川本卓史京都活動日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-06-17

新しいDellのTVと蓼科高原の日々

| 08:46 |

1. 昨日の東京は終日肌寒かったですね。朝の散歩の途次写真を撮りましたが、淡い色の紫陽花は雨や曇り空によく似合いますね。

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もっぱらPC読書時間を過ごしました。

TVはあまり好きではなく、天気予報BSの国際ニュースぐらいしか見ません。そう言えばブログを見てくださるTさんはいまも現役の有能なる同時通訳で、先般のロイヤルウェディング通訳にも登場しました。


2. 他方でPC映像はよく見ます。

1ヶ月前に新しいPCを手に入れて、気に入っています。

(1) 長らく東芝Dynabookを愛用していたのですが、突然死しました。

ヤマダ電機に持っていったところ、「機械物なので時にはこういうことが起きる。あなたのせいではない」と言われて、買い替えを決めました。

(2) 機種は長女の亭主に相談して、Dellにしました。

理由は、彼がこの機種に詳しく、セットアップデータ移行などすべてやってくれたのと、値段も11万円と手軽、サイズ17インチと少し大きめ、などです。

OSウィンドウズ10も8より使いやすく、何と言っても新しいPCは画質も音質も良く、感激しています。


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(3) 早速、「お気に入り」に入れてある「音楽」をあれこれ聴いています。

短い曲ではかってブログでも紹介した、

Dragon Schoolの「Make me a channel of your peace 」(2011年3月28日サイト。この曲は21年前のダイアナ妃の葬儀でも歌われた)

https://search.yahoo.co.jp/video/search?p=dragon+school+make+me+a+channel+of+your+peace&ei=UTF-8&rkf=1

東北震災の鎮魂のピアノ曲Grace and Hope

https://www.youtube.com/watch?v=dGW4A5m4ZY4

などです。

私事で恐縮ですが、この曲は次女の亭主の作曲ピアノです)。

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3.10日ほど前に約1週間滞在した蓼科での写真も、PC画面で楽しんでいます。

(1)6月初めでしたが、けっこう良い日和で、久しぶりにドライブし、車山肩にある「コロボックルヒュッテ」で休み,霧ヶ峰高原湿原をほんの少し歩きました。

「こなし」と「ずみ」の木に小さな素朴な花が咲いていて、「例年より早い」とヒュッテの主人が言っていました。

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いまの主人は2代目で、先代・手塚宗求さんは60年以上前、道路も車も走らない時期に山小屋自分で建てて、登山者を泊め、遭難者の救助活動にも活躍しました。エッセイストでもあり著書もたくさんあります。

今年が7回忌だそうで「お父さんに似てきましたね」と言ったら、「みんなにそう言われます」と笑っていました。


(2)あとは、5月に植え付けをした畑の草刈りを少し、270円で入れる市営の温泉に行き、本も読み(大岡信の『紀貫之ちくま学芸文庫など)、原村ペンション経営している素敵な夫婦にも半年ぶりに会いに行き、花咲乱れるお庭を楽しみました。

いまは、れんげつつじ、キングサリ、ヤマボウシクレマチスなどなど。薔薇は来月だそうです。


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4.滞在中、外食は2回。いずれも昼食です。

(1)1度は、鄙には稀な山国のすし屋。2日おきに築地河岸から仕入れています。

昼食は1350円からで、これがなかなか行けます。

小さいサラダ茶碗蒸しと,握りにお椀、それにデザートと珈琲までつきます。

昼の11時に入ったのでまだ大将とお喋りができました。

「どうしてこんな値段でやれるの?」と訊いたところ、

田舎で、自分の家で、奥さんと2人でやっているから地代人件費がかからないからでしょう」

ネタは昼と夜とで違うの?」

「変わりません。すし屋というのは食材を回転させるのがいちばん大事ですから、そのためには昼もお客さんに来てもらうのが大事なんです」

そんな会話を交わして、あとはいつも通り、「すしは仕込みがいのちだ」といったような料理人としての「意気」を感じる話を聞きました。

寿司うまみシャリが7分、ネタ3分。すし飯はお酢と砂糖と塩の“塩梅あんばい)がすべて」と言われて

「そうなんだよね。海外で食べる寿司は、ネタ地元独特のおいしいものがあるが、シャリが違うんだよね」

そんな会話で、結構楽しい時間です。


(2)もう1軒は「黙坊」という地元ではちょっと知られた蕎麦屋蓼科高原の中心地、小津安二郎の昔の住まい復元された「無藝荘」の近くです。我が家は山奥ですから車で30分近くかかります。

