一字拝領とは。

<今日の江戸トピック>
◆主君から諱の一字を受けること。(歴史民族用語辞典より)
・諱(いみな)wikipediaより
 江戸時代になると主君から家臣への偏諱授与の風習は氾濫した。「偏諱」は制度化されていく。将軍家は、代々、有力大名に「偏諱」を与え続けた。大名家の後継ぎ息子は、元服をすると時の将軍から「偏諱」をいただくのが通例となる。しかし、将軍家の偏諱を受けられる家は、徳川御三家以外は福井藩越前松平家福井藩主家)・加賀藩(前田氏)・米沢藩(上杉氏)・仙台藩(伊達氏)など四品・国持大名などの特定の藩の当主歴代(の世嗣も含む)や二条家などに限られ、特に選ばれた人物のみに与えられる特権、格式の表れと見なされるようになった。このため各藩や一族の支藩・分家などの当主に与えられる例は極めて稀であり、特に選ばれた一代などを除き、代々与えられる例はない。 一部を例示するが、徳川家光の「光」から徳川光圀徳川光友徳川家綱の「綱」から徳川綱重徳川綱吉徳川綱吉の「吉」から柳沢吉保徳川吉宗徳川吉宗の「宗」から徳川宗春徳川家治の「治」から徳川治済、上杉治憲、徳川家斉の「斉」から徳川斉昭島津斉彬徳川家慶の「慶」から徳川慶喜松平慶永などと、枚挙にいとまがない。
また、江戸時代後期になると、名前を見るだけで、有力大名は、どの時代に元服したかが分かるようになった。
島津家に例を取れば、島津重利(1729-1755)、島津重豪(1745-1833)は、9代将軍徳川家重(在位1745-1760)の代、続く島津斉宣(1774-1841)、島津斉興(1791-1859)、島津斉彬(1809-1858)は、十一代将軍徳川家斉(在位1787-1837)の時代だ。 徳川家斉は、在位50年に及んだため、島津家のように親、子、孫にわたって「偏諱」をもらう家も出てきた。親子が同じ「斉」の字を名乗るとなると「通字」はもう使えない。島津家には「久」「忠」という通字があったのだが、使わなくなってしまった。他の大名家にもそういう例が散見される。

◆「ツワブキ
 皇居東御苑に「ツワブキ」が群生している。キク科で常緑の多年草である。10〜12月に黄色の頭花をつける。葉はフキに似て厚く、表面に艶があるのでこの名がついているそうだ。<http://chiyoda-tokyo.sakura.ne.jp/seisiga/kobetsu/tsuwabuk.html

◆安永8年(1779)11月21日未明、平賀源内が殺人で逮捕、投獄されました。前夜から泊まっていた門弟二人を殺傷。真相は不明。源内は事業家、博物学者、戯作などマルチの才能の持ち主。3年前に「エレキテル」を発表、大評判になったものの後援者が現れず、このころ源内は戯作に没頭していましたが、生活は荒んでいたそうです。