川本卓史京都活動日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2018-08-19

沖縄や広島やアウシュヴィッツを旅するということ

| 07:51 |

1. まず初めに、2011年5月23日付「「胸中の公平な観察者(アダム・スミス)」とアメリカ憲法」と題するブログに7年後の18年8月15日に「勉強になりました」とコメントを頂いたinoue3さんにお礼を申し上げます。こんな昔に書いた文章を今だに読んでくれる人がいるということ自体不思議に思えるのですが、「アメリカ憲法」については次回にも取り上げたいと思います。

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2.先週はお盆休みで、当地も人と車で賑わいました。JA経営スーパーマーケットに行ってもレジは長蛇の列です。

久しぶりに田舎のおじいちゃん・おばあちゃんに会った若者も多かったでしょう。15日には、戦争の話をお年寄りから聞く機会もあったかもしれません。

私どもの場合は、長女夫婦が1週間の夏休みで来るはずだったのですが、老いた猫の病気が重くなり、看病で東京に残らざるを得なくなりました。

そんな訳で、手伝いがいなくなり、老夫婦二人で畑のじゃがいも掘りをしました。1回ではとても取り切れません。酷暑とはいえ、今年も豊作でした。

じゃがいもは、手をほとんどかけなくても立派に育つ、貴重な食べ物です。植え付けの時は畝づくり、鹿除けネットの設置や肥料など、結構手間がかかりますが、あとはたまに草刈りをする程度で、収穫は疲れますが楽しい作業です。

ということで、混雑するこの時期、スーパーでの買い物は敬遠して、我が家食卓は、じゃがいもの他、友人が作っているトマト枝豆ズッキーニとうもろこしなど、もっぱら地元素人野菜が並びます。

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3.長男夫婦が2泊してくれました。こちらはあまり長い休暇は取れないようです。

ちょうど15日にも居ましたが、1昨年は、この時期二人で広島平和記念公園に行ってきた話を聞きました。オバマ前大統領5月に訪れた年です。


そういえば、フェイスブック岡村さんが、沖縄中学生が「慰霊の日」に朗読した詩を読んで、1977年の33回忌で沖縄を訪れたとき、「飛行機から見た海が、まさに青く輝いていたことを思いだした」というコメントを頂きました。

その旅で、同氏が京都女性会のメンバーを連れて、摩文仁の丘と宣布湾市にある「京都の塔」に行き、花束を捧げたとき、メンバー全員が涙を流していたことも思い出したそうです。

私も糸満市摩文仁の丘を含む平和祈念公園資料館は訪れましたが、宣布湾市の「京都の塔」は知りませんでした。検索すると以下の説明があります。

昭和39年4月29日京都府沖縄戦没者慰霊塔奉賛会が京都府出身沖縄戦没者2,536柱の御霊冥福世界恒久平和を祈念して、玉砕の地、宜野湾市嘉数の丘に「京都の塔」を建立した。石材は、京都市左京区鞍馬から産出する「鞍馬石」を使用している。」

観光旅行と言っても、アウシュヴィッツ収容所跡を訪れるなどいろいろな旅があることは前回も触れました。

こういう場所を訪れるのは決して楽しい経験ではないでしょう。しかしそれでも、内外から旅する人がいることに、何となく救われるような気持ちになります。

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4.前回、紹介した『原爆広島復興させた人々』(木村光太、2017年)というドキュメンタリーは、原爆で壊滅した同市の復興努力をした人の中から

長岡省吾、浜井信三、丹下健三高橋昭博という4人の事績を追いかけたものです。

長岡は直後から市内を歩き回り、爆心地の特定燃えた石や遺品など貴重な資料の保存に努め、1955年に開館した平和記念資料館の初代館長となった。

浜井は原爆投下時は市の配給課長として救助活動に奔走した。戦後公選による初の市長として、市の復興に力を尽くし、平和記念公園の設置や原爆ドームの保存に尽力した。

丹下は、広島高校時代を過ごしたこともあって、平和記念公園設計コンペに応募して1等となり、彼の設計になる公園が完成した。そこは、「慰霊と祈念するための施設であると同時に、平和を創出する場をコンセプトに、都市全体の構図の中で建物がデザインされている」と言われます。