実は当初は、住まいのすぐ近くに最近できた蕎麦屋が評判良いので、そこに行こうと家人と2人で出かけました。

事前にネットで調べて、開店時間の11時ちょうどに出かけたところ、あいにく「臨時休業」の看板が・・・

そこへちょうど山梨ナンバーの車から降りた美女4人が看板を見てがっかりしている。


(3)「どこから来られたんですか?」

甲府からです。前にも1度来ておいしかったので・・・・」

「私たちは初めて来たんです。ところでどこかほかをご存知ですか?」

「いいえ知りません。甲府にはおいしい蕎麦屋がないのではるばる来たんですが」

それならご案内しましょう、ということで「黙坊」に予約を入れて、合計6人で押しかけました。ここは8人ぐらいしか入れない、昼しかやっていない小さなお店なのでラッキーでした。メニューは夏はもりそばと絶品のそばがきしかありません。

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カウンターに小さな花が飾ってあり、訊けば「ヤマボウシ」とのこと。ふつうは白で、紫は珍しいです。


美女4人は、お子さんが同じ病院でほぼ同じ日に生まれた、そんなご縁で親しくなったそうです。

びっくりしたのが、そのお子さんが当年24歳だそうで、

「えっ、そんなお年には見えませんよ、皆さんお若いですね」

「いやいや、お二人こそお若いですよ」

「とんでもない、もうすぐ80歳、長男は皆さんとほぼ同じ年です」

そんな社交辞令を交わしつつ、もう2度と会うこともない、まさに「一期一会」をけっこう楽しみました。


4人とも、TVでよく出てくるような、現代風の女性たちと違って、

言葉遣い仕種・物腰も落ち着いた感じの女性たちで、気持ちよく会話が弾みました。

実家東京の人もいましたが、こういうおっとりした態度は、地方都市暮らしから生まれたのかな、と勝手に考えました。

24年の間に、それぞれの境遇もさほど変わらず、だからこそ交友が続いているのでしょうが、これも地方に住んでいるからかもしれません。

柳居子柳居子 2018/06/18 10:59  動かないというのも、一つのパワーかも知れませんね。京都も一地方都市です。

我善坊我善坊 2018/06/19 04:21 コナシは実に美しい花です。(コナシとズミは同じものと思っていましたがー)
桜よりやや大きめな白い花で、桜のようにいっぱいに咲きます。花の命も桜より長い。信州の人は何故この花をもっと自慢にしないのか、いつも不思議に思っています。

2018-06-10

エコノミスト誌が語るロイヤル・ウェディングと英国憲法

| 07:10 |

1.  前回のブログで、ウィンザー城内の礼拝堂でのハリー王子結婚式で「黒人霊歌スタンド・バイ・ミー”が歌われた」と書きましたが、早速若い人が「この歌は黒人霊歌ではない」と訂正してくれました。

私のような老人は知らなかったのですが、1961年に作られたポップ・ミュージックで、その後同名の映画主題歌に使われ、日本でもテレビCMに登場するなど若い人ならよく知っている歌だそうです。ジョン・レノンボブ・ディランなども歌っています。

