川本卓史京都活動日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-07-24

楽しい京都と、あまりに官僚的ではないかJRさん

| 07:51 |

1. 京都に2泊して、気楽な割烹に2日通い、新人賞受賞の若い作家に会ったことを前回書きました。

2日間とも飛び込みの外国人観光客が現れて、初日イタリア人の姉弟、弟はミラノ工科大学学生

2日目は家族5人のフランス人父親パリ銀行勤め、母親インテリアデザイナー、3人の子供はカナダベルギードイツと離れ離れに暮らし、今回の夏休み日本で集合したとのこと。

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こんな人たちに会って、楽しく、常連さんと一緒に「一期一会」の会話を楽しみました。

彼らもよほど楽しんだのでしょう。姉弟は、私が帰京した後、祇園祭宵々山の夜にまたお店に食事に現れて、いわゆる「裏を返して」くれたそうです。

しかしこの話は陽気な女将がすぐにフェイスブックにアップして沢山の写真を私のサイトにも、いわゆる「タグ付け」をしてくれたので付け加えることはありません。


2. 今回、長々と記録しておきたいのは、京都到着前後の・あまり愉快でない出来事です。

こんな話を載せるのは、私のブログ方針には反するのですが・・・・

JRジパング倶楽部」の会員になっていて、東京京都往復の新幹線はいつもこれを使って「ひかり」で(のぞみは使えない)の3割引きを有難く利用しています。

3月7日以来4カ月ぶりの新幹線の、7月11日の車中で検札に来た車掌さんに切符を見せたところ、ジパングの会員証を見せろと言われて、持っていないと答えたところ、規則携帯を義務付けているので見せない場合は差額料金を払わないと京都で出られないと言われました。

こんなことは初めての経験だったので、ちょっと驚きました。


そこで即OKはせず、結局車掌さんとの会話ではらちが明かないので京都駅に着いてから3人の助役さんと話をしました。

やりとりは以下の通りです。

(1) 会員手帳に「駅もしくは車内で係員から会員手帳・・の提示を求められたときは必ず提示してください」とあることは知っている。携帯しておらず提示できなかったのは、私の落度・過失であり、その点は謝る。

しかし、忘れたりして提示できなかった場合は、差額料金を払えとは手帳に書いていない。

(2) しかも、ジパングは65歳から有効で、私は12年以上使っており、2011年までは京都仕事をしていたので今までに200回以上、品川京都を往復しているが、一度も手帳提示を求められたことはない。

ということは、規則は実際には実施されていなかった。つまり、紙に書いた規則はあるが、運用はそうではなかった。かつ仮に提示を求めて持っていなくても、「差額を払え」とは言わなかったのではないか?つまり、運用が変わったということではないのか?(そして私はそのことを今まで知らなかった)。

―――この2点を糺したところ、JRさんは、「その通り認める」という返事でした。


(3) それなら、「何時から、運用が変わったのか?」

3月26日から」

――「運用が変わる前に、会員に対して周知徹底すべきではないか

3月7日に、京都から品川まで乗車したのが最後である。その際、乗車券提示は求められたが、会員手帳提示は求められなかった。

乗車券をみれば「ジパング利用」は分かるのだから、「3月26日以降からの注意を言ってくれるが親切ではないか

―――これに対する、JRさんの答えは「おっしゃる通り、事前の周知徹底が足りなかったと私も思います。しかしこれがルールになっており、私の一存では如何とも出来ません」の一点張りでした。

(4) それなら、と私がさらに問い糺したのは、

ルール規則というのは不正を防止することにあり、不正によるJR不利益を正すことにある筈。


しかし、私は不正は一切犯していないし、JR不利益を何も与えていない。それは会員手帳記載された記録のコピーを見ればわかると思うがどうか?」

JR 「分かります」

私「それなら、すでに車内で家内電話して会員証が自宅にあることを確認してある、このコピーを取って、京都駅ファックスする。それを受け取れば、私が不正を犯していない、忘れただけということが立証できる筈だが・・・・」

ここまで言ったら、さすがに納得してくれるだろう・・・・

と私はかなり自信を持ったのですが、結局これでもダメで、JRさんのおっしゃる通り差額料金を払って改札を出させて貰いました。

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3. 「運用が変わったことを本日まで知らず、ただ忘れただけで不正もしておらず、不利益も与えておらず、おまけにファックスコピーを見れば購入記録ははっきり分る筈。

それなのに、「ダメ」と言うのは、これは殆どいじめ」ではないか」と思ったのですが、どうでしょうか?