高橋被爆者語り部原水爆禁止運動活動家として知られ、7代目の資料館館長でもあり原爆ドームの保存・修理費用募金活動にも尽力した。


5.本書を読み進めるには相当の勇気が要ります。

とくに第4章「悲劇を継ぐ」は、こうして完成した「資料館」に「被爆者の苦しみや痛みがつたわってくる資料」がどのようにして集められたかを記述します。

例えば、「長岡家族から受け取り、今も常設展示のコーナーに置かれている被爆資料に「三位一体の遺品」がある。原爆で死亡した三人の中学生被爆時に身に着けていた衣服が一つのマネキンに着せられて飾られた品である。ゲートル、帽子ベルト、学生服だ。

そして、「三人の被爆の経緯は以下の通りだ・・・・」から続く文章はあまりに悲惨で、私のような(6歳のとき広島にいた)弱虫はとても読む勇気がありません。

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彼らは爆心地から900m.の場所建物疎開作業をしていて被爆した。

同じく犠牲になった中学生名前入りの弁当箱を寄贈した、彼の甥(当時生後11か月で被爆し、左目を失明した元広島教授)はこう語ります。

「・・・(戦後もずっと)原爆という言葉を耳にするだけで、震えが止まりませんでした。原爆関係ポスターが貼られていれば逃げるように遠回りし、学校で「原爆の子」の上映会に行ったとき最初から最後まで下を向いて見ないようにしていた。・・・もちろん、資料館に足を運んだことはありませんでした。怖くて近づくこともできなかったんです」。

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6.それでも、一人でも多くの人が観光旅行のついでもいい、怖さや辛さを恐れず、沖縄広島を訪れて資料館に入って悲惨な思い出に接してくれる・・・そういう人たちを考えるだけで感動してしまいます、僭越ながら、有難うと申し上げたい気持ちです。

今年の長崎原爆の日8月9日には国連のグテレス事務総長(元ポルトガル首相)が式典に参列し、挨拶をし、資料館も訪れました。

挨拶では、

「(世の終末を暗示したヨハネ)黙示禄の向こう側から被爆者人類という家族すべてに代わって声をあげています(・・・the Hibakusha have raised their voices on behalf of the entire human family )。私たちは耳を傾けなければいけません」

と語りかけました。

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田上長崎市長平和宣言の中で、こう訴えました。

世界の皆さん、核兵器禁止条約が一日も早く発効するよう、自分の国と国会条約署名批准を求めてください。

日本では)いま300を超える地方議会条約署名批准を求める声を上げています。日本政府には、唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約賛同し、世界非核化に導く道義的責任を果たすことを求めます」。

2018-08-12

「広島原爆の日」と「沖縄慰霊の日」

| 07:41 |

1. 前回のブログで、海外旅行者の増加がとくにヴェネチアなど欧州の受け入れ都市で大問題になっているというタイム誌の記事を紹介しました。4人の方からフェイスブックコメントを頂き、有難うございました。

8月15日も近づき戦争悲惨反省する機会も多くなっていますが、この世界的な観光旅行の進展が互いの国の理解を深め戦争回避に少しでもつながることを期待します」というコメント(Masuiさん)を読み、確かにそうだなと共感しました。

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ちょうど73回目の「広島原爆の日」を伝える報道に、

広島には毎年、多くの外国人観光客が訪れている。8月6日も平和記念公園などで多くの外国人の姿があった」という記事がありました(朝日デジタル版)。

記事は、

―― 平和記念公園にかかる本川橋近くに置かれた大きな世界地図の下に、英語で「どこから来ましたか」の文字地図の様々な場所に赤、黄、緑のシールが並ぶ。地図の右下にシールを貼ったのは、友人とチリから訪れたジョナサンガルビゾさん(27)。「もう戦争は嫌だ、我々はみな家族なんだ」と話した。―――

