まだ中津旅行と福澤諭吉の1万円札&日田の町並み

1. このところ福澤諭吉ゼミ生による大分中津・日田旅行を記録しています。
旅が終わって1カ月になり、三田キャンパスで12月のゼミがあり、「旅行の報告をせよ」と若い女性軍に言われました。旅行に参加できなかった人も4名居るので
パワー・ポイントに素人写真を張り付けて、若干の疑似体験をしてもらいました。
今回は、その「報告ゼミ」の報告ですが、ブログに書いておくと、整理が出来てこういう時に助かります。
まさに「百聞は一見に如かず」。中津に行って改めて福澤について理解することが多くあったという点は少しブログにも書きました。
それと、今年は彼が1万円札の肖像になって30周年だそうで記念館でも特別の展示をやっており、そのこともゼミで喋りました。
発行時の番号1番の1万円札が日銀から中津市に贈られたそうで、それも展示されていました。
30年前というと1984年。そこからの日本経済の変遷に思いを馳せながら、見学したという報告です。

2. この頃、おそらく日本経済のパフォーマンスが一番良好な時代ではなかったでしょうか。
私事ながら私はちょうどニューヨークのウォール街で働いていましたが、お陰さまで、日本人であることに気後れすることなく仕事することが出来ました。
日本的経営を高く評価したエズラ・ヴォ―ゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が出たのが1979年。1984年には1人あたりのGDP(ドル建て名目)がドイツを抜いて世界2位になりました。(国民総生産ではすでに68年に2位になっています)。

1985年には「プラザ合意」がNYのプラザホテルで。当時はG5と言われて、アメリカ、西ドイツ、イギリス、フランス、日本の先進5カ国が国際金融政策を話合っており、「プラザ合意」の主役は日本であり、ここで、竹下蔵相(総理は中曽根さん)は円高への修正や内需拡大を約束。
以後の推移はご存知の通り、急激な円高、日銀の金融緩和とバブル発生、そしてバブルが崩壊し、日本はデフレが長く続き、低成長率のもと低金利円高GDPはほとんど横ばいでした。

この結果、GDPでは中国に抜かれ(中国は2030年にはアメリカを抜いて世界1になるだろうとの予測),
1人あたりのGDPは(ドル建てですから為替相場の影響もあるにせよ)昨年は何と世界で23位に落ちました。
日本国債の格付けは1984年当時は最上位のAAAでしたが、この12月1日にはアメリカの格付け会社ムーディズが1段階下げて上から5番目の「A1」としました。これで中国や韓国より1段階低くなりました(S&Pは韓国と同じ)。

・・・・というようなことで、福澤先生の1万円は日本に居る限り30年前も今も変わらず1万円ですが、対外的な1万円の価値も、さらには日本経済の力もずいぶん変わりました。


いまそれを抜き打ち総選挙に勝った安倍長期政権が「アベノミクス」と称して日本経済の再生に賭けている訳です。
これ以上このブログで触れる紙数はありませんが、私は個人的には、第1の矢&異次元金融緩和と言われる日銀のやり方はどうも釈然としません。
日本経済の行く末に必ずしも楽観していないのですが、今の若者はそのあたりをどう考えているでしょうか。

3. 中津・日田旅行から少し逸れてしまいましたが、この2つの町の対比、江戸時代の末期に夫々に豊かな経済と文化と学問が盛んだったことはブログにも書きました。
それに関連して、今回のゼミで「旅の感想」として少し脱線したのは、日田の町並みが今も保存されていて、その美しさと現代の日本の街の秩序の無さが対照的だという感想です。

西洋に旅行をしたりすると、町並みの美しさがいちばん印象に残ります。
特に、観光用に作られた町でもない普通の庶民の住宅地を歩いても、同じように統一のとれた落ち着いた風情のある建物と余計な看板やネオンを殆ど見かけない姿にほっとします。
それに比べて、東京の住宅街というのは、もちろん最近は立派な邸宅も多く見かけますが、基本的に違うと思うのは、夫々の家が持ち主の趣味でいいように建っていて、隣近所との調和を考えているという気配を感じさせてくれません。

なぜ西洋の・普通の庶民の住む街並が美しいのか、と疑問に思う方もおられるかもしれません。
この点を、東郷和彦というもとオランダ大使でいまは京都の私立大学の先生が東京新聞のコラムに書いていて面白いと思いましたので、少し長いですが、以下引用します。

―――オランダは、個人の自由を最も尊重する国である。パートナー婚も同性婚も認められている。女性が望めば堕胎は許されるし、職業としての売春もある。尊厳死を選択する自由も認められている。大痲などの「ソフトドラッグ」は指定喫茶店で購入出来る。
 そのオランダで、絶対に許されないことがある。家を建てる時、その外観について他人の意見を聞かず、自分の好みを押しとおすことだ。
建物の高さは言うに及ばず、屋根や壁、窓の形と色・・・全てを周囲の環境や家屋と調和させねばならない。役所の厳格な審査があり、新築後も外観維持のための検査が定期的に続く。
他人に迷惑をかけない個人の領域に関する限り、どう生きるかは個人の自由と責任に任される。しかし、建物の外観は公共財なのである・・・・結果としてオランダは、世界で最も景観が美しい国の一つになった・・・――


詳しくは知りませんが、オランダだけでなく英国もイタリアも(豪州のシドニーも)同様だろうと思います。英国のロンドン郊外に住む友人から、家を建て替える時はそのデザインや壁の色等について周りの住民の了解が必要だ、だから周囲と調和しない目立った家を建てることは出来ないと聞いたことがあります。

そこで日田の(江戸時代の姿が保存されている)街並みを見て思ったのは、この・統一の取れた美しい街並みは、オランダに引けを取らないのではないかということです。
これは日本人として誇りにしてもよいのではないか。
当時の日本に、オランダや英国のような規制やコミュニティの約束があったとは思われません。しかしなぜこのような街並みが昔は日本人だって作れて、なぜ今それが壊れてしまったのだろうか?
というようなことを考えました。


そうしたらゼミ生の1人が、「江戸時代の建築は基本的に“地産地消”だからではないか。別に意図的にそうしたのではなく、皆が地場の産物で作るしかなかったからたまたま同じようなデザインになったのだろう」と発言してくれました。
そうなると、今の日本人は、もういちど意識して、住まいもまたコミュニティの中に、それと調和して存在するのだと考えなおす必要があるのではないでしょうか。