いちばん面白かったのは3人の助役さんの以下のような発言です。

(1)あなたの言うことはよく分る。私だって同じような主張をしたかもしれない。しかし、私の判断では何ともできません

(2)実は、運用3月26日から厳しくなることについて、事前に周知徹底すべき(例えば、会員に手紙を出すなり、毎月会員宛てに送る月報に通知すべき)ではないか本部提案したのですが、返事はありませんでした。

(3)「ファックスについては、あなた理屈は分かるが本部に照会したら「ダメ」と言われました」

という返事で、これにはさすがに驚きました。


助役といったら私のような庶民からは相当の管理職と思いますが、それでもそんな判断自分でできないのですか?」

「そうなんです」

「これが、日本会社普通の姿ですか。それともJRさんが例外的ですか。迷惑不正もないと信じたら(信じると何度も言ってくれました)裁量と融通をきかせる、そういう判断も認められない組織なんですか!」

最後に、そう言わざるを得ないほど驚いた出来事で、

まだまだありますが、こんな話題いつまでも朝からぐちぐち書くのも我ながらうんざりしますので、この辺にします。詰まらぬ話で恐縮です。

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それにしても

「皆さん、文句を言わずに払っています。あなたの言い分は分かりますが、あなただけ例外扱いは出来ません」

とも言われました。日本人ってよほど大人しいのか、私がよほど変わっているかでしょうね。

京都での2日間が何とも楽しかったので、この出来事けがまことに残念でした。

arz2beearz2bee 2016/07/26 08:57 それが決まりですからは怖い、これでいくつかの国がとんでもない間違いをしたような気がします。ITの時代、一回は注意だけのイエローカード二回目は申し訳ないが課金させていただくレッドカード方式が良いと思います。たかだか数秒でチェックできるはずのことです。

2016-07-17

京都:披講と『砂漠の青がとける夜』

| 08:14 |

1. 7月11日から京都に2泊して水曜日に帰京しました。

祇園祭ハイライト17日の山鉾巡行にあわせて鉾や山が立ち始めていました。

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目的叔父・叔母の霊祭出席であり、古くから続く「和歌」の家なので、神主さんの祝詞に続いて、参列者の玉串奉奠の前に、家族のつくった和歌当主以下5人で声に出して詠みあげる「披講」の儀式がありました。

「懐旧」と題する7首で、例えば夫妻の歌は以下の通りです。

――若き日を共に過ごせし年月そいまなつかしき袖の玉露

――過ぎ去りし日々なつかしきこの庭の松の下葉に父母の影


私は学がないので「和歌」と「短歌」の違いはよく分かりません。

たぶん、「和歌」は日本の伝統をひきつぐ「型」の文化なのだろうと理解しています。


従妹に言わせると、いま宮中の「歌会始め」で天皇皇后以下皆さんが歌われるのは「短歌」で、毎月この家で継承している歌会で詠まれるのが「和歌」だそうです。

後者についてはある座談会でこんなことを言っています。


「今の短歌というのは、近代の“文学”に位置づけられる、個の確立というか、私とあなたはいかに違うかを詠むわけですが、私どもの歌会はそうじゃないんです。

 例えばお正月でしたら、新春の題が出ます。そうしたら、正月だから春が来て、うれしいというのが大前提になります。

春が来ても・・・私はうれしくないと詠むのも、今の短歌だったら全く構わないわけですけれども、私どもでしたら、それはいけなくて、とにかくめでたい題が出たら、自分がどんなに悲しくても、喜びを詠むんです。


