川本卓史京都活動日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2016-09-25

『資本主義の終焉と歴史の意義』(水野和夫)を読む

| 08:24 |

1.(はじめに)

世田谷区の有志がボランティアで5年前に始めた読書会は、順調に続いています。

8月を除いて月1回の土曜日梅ヶ丘の区民会館に20人ほど4時間も集まり、事前に多数決で選ばれたテキストを推薦者が発表し、皆で話し合います。

9月は、『資本主義の終焉と歴史の意義』(水野和夫集英社新書)でした。

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日本経済社会のあり方、あるいは格差問題を考えるきっかけになればと思って、本書をテキストに選びました。

2014年週刊ダイヤモンドベスト経済書第1位、2015年新書大賞」第2位に選ばれ、話題を呼んだ著作です。渋谷丸善ジュンク堂には、2年半経った今も平積みで並んでいます。

2. (本書について)

(1)著者は「資本主義の死期が近づいているのではないか」という問題意識に立って論を進めます。その根拠の1つにここ20年も続く先進各国の利子率の異常な低下をあげ、

それは、成長の限界、もはやフロンティアが残されていないことを示唆していると言います。

日本国債10年物の金利がマイナスになっていることご承知の通りです)


そのような状況で無理に成長と利潤の極大化を追求しようとすれば、バブル格差の拡大を引き起こすだけで、中間層の没落を通して、民主主義の基盤を破壊する。


(2)この問題意識に沿って著書は、アメリカの強欲な「金融帝国化」の現状と、それが1980年代半ばから始まったことを統計から説明します。

私は、1987年オリバー・ストーン監督映画ウォール街』やアメリカ格差拡大についても補足しました。

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マイケル・ダグラス投機ゴードン・ゲッコーに扮して株主総会

greed is good ,greed is right, greed works・・・」と演説し、株主たちの大喝采を浴びる有名な場面があります。アメリカ映画もっとも有名な「せりふ」の1つと言われます。

https://www.youtube.com/watch?v=PF_iorX_MAw


またアメリカ格差が拡大し、中間層が減って二極化が進んでいることが、大統領選挙トランプサンダース現象につながっていると言われます。

これは最近調査結果ですが、

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・成人人口比較で、1971年には「中流(middle class)」の81百万に対して「上流プラス下層(upper & lower)の合計はその63%しかいなかったのに、2015年には前者120百万に対して後者121百万と追い越した。

1970年には、中流所得の総額が全体の62%を占めていたのに、2014年には43%まで下がった。「下層」も10%から9%に下がった、上流だけが49%と増加した。

サンダーストランプを支持したくなる気持ちも分かります)


(3)またこれからの新興国経済成長近代化は、これまでの先進国のそれとは大きく異なり、すべての国民を豊かにするものではない。現代では資本はやすやすと国境を超える。このグローバリゼ―ションのため、貧富の二極化が一国内で現れるだろう。


(4) もちろん日本でも格差が広がっていると指摘します(例えば、金融資産保有していない2人以上の世帯割合2013年に3割を超え、調査以来もっとも高い、など)。


(5)このような論述は、「資本主義には所得や富を資本家に集中させていく不平等化傾向が本来的に備わっている」として世界中議論を巻き起こしたトマ・ピケティの『21世紀資本』にも通じるでしょう。


(6)そして、近代資本主義主権国家システムはいずれ別のシステムへと転換せざるをえないだろうと予測します。

しかしそれがどのようなものか、人類はいまだ見出していない。従ってまずはその前に、「脱成長」に舵を切り、経済の「定常状態」(ゼロ成長とほぼ同義)が普通の姿だと認識し、資本主義の「強欲」と「過剰」にブレーキを掛けなければならないと主張します。

3. (読書会感想

(1)読書会には新しい参加者も4人いて、中には厳しい格差の現状や弱者に冷たいいまの日本社会を嘆く発言もあり、心に残りました。

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(2) 著者の警告を私たちはどう受け止めるべきか?「資本主義は終わる」と言われてもピンとこないかもしれません。また「ゼロ成長と不平等緩和はトレードオフではないか」という疑問もないではありません。