と続きます。

はるばるチリから広島訪問したのだと思うと、感慨深いものがあります。

観光旅行といってもいろいろな旅があり、いろんな経験なのですね。


2. 「戦争は嫌だ」と言うチリジョナサンさんは、オバマ前大統領も訪れた「広島平和記念資料館」を見ての感想でしょう。

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かって、チェ・ゲバラワイツゼッカーも(エドワード・ケネディも)訪れました。

(1)チェ・ゲバラについては、この7月刊行され、茅野市図書館から借りて読み終えたばかりの、『原爆広島復興させた人びと』(石井光太集英社から知りました。といっても著者も『ゲバラHIROSHIMA』(佐藤美由紀、双葉社2017年)という本から引用です。

――資料館完成は1955年

1959年フィデル・カストロとともにキューバ革命をなしとげたゲバラは、7月キューバ通商使節団の代表として来日

広島行きは当初の旅程に入っていなかったが、ゲバラ自身希望で、大阪滞在最中、副団長大使の2人だけを連れて突然訪問

長岡省吾初代館長の案内で見て回り、見学時間は、平均の倍にあたる1時間に及んだ。・・・資料館を出てから原爆病院へ赴いて、原爆症で苦しむ人々を見舞った。・・・ゲバラはそんな患者たちを前にして涙を流し、「頑張って生きてください」と声をかけて回った。

・・・30歳だったゲバラの、妻アレイダに宛てた手紙には、

今日ヒロシマから送ります。(略)

平和のために断固として闘うには、ここを訪れるのがよいと思います。・・・」――

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(2) ヴァイツゼッカードイツ大統領広島訪問は、1995年8月8日

その10年前、ドイツ敗戦40年にあたって演説し、「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります」と語った人です。

彼も資料館も訪れ、「広島訪問した者は、生涯にわたって平和の大切さを、世界に語り続けるだろう」と記帳しました。

(3) そういえば、毎月慶応義塾三田キャンパスで集まる「福沢諭吉ゼミ幹事をしてくれる60代のインテリ女性は、今年初め夫妻でポーランドに行った、アウシュヴィッツを訪れるのが主目的だったと話していました。

いろいろなツーリズムがあり、それぞれが思いを抱いて帰ってくるのでしょう。

「(旅が)お互いの国の理解を深め戦争回避に少しでもつながることを期待します。」というMasuiさんの「期待」は大事だなとつくづく思いました。


3. ところで私はといえば、今年もまた8月6日茅野市で迎え、朝早くから「第23回平和祈念式」に出席しました。とりわけ暑い日で、この暑い中で少し挨拶が多く・長かった」とは一緒に出掛けた家人感想です。

他方で、昨年、広島市平和記念式典に派遣された中学生7人が松井広島市長メッセージを代読する試みはよかったと思います。

7人が交代で「・・・被爆者の「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」という核兵器廃絶を願う切なる思いを世界の人々に広げ、次の世代にも受け渡していかなければなりません」などと読み上げました。



中学生の姿を眺めながら、新聞で読んだ沖縄中学3年生相良倫子さんのことも思い出しました。

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相良さんは6月23日沖縄戦で亡くなった20万人超をしのぶ「慰霊の日」に自作平和の詩「生きる」朗読しました。全文で百行以上ある長い詩です。

以下に、一部を紹介して今回の終わりにします。


―――私の生きるこの島は、何と美しい島だろう。

   青く輝く海、岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

   山羊のいななき、小川のせせらぎ、畑に続く小道、

   萌え出づる山の緑、優しい三線の響き、照りつける太陽の光。 

   私はなんと美しい島に、生まれ育ったのだろう。

    (略)

   七十三年前、私の愛する島が、死の島と化したあの日

    ・・・・・・・・・

   火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

   燃えつくされた民家、火薬匂い

   着弾に揺れる大地、血に染まった海。

   魑魅魍魎(ちみもうりょう)の如く、姿を変えた人々。    

   阿鼻叫喚(あびきょうかん)の壮絶な戦いの記憶

   みんな、生きていたのだ。私と何も変わらない、

   懸命に生きる命だったのだ。

   