・・・ですから、詠み方というのが、例えば春だったら、梅には鶯と決まっていまして、・・・野原は若菜だし、立春の後は淡雪と詠む。そういう日本語が持ってきた伝統的な四季イメージ世界を詠む歌会なんですけど、それが続いています。」


これに応えて、田辺聖子さんが

伝統を受け継ぎながら、みんなが同じように感動を共有し合う。そういうやり方も一種文化ですね。現代の個の芸術とはまた違った文化ですね」と語り、

「梅に鶯というのはほんとうに陳腐ですし、梅に鶯が聞こえて喜ばなくてもいいわけですけれども、それを喜ぶというのが、ほんとうに日本人らしい・・・」と応じます。

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この座談会では、

和歌はやっぱり、耳から聞いて理解するもの、だから朗詠が大事

「いい歌は自然に覚えられる。ですから、やっぱり「百人一首」の歌はいいんですよ」

といった発言もあり、それらの会話を思い出しながら、披講を聞いていました。


2. 「近代文学が、個の確立であり、私とあなたはいかに違うか」を表現するものだと

う言い方は分かりやすいなと思いながら、

若い女性が書いた『砂漠の青がとける夜』という小説を読み終えたばかりです。

著者の中村理聖(りさと)さんは京都在住、まだ30歳になったばかりでしょうか。

2014年小説すばる新人賞の受賞作。

実は、京都で行きつけの、居心地の良い割烹で2日続けて飲みました。

殆ど常連の集まる店で、中村さんも最近常連になったようで、カウンターの隣同士になり、女将に紹介されてしばらく話をしました。


「どんな小説家が好きか?」と訊いたところ、大岡昇平の「野火」と答えたので、ちょっと驚き、かつ真っ当な作家だなと感じました。

海外では?」と訊いたら「ポール・オースター」という紐育舞台にした作品を書く小説家名前があがりました。私のような老人であれば、紐育といえば、スコット・フィッジェラルドやJ.D.サリンジャーになりますが、やはり世代の違いもあり、若い人の感性でしょう。


小説を書く人はたぶん人間に興味があって、彼女も私のことをいろいろ訊いてくる。日本の老人が、ポール・オースター名前を知っている、変わった人だと思ったらしく「どんな仕事をしていたか?」といった質問が出て来る。

ところが私の方も「新人賞をとった若い女性作家」という存在に興味があって、彼女質問適当にはぐらかして、もっぱらこちらからの質問が多くなる。

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そのやりとりが我ながら面白かったです。

ということで、受賞作に興味があって、帰京して早速、渋谷丸善ジュンク堂に行き、書棚に1冊あった本書を買って読み終わりました。

若い現代作家の、おまけに女性小説というのは、殆ど読んだことがありませんが、なかなか面白かったです。

(1)大正の終わりに川端康成横光利一など「新感覚派」といわれる作家がいました。

彼女小説は「新々感覚派」とでも呼んでよいのではないか、と感じました。

(2) 声に出して読むと気持ちのよい文章です。

たとえば終わりの方に、こんな1節があります。

―――・・・私は奈々子姉ちゃんの「仕事が好きだ」という思いは偉大だと思った。それと同時に、自分の無力さや不満を甘受して、それでも「この仕事で生きてゆく」と思い、たなかさんに寄り添おうとする織田さんも偉大だと思った。その二つが、たなかさんのすべてとは言えなくても、飢えのある一部分を救ったのだと思う ―――

この部分だけ読んでも何のことか分らないでしょうが小説はこんな風に、物語の展開よりも、エピソード提示し、それに対する思いや意識の流れを語っていきます。


(3)エピソードとは、記憶過去そして現在の断片的な物語ですが、小説はそれぞれの痛みに深く踏み込むことなく、全てが意識の底に流れていきます。

素直な・嫌味のない文章で、これも1つの「型」でしょう。

(4) 13歳の・ちょっと変わった少年準君の存在など、ある意味で「月並み」な「作法」(準君が外の世界に対して「閉じ」ているのに、語り手「私」には心を開くあたり)を感じますが、この「月並み」と淡色の文章で、それが舞台京都という街にあっているのではないか。