(3)しかし、矛盾を抱えたシステムであることには納得するのではないしょうか。

そして、その矛盾格差や強欲など)をどうやって修正していくかについては、「資本主義とは本来的に倫理性を要求するシステムであることの確認から始めなければならない」(岩井克人)でしょう。

その上で、国家資本主義を補足する領域としての強い「市民社会」に向けて、1人1人が、ささやかであっても考え・行動していく、そういった地道な努力の積み重ねが必要ではないかと改めて考えました。

発表では最後に、岩井さんの言う「倫理性」ある資本主義実践者として2006年ノーベル平和賞受賞、グラミン銀行創設者ムハマド・ユヌス言葉も紹介しました。


――「(強欲なビジネスと)もうひとつビジネスでは、すべての活動他人福祉のためになされる。(略)後者、つまり人間利他心に基づくビジネスこそ、私のいう「ソーシャル・ビジネス」である。現代経済理論に欠けているのはまさにこの考えだ」

2016-09-18

映画『イングリッド・バーグマン』と『ミリキタニの猫』

| 07:59 |

1. 約2か月ぶりに都会に戻ってきました。

早速、渋谷に出没していますが、田舎との違いをいちばん感じるのは人と自然とのバランスです。ハチ公前のスクランブル交差点群衆(とくに若い人)には圧倒されます。

バスで15分ですのでよく通いますが、早速映画を2本見ました。何れも信州ではまず見られない映画なので、こういうのが都会に暮らす良さだろうと思います。

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2. 今回はその話ですが、まずは『イングリッド・バーグマン、愛に生きた女優』です。

プログラムのうたい文句を紹介すると、


―――7度のアカデミー賞ノミネート、3度の受賞歴をもつ彼女は、ハリウッド黄金期のなかでも才能と美貌において傑出した存在だった。

同時に幼い子供がありながら夫以外の男性と恋に落ち妊娠した事件は、保守的時代だった1950年代にあって大スキャンダルとなり、非難を浴びた。それでもイングリッドは、毅然と愛に生き、演じることを愛し、生涯現役を貫いた。

自分生き方自分で選び・責任をとる、自由精神を感じます)


そして

―――この映画は、2015年の生誕100年を記念して、娘で女優イザベラ・ロッセリーニ制作を依頼したことから実現。イザベㇻを含む4人の実子の協力のもと、膨大なホームムービー日記などをとり入れて完成した・・・・・・


3. 面白いと思ったのは以下のようなところです。

(1) スェーデンのストックホルムまれの1人娘。母はドイツ人。父は写真館を経営

(2つの国の血が入ったハイブリッド。)

(2) 3歳で母が病死、13歳で父とも死別し、母親代わりの叔母も同年、死去・・・・

孤独少女時代を送った。


(3) 子供の時からプロ父親写真を撮られることに慣れていた。自らも撮影が好きで、ホームムービーを撮りまくり、それが残っているため、私生活の貴重な映像が、この映画でふんだんに披露される。


(4) また孤独少女時代が、彼女の空想癖を育て、映画演劇世界への関心を高め,熱心に日記や友人への手紙を書く情熱もつながった。両親の写真を初めてとして、これらの「思い出」を大事に保存する習性ともなった。

 ――彼女にとって過去はいつまでも記憶し、思いだすものだった。

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こんな風に、内向的女性だったのかもしれませんが、見かけは長身で大柄で、神経質な・華奢な感じは全くありません。

大柄と言えば、面白いエピソード披露されて、『カサブランカ』の最後の良く知られた場面、ハンフリー・ボガードバーグマン飛行場で別れる場面、ボガードの方が3センチほど背が低かったので、彼はずっと木の箱に乗って、バーグマンとのラブシーンを演じたそうです。

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(5) 子供たちの話の中で、「母親が沢山の手紙を友人に書き、今も残っているので、何かハリウッドの裏話でも書いてあるのではないか、それをもとに母の回想記でも書けるのではないかと思った。

