川本卓史京都活動日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-10-17

金融危機だのノーベル賞だの

| 14:18 |

十字峡さん有り難うございます。

そうなんですね。松花堂庭園は、松花堂昭乗という江戸時代初期の文人の

居室でフランスにひけをとらない「サロン」だったそうです。

松花堂弁当はここに由来するとのこと。

少しも知らず、勉強になりました。


金融危機の方は、詳細は省略。

部長の指示で、11月5日に学内で緊急トークショーを実施することになりました。

「何が起きているのか?お金は、暮らしはどうなるのか?」という仮題です。

私のほか、2人の同僚が参加、1人はコーネルMBAで、同じくもとバンカー、もう1人は

若手の経済学博士で公共経済学が専門。

まあ、この2人に任せておけば何とかなるでしょう。


話が変わりますが、今年のノーベル賞は、ポール・クルーグマン経済学)の

受賞ですべて揃いました。


物理学賞の南部陽一郎氏について、16日の日経によると

「南部さんは米国の受賞者」と文科省が決定したという報道

ありました。


本件、日本テレビ新聞が「日本人3人が・・・」と騒ぎたてるのを

不思議だなと思い、もっと早くブログにも書きたいと考えていました。

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受賞を報じた、8日の日経によると、略歴に「渡米後に米国籍を取得した」と

あったからです。


ご承知の通り、日本国籍法二重国籍を認めません。

アメリカ国籍を取得したということは原則、日本国籍を放棄したはずです。

現に同8日のニューヨーク・タイムズは、「An American (南部氏のこと)

and two Japanese physicists won the Nobel Prize・・・」

と報じました。


もう1つ面白いと思ったのは、16日の記事によると、

文科省が判断したということと、「日本国籍時の業績との意見もあったが、海外と同様

受賞時の国籍で集計することにした・・」

という内容です。


こんなことを役所が決めないといけないのか、が第1点。


それと、後者について、


メディアが「日本人日本人・・」とわめいたのはそんな理由ではなくて、

我々は、日本で生まれて日本語を喋る、日本人みたいな顔をした人は

それだけで日本人と考えてしまう、

つまり、国籍(ナショナリティ)よりもエスニシティ(人種)で考えてしまう

という性向です。


だから例えば、藤田嗣治は、レジナルド・フジタというフランス人として

死んだという事実に抵抗を感じる(そこに、フジタの悲劇がありました)。


日本国籍を取得して、日本にお墓がある、青い目のエドワード・サイデンステッカー

いつまでもアメリカ人・・・


某もと大臣の「日本人単一民族・・」という発言につながる心的傾向だと

思います。


そして、「日本で生まれて、日本語(だけしか)喋れない・・」のに日本人でない、

選挙権被選挙権もないのがご承知の通り、在日韓国人です・・・・・

我善坊我善坊 2008/10/18 02:23 南部氏の「日本人の受賞者」というメディアの喜び方、私も気になっていました。
もちろん喜びに水を差す気は毛頭ありませんが、「日本人受賞者」と強調するのが適切なのかどうか?意地悪く受賞当日から新聞の記事を丹念に見ていましたが、多くの字数の中で「現在は米国籍」という僅か6文字が申し訳のように添えられているだけで、それじゃあこれまでの「国別受賞者数」などの表はどういう基準で作られたのかなど、さっぱり分からず。
藤田嗣治やサイデンステッカーさんのこともその通りですね。本当は学芸の世界ではエスニシティも国籍も関係ない。ただ業績があるのみです。ノーベル賞も意図的に国籍などは無視しています。
これがスポーツの世界にまで拡がり、オリンピックから国旗国歌がなくなったら、どんなにすっきりするでしょうね。

柳居子柳居子 2008/10/18 10:37 我善坊さんのコメント 学問。芸術の世界 又スポーツの世界でも国籍云々を言うのは、時代錯誤というご指摘は、正鵠を突いたものだと思います。只 「オリンピックから国旗国歌がなくなったら、どんなにすっきりするでしょうね。」に付きましては、地球上には色々な国があり 其々固有の文化歴史を持ち 又 国の大小に関わらず同じサイズの国旗を掲げての行進にこの時代唯一の平等と見る向きも在ります、国威の誇示とか本来のオリンピックの精神置き去りとか色々と批判の事は承知いたしてますが、グローバリゼーション世界規格化が本当に正しいのか お互いの文化歴史を認めると言う意味で国旗・国歌は一つのシンボルのように私は思いますが。

我善坊我善坊 2008/10/19 10:13 柳居子さん、はじめまして。コメント有難うございます。
国籍(国家)とエスニシティは分けて考えるべきではないでしょうか?
(歴史、伝統、文化を含む)エスニシティは、殆んどの人にとって否応なく身についているもので、それは態々誇示する必要などない。国旗国歌はエスニシティのシンボルではなく、あくまで国家(国籍)のシンボルです。明らかにオリンピックが代理戦争であった20世紀前半までの世相を反映するもので、もういい加減でやめても良いのではないかと考えますが、如何でしょうか?
オリンピックにプロが受け容れられたのは「最高のスポーツをオリンピックに集めたい」というIOCの意思によると言われています。もしそれなら、仮にアメリカでは100Mを10.1秒で走る選手でも出場できず、日本なら10.3秒でも参加できるとしたら、国籍による矛盾だと考えますが。

柳居子柳居子 2008/10/21 09:46  我善坊さん
ご提言の趣はよく判りました。井の中の蛙で、旧い時代の頭で固まっております。次回のロンドン大会は、近世では老舗の覇権国どの様にオリンピックを開催するか楽しみにしています。