   摩文仁(まぶに)の丘。眼下に広がる穏やかな海。

   悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

   私は手を強く握り、誓う。

   奪われた命に想いを馳せて、心から、誓う。

   私が生きている限り、こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、

   絶対に許さないことを。

    (略)

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   あなたも、感じるだろう。この島の美しさを。

   あなたも、知っているだろう。この島の悲しみを。

   そして、あなたも、私と同じこの瞬間(とき)を

   一緒に生きているのだ。

    ・・・・・・・・・・

   私は、今を生きている。みんなと一緒に。

   そして、これからも生きていく。

   一日一日を大切に。平和を想って。平和を祈って。

     (略)

   摩文仁の丘の風に吹かれ、私の命が鳴っている。

   過去現在未来共鳴

   鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

   命よ響け。生きゆく未来に。私は今を、生きていく。――

東京新聞の「読者欄」に「詩でこんなに涙を流したことがあっただろうか。・・・私の魂を震わせた」という61歳の女性投稿が載りました。   

2018-08-05

タイム誌が伝える「観光旅行の落とし穴(The Tourism Trap)」

| 08:39 |

1. 空蝉(うつせみ)について、柳居子さんのコメント有難うございます。

句会に出席されるのですね。いい趣味ですね。

手元の「歳時記山本健吉編)」に、

「空蝉を見る妻の瞳(め)のうるむなり」という句が載っていました。

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それにしても暑いですね。当地も連日良く晴れて気温も例年より高いです。

日本だけではないようで、赤ん坊を連れて英国帰国した娘から「戻ったらロンドンは何と33度でした!」というメールが来ました。

ロンドンで30度を超える日が続くのは本当に珍しい。冷房を設置している家もほとんどないはずです。


2. 欧州暑い今年の夏、気温上昇も海外旅行者の急増の一因だという記事が最新のタイム8月6日~13日号の記事観光旅行落とし穴(The Tourism Trap)」に載っていました。

もちろん、(1)政治的要因(冷戦の終わり、EUの拡大など)

(2)海外旅行自由化弾力化(中国など)

(3)中産階級の増加(中国インドなど)

(4)航空運賃ホテル代など価格の低下、

(5)インターネットによる情報利便性の向上

(6)各国・各地方自治体の誘致政策(これがいま裏目に出て、急増する観光客問題化している、というのが「落とし穴」の意味でしょう)

などが大きいですが、


加えて、地球温暖化によっていままで行けないようなところまで旅行者の足が延びている、と同誌は指摘します。

例えば、アイスランド2017年に受け入れた旅行者は、2百万人と5年前の230%増。

しかも、同国の人口33万人だそうですから、年間で何と人口の7倍近く(!)を受け入れた訳です。

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3. 海外旅行者の増加はもちろん世界のどこでも見られる現象で、日本例外ではないことご承知の通りです。

しかし、タイム誌によると、何と言っても欧州に行く人が多い。

国連統計によると、昨年2017年海外旅行者は13億人で、前年比8%アップ、この51%が欧州に向かったそうです。そして今年は間違いなくさらに増加する。

その結果、2017年フランスは、8千7百万人、スペイン8千2百万、イタリア5千8百万、ギリシャ2千7百万が海外から旅行者(その大半は観光客でしょう)としてやってきた。

人口が、仏6千2百万、スペイン4千7百万、伊6千万ギリシャ1千百万、を考えると、総人口より多く、国によっては倍以上(イタリアはほぼ同数)を1年間で受け入れている訳で、これは驚くべき現象と言えましょう。