ところが友人への手紙の中身は自分を含めた4人の子供のことばかり・・・・これでは第三者が興味を惹く内容にはならない、諦めた・・・・」が面白い


―――とまあこんな風に、私的な面が多く語られる映画で、

彼女はもちろん、自我の強い、女優であることを最優先し、「愛に生きた」女性だったのでしょうが、同時に、エキセントリックなところのない,自由健康人間だったのだろうと感じました。

「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい」など、いろいろ名言も残しました。

それにしても、1982年、67歳での死は少し若すぎました。


4. この映画東急文化村でやっていて、何といってもバーグマンですから、この日も超満員でした。

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他方で、すぐ近くにある小劇場ユーロスペース」で観た「ミリキタニの猫」は、友人に教えてもらった地味な作品ですが、これも面白かったです。

2006年公開の「10周年記念アンコール!! あの映画が帰ってくる」と謳い文句にあり、知る人ぞ知る映画なのでしょう。私は全く知りませんでした。

数奇な人生を送り、ニューヨークホームレス暮らしをしながらも絵を書き続けた日系アメリカ人を取り上げた映画です。


(1) ジョージミリキタニ(日本名:三力谷努)は1920年カリフォルニアまれ幼児のときに両親とともに故郷広島に「帰国」。独学で絵を学び、海軍兵学校に行けという父親の意に反して、18歳でアメリカに「帰国」。

(2) しかし日米戦争勃発により運命は暗転。財産もすべて没収されて3年半、苛酷な収容所生活を送る。

戦後、半強制的にはく奪された米国市民権回復されて、絵を描く夢を捨てずにNYに住む。しかし生活は苦しく、ついにはホームレス暮らしをしながら路上で絵を描く生活にまで落ちぶれる。絵の題材は収容所広島と赤く燃える原爆ドームそして猫・・・。

(3) 実に81歳になった2001年路上で彼の絵を買ったリンダと言う女性との交流が始まる。彼女は彼の半生を聞き、撮影をし、それが映画ミリキタニの猫」として完成する。

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(4) 当初は、強制収容所に送り込み、故郷広島原爆を落とした(母親一家は全滅した)「汚い・クズアメリカ政府」に怒り、「社会保障年金も要らない、絵を描き・自由に生きる」と言っていたジョージが、リンダなど隣人の好意に、徐々に変わっていく・・・・そのあたりが面白いです。


映画が出来て多少の有名人にもなり、友人もでき、年金も貰い、低所得高齢者用のアパートにも入居できて、故郷にも帰り、86歳になって行方が分らなかった姉にも会い、とハッピー・エンドで終わります。

2012年ニューヨークで死去、92歳。


この映画に登場する彼についてはもっと書きたいことがありますが、紙数がなくなりました。「自由に生きた」というのがバーグマンにも共通するかと思います。

(5) 苛酷だった収容所暮らしについても日系人ボランテァイが企画する「収容所への巡礼ツアー」に何度も参加する。帰りのバスの中で、窓から跡地を眺めながら、

「もう怒ってない。ただ思い出が通り過ぎるだけ」とつぶやく場面が心に残りました。

―――「この世とは思い出ならずや」や「もし人に生きる意味があるとすれば、それは思いだすことだ」(ヴァージニア・ウルフ)という言葉を思い出しました。


ジョージミリキタニはイングリッド・バーグマンより5歳年下で25年長く生きました。

長生きがよいとは必ずしも限らないけど、彼の場合はよかったケースでしょう。

6 いい映画を教えてくれた友人に感謝です。

2016-09-11

タイム誌が語る「アメリカには240も祝う理由がある」

| 07:42 |

1. 今回は、暫らく取り上げていないアメリカの話です。

7月4日はこの国の独立記念日ですが、今年は建国240年。

そこで7月11〜18日号の「タイム誌」は特集記事を組みました。

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いま、アメリカはいろいろと問題を抱えている。大統領選挙の年だというのに双方の候補に魅力が欠け、しらけている有権者も少なくない。


だからこそ、240年目を迎えて、アメリカには「少なくとも240は、祝うに値する理由がある。明るい面(bright side)に目を向けようではないか」という編集方針で、