タイム誌が「黒人女性指揮者による黒人合唱団が歌う〜」と書いていたので、勘違いしました。

ただ、「主よ、いつも私のそばにいてほしい」という黒人霊歌に触発されて作った歌ではあるそうです。

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スタンド・バイ・ミー」の方は、「主イエス」が「ダーリン」に代わり、“So darlin', darlin', stand by me, oh stand by me(だから愛する人よ そばにいて 僕のそばに)”と歌います。

https://youtu.be/P9ZZRLFeaBc

何れにせよ、「英国社会はいまだに白人社会」と考える人たちからすれば、異例の選曲であり演出であったと思います。

日本社会でも、こういう「異例」の演出がなされるような出来事が将来起こりうるだろうか、とふと考えました。


2.ということで、今回は「続き」で、英国エコノミスト誌の1頁記事の紹介です。

「いま英国の王制はかってないほど強固であり、他方で政府は弱体化している」という論調です。


(1) ロイヤルウェディングは、国民の誰もが、英国憲法評価し・考えてみるための良い機会である。

(2) かって1860年から17年本誌の編集長を務めた政治思想家のウォルター・バジェットは、英国憲法は2つの部門(branch)」から構成されると指摘した。

英国では君主が「威厳と品位(dignified )」部門を、議会政府が「有能な執行(efficient)」部門担当し、それぞれ、前者は「詩文(poetry)」を通して、後者は「散文(prose)」を通して、国民に接する。

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(3) そして、

20年も前の英国王室危機的な状況に近かった。チャールズ皇太子ダイアナ妃の破局をはじめとする数々のスキャンダルが、「威厳と品位」で国をまとめるという機能を低下させた。ダイアナ妃の事故から5日間、エリザベス女王が(弔意を示さず)沈黙を守ったという事実国民は憤慨し、その後皇太子が、ダイアナ妃との結婚後も不倫を続けていた女性再婚したことが、事態悪化させた。

(4)他方で、この間、「執行部門の方は力強く成果をあげてきた。

ブラウンブレア元首相の労働党政権は、党を新しい時代に適合させ、中央銀行に一層の自主権を与え、スコットランドウェールズ北アイルラントの自治権を拡げ、行政改革を断行した。

ブレア首相は、ダイアナ妃の死後沈黙を守る女王をみて、「(妃は)私たち国民プリンセスだった」と「威厳部門」に口を挟む異例の行動までとった。


(5) 今日、状況は全く逆である。「執行部門1970年代以来最悪の状態で、

EU離脱問題が、その頂点にある。キャメロン首相は、「執行部門の大原則(最も難しい問題は自らが責任をもって判断する)を裏切って、事を大衆の気分にゆだねてしまった。


他方で、英国の「威厳・品性部門はいま隆々としている。

女王の治世66年に、首相12人、数々の政治的危機を乗り越え、不安定化し分断化している国際社会にあって、「安定」と「統一」の象徴となっている。

今回のハリー王子結婚も、この「再生物語」の輝かしい・新たな一章を加えることになるだろう。


3.こう論評するエコノミスト誌は最後に、「しかし、王制もこれから問題を抱えている」➜「それは、将来のチャールズ3世存在である」と懸念を表明します。

同誌は彼に対してかなり批判的でです。

利己的である、再婚問題批判があったにも拘わらず我を通したように、わがままであり、しかも不平不満が多い・・・とまことに手厳しい。

しかも、よけいに困るのはそれでいて結構、それなりの正論を吐くことに興味があって口を挟むことが多い。例えば、環境問題教育問題などなど。

皇太子はいま残された「インターン期間」で、ウォルター・バジェットの「英国憲法論」を読む機会をもって、そこでバジェットが、立憲君主は何をすべきかだけではなく、何をすべきでないかを明晰に語っていることをよく理解してほしい・・・・

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4.

(1)同誌はまた、同じ英国についての記事で、混迷する保守党政権に対抗して、コービン党首率いる野党労働党国民の支持を伸ばしていることにも触れています。

そして、「資本主義路線への修正を唱えて「倫理経済学者(moral economist )」の理論武装による改革意図する同党の新しい経済財政政策を紹介しています。

もちろんエコノミスト誌は、「リベラル」でありつつも労働党とは一線を画していますが、にも拘わらず、同党の新しい路線に注目していること(財政負担に耐えられるかという批判は繰り広げつつも)は興味深いです。


(2)それは、「民主主義の基本は政権交代にある」という同誌の基本的な信念に基づいているのだと思います。

さらに言えば、

「威厳・品性部門は「安定と統一」の役目を果たし、他方で、「執行部門議会政府)は「政権交代」によってチェック&バランスを機能させる

➜これこそがバジェットの考えた英国憲法英国流民主義理想でしょう。


(3)同誌は2016年9月17日号の「英国一党独裁状態」と題する論説で、労働党党首選挙で、急進左派路線をとるコービンが再選されたことを懸念して、保守党長期政権が続くのではないかとしてこう述べています。