例えば、仮に日本で総人口3分の1の年間4千万人(英国の受け入れと同じ)の観光客海外からやってきたとすれば・・・インフラパンクするでしょうね。

(しかも、この中には国内から観光客は含まれていない)。


4. 都市でいえば、小さくて名高い都市問題が生じている。

(1)イタリアヴェネチア、フィレンツエ、スペインバルセロナオランダアムステルダムクロアチアドブロブニクなどである。

(2)ヴェネツィア(Venice)を例にとると、いまここは一日平均5万5千人の観光客を受け入れている。年に約2千万人。

しかも住民が5万5千人しかいない小さな街である。平均して住民と同数の旅行者毎日やってくる勘定である。

街の一部では観光客に溢れて、もはや居住不可能になっている地域もある。

ヴェネチアの静かな美しさ」を描いて知られる人気の画家自身、こんな人のいない街の風景がいまや現実には存在しないことを知っている

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(3) ヴェネツィアには1951年には17万5千人が住んでいた。今や3分の1以下に減ってしまった。

観光客観光業が昔からいた住民を追い出し(あるいは彼らが逃げ出し)、町の中心部レストランや土産物の店に占領されてしまった。


(4)同じような状況は、バルセロナフィレンツェでも起こっている。

この結果、文化伝統遺産の維持が難しく、街本来の魅力も薄れ、まるでテーマ・パークみたいになっていく危険をはらんでいる。


5. もちろん受け入れ地の市民の不満や犠牲負担は大きく、抗議のデモも起きている。

受け入れ国も自治体も、種々の対策実施したり、検討中である。

税金を導入、

・一日当たりの受け入れ人数の制限

マナーを守らない観光客への罰金

ホテルの新設を禁止

特定場所に集中しないように他の場所誘導する作戦

などなど。しかし、なかなか抜本的な効果が上がらない・・・

他方で市民ボランティアの動きもみられる。自分たち観光客から寄付金を募ったり、学校トイレを公開したり、交通整理をしたり、住民誘導をしたり・・・

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6.というような内容で、それ自体驚きではありますが、記事は現状を説明しているだけで、もっと掘り下げた分析必要だろうと思います。例えば

(1) 海外旅行者急増の総合的なプラスとマイナスをどう考えるか?(例えば、文化伝統住民意識に与える負の影響などを具体的に特定できるか?)

(2) 一部の潤う人たち(観光業など)と負担を担う人たち(住民)との公平をどう担保するか?

(3) インフラ整備など、どの程度のコスト負担が生じ、これを誰が負担するか?

といった問題です。


日本場合も増えてはいますが、さまざまな理由欧州から遠い、島国の不便、人口密度がすでに高い、言葉問題、など)から欧州の事例ほどに観光客が増えるとはちょっと考えられないでしょう。

それでも、ただ増えて結構経済も潤い、日本を知ってくれる人も増える、「おもてなし」が世界認知される・・・と喜んでいるだけではなく、インフラをどうするか、居住者犠牲受益者との公平性をどう保つかなど、もっと真剣に考える必要があるでしょうね。

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7.何れにせよ、潜在的海外旅行者がこれからも増えていくことは間違いないでしょう。

英国エコノミスト誌の5月25日号が「外に開く中国」という特集を組み、人や金の移動を自由化する国策のもと、海外旅行する中国人の数が急増する現状を伝えています。

(1) 1980年代にはその数わずか数万人だったが、いまは1億3千万人を超えており,

2020年には少なく見積もっても2億人(人口の約7人に1人)に達すると見込まれている。

(2) 中国人2016年海外旅行による消費額は、世界全体の5分の1を占め、アメリカ

人の消費額の倍である。

(3) しかも、現在中国人旅券保持者は1割にすぎないが、2020年には少なくとも倍の2億4千万人にはなるだろう(因みにアメリカ人は4割)。

中国だけでもこうですから世界を歩く旅人の数はこれからも増え続けることでしょう。

2018-07-29

当地にも台風12号と豆台風、吉田拓郎の「夏休み」

| 07:55 |

1. 先週は大相撲御嶽海の「県出身力士初の優勝」で,信濃毎日号外を出し、朝刊は二日続けて彼の大きなカラー写真記事とで埋まりました。何せ、木曽郡の小さな町の出身ですから大騒ぎです。

