クリヴィツキー症候群 逢坂剛

昭和57年のNHK特集「秘密諜報員ベラスコ」の放送で、自らのリポートの価値がなくなってしまった著者(ただ内容はNHKより自らの方が深いと自負しているようだ)の、恨み節ともいえる思いのこもった「謀略のマジック」。初登場の「岡坂神策」がスペイン内戦での共和国政府に食い込んだソ連スパイをめぐる事件に次々に巻き込まれ、そして解決していくうちに闇が浮かび上がってくる。その中心にいる亡命スパイ「クリヴィツキー将軍」を名乗る人物が現れる。それも「将軍」が「自殺」した日に生まれた日本人。これに多重人格障害が絡んで、と、読み応えたっぷり。スペイン内戦に関心があればもっと楽しいだろう。ハメットは、別に、だけど。

日本の古都はなぜ空襲を免れたか 吉田守男

日本の古都はなぜ空襲を免れたか (朝日文庫)

日本の古都はなぜ空襲を免れたか (朝日文庫)

▽「京都や奈良が空襲を免れたのは、日本文化に詳しいウォーナー博士が米軍に働きかけたから」。著者にとって残念なことであろう、現在も日本で「常識」とされているこのことは、全く根拠のないことを丁寧に論証している。▽ロバーツ委員会とは占領地の文化財保護と返還のための組織であり、「ウォーナーリスト」と呼ばれるリストは国ごとに作られ、それは該当国が他国から略奪した文化財が変換できなかった場合、その国の同程度の価値の文化財を代わりに引き渡すことで補償に換える、そのためのリストだったのだ。▽ではなぜ京都は爆撃を受けなかったのか。それは原爆の投下目標だったから。通常爆弾や焼夷弾で攻撃してしまうと原爆の効果がわからなくなってしまうからで、横浜は原爆投下先から外された直後の5月29日に大空襲を受けている。スチムソン陸軍長官は京都への投下に反対したが、それは後日の回想録に言うような文化財保護ではなく、当時の日記にあるように、京都を破壊すると日本人がアメリカに反発し、ソ連に近寄ってしまうことを恐れたから。原爆投下候補となった広島・長崎・横浜はそれまで目立った空襲を受けなかった理由として市民は、「開港地で縁が深かったから」「移民でアメリカに親戚が多いから」など楽観論ではなく「祈り」であった。これらのうわさは空襲や原爆で吹き飛び、第3の原爆投下の前に終戦を迎えた京都では、古都だから空襲を受けなかった、が生き残った。▽奈良・鎌倉は、都市の規模が小さかったので順番が回ってこなかっただけ。会津若松はレーダーが利きにくく夜間の爆撃に不向きだったから。▽では「ウォーナー伝説」は誰が作ったか。もともとあった「祈り」のうわさにお墨付きを与えたのはGHQ。ウォーナーの教え子たちでロバーツ委員会にも関わっていた者たちが、日本人の対米感情を好転させるために積極的に肯定したのだ。GHQ民間情報教育局(CIE)である。たしかに「この本をこの世から消してしまっては極めてまずい」。それにしてもNHKはみっともないというか、情けない。