出版産業の崩壊とその次に来るもの

「町のパン屋さん」のような出版社たけくまメモ

非常に気に入ったエントリです。私は自営業者の息子なので、このような家庭内手工業的なビジネスの話を読むとワクワクしてしまうのです。

「町のパン屋さん」のような出版社ができないだろうかと、考えるのである。どこの町にも一軒くらいは「こだわりのパン屋」があるだろう。家族経営で、石窯で焼いた手作りパンを売っているような。宮崎駿の『魔女の宅急便』に出てくるグーチョキパン屋とか、そんな感じだ。ご主人が奥でパンを焼き、奥さんが店に立ってパンを売る。奥さんが身重になると、女の子をバイトに雇って店番を頼んだりして。

事業規模はとても小さい。売り上げも微々たるものだが、旦那と奥さんと生まれてくる子供が生活できるのなら、それで十分である。

中略…

パン屋さんでなくとも、八百屋さんでも魚屋さんでも、地域に密着した独立型店舗ならなんでもいいと思われるかもしれないが、そうした店とパン屋さんとでは決定的な違いがある。八百屋さんや魚屋さんの場合、売り物を自分で作ったり、採集してくるわけではない。生産や収穫は別の場所で別の人がやっているので、そこが町のパン屋さんとは違う。俺が言う町のパン屋さんは、売り物を自分で作って、自分で売るのである。

ビジネスをやるのなら一次生産物を自分で持たないと楽しくないですよね。*1 *2

俺が思うことは、マンガや本は生き残るが「産業」としてはクエスチョンだということだ。
今俺が考える「未来の出版」とは、限りなく町のパン屋さんに近いイメージのそれである。
書物作りは、そもそも手作りパン屋さん程度の事業規模が適正だったと思うからだ。

全く同意です。印刷機械と流通網それに付随する金融機能という参入障壁が相対化された出版ビジネスに残った武器は、企画力とコンテンツそのものだと思いますが、それらは価値をアピールするのが難しい商材です。
もともとそんなに儲からないはずの産業を、優れたビジネスモデルがなんとか維持させてきましたが、ついに賞味期限が切れてきたようです。

コンテンツで儲けるのが難しいという意味では、Webビジネス界隈にも同じことが言えます。もしかすると私がいるシステム開発業界もよく似たものかもしれません。
そもそも、情報の非対称性が相対化されるインターネット時代には、濡れ手に泡のビジネスは長続きするもんじゃないということなんですかね。


7/23補足:出版物の販売によってではなく、取次ぎ各社の金融機能で生きながらえているという意味で、あのGMと構造が似ているような気がする。

*1:究極的には記事そのものが一次生産物なのですが、私はそれが商品として不十分だと思っています。

*2:実際におおむねこれを実現している人がいます。BLOG:「出版屋の仕事」を運営しておられるタミオさんです。日本一小さい出版社を自称してらっしゃいます。