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横綱不在でも連日満員御礼相撲を見て幸せ日本国は、異常な暑さが一段落したと思ったら、今度は台風

台風東京直撃にはならないようですが、今後の進路では雨はひどくなる予報です。

蓼科大丈夫でしょうか。どうして被災地に向かって行ってしまうのか、自然残酷ですね。」というメールが身内から来ました。


2.その前には、娘が連れてきた6歳と生後5か月の豆台風東京猛暑を逃れて予定より長く11日も逗留しました。

(1)前回も触れましたが、娘とはワインを飲みながら英国日本それぞれの違いについて話をしました。今回もその続きです。

前回触れなかったことで両国の最大の違いは「災害の有無」でしょう。

英国には火山もないし、そもそも高い山がない。したがって地震津波土砂崩れ集中豪雨もありません。

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(2)「日本では、新幹線車内での無差別殺傷事件や幼い子供の命を狙ったり児童虐待など痛ましい事件が相変わらず報道されている。英国ではどうか?」

と訊いたところ、

「その点は、英国も同じではないか。痛ましい事件はやはり起きる」と言っていました。

人間性残酷・冷酷なところがあるというのは、残念ながら共通しているのでしょうか。

規制日本と同じく厳しいが、ナイフを使った若者事件が増えて問題になっているとのこと。


しかし、両国で違うのは、どんなに凶悪殺人犯であっても英国には死刑制度がないことです。英国だけではなく、EUオーストラリアカナダなど民主主義国のほとんどで廃止されています。EUは加盟に当たって「廃止」を条件にしている。韓国ロシアも「凍結」している。

しかし日本では2014年世論調査で、80.3%の支持だそうです。「一方、死刑制度存廃をめぐる議論は低調だ」と新聞も報じています。

この思想的違いは大きいですね。


(3)娘はアメリカ英国での暮らし人生のほぼ半分近くになります。

働く環境(とくに女性の)や住まい教育環境に十分満足していて、当分は帰ってきそうもありません。

とくに「他民族を受け入れる寛容さ」が英国の特徴だと彼女は言います。

アメリカ他民族国家というが、むしろ他民族を「1つのアメリカ人」に染め上げてしまうところがある。

英国ではそんなことはない。イタリア人日本人ユダヤ人自分たちアイデンティティを失うことなく暮らしていける。」

という感想です。

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(4)子供の扱いが違うという話も出ました。

彼女によれば、日本は少し子供に甘すぎる、お子様中心の生活が強いように思う。

他方で英国では(とくに中流階級以上で)親が中心という印象を受ける。しつけも厳しいし、子供は親の生活から切り離されて、例えば午後7時過ぎには子供部屋に追い払われて、親はそれから自分時間を楽しむ・・・・

子供に冷たすぎると感じることもある。

最近ラジオトーク・ショウで、「ある夫婦家族での海外旅行自分たちビジネスクラスで、子供たちはエコノミー飛行機に乗った」ことが話題になった、これはいくら何でも行き過ぎではないかという意見子供自分で稼いでいないのだから当然という意見とが分かれたが、後者を主張する人が結構多かった・・・そうです。

日英どちらもやや行き過ぎではないかと思う、というのが彼女感想です。


3. 孫二人を扱う娘の様子を見ていると、「どちらも行き過ぎ」と恰好いいことを言って

いながら、本人は「やはり日本人だな」と思うところがあって、「少し甘やか過ぎではないか」とこちらから注意することもあります。

(1)しかし、普段英国男子校で学んでいる6歳の孫にとって、少しは気分の変わる夏休みになったのならよかったなと思っています。

日本人学校の補習校はもちろん英国にありますが、家から遠いなどの理由で通っていません。日本語勉強は両親がもっぱら面倒をみています。

今回も「お父さんは下手な英語で話しかけるのはやめて、勉強になるから日本語を使って」と言われました。

小倉百人一首」の絵札で遊ぶ「坊主めくり」で初めて遊びましたが、娘は「百人一首の一首でも覚えさせたい」という気持ちになったようで、荷物に入れて持って帰りました。和歌を覚えるのは容易なことではないと思いますが・・・

