そして、私が恐ろしいと感じているのは倫理観の肥大化です。


現在の既得権益を守る形で倫理観を拡大するということは既得権益の力を強めることになります。
強まれば強まるほど世の中が歪になり、強いものが弱いものを圧迫することになるのではないかと予想しています。


現在の日本で目立っている既得権益層は間違いなく東電でしょう。
あの人達の傲慢な行為を見て腹の立った人は多いでしょう。それが一般人であり正常な感性です。
そしてあの人達の言動、行動、考え方こそが既得権益の力の強化の成れの果てです。



既得権益を全て批判しているわけでもありません。経済の流れにおいて既得権益は必要なシステムであることは確かです。
大切なのは強くなり過ぎないこと。同じグループの人間達で食い物にしないこと。
既得権益層は数年で違う人間に変わって行く必要があると思っています。
本来であれば江戸自体にあった参勤交代のように力を削ぐ必要があるのです。
なのに、それに逆行していることばかり行う。それに関して疑問に思わない。思考を停止してしまっている。
それが悲しい。
今回の改正案を素直に認めるというのは、既得権益層に対してもっと強くなってねってエールを送っていることと同じです


後は海外の問題とかもありますが今回はここまで。本当は映画、アプリケーション、アニメとかも振れたかったけど力つきました。



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