もちろん、この小説は「個の確立」を大事にする「近代文学」の1つでしょうが、他方で私が感じた「型」とか「月並み」は、むしろ日本文化伝統の「和歌」にも通じるように思いました。


(5)題名の『砂漠の青がとける夜』というのは、最後を読むと、なるほどそういう意味かとわかる仕掛けです。

地味でもあり、読者の好みが分れるかもしれませんが、私の読後感はとてもよく、これからも素敵な小説を書いていってほしいな、と期待しています。

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最後蛇足ですが、渋谷丸善ジュンク堂には、ほほ3日に1度ぐらい行くのですが、ここには私の本がまだ1冊置いてあります。京都株式会社カスタネット経営する植木さんとの共著ですが、2011年に出した古い本がまだ書棚に並んでいるので、有難く思っています。ごくごくたまに買ってくれる人がいるのでしょう。

我善坊我善坊 2016/07/17 11:57 「近代文学」が自分と他者との違いを強調するものなのか、その辺は不勉強でよく分かりませんが、短歌も俳句も近代文藝であるというのは、その通りでしょう。
「短歌と和歌の違い」は「(俳諧連歌の)発句と俳句」の違いよりもはるかに大きいと思います。世間では正岡子規は俳句革新が大きく言われますが(「俳句」という言葉も子規から)、天明調の発句と子規以降の俳句の差がさほど大きいとは思えない。子規の功績はむしろ短歌革新の方こそ大きく、それは近代日本語文の確立にも関わっています。(それゆえ、和歌の伝統に拘泥わる方々から批判があるのは自然です)
俳句(発句)の方は既に江戸前期に、芭蕉が「型に即した表現形式」から脱却している。伝統の型に従えば、蛙は鳴くものと決まっており、それには山吹などが添えられることになっていたのを、水に飛び込む音を詠み、古池を配している。芭蕉と同じ「型からの解放」を三十一文字の文藝で実現させたのが、子規でした(略々同時代に与謝野晶子たちもいました)。
だから短歌は、俳句よりも200年も新しいと言って差し支えないのではないか?もちろん「新しいほうが良い」などと言うつもりは毛頭ありませんがー。

2016-07-10

英国のEU離脱――「ブレグジットの地」対「ロンドン人の国」

| 08:08 |

1. しつこくこの問題を取り上げています。

まずは昔、「シティ」で働いたこともあり、個人的な関心があります。

「シティ」はニューヨークと並ぶ世界金融センターですが、それぞれの国に拠点がなくてもロンドンから欧州27の国と金融ビジネスができる、いわゆる「パスポート特権」が離脱後なくなる可能性が高いのでは、という懸念です。

現在ロンドンには250の外国金融機関があり、73万人の外国人が働き、例えば、ゴールドマンザックス現在6500人の欧州スタッフのうち6000人がロンドンにいてフランクフルトには200人しかいないそうです。このあたりが将来どうなるか。

しかしそれだけではなく「1989年ベルリンの壁崩壊匹敵する歴史的出来事」と評する人もいる、この事態英国欧州がどう対処するか?

それは、日本社会を考えることにもつながるのではないかと思うからです。

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2. 7月2~8日号の「エコノミスト誌」は「英国無政府状態」と題して、約3分の1を本問題に割いています。

主な内容は、(1) 論説2本(うち1本は「自由主義再構築へ結束を」と題して日経が訳しています。原文の表題は「The politics of anger」)

(2)EUの今後

(3)英国の今後―政治

(4)同じく経済

(5)同じく社会

(6)同じく金融(シティ)・・・等々です。

このブログではなるべく大手メディアの取り上げない視点大事にしたいと思います。

その1つに「分断された英国」があります。もちろん、この点も報道されてはいますがそこを少し補足します。.