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(2) 家では日本語勉強と称して「ドラえもん」を愛読しました。絵もさかんに描いています。

英語版もあって(漫画もヴィデオも)やはり人気があるようですが、批判もけっこうあると娘が話してくれました。

この漫画の中身は、のび太という主人公がいろいろ苦労にあう、それを未来からやってきたロボットのドラえもんがあり得ないような便利な道具を駆使して助ける・・・というテーマが多くて、

これが英国人に言わせると、こういう漫画を読むと、子供がすぐ誰かに頼って助けてもらおうとする、自己努力をしない人間になってしまう、のだそうです。

これも日英両国の、子供に対する扱いの違いでしょうか。

(3) 前回のブログで彼が庭でセミの抜け殻を見つけて並べている写真を載せました。

そのあと、脱皮し・羽化したセミを見て驚いていました。セミ英国では見かけないようです。

抜け殻の写真を見たフェイスブック岡村さんからコメントを頂きました。

「蝉の空を並べている写真を見て男の子って同じことをするんだ。

お孫さんはきっとこの日の事を思い出す日が来るんだろうなぁ。

世代吉田拓郎さんの曲に、

麦わら帽子は もう消えた

田圃の蛙はもういない

畑のトンボはどこに行った

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あの時逃がして あげたのに、 西瓜を食べてた 夏休み

水撒きしたっけ 夏休みひまわり 夕立 蝉の声

と歌われています。遠い思い出ですが、長い夏休み出来事とこの曲は耳から離れません。」とあります。

岡村さん、有難うございます。

吉田拓郎のこの歌を知らなかったので、早速ユーチューブで聴いてみました。

「孫がこの日のことを思い出す」かどうかは分かりませんが、日本のこと、美しい日本語日本夏休みをこれからも忘れずに生きていってほしいと願っています。

柳居子柳居子 2018/07/29 12:31 空蝉 夏の季語ですね。 随分前句会に出て課題が空蝉でした。何句か作りましたが 全て忘れてしまいました。 一瞬を切り取る俳句の様な文化は英国には馴染まないかも知れませんね。

2018-07-22

猛暑の名古屋での大相撲その他

| 07:57 |

1. 前回は古いレコードを涙を呑んで捨てたことを書いたところ、十字峡さんから京都の某市民活動センターレコード図書館を開設して寄贈を受け付けている」という情報を頂きました。

情報提供感謝です。ただし私のは、個人的な思い出は1枚1枚強いのですが、音が良くないので残念ながら人様に聴いていただく価値はないと思います。

それにしても十字峡さんお住まい京都暑いですね。6日連続の38℃超えは観測史上初めてのことだと。皆さん体調管理に本当に苦労していると思います。

何とか乗り切っていきたいものです。

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当地も例年より4度前後高い異常な気候で、地元の人も口を開けば「今年は暑いね」と言っています。山奥の開発地に住む家は冷房の設置はありません。しかし「そろそろ要るかもしれない」と心配している人もいます。

それでも朝夕は多少しのぎやすくなり、汗をかきながらですが、散歩もできるだけしています。朝早く、人工池のまわりにしばらく寝転んで青い空を見上げたり、八ヶ岳を眺めたりします。

冬の厳しい時期は帰京しますので定住者と違って、「いいとこ取り」をしているのでその点は申し訳ない次第です。


2. 今回は暑さの中の日々、私事で終わりそうです。

18日の水曜日には日帰りで名古屋を往復しました。

最高気温39度という日で、目まいがしそうでした。

英国に住む次女が2人の孫を連れて一時帰国をしています。亭主は仕事東京ですが、残りは何せ幼児もいるので逃げ出して田舎家にやってきました。

名古屋は6歳の孫が「ニンジャ」と「大相撲」のファンで、今回初めての見物となったものです。茅野駅から塩尻乗り換えで片道3時間はかかります。

折角なので改修なった名古屋城なども見たいと思っていたのですが、とても歩く気にはなれず地下鉄愛知県体育館まで直行しました。

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ご存知の通り、3横綱新大栃ノ心休場の寂しい場所ですが、孫もさほど力士名前に詳しいわけではなく、我々も実際に見る土俵雰囲気に十分満足しました。