過去13年間、労働党は、最低賃金の引き上げなど弱者視点に立って実績をあげてきた。

これから長期保守党政権が続くとなると、英国全体にとって悪いニュースである。

力強い反対勢力が長期的に存在しないことは、必ずや悪政につながる。

それは、メキシコ日本経験から明らかである。」―――


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(4)上記(1)の通り、保守党はEU離脱の国民投票で混乱し、支持率を下げて,果たして長期政権可能かに黄色信号がともってきました。その点でのエコノミスト誌の懸念はすこし状況が変わったかもしれません。

しかし、「政権交代民主政治の基本である」という同誌の信念はまさにそれゆえに正統性を増しているといえるでしょう。

ひるがえって、来年5月に新しい天皇を迎えるこの国は、幸いにチャールズ3世に対するような懸念はないでしょう。

しかし他方で、バジェットのいう「執行部門」の方はというと、上記のようにエコノミスト誌の論説で、日本が名指しされている・・・・・

これは、同誌に言われるまでもなく、私たち自身真剣に考えないといけないのではないでしょうか。

2018-06-03

英国ロイヤル・ウェディングとタイム誌

| 08:06 |

1.ミーハーを自認していることもあって、タイム誌6月4日号、英国ハリー王子結婚式の「記念号」を熟読しました

今回はその紹介です。

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からミーハーだったなと自分でも呆れるのは、かっては、ロンドン本屋で買った、エドワード8世(のちのウィンザー公爵)や彼が結婚したシンプソン夫人(のちのウィンザー公爵夫人)の伝記を読み、


ダイアナ妃とチャールズ皇太子との冷え切った関係暴露して大きな話題になった「ダイアナ真実物語」も読みました。

本が出版された1992年6月半年後二人は別居し、1995年離婚しました。

ダイアナ妃が交通事故で死去したのが97年、僅か36歳でした。


2.言うまでもなく、

(1)今回結婚した王子ダイアナ妃の次男33歳。お相手のメーガン・マーケルさんは36歳、まさにダイアナ妃が亡くなった時の年令です。

(2)彼女アメリカ人であり、英国王室アメリカ人結婚するのは、1936年

以来の出来事です。

しかもこの時のエドワード8世が結婚したシンプソン夫人と同じなのは、ともにアメリカ人であるだけでなく、ともに年上であり、おまけに離婚歴があること。 今回の結婚に当って、英国国教会改宗したこと

(3)その上で、この2人が異なるのは、マーケルさんは父親白人母親黒人という「混血(mixed race)」であること、また彼女が「成功した女優」という、いわばキャリア・ウーマンであること。

(4)そして、最大の違いは、

1936年当時は「離婚したアメリカ人女性」との結婚英国の国論を二分する大騒ぎとなり、「王冠を賭けた恋」と言われたように、エドワード8世は1年弱で退位せざるを得なかったこと。

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対して、今回はウィンザー城内の礼拝堂での結婚式で、国をあげて祝福された。


3.これで大騒ぎにならない訳はありません。

(1)もちろん、ハリー王子王位継承権6位であり、王様であったエドワード8世の場合とは事情が異なります。

しかし、結婚と同時に2人はサセックス公爵公爵夫人になりました。

英国公爵夫人が、アメリカ人の・離婚歴のある・年上の・アフリカ系の血を引く女性である、ということの話題性意味は大きいものがあります。


(2)今回の結婚式では、ダイアナ妃の思い出もよみがえりました。

彼女の姉(新郎の伯母)が聖書朗読をし、

新婦が手にもつ花束には、ハリー王子住まいケンジントン宮殿の庭で自ら摘んだという「忘れな草」の花を、

そして、ダイアナ妃の葬儀でも歌われた讃美歌が歌われた。

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(3)同時に、新婦出自を強く意識した演出もなされました。