エコノミスト」誌の記事国民投票によって明らかになった社会の分断を

ブレグジットの地対ロンドン人の国(Brexitland versus Londonia)」と題して、「英国は2つの国になってしまった」と嘆き、「英国らしさ( Britishness)が依然として国民をまとめるアイデンティティになりうるか?」を問い、「基本的対立軸はかっては労働資本だったが、いまや「オープン(開かれた社会)」対「クローズド(閉じた社会)」になった」と評します。

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3.「分断」を嘆くほど今回の投票は、地域世代学歴・階層によって際立って投票が分れました。イングランド地方高齢者、低い階層、低学齢者の多数が離脱派(以下「L」)、その逆は残留派〈以下「R」〉が多数でした。

投票当日の世論調査新聞に出ていましたが、4700人強のサンプリングはいえ、結果もほほこの通りでした。

少し見難い表ですが、写真を載せました。調査は、「年齢」「社会階層」「学歴」の3つのそれぞれの投票行動調査しています。

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(1) 例えば今回、24歳までの75%がR ,65歳以上の61%がL。

社会階層(Social Grade)」の「ABC1」の60%がR, 逆に「C2DE」の60%がL。

学歴では、大卒の71%がR,それ以下の学歴の55%がL。

因みに「社会階層」の「ABCDE」について詳細な説明は省略しますが、Aは「アッパー・ミドル」Bは「ミドル」Cは「ローワー・ミドル」Dは「労働者階級」ですが、職業(高度な知識スキルを要するか?管理職か?)による区別でもあります。「E」は私のような年金生活者や無職の人たちです。


(2) こういう違いを明示することはあまり日本メディアはやらないように思いますが、どうでしょうか?

日本選挙結果ももう少し、「クラスター集団分析」を詳しく公表してくれると貴重な情報開示になると思うのですが、今だに「単一民族」と「1億総中流社会」という前提にしがみついているからでしょうか?

アメリカであれば、これに「人種」が大事な「クラスター」になります。


(3) 「クラスター分析」があれば、それらを組み合わせることで、より有効情報を知ることができます。

例えば、沖縄の、高学歴若い知識労働者はどういう投票行動をする人が多いだろうか?などの分析です。


3. もちろん今回の「分断」を、「エリート」対「非エリート」の構図だけに単純化するのは危険でしょう。

Lを支持する人は、「ABC1」の社会階層で4割、大卒でも3割はいました。

また、この点に関して、「今回の投票は、単なる非エリートエリートに対する反乱ではなく、“一部のエリート指導された”非エリートの叛乱だった」と分析する2つの記事最後に紹介します。

(1) 1つは、7月7日フィナンシャルタイムズ記事Brexitパブリック・スクール卒の争い」、もう1つは同日のNY Timesの記事英国政治はいまだにエリート卒業生が牛耳る」でほぼ同じ内容なのに興味をもちました。


(2) 要は(保守党の)R派のキャメロンもL派のジョンソンも、イートン校からオックスフォードで学んだ同窓であり、後任を争う、メイ(R),ゴヴ(L),オズボーン(R)、など何れもオックスフォード大卒。しかも彼らは、在学中,閉鎖的・貴族的な「クラブ」や模擬議会の「弁論部」に属し、「会長」も務めた。そこではディベイトの能力レトリックユーモアもっと重要とされた。グラッドストンチャーチルの雄弁が尊敬され、学ばれた。

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(3) 政治家になってもお互いに親しい友人だったし、家族ぐるみの付き合いであり、議会は彼らにとって「大学時代のディベイトの延長の場」であり、今回もまたお互いに立場を異にしてディベイトに挑み、レトリックを駆使して戦った。その結果、大衆の怒りや不満をうまく引き出したL派の勝利となったといえるのではないか

(4) 今回のEU離脱移民問題は、体制とその政策に反発する大衆の不満や怒りのはけ口やガス抜きに利用された面があり、それを牛耳ったのはどちらもエリート集団ではないかと皮肉っています。

英国はこのように「社会階層」を真正面から取り上げて、人々の意識や行動を分析するのに対して、

日本でははなぜ、こういうとらえ方をあまりやらないのか?「分断」されていないと皆が思っているのか?