(a) 大きな話から

(b) 地方の小さな話や

(c) 有名人の語る「私の好きなアメリカ」など

様々な角度で取り上げます。

日本だったら、(240でなくてもよいけど)どんな「明るい・素敵な物語」が語られるかなと考えながら、結構面白く読みました。


2. 例えば、(c)のカテゴリーであれば、

(1)ブーン・ピケンズ投資家、大富豪)がどこにでもある「デイリークイーン」のソフトクリームが大好きだと語る(NO.194)のはご愛敬として、

(2)ジャック・ニクラウスゴルフプロ慈善事業家)は、生まれ故郷オハイオをあげ、「小さな町と親切な人びとの魅力」を語ります。(No.219)

(3)アメリカ代表する児童文学(例えばNo.178「ハックルベリー・フィンの冒険」)をあげる有名人も何人もいます。

(b)と(c)が重なる「物語」も多いのは、上述のニクラウスもそうですが、この国が「田

舎・地方」を大事にする文化があるからでしょう。


(4)例えば、あるジャーナリストは、ニュー・ハンプシャーの小さな村の集会所(タウンホール)を紹介します(No.188)。

そこでは建国以来の「何でも皆で話し合って決める」という、トクヴィルが『アメリカデモクラシー』で感嘆している直接民主主義伝統が残っている。

――年に1度、村民が集まって話し合う。今年の議題は「街灯にLED採用するか否か?」で、626 対66で採用が決まった、と。


3. カテゴリーの(a)と(b)は、編集部が選びます。

例えば(b)「地方の小さな話」であれば、以下、ほんの数例を紹介します。

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(5)“「本屋は死んだ」と言われるが、誇張されている“という表題で(No.64)、地方の素敵な(本好きの私なら絶対入りたくなる)小さな書店が紹介される

――ある田舎の「小さな本屋」の主人は「ベストセラーは扱わない。しかし、中にはエミリー・ディキンソンの詩を読みたい人もいるでしょう。そういう人はうちにいらっしゃい」と語る。そしてこういう本屋の数や売り上げは増えている。

――

(6) “トマス・ジェファーソン(第3代大統領)だったら愛しただろう地方自治がある“(No,.86

――ノースダコタ州にある地方議会では、議員は全員がほかに仕事を持ち、議会活動基本的パートタイムかつボランティアであり、地元選挙民とは隣人同士のような付き合いである。


(7) “地元大学授業料支援する町がある”(No.145)

――ミシガン州のカラマズーという町では、2005年から匿名の有志による寄付で、意欲と能力はあるが経済的理由から進学できない高校生が、地元大学に進学する授業料無料にした。

当時、「ジョークだろう」という市民も「涙を流して喜んだ」親もいた。いまも続いている。

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などなどです。


4. 最後に、カテゴリー(a)「大きな物語」の幾つかを紹介します。

(8) まずNo.1にあげるのは「この国の多様な人びととその個人主義」です。それがいかに魅力と活力を生んでいるかが語られます。

(9) 次に「自然」が選ばれます。(No.4)

――国立公園というコンセプトはアメリカ発である。いま400あり、ボランティアを含めた活動がその環境保全を支えている。

(10) 移民国家における「移民存在」もあげられます。(No.9)

―――「移民のいない国家想像力を欠いた社会です」というある作家言葉が紹介されます。


このように「大きな物語」が最初の方に紹介されて、次に「地方の小さな物語」の紹介に移り、最後にまた「大きな物語」に戻ります。

例えば, (11) No.233では、「寄付文化(チャリティ)」がいかアメリカ社会根付いているか国民DNAになっているか、それを通して1人1人が自分なりに社会の不平等格差に立ち向かうことがいかに大切か、具体的な事例で語られます。


そして, (12)最後のNo.240は、一時期、絶滅危機に瀕した、ネイティブ・アメリカンにとって「聖なる動物」であるバッファローアメリカンバイソン)が官民一致の努力で見事に甦った物語。これには,日本でもよく知られるアメリカ民謡「峠の我が家Home on the Range)の1節が表題にあります ――“Oh, give me a home where the buffalo roam・・・・・”