式を主宰する英国国教会司教アフリカ系アメリカ人で、キング牧師の「愛が全てを変える」という言葉引用して、身ぶりてぶりを交えたアメリカ黒人教会風の14分もの長い説教をし、黒人霊歌スタンド・バイ・ミー」も歌われ、19歳のアフリカ女性チェロ演奏する・・・。


4.何せ、アメリカ人英国王室入りということで

(1)米国TIME」誌は、

21世紀風のおとぎ話

ウィンザー城アメリカ人

「メーガンが意味するもの」

と題する3本の記事を掲げて特集記事を組んでいます。


(2)記事の中で、1936年当時は「離婚歴のある女性」というのが最大の障害だったが、いまやこれは全く問題にならない、と指摘しています。

(3)また人種問題については、自らも「(英国人の父とガーナ人の母との)混血」である著名な女性ジャーナリスト、アフア・ハーシュさんが、英国は依然として白人社会であること、しかし今回、人種の違いが初めて目に見える形で実現した最初ロイヤルウェディングであることの意義は大きいと期待する記事を書いています。

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(4)何れにせよ、新婦サセックス公爵夫人にとって、これからの最大のチャレンジは人種問題よりも、彼女自身生き方ではないかという指摘もあります。

女優時代のメ―ガン・マークルは自らを、「強い、自律した、混血の女性」と自己規定していた。

フェミニストであり、環境保護にも力を入れていた。

そういう女性が、英国保守的王室の中でどうやって「自立した」自分を守っていけるか、という課題です。


(5)他方で、英国王室が「時代の流れの中で変わろうとしている」意味を今回の結婚に見るという指摘もあります。

王室にとって最大の脅威は、変革よりも大衆の無関心なのである」。

新婦は、ダイアナ妃のように「新しい時代精神」の象徴になるかもしれない、として、例の有名な、映画山猫」の原作者ジョセッペ・ランドーサの言葉引用しています。

――「物事がもとのままであるためには、すべてが変わらねばならないのだ(for things to stay the same, everything must change)」.

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5.最後に、お祝いの記事に溢れている特集号にただ一つ、「この国に君主制必要か?(Who needs the royals)」と題する1頁の批判記事も載せていることを紹介します。


寄稿者はグラハム・スミスといい、「共和国」という名の団体会長CEO)だそうです。

スミス氏は、「そもそも君主制に意義があるのか?」という根本的な問いを発します。

その上で、英国君主制問題点は2つあると指摘します。

1つは莫大な費用(もちろん今回のウェディングも)を国民税金負担していること。

もう1つは、英国君主制が、その階級制を含めて民主主義に大いなるマイナスを与えていること

の2点です。

どのぐらいの英国民が共和制を支持しているかは知りません。

しかし、少なくともこういう意見があることをきちんと載せるという姿勢は、この雑誌の、そもそもジャーナリズムの見識だろうと思います。

2018-05-27

生誕900年の西行の生きた時代と「紅旗征戎吾が事にあらず」

| 08:40 |

1. 前回は、和歌の「返しの文化」について、待賢門院堀河と西行のやり取りの実例を紹介しました。

Masuiさんから「男女は単なる平等であればよいだけではなく、その間に強いレゾナンスが生じ、1+1が2になるのではなく、その何倍にもなるところが真の平等ではないでしょうか?」というコメントを頂き、ご指摘の通りだなと感じました。

「レゾナンス(resonance)」とは、辞書には「共鳴共振」と出ていますが、

男女も「うた」を通して対等に交流する、「返し」という美しい日本語の方がこの言葉ニュアンスをよく表しているように思います。

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2.前回、「返しの実例」を紹介したのは、辻邦生の『西行花伝』から引用です。

