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2006-03-28 今日の雑感

[][] 初等教育の優先順位


小学校英語の充実を検討してきた中央教育審議会の外国語専門部会は27日、小学校で全国一律に英語を実施するよう事実上の必修化を求める審議報告をまとめた。報告では成績をつける教科としてではなく、5、6年で平均週1回の必修化を検討するよう要請した。31日の教育課程部会に報告する。

 現在、全国の小学校の96%超で歌やゲームなど何らかの「英語活動」が導入されている現状を踏まえ、国際コミュニケーション能力養成の一環として充実を図った。今後、中教審の教育課程部会で国語など他教科との兼合いを審議。最終決定後、文科省が学習指導要領の改訂に臨む見通し。(後 略)


小学校での英語学習が実質的に必修化するようですね.

これについては識者(藤原正彦氏等)をはじめ,ネット言論を見回しても,概ね保守系の方々は批判的なようです(”キティハケーン”の那伽扉さんもいつもながら豪快に切っておられます).筆者も大方は同意いたしますが,ただ総論として海外で事実上,公用語になっている英語を小さいうちから学ぶこと自体に異論があるわけではありません.

これは所謂,リスニングにおける英語耳というものが若年齢から学ぶ方が習得が速いと云われていること,一点にのみ同意できるからです.子供の脳は筆者のように硬直化したものとは違って非常に柔軟で発展途上にあるわけですから,この段階で英語の発音に馴れておけば,その後の上達が相当に速まることは想像に難くありません.何もこれは英語学習に限ったことではありませんが・・・.




もう一つ,以下のニュースソース.


中国における英語学習人口は、英語専攻者と非専攻者あわせて約3億人で、全国総人口の約25%を占める。うち大学、高校、中学校、小学校での学習者は、1億人を超える。専門家の予測では、中国の英語学習人口は今後数年で、英語を母国語とする国家の人口合計を超えると見込まれる。上海外国語大学がこのほど開催した「第2回中国外国語教学法国際シンポジウム」で明らかになった。


日頃は中共の悪口ばかり言ってますので,一つは褒めることにしましょう(笑).

中共ではなくてここでは中国と言ってあげますが,中国の大学生は非常に英語によるコミュニケーション能力が高いです.学会などで中国に行きますと,コミッティ(大抵は中国科学院)から派遣された現地の大学生に案内してもらうことが多いのですが,まず間違いなく英語による通常会話に堪能です.それと同時に日本の大学生の英語能力が以下に低いかを実感するわけでありますが・・・.

それで彼らに聞きますと,中国では小学校の頃からかなり高いレベル?の英語学習をしているからだと答えます.まぁ大体はその通りなんでしょうが,基本的に日本の英語教育とは違って会話能を磨くことを主体にしていることや言語構造が中国語のそれに似通っていることなどが原因であろうかと思います.こういった中国の若者がどんどん欧米各国に進出していき,良い悪いは別にして活躍する場を確保していくことを考えますと,中国人の発言権は今後さらに高まっていくのでは?と考えてしまいます.これは中国という巨大な独裁国家の巧妙なる戦略の一環なのではとも考えてしまいますね.

こうしたことを踏まえると,わが国の現状は真のグローバル化にとって必ずしも正しい方向に向かっているとは言えません.ここで云うグローバル化とはレフティが妄想で描くお花畑思想ではなく,自分が所属する国の国益や国柄を正しく世界に主張できるようにすることです.そうすることで,迎合や隷属に与しない真の友好姿勢が形成されるものと考えます.レフティのいう地球市民的グローバル化など,単なる宿無し思想であって,あれほど全体主義にとって好都合な集団はいません.

以上のことから,ちょっと大げさかもしれませんが,小学校からの英語教育は上記のような頼もしい日本人を養成することにとって必ずしもマイナス面ばかりではないと考えます.

しかしながら,これは二律背反する問題をもっています.冒頭に述べた大方の保守言論人はその一端の問題を危惧しているわけです.要するに,いくら英語が堪能になったところで肝心の日本語やそれから派生する日本文化を正しく理解していなければ無意味だということです.詰まるところ,この問題は初等教育の優先順位をどう考えるのかによって支持基盤は変わってしまいます(受験等の問題はここでは言及しない).

そう考えると,やはり筆者は初等教育は心を重視する傾向を強めていくことがわが国にとって重要なことだと考えざるを得ません.このことは以前のエントリーでも述べていますが,まだ強い固定観念をもたない子供達には実利面を強調した教育より日本人としてのメンタリティを重視した教育を行った方が真のグローバル化にとっては得策でしょう.初等教育に英語を導入するのは明らかに実利面強調教育です.また,メンタリティを重んずるとはいっても,昨今の歪んだ人権教育やジェンダー教育などは好ましくないものの一例と考えます.

では何を重視した教育を行ったらいいのか?,やはり正しい道徳教育でしょう.

これについては”なめ猫♪”氏が”人権教育より道徳教育を”で,行き過ぎた人権教育と道徳教育を対比させて批評しておられます.非常に参考になります.

筆者個人は道徳よりもむしろ”修身”を復活すべきと考えますが,そこまでは無理でしょうから”修身”の理念を生かした道徳教育をやっていく必要があるものと考えます.

しかしながら,今の道徳教育の本質は”修身”とは様相がかなり変わっているようです.ちょっと古めですが,1997年の文部省(現,文科省)教育課程審議会第15回総会議事録に道徳教育に関して以下のような発言が記録されていました.


○ 道徳の副読本を拝見しますと、これは、同時に国語科の教科書としても非常に有意義なものになるのではないかと思います。昔の修身教育と違って、1つの答えに落とし込むのではなくて、そこに様々な解釈、様々な判断の分野があり得るということが前提となっています。これは、むしろ現代の国語教育の中で欠けている要素でして、国語教育では、例えば、「この文章の作者の意図は何か」という非常に狭い答えの求め方をしております。つまり、道徳教育と国語教育とは、これこそ総合科目であるかどうかわかりませんが、一貫性を持たせたものとして考えていきたい。そして、自由に子供たちに、そこに登場する人の性格、人格、人間などについての意見を述べ合うことによって、内容に対する深い理解と自分独自の考え方を持たせ、できるならば、それを表現、文章化することまでできたら大変すばらしい科目になるという気がします。


この中の「昔の修身教育と違って、1つの答えに落とし込むのではなくて、そこに様々な解釈、様々な判断の分野があり得るということが前提となっています。」には違和感を感じます.今の道徳教育は他と同様,”価値観の多様性”を前提に行われているようです.事柄を多様的に考えることは非常に大事なことですが,戦後教育はそう考える必要のないものまで無理矢理に多様化しているのではないでしょうか?

ある価値を画一的に観るのは戦中の全体主義に繋がるとの亡霊にまだ取り憑かれているのでしょう.決してそんなことはありません.どの国にだって画一的に観るを良しとする慣習,伝統,精神性があります.それを多面的に観ると,たちまち最も大事なアイデンティティや品格を失う類のものです.こうしたものを疎かにする可能性の高い,今の道徳教育は子供達にとって決して好ましいとは云えないものと考えます.

教育基本法の改正に関して,オガミヤさん達が盛んに”愛国心”排除を目論んでいるようですが,是非とも自民党は負けずに主張を通して欲しいと思ってます.

こうした過去の亡霊に囚われないポジティブな考え方がより良い教育改革に繋がっていくものと思います.そんな観点から,文科省や教育関係者には今一度,子供達を真の国際人するための方策を考えてもらいたいものです.


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