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5.というような「特集記事」ですが、そこに流れるのは、

(1)「衰退や差別格差が言われるいまのアメリカに、何とか明るい話題提供したい。アメリカの良さを再認識したい」という思いから始まり、

(2) アメリカにいまも「良さ」があるとすれば、それは「人びと」であり、「地方田舎の小さな暮らしであり、物語」であり、

(3) そういう「良き人びとや物語」を生んでいるのは「自由多様性」にある、

という信念ではないでしょうか。

現実もっと厳しく、こんなに甘くはないよ、という批判もあるでしょうが


日本だって、探せば、沖縄にも、秋田にも北海道にも、「ささやかだが、素敵な物語ロマン)――人々とその暮らし生き方」がたくさんある筈だし、そういう『特集』があってもいいのではないか

と考えました。

最近、「残念なことに、今の世界を見ていると、悪いことはすぐに世界中に広まるけれど、良いことは一向に広まらない。」という行天国通貨理事長コメントを読んでなるほどと思いました。「良いことを広める努力」がいま大事ではないでしょうか。

2016-09-04

御射鹿池や清里テラスももう秋の気配

| 07:32 |

1. 9月に入り、高原はもう秋の気配です。

稲穂が実り(あと1か月弱で刈り入れです)、蕎麦の花も満開。月見草女郎花など秋の花も咲き乱れ、赤とんぼも舞っています。

我が家は借りている畑の後始末に行ってきました。

留め釘を外し、マルチ資材を畳み、うねをきれいにします。


この畑は友人が借りているごく一部をまた借りしているのですが、来年からオーナー地元農家自分で使うというので、利用できなくなりました。

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友人が困っているので、長年親交のある別の農家の主人・堀内さんを家人と訪れ、貸して欲しいと依頼したところ、OKしてくれ、空いている土地を見せてくれました。

来年の春先になったらトラクターで耕してやるよ」と言ってくれました。


彼はもう90歳を過ぎていますが、元気な一人暮らし。蔵のある立派な家に住み、広い農地も持っており、コメ作りはいまは他人に依頼していますが、野菜自分で作っています。車の運転トラクター操作もこなします。

奥さんに先立たれ、一人娘は東京商家に嫁ぎ、商売繁盛で帰ってきて農業を継ぐつもりはまったくない。

自分が死んだらこの農地がどうなるか?心配しても仕方ないが・・・・と言っています。こういう農家は少なくないでしょう。


何れにせよ、来年も畑で野菜作りが出来る目途が出来たので友人は大喜び。

当方夫婦は自信ありませんが、彼らは一回りも年下なので、まだまだ元気です。


実は我々のような夏の間の一時滞在者と、地元の人との交流はさほど多い訳ではありません。

保守的土地柄ですから、いろいろ心理的な抵抗も大きいでしょう。

それでもこの農家のご主人は、親切で、我々のような人間にも理解があり、助かります。

それと我が家家人は、どちらかと言えば「田舎派」で、以前に借りていた有賀さんというおばあさんからは、「あんたは農家の嫁になればよかったなあ」としばしば言われていました。


2. ということで、田舎にいてもいろいろ雑用があります。

先週は、大学時代の友人2人が遊びに来てくれました。

台風の最中でしたが、当地は雨風も強くなく、外に出ることができました。

友人の1人は絵を描き、展覧会に何度も出品しています。

昨年来た時に、御射鹿池に連れて行っところ感激して、絵に描きたいと目下制作中、もういちど確認したいというので現場を訪れました。

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御射鹿池は、山奥の農業用のため池で、観光地ではなく、周りには何もありません。

ただ、東山魁夷が描いたことで有名になり、TVコマーシャルにも登場しました。湖畔を歩く、想像上の白い馬を配して、絵に独特の雰囲気をもたらしています。


秋の紅葉が見事で、何度も通っていますが、「知る人ぞ知る」という場所で、駐車場もなく、車は路傍に停めていました。

今回、友人を連れて訪れたところ、山道を削って駐車場が出来ていて驚きました。

もっと驚いたのは、柵が設けられ「立ち入り禁止」になっていました。

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以前は、自由に湖畔まで降りて、歩き回ったり、座って絵を描いている人も見掛けました。