昔の職場の先輩が自宅で小さなサロンを年に数回開いています。もと同僚やその夫人が集まり、毎回テーマを決めますが、内外の小説を取り上げることが多いです。

メンバーは男性5人、女性4人と男女のバランスが取れていることも特徴です。女性のうち3人は夫婦での参加ですが、あと1人は未亡人です。

サロンは通常平日の午後5時半に集まります。軽い飲み物と出前のお弁当を頂き、紙コップの珈琲を飲みながら暫くは雑談です。

そのあと予め決められたテキストを皆が読んでいるという前提で、発表者によるプレゼンテーションのあと、全員で活発に話合います。


3.直近のサロン5月21日に開催されて、『西行花伝』がテキストで私がレジュメを作って発表しました。

ということで以下、西行と彼が生きた時代について簡単に補足します。

(1) 西行は、平安末期の1118年に生まれ、鎌倉幕府開府の2年前、1190年57歳で没しました。今年は生誕900年に当たります。

(2) この時代は、「わが国の乱世中での代表的な一大乱世」です。朝廷権力争いは「保元の乱」(1155年)で頂点に達し、武士が台頭し、平家が栄え、源氏に滅ぼされる、摂関政治から武家政権へと移行する。


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鴨長明がこの「乱世」を振り返って「方丈記」を書いたのはのちの1212年です。

しかもその「乱世」にあって、俊成西行定家式子内親王後白河法皇皇女)のような超一流の歌人活躍する、他方で、1175年には法然浄土宗を開くなど大衆に密着した新宗教が生まれる・・・とまことに興味深い時代です。

因みに、堀田善衛は『定家明月記私抄』の中で定家の歌にふれて、「それは高度きわまりない文化である。中国だけを除いて、この12世紀から13世紀にかけてかくまでの高踏に達しえた文化というものは人間世界にあって他のどこにも見ることがない・・・・」と驚嘆しています。

(3)その定家は、1181年の19歳から漢文で書き続けた日記「明月記」の冒頭に、

「世上乱逆追討、耳に満つといえども、これを注せず。

紅旗征戎わがことにあらず」という有名な言葉を書きました。

紅旗」は朝廷の旗のこと。「世の中は、権力争いや戦いに乱れに乱れているが、自分には関係ないことなので(none of my business)この日記にはいっさい書かない」というほどの意味

芸術至上主義者としての旗幟を明らかにした若き日の定家」と堀田善衛は評します。


(4)他方で、その前、1140年にまだ23歳の佐藤義清は、鳥羽上皇に仕える北面の武士宮中守護する兵士平清盛も同僚)を辞して出家し、西行となり、一生を歌に捧げる決意をします。

西行出家理由には諸説あり、鳥羽上皇中宮待賢門院への恋もその1つと推測する人もいます。しかし、天災人災と、醜い権力争いに嫌気がさしたということもあったでしょう。

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4.ということで、今回は、西行時代、当時の宮中の争いについて触れることにします。

(1)「乱世」と言われる根本の原因は、「誰が天皇の位につくか」という権力争いだった。

その背後には中宮を差し出し、娘の生んだ子に天皇を継がせたいという思惑があり、これが武士の台頭によって、武力をもった人たちがそれぞれの勢力に組みすることで、いっそう激しい戦いに発展した。その頂点が「保元の乱」である。

(2)まずは、白河法皇が「院政」を始めたといわれるが、この時代

天皇は、「白河」➜「堀河」➜「鳥羽」➜「崇徳」➜「近衛」➜「後白河」・・・・

と目まぐるしく変わる。


(3)「崇徳」と「後白河」の生母は待賢門院(西行が恋し・慕ったという噂のある女性)。

「近衛」の母は美福門院。

待賢門院(藤原璋子)は「白河」の養女として育てられ、お手が付いてしまい、17歳のときに、「白河」は15歳だった孫の鳥羽天皇中宮にさせてしまう。(1118年)。

翌19年に「崇徳」が生まれるが実は、「白河の子であった。

(4)「白河」は20歳鳥羽譲位させて、僅か4歳の「崇徳」を即位させる。

ところが、その6年後、「白河」は崩御し、「鳥羽法皇」が権力を握る。

しかも寵愛は待賢門院から美福門院(藤原得子)に移り、それぞれの親たちにグループが結成され、対立が深まる中、「鳥羽」は1142年、23歳の「崇徳」を譲位させて、たった2歳の・美福門院の生んだ「近衛」を即位させる。

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(5)ところが、1155年、「近衛」が17歳で早世。美福門院には他に子がいないので、崇徳の長子(16歳)の即位を阻止し、代わりに、崇徳の弟・18歳の後白河即位させる。

