人としてつながる

初めておとずれたホームセンターの園芸売り場で、
見本品とシールのついた、すてきな多肉植物のリース。
なぜ?どうして見本品なの?これほしいと思って、
店員さんに聞くと、パートのおばさんに聞けというのです。
彼女は、このリースを自分で作って売り場においているといいます。
お客様が、植物を飾るシーンを想像する手助けのために。
気づけば、あちらこちらに、小物がたくさん。
すごい!ステキ!


彼女は、小物を購入するため、
大阪、京都にまで足を伸ばすそうです。
この売り場で、仲良くなったお客さんといっしょのこともあるといいます。
彼女とはまるで友人のように、しばらく売り場で話し込んでしまいました。


園芸に対するセンス・能力、
植物をたのしんで暮らしにという
フレンドリーなこころの持ち主のコミュニケーションで、
園芸の売り上げは倍増したらしく、
バイヤーとして仕入れもしているそうです。


夕方、彼女の帰った売り場を訪れると、
花苗ポットが、濃淡の色違いで市松模様に並べてあり、
苗売り場の空きスペースもほっておかない
彼女の心遣いには深く感心しました。
心にくい演出。
こうして植えれば、まるで絵のようだと思いました。


この彼女のこころ遣いを知る人が、
またこの売り場を訪れるんでしょうね。
そんなことも、また訪れて彼女と話す。
うれしいことは必ず伝える。
これはわたしが大切にしているコミュニケーション。
「気づいてくれてうれしい!」とまた話に花がさいてしまう。
そんな彼女のファンになるお客さんがたくさんいるようです。
園芸売り場をうろうろするお客様があちらこちらに。
植物なら、彼女のところで。
なんだかうれしい出会いです。



そんな体験も重なる”さとなおさん”の新刊。


コミュニケーションは
「口説く」から「愛される」へ


本文中より
白鳥蘆花に入る



扉で引用したこの言葉は、ぼくの中学時代からの愛読書、
次郎物語」(下村湖人著)に書かれている言葉である。
蘆の花は白い、その盧花が咲き誇る真っ白な蘆原に
真っ白な白鳥が舞い降りるというのである。
禅の言葉ゆえ意味がとってもわかりにくい。
でもこの言葉はボクの人生にとても大きな影響を与えてくれた。
 
 

 真っ白な鳥が、真っ白な蘆原の中に舞いこむ。
 すると、その姿は見えなくなる。
 しかし、その羽風のため、今まで眠っていた蘆原が一面にそよぎだす。


つまり、白鳥は盧花に溶け込み目立たなくなるが、静かに確実に周囲に影響を与えていくということだ。
ほとんど目立たないけれど、人とのつながりのなかで確実にある役割を果たし、
貢献し、いい影響を与えていく。でも本人はそれを意識していない。結果的にそうなっただけ。
そんな状態である。

人のつながりの中に企業が入っていくとき、こういうスタンスがいいのではないかとボクは思っている。
ただでさえも目立つのだ。だから丁寧に誠意をもって、溶け込むように入っていく。
決して、真っ白な蘆原に舞い降りる「黒鳥」であってはならない。




いまの消費者の動向とどう関わっていくか。
さとなおさんのコミュニケーションデザインの新刊です。
この春、電通を辞められ独立。
電通というブランドを必要としない、
さとなおさんらしい一文で、この本の中で最も好きな一文。

この本を読んで、養老孟司さんのアミノミズムを思い出しました。
つながるなあ。


そして今週末、
ダマー映画祭inヒロシマ
が11月25・26・27日開催です。
HP上より、

DAMAHとはヘブライ語でインスピレーションを与える比喩、たとえを意味します。
「Spiritual Experience」というコンセプトを敷き、人物の葛藤、心情の変化など
人間の内面の描写方法に焦点をあてた作品を公募し、
毎年、世界中のフィルムメーカーから多数の作品が届けられます。
その中から厳選されたものを会場にて上映し優秀な作品に賞を授与します。
ダマー映画祭は明確なテーマを掲げた数少ない映画祭です。
見る人に感動を与え、心を震わせる作品を集めた世界でも珍しいテーマ性のある映画祭です。
「ココロとココロをつなぐ」をテーマに掲げた映画祭、たのしみです。