現状に満足して、英国のようには「体制」に怒りや不満を持っていないのか?

それをうまく引き出すレトリックの巧みなエリートはいないのか?

などと考えています。


今日参議院選挙投票日。若い人たちが、地域別・階層別・職業別などでどういう投票行動をするか?を知りたいものです。Brexitのように、未来を担う若い人の75%もの意見が報われないというのはやはり問題と言わざるを得ないのではないでしょうか?

2016-07-03

英国のEU離脱問題とカズオ・イシグロ

| 08:23 |

1. 前回のブログで取り上げた「Brexit英国離脱問題)」の国民投票は、フェイスブック上でいろいろ貴重なコメントを頂きました。

1週間経って、英国は混迷状態にあります。最新のエコノミスト誌は「無政府状態英国」と表紙に掲げました。

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たまたまロンドンから一時帰国をしている身内の話では、「シティ」で働く周りの人達に「離脱派」なんて1人も居なかったので、皆しばし呆然自失の状態だったそうです。

エコノミスト誌やフィナンシャル・タイムズ紙等がここ何カ月もかけて必死に訴えた良識ある・リベラルな信念(と私は信じます)が通じなかった、彼らの失望感は大きいだろうと感じます。


日本報道も詳細です。

私たち日本人がなぜこの問題に大きな関心を持つのか?と考えてみると、もちろん単なる興味本位もあるでしょうが、それを別にすれば以下の理由ではないか


(1) 英国欧州ひいては国際情勢がこれからどうなるか?への一般的な関心と懸念

(2) 日本経済日本企業市場に及ぼす懸念自分の勤めている会社の今後や金融資産への影響といった個人的理由も含む。

(3) 身内や友人が英国欧州にいる、或いは昔住んだことがあるといった理由からのこれらの国々や人々への親しみと懸念

(4) さらには、グローバリゼーションリベラリズム民主主義ナショナリズムの将来といった「大きな物語」の文脈で考える。

そしてそれはもちろん、日本のこれからを私たち一人一人が考えることにつながる・・・


というようなことでしょう。そして、中でも(4)の問題意識いちばん大事ではないでしょうか。


2. 国際通貨研究所理事長の行天さん(もと東京銀行会長)が「まさかBrexit」という文章で主として上記の(1)と(2)について以下のように述べます。

(1) については、ブレクジットは「EU本部官僚加盟国市民」「英国内」「ヨーロッパ英国」という3つの亀裂を露わにした。

(2) については、「とくに日本にとって特別大きな打撃を生ずるような事態が起ることはないだろう。個別のケースを除けば、BREXITそのものが持つインパクトは過大視さるべきではない」。

そして(4)については、こう書きます。 

――それにしても、一寸皮肉見方をすると、この度の英国民のように自分運命を左右するような選択を行なう責任と義務を与えられ、それを72.2%の投票率で実行するという稀有経験を持った人達幸せかも知れない。というのも、われわれ日本人歴史的に見て、自らの運命を自ら選択するという機会を、幸か不幸か、持ったことがなかった。選択は何時も誰か上にいる偉い人達か、外部の環境圧力で行なわれてきたのである。7月10日選挙でわれわれは何を選択するのだろうか。―――

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もちろんこれは日本人の知性による外からの視点です。


3.それなら、「アングロサクソンではない」英国人の知性はどう考えるか?