それだけ人出が増えたのでしょう。事故でもあったのかもしれません。

やむを得ない措置ですが、以前自由に歩いたことを思い出すと、寂しく感じます。

友人は「来年は、とうとうここに茶店が出来るよ」と予言しました。


3. 最後に珍しく家人と2人で清里まで出かけたことも記録しておきます。

台風一過9月2日、約1時間、清泉寮でよく知られたリゾート地清里に行きました。


人に勧められて知ったのですが、「サンメドウズ清里ハイランドパーク」という、眺めの良い場所です。

冬はスキー場で、夏はトラッキングが楽しめます。

スキーリフトに乗って10分ほど「標高1900メートルの特等席」という「清里テラス」に到着。

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開放的ソファにゆったり座ってパノラマ景色を眺めるというコンセプトです。

夫婦は余計なことを心配して、「雨が降ったらクッションは濡れてしまう、どうするんだろう」とお店の人に訊いたところ、「確かにたいへんです。雨が降ったらスタッフが総動員で片づけます」と答えてくれました。

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それともう1つ感心したのは、こんな高所にもきれいなトイレがあって、これがちゃんとウォッシュレットだということです。


昔、スイスのツエルマットで、マッターホルンを眺めながら1週間の夏休みを過ごしました。どんなに高い山にリフトで上がっても水洗の,洒落トイレがあるのに驚きました。それに比べて日本はまだまだ遅れていると思ったものです。

それから20年以上経って、日本技術環境もここまで進んだかとすっかり感心しました。

もちろんウォッシュレットまで要るか、と思う人も居るかもしれませんが。

逆に、おそらくスイスでは、高山トイレのみならず、どこにもウォッシュレットはなく、20年前とあまり変わらないでしょう、これが「保守」かもしれません。

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ともかく、いろいろと進化し、変化し、成長を続けている日本社会です。

人間はどこまで行くのか?

例えば(「話が違うよ」と言われそうですが)、ウサイン・ボルト選手を越えて、100メートルを8秒台、7秒台で走る選手が出てくるのでしょうか?

それとも進化は、どこかで止まるのでしょうか?そのとき選手は、100メートル競走の意味をどこに見つけるのでしょうか?

駐車場ができ、「立入り禁止」になり、「茶店も出来るかもしれない」御射鹿池も思いだしながら、そんなことを考えました。

2016-08-28

八ヶ岳農業実践大学校のこと、「あとらす」のこと

| 08:11 |

1. 前回のブログでは、組織社会共存する社交社会存在大事だとする『社交する人間』(山崎正和)を紹介しました。

「社交」を成り立たせる理念礼儀作法感情の統御、共感平等自己表現上下関係のない・つかず離れずの人間関係など)が文明の前提であり、現代はそれが衰弱しているのではないかという著者の問題意識です。


もちろん「社交」が成立するには理念だけではなく、皆が共有し、楽しめる、しかも贅沢ではない「仕掛け」が必要なので、それは田舎であれば、じゃがいもと会話があれば十分でしょう。

たしかにこの時期、野菜豊富に手に入るのが有難く、我が家食卓殆ど連日、さまざまな野菜(だけ)が並びます。

我が家ジャガイモの他に、友人がなす・トマトズッキーニ枝豆など作っていて

「食べ切れないから貰って」と大量に持参してくれます。

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近くには、「八ヶ岳農業実践大学校」があって、ここで合宿している若者が作っている野菜チーズなどを直売しています。


朝、8時半オープン直後に、家人と2人で出かけましたが、すでに取り立ての野菜が並んでいました。

朝2時に収穫したというセロリや、新玉ねぎなど、新鮮で安くて、おいしそうです。

八ヶ岳の見える大学校に、通常であれば1年間のコースを取って合宿して農業を学ぶ、朝早く起きて、牛や鶏の世話をしたり、野菜を作ったりする、そういう日本若者が居るのだとあらためて感じます。