当時の後白河自分天皇になれるとは夢にも思わず、いまでいえば「カラオケ」と言ってよいか今様に狂っていた。美福門院側にすれば、「政治に興味のない彼なら操れる」と考えた(しかし当てが外れて、後白河はその後の乱世をしたたかに生き抜くことになる)。

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(6)直系である自分の息子の即位を阻まれた「崇徳」の不満・悩みは収まらず・・・・

1156年に鳥羽院崩御

これがきっかけとなって、崇徳・後白河の双方を支える勢力が激突し、ついに「保元の乱」。結果、崇徳側が破れて、「崇徳」は讃岐(いまの香川県)に配流される。

牢屋のような場所幽閉されて、8年後、激しい恨みを抱いたまま讃岐にて崩御怨霊となって京都の人たちを恐れさせたといいます。


5.以上、「代表的な一大乱世」「自由狼藉世界」のさわりを紹介しました。

民の苦しみなど一切考えず、お構いなく、権力争いに明け暮れる人たち。

マックス・ウェーバーの言う通り「政治本質権力である」とすれば、いまも昔もあまり変わらないかもしれない。

その渦中にあって、西行定家生き方は「芸術至上主義」といえば恰好いいが、「逃避だ」と批判できるかもしれない。

しかし、「わが事にあらず」として「歌」に生きようとした心もよく理解できるように思います。

いまのご時世に時にうんざりして、(定家西行のような身分とは縁がない)「一庶民」であっても、「わがことにあらず(勝手権力争いにうつつを抜かしてくれ、勝手に嘘を並べたててくれ)」と言いたくなる気持ちもあります。

自分では「歌」は作れませんが、『西行花伝』を読んで西行の歌を読んでいるときの方がはるかに豊かな時間を感じる。

例えば、

<風になびく、富士の煙の空に消えて、行方も知らぬ我が思いかな>


「一市民」としての義務は、そういうわけにもいかないのでしょうが・・・・。

2018-05-20

小さい薔薇の花と、「待賢門院」&「堀河局」

| 07:24 |

1.文字通り猫の額ほどの庭の片隅で、二年前に調布神代植物園で買った薔薇の小さな花がまた元気に咲きました。散っては、また何度も花を咲かせます。

薔薇自分で育てるほどの庭の広さも元気も知識もありません。しかし見ていると、この花がその棘もあってか、美しいというより、いかに強い「剛毅な」花かと痛感します。

英国人が好きなのも頷けるように思います。

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何となく中世日本女性の姿に似ているように感じることもあります。

2.コメントを頂くのが有難く、この拙いブログを続けている大きな理由の1つで、まこと勉強になります。

今回も、女性についてのフェイスブックコメントです。

Masuiさんから

「50歳後半にやや小さな会社社長になったので、思い切って女性活躍を実現しようと、課長ポストを増やしたり、女性の自立を高める業務教育を徹底して行いました。しかし思惑の通りには行きませんでした。その原因は男性です。必要だったのは男性教育だったのです。スタートが男性社会なので、まずは男性女性を使いこなす力を持たなければならなかったのです。」


また岡村さんからは、

日本人ガイドさんが「こちら(スイス)の人は主人が亡くなったら奥さんは後を追う様に亡くなられるのに、日本ではご主人が亡くなったらどうして奥さんは急に元気になるの?」・・・と質問され、

女性会のグループを見た外国人から夫婦旅行しないで、何故女性だけで旅行するのか?と訊かれた。お客さんは「何で主人と行かんならんのん。楽しめへんやん!」と即答」


何れも実に興味深い情報です。

ここから考えたのは、

日本男性社会・・・」

という指摘もそうかもしれないが、むしろ

男性女性の間に見えない壁(チャイ二―ズ・ウォール)があって、両者があまり交わらない社会ではないか」ということです。

その点でも、中世の「和歌」は、男性女性との間に「歌」を通した「心通じる文化」があったという気がしています。

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3.前回に、「和歌には“返し”の文化」があるという話をしました。