たまたま週末版7月2日フィナンシャル・タイムズ紙がカズオ・イシグロ文章を載せています。

彼の想いを紹介して今回のブログを終えたいと思います。

―――(1)「英国の名残り(The Remains of the UK)」(もちろん彼の名作The Remains of the Dayのもじり)」と題する文章は、「今回の投票果たして外国人嫌いが主題だったのか?」と始まり、「私は怒っている」と続きます。

(2) まず、離脱派に。第二にキャメロンの思慮を欠いた判断(詳細をつめずに国民投票にかけるという)に。第三に、現代史稀有成功物語(かって全面戦争殺戮場だった欧州を平和な場に変貌させたという)に大きな打撃を与えたことに。そして第四に英国が分断の危機にあることに・・・私は怒っているのだ。


(3) しかし結果は出たのだし、怒っても仕方ない。冷静に考えて行動すべきだと反省もし、私たちが直面しているのは、「まさに英国の魂への戦い(a fight for the very soul of Britain)」なのだと理解している。


(4) 投票をやり直すことはできない。しかし「軽いブレクジット(Brexit Light)」に向けて再度話しあうことはできるのではないか

それは、単一市場へのアクセスは諦める代わりに、人間自由な移動は認める、という選択肢である。


一部の外国人嫌いの差別主義者はいるだろう。

しかし、離脱派の大多数はそうではないと信じる。「移民制限しよう」と投票した人たちの大勢は、本来真っ当な人たちで、長年の間に不満と憤りをつのらせ、日々の暮らし子ども達の未来不安を高め、移民がその原因だと感じ始めた人たちなのだ。真剣に・注意深く考慮しなければいけないのはこういう人たちであって、彼らが本当のところ、この国をどういう方向に持っていきたいのかを知ることが大事である。

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それは、現在グローバル化した世界で、私たち英国人は、外国人嫌いの差別的な国になっていく道を選択するのかを自らに問うことでもあるだろう。

(5) いまこそ英国人に対する信頼を取り戻すことがもっとも大切ではないか

23日のショックのあとも、私は信頼を失っていない。

はいま、61歳の、日本で生まれ5歳のときからこの国に住んで、見ればすぐにわかる・異邦人少年なんて、学校でももっと広い社会でもずっと私一人だった何十年の歳月をこの国で暮らし英国人として語っている。

私がよく知り、深く愛する英国は、慎み深く、公平で、助けを求める異邦人に暖かく、政治的過激扇動者を憎む社会のはずである。

もしこの理解がもはや古臭い、あまりにナイーブだ、いまの英国は私の育った時代英国とは違う、と反論するのなら、少なくともそのことを明快に私に語ってほしい。

しかし、実は私は、そんな反論を信じてはいない。

人間味あふれる昔ながらの英国人がもういちどこの国を支え、いまはこの国を乗っ取ったと信じる差別主義者を孤立させるために、もういちど私たちは「ブレクジト・ライト」が必要なのだ。―――


以上、日本人の両親とともに5歳に来てそのまま住み続け、28歳のとき英国籍を取った(日本国籍法二重国籍を認めないので、日本国民ではなくなった)カズオ・イシグロの深い哀切をこめた文章が、心に染みました。

2016-06-26

EU離脱を選択した英国国民投票を終えて

| 08:34 |

英国欧州にとって運命の日(Moment of destiny for Britain & Europe)」

23日(木)の国民投票の結果は、事前の世論調査で「僅差あるいは離脱派の若干優勢」が伝えられていたとはいえ、実際に起きてみると、衝撃で世界を包みました。

私も普段から、エコミスト誌やガーディアン紙を愛読し、その主張に共感し、最後には英国人理性的判断良識が働くだろうと楽観していましたが・・・。

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本件は日本でも詳しく報道され、「EU統合危機ドミノが起きるか?」「英国の国論は二分し分断され、連合王国崩壊のおそれも」「市場は引き続き大荒れか、シティの将来は?」・・・

といった悲観的な見出しが並びます。

キャメロン首相判断戦術への批判も多くみられます。

それらはみなその通り、尤もな指摘であり懸念ですが、私は以下、少し違った視点に立ちたいと思います。


1. 結果を受けて、キャメロン首相が辞意を表明。7分間のスピーチは立派だったと思います。所詮建前で、実情はもっと深刻だろうと思いますが、それでもどこかの知事さんがやめた時とはまるで違って、言うべきことをきちんと・潔く語ったと思います。