というような日々で、田舎暮らしても、ゴルフ趣味もなく、観光にも興味なく、近くを散歩して、あとは本を読んだり、PCに向かったり、人に会ったりするぐらいで、代わり映えのない時間が過ぎます。

都会にいると、つい町中に出かけて、いろいろ散財することにもなりますが、引きこもり時間が多いので、財布の中も一向に減りません。


2. 時には雑用があって、中央道を走る高速バスを使って東京に出ます。JRより安く、平日はさほど渋滞もなく、快適です。

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先週は、慶應義塾大学三田キャンパスでのゼミに参加するため、出かけました。

いつも早めにキャンパスに到着し、福沢諭吉の胸像に挨拶をしてから教室に入ります。

もともとは同大学の教授福沢諭吉研究センター所長のもとで福沢の著作を読みはじた仲間ですが、すでに5年目に入り月に1度、最近は、福沢とほぼ同時代思想家著述を読んでいます。ここ3カ月は徳冨蘇峰です。

総勢10名ほど、私にとってはこれも「社交」の1つなのですが、とくに60代の女性が熱心で(やはり慶應OBが多い)よく勉強していて感心します。

田舎野菜を作る若者と、明治の古い政治思想を読む高齢者と、日本も多様でいいことですね。

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この日は、ゼミ仲間の1人の女性慶応文学部卒)に「あとらす」という雑誌の34号を渡しました。

素人ばかりが作っている雑誌ですが、年に2回発行でもう15年以上続いています。

旧知の編集長に2年前から編集の手伝いを頼まれて、自分でも雑文寄稿し、友人も誘いました。もっと編集手伝いは口実で、酒を飲んでただ喋るという、これも「社交」です。

お陰で、34号には4人が参加してくれて、雑誌のレベルもだいぶ上がってきたと喜ばれています。

彼らも熱心に、文章を書いてくれて、「考えること・調べること・書くこと・発表すること・人に読んでもらい批評してもらうこと」の喜びを感じてくれているようで、嬉しく思っています。

友人の中には、仲間で絵を描いて展覧会を開いたり、歌を歌ったり、詩吟披露したりする人たちがいます。

文章を載せ合う「場」も、それと似たような「社交社会」を成り立たせる「仕掛け」の1つとしての意味があるのではないでしょうか。

9月中旬には職場で一緒だった執筆者4人で合評会と称して、集まることになりました。


3. 私の今回の雑文は「ハリウッド映画回想」と題して、古いアメリカ映画戦前映画が好きだった母や、政治学者丸山眞男が見た、フランク・キャプラ監督の『スミス氏都へ行く』や西部劇などの思い出を取り上げました。


題材としての古い映画は、好きな人も多いので、興味を持って読んだくれた人もいます。

中で、大学時代の友人の1人からは長いメールをくれて、自分の好きな映画についての「うんちく」をいろいろと披露してくれて面白かったそうです。

中でも、『第三の男』がいちばん好きて30回以上観ている、セリフを殆ど暗記している、等々書いてくれて、

「私あてのメールでは勿体ないから、「あとらす」に寄稿をお願いしたい」と依頼したところです。

彼は絵は長年学校に通って描いており、展覧会にも何度も入選しています。今度は文章に挑戦してくれると、嬉しいです。

どなたか、このブログを見て、「あとらす」への寄稿に興味を持ってくれる人いませんか?

誰でも参加できて、題材も長さも自由で、編集長まこと良心的で、素人ばかりの雑誌にしてはきれいに作っています。

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表紙の絵は、編集長と仲のいいプロ評論家某氏匿名で描いてくれました。これを色変わりで、毎月使っています。

「書くこと・表現すること・それを仲間内で読んで語り合うこと」を「社交の場」にして、参加者が喜んでくれればいいなと思います。

格好つけて言えば、17世紀フランスサロンみたいな「場」、それは平和社会の土台にもなるのではないか


因みに『社交する人間』によると、「社交が成立する条件として、人間平等とそれを許容する平等主義必要だ」として、

17世紀フランスサロン身分的にいか平等であったということは、その女主人のなかに侯爵夫人と並んで、高級娼婦出身を隠さなかった女性いたことからも明らかである」

と書いています。