孫は、遠藤、勢、御嶽海の3人を大声をあげて声援し、この日は長野県郷土英雄御嶽海を含めて3人とも勝ったのでご機嫌でした。

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3. 田舎家ではもっぱら彼と付き合って将棋を教えたり、家族皆でトランプや「モノポリー」をしたり、庭でセミの抜け殻を拾ったり、ゆっくり本を読む時間もとれません。

一人で絵を描いたり、短い「勉強時間」に漢字を覚えたり、本を読んだりすることあります。


「モノポリー」は大昔子供たちと遊んだころの道具がそのまま残っています。

今回は、何十年ぶりかで今度は孫を中心に遊びましたが、単なるすごろく遊びとはいえよく出来たゲームです。

プレイヤーはあらかじめ銀行から現金をもらって、町のさまざまな名前のついた通りや電力・鉄道会社などをすごろくを振って順番に通っていく。所有者がまだないところに止まったら現金で購入して、オーナーになれる。

他のプレイヤーが、所有者のいるところに止まると地代使用料を払う。そのほかさまざまな「止まる場所」があって、所得税寄付金を払ったり賞金を受け取ったり、監獄に入れられたりする。


「通り」は2つあるいは3つのカラー・グループに分かれていて、同じグループをすべて購入すると家やホテルを建てることができる。そうするといっそう高額の地代を払わせられる。

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しかも、「通り」は「ウェストサイド通り」といった庶民的場所は購入代金も地代も安く、他方で「五番街」のような高級な通りは高額である。

ということで、資本主義の仕組み通り、資産家はますます富裕に、貧乏人はなかなか這い上がれない・・・

しかし不動産や公益事業をあまり多く持ちすぎると現金が少なくなって、他人所有の土地に止まったとき地代支払いに追われ、最悪は破産してしまう。


誰かが破産するとその時点で総資産額を計算して順番を決めて、ゲームは終わる。

英国では、アッパークラス上流階級)は土地を持っていて働かなくても豊かにに暮らせる(ジェイン・オーステインの小説面白おかしく登場する人たちのように)。

他方で「中流の下」や「労働者階級」は働いて金銭収入だけで資産はいつまでたっても増えない・・・・

そういう社会の仕組みを象徴するようなゲームです。

高度成長期戦後日本は「1億総中流」と言われましたが、この国もどうやら昔の日本・今の英米のような格差社会になってしまったようです。この格差をどう是正していくかが、為政者大事な責務ではないでしょうか。


4. 娘の方は6か月の産休中ですが、パソコンで年中ロンドン会社や同僚たちと連絡をとっているようで、結構忙しくしています。

それでも夕食時は多少ゆっくりして、ベランダワイン珈琲を飲みながらお喋りをします。

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普段の1000円以下より少しましなワインも飲みました。

英国日本人一家暮らし言葉・習慣・文化の違いを超えて「モノポリー」社会職場学校制度に溶け込んでいくのは、苦労も大きいだろうし経済的負担も大きい。


そんな悩みも話し合い、しかし、英国社会の良いところも聞きました。ストレスが少ない、生活メリハリが利く、寛容である、人間関係気持ちよい、教育も優れている・・・など。

他方でもちろん日本の方が良いところもたくさんある。何といっても食生活の充実と便利・清潔なこと。


両方の「いいとこ取り」をするのは贅沢・わがままかもしれない。

しかし、私たち一人一人が、(例えば)英国の「良いところ」を知って・学び、日本の「良いところ」も学び、可能な限り(経済的に無理なことは諦めても)気持ちの上だけでも両方の「いいとこ取り」を果たそうと努力する姿勢もあっていいのではないか、そんな話をしましたが、やはり贅沢な願いでしょうか。