要約すると

(1) 議会制民主主義を基本とするこの国にあって、今回の国民投票民意を問うことは民主主義精神に沿った歴史的出来事であった。

(2) 結果は自分の考えとは異なる民意になったし、私の信念はいまも変わらない。しかし、国民の選択尊重されねばならない。

参加した全ての国民感謝するとともに、離脱派には祝意を表する。今は皆でこの方向に向けて努力していこう。

在英EU人達にすぐに急激な変化が起きるわけではない。冷静に対処してほしい。

(3)新しい目的地に向かうには私は適任ではない。新しい・強いリーダーシップ必要である。

しかし後任が決まるまでは私も全力をあげて取り組む。いまは安定がもっと重要であり、英国経済基本的好調である。民主主義モデルを示し、平和議論を重ね、最良の方法を探していこう。

私の意見は異なるが、こういう結果を国民選択した以上、英国EUから離れても力強く存在していけると信じている。私も全力をあげて協力し、この国を愛し続ける。

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2. 今回英国国民は厳しい・困難な道を選んだ、世論は真っ二つに分かれた、EU諸国にも打撃を与えた。不確実性と混乱と分裂は長く続くのではないか?暗闇に向かうのではないか?


しかし、と思います。

だからこそ、二分した国論をどうやってまとめていくか、「自由多事争論にある」として、その先をどうまとめるか・融和を図るか、英国のこれからの民主主義が問われているのではないか。


それを「分裂はさらに深まる、民主主義危機だ」と悲観的に分析するよりも、多少の懸念と大いなる期待を持って見守りたいと思います。英国国民が、さらにはEU諸国がこれから必死努力していくこと、民主主義の更なる新しい実験を暖かく見守るべきではないか、と思います


3 国民投票について補足します。

これについても「なぜ、国民投票に踏み切ったのか?」「無知ポピュリズムの勝利ではないか?」「国民投票危険性浮き彫りに」などといった批判が内外に多くみられます。


しかし、と思います。議会制民主主義を基本とする国において、とくに最も歴史の古い・優れた議会制民主主義の国、英国においても、国の政策に対する全国レベルの直接民主主義の発動は、決して多くありません。


英国では過去2回。1回は、1975年EU前身であるEUU(ヨーロッパ共同体)加盟の是非を問うたとき民意は加盟を肯定)。

2回目は2011年選挙制度改革を問うもので、この時は改革案小選挙区制比例代表的な要素を織り込む)への否定民意となった。

今回が3回目ですが、キャメロン首相は「判断は皆さん自身の手にあります(The choice is in your hands)」と語りかけ、国民投票にこの国の運命を委ねました。


もちろん、キャンペーンの間、政治家同士の激しい中小誹謗がとびかったことも事実でしょう。ハリー・ポッターの作者がインターネット上で、「対立をあおる苦々しいキャンペーン」と批判し、双方の政治家の主張は「これまで聞いた中で最も醜い物語」と指摘したことは、日本でも報じられました。


しかし他方で、健全民主主義も見られたのではないか。

双方の立場若者がもちろんボランティアで、国会議事堂でディベイトを行い、街頭で通行人と話し合い、戸別訪問を繰り返す姿も報道されました。

このディベイトに参加した学生代表の1人(残留支持の女子学生)が郷里に帰って、両親と真剣に話し合う様子もテレビで見ました。

離脱派英国人アイデンティティ大事と主張しているが、EUの援助でイタリア大学留学した私には、英国人であり欧州人でもあるという2つのアイデンティティがあっていいのではないかと考える」と主張して、父親と話し合っていました。

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4. 今こそ英国人よ、頑張って「民主主義」の手本を見せて欲しいと思います。

もちろん、このような想念の先に、ひょっとして初めての国民投票に参加せざるを得ないかもしれない、これからの日本のことを心配している自分がいます。もしそうなったら私たちは、民主主義を貫徹するために、どういう行動をとるべきだろうか?


その意味からも、今回の英国人の行動と判断を私達のこれからの反省や教訓としつつ、

同時に、真価を問われるジョンブル魂、逆境にあっての不屈の精神英国人らしい冒険心と楽天主義に期待したいと思います。