例をあげましょう。

(1)待賢門院(藤原璋子)は、鳥羽天皇中宮崇徳、後白河天皇の生母です。

鳥羽院の寵愛が美福門院(藤原得子)に移ったこともあって、1142年、42歳で出家して、3年後、45歳で死去します。

(2)当時の超一流の歌人西行はもと鳥羽院に仕えた北面の武士

文武両道に秀で、前途有望だった当時の佐藤義清(のりきよ)は、23歳のときに妻子を捨てて出家し、西行となります。

出家理由はよく分かっておらず、権力闘争に明け暮れする宮中うんざりした、親しかった従兄の急死に衝撃をうけた・・・等々と並んで、この待賢門院に対する恋があったのではないかという推測が昔からされています。

もちろん身分も違い、年令も17歳、待賢門院の方が年上だったので少し無理もあるようにも思います。

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しかし、辻邦生の『西行花伝』はフィクションですが、2人の一夜限りの逢瀬を小説に取り入れ、

他方で白洲正子評論西行』によると、西行は、待賢門院に幼いときに亡くなった母の面影をみて慕い・憧れ、身分いから想いはかなえられず、その失恋出家の原因の1つだったと推測しています。


(3)それはともかく、

まず待賢門院逝去ときに、長年仕えた女房の堀河局(つぼね)――ご主人を追って自らも出家した――が悲しみの歌をつくりました。

<君こふる、なげきのしげき山里は、ただひぐらしぞ、ともに鳴きける>

悲しみを抑えた、いい歌だと思います。

因みに、堀河局(待賢門院堀川とも呼ばれる)は当時の有数の歌人の1人で、藤原俊成編纂した「千載集」に15首も選ばれています。

定家が編んだ「小倉百人一首」には以下の歌があります。

<長からむ、心も知らず黒髪の、乱れてけさは、物をこそ思へ>

(大意――長く変わらないお心であるかどうか、わからずに、(お別れしたばかりの私の心は)寝乱れの黒髪のように、心乱れて、今朝はあれこれ思い悩むのです)

これはまた、悩ましい恋の歌です。誰に送ったかはもちろん分かりません。架空恋人かもしれません。

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(4)逝去の知らせが、堀河局から西行のところに届きました。

「残るのは悲しみだけであり、死の思い出が遠くなっても、それは薄れない。いや、薄れないどころか、かえっていっそう深く、濃く、痛切になる。女院は、私にとって、薄紅色のしだれ桜に囲まれた優しさであるとともに、散りしきる花に似た悲しみでもあった。

 そんな思いを私は堀河殿に書き送った」(辻邦生西行花伝』)

<たづぬとも、風のつてにも聞かじかし、花と散りにし君がゆくへを>

(大意―亡くなられた門院は、風に散る花のように行方がわからなくなっった、いくら尋ねようとしても、なしのつぶてです)

堀河局はすぐに「返し」を西行に送ります。

<吹く風の、ゆくへ知らするものならば、花と散るにもおくれざらまし>

(大意―門院の行方を風が知らせてくれるものなら、すぐにでもあとをお慕いし、ついていきたい気持ですのに・・・)

因みに、西行と堀河は西行出家してからもたびたび交流があったようですが、彼女は待賢門院よりさらに年長で、2人の間に恋情があったとは考えられません。

しかし、このように、先に逝ってしまった美しい女性に対する追慕という1点では、悲しみを共有しており、「歌」を通して、この二人が心を通い合わしているという状況が伝わってきます。


(5) そして、冒頭で紹介したMasuiさんが、和歌俳句日本文化にも触れて、

日本文化には余白に語らせるという独特なものがあります。

絵画でも余白を造り(等伯絵画など)家屋や庭でも借景を使うとか、俳句和歌などもできるだけ短くしてリズムをつくって、意図的に余白に語らせています。

正に作者と読者とが対話をしながら共鳴することによって価値を高めているのではないでしょうか?」

と書いておられます。なるほどと思いました。

短い詩形であるだけに、「余白」にこそ美しさがある・・・・・。

上にあげた、2人の男女の「歌」と「返し」には、まさに、言われるような「余白」が伝わってくるように思いますが、如何でしょうか?