聯聯

人生は一度しかない。



最近、強くしてそう思っている。


一度しかないのだからという想いで、強く惹かれた人と一緒にいられるからか。
また逆に、その一度しかない人生の中で、早くに母を亡くしたからなのか。
妻を亡くした、父を見たからか。


人生は一度しかない。わかりきったそんな常識で、そんな絶対の真理に対して、それを理解してきた人生なのかというと
最近ようやく、長い長い前置きを経て、僕は自覚し始めた。



そしてそんな一度しかない人生の中で、僕は人の親となる人生を歩むことが出来そうだ。



いつか大学に行くのだろう
いつか働きに出るのだろう
いつか結婚するのだろう
いつか親は死ぬのだろう
いつか子供を産むのだろう。


そんな、若い頃に思っていた「いつか」達は、予想していなかった形で僕の前に表れた。


とにかく思うのは、嬉しいということだ。


子供が出来たことが何よりも嬉しい。
一度しかない人生を、親になることが出来て嬉しい。
そして子供が出来たことを、何の感情もなく、ただただ嬉しいという感情だけで迎えることが出来て、嬉しい。



親になるというのはどういう気分なのだろうか。

気付けばいつか、僕も妻を亡くす日が来るのだろうか。




いつか誰かが言っていた。健康は大事だと。
どこかで誰かが言っていた。事故無く過ごすことが大事だと。



僕はもう、当たり前を信じることが出来ない。
健康ほど大事なものはなく、天災の無き世界ほどありがたいものはない。

どんなに頑張ろうと、どんなに善人であろうとも、病や事故は無慈悲に全てを奪っていく。

もちろん、ある程度は行いに由るものかもしれない。
無茶をしたから病気になるのかもしれない。
慢心が故に、災いに晒されることもあるのかもしれない。


しかしながら、それでも、抗うことの出来ないものは存在している。


僕は今でも、母の死に対して折り合いをつけられていない。

母は死んだ。でもそれでも、自分は幸せでいる。

だからといって、今でも生きていてほしかったという感情は、消えることがない。


幸せになればなるほど、生きていてくれればと願ってしまう。


今の幸せを、見せることが出来ればと願ってしまう。



この願いは、傲慢なものなのだろうかと日々問うてしまう。
これ以上の幸せを願うことは、欲なのかと問うてしまう。





しかしながら、現実は現実。


僕の一度しかない人生に、もう母はいない。


でも、妻がいる。そして、もうすぐ息子が産まれる。



だから僕は、今が幸せだと強く自覚する。






そして近くの目標も決めた。





僕の一度しかない人生は、自分が捨てたものを取り戻すという、一つの大きな冒険をしたことがある。



僕は自分の高校を捨て、大学で取り戻した。
生まれ育った故郷を捨て、再び取り戻した。



その経験を経て、僕は、もう一度、前に勤めていた組織へ戻ろうと思う。


許されない転職だった。


でも、僕はもう今の組織で働くことが辛くて辛くて仕方がない。


初めてまともに決意する。前にいた組織へ、再転職することを当面の目標とする。



子供が出来て、僕は子供に誇れる仕事がしたいと思った。



僕は、今の仕事を誇ることが出来ない。


僕が本当に誇れる仕事へ、戻ろうと思う。


